海賊提督の悪妻

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グレイプ編

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 薄っすらと記憶を辿り、なるべく目立たぬ道を選んで港に向かって走る。
 賑わう眩い店の陰を選び、酔っぱらいのドラ声と歌に靴音を隠し、海軍服に息を止め、心臓の音を頼りに進んだ。足元に現実感がなくてふわふわする。だけど必死に走った。

 とにかく逃げなくては。

 自分に疚しいことなど何一つなかったが、逃げるという行為そのものが足を震わせる。
 怖くない。
 怖くなんかないから。がんばって。

 いつだって、最後は自分に縋るしかない。
 トリーチェでもグレイプでも、そこがどこであってもリリアンヌは結局独りだった。あの窓から毎晩見つめた海が教えてくれたから知っている。

 お前はひとりぼっちだよ。

 どれだけ耳を塞ごうと、海の街に暮らす限り潮騒は逃げられない孤独を囁く。
 だからリリアンヌはきちんと立って、律する。立っていられるように律し続けるしかない。自分の力だけで立っていられるならば困らない。
 支えられる必要が、ない。


 握っている金は大した金額ではなかったが、最も安い客船くらいには乗れる。大部屋だろうが問題はない。知った船に乗れれば儲けものだが、そう上手く停泊している可能性は低いだろう。

「はぁ……はぁ……」

 流れてくる汗を拭い、港にある倉庫の陰から停泊している船を調べた。客船は二つ、商船が三つ。客船は小さいのでグレイプ国内か近隣諸国が行先だろう。反対の航路に乗ってしまうのは避けたい。
 だが、ふと思った。

 トリーチェに戻る必要もないのではないか。
 公用語の圏内ならば、逆に自分のことを誰も知らない土地で働いて暮らしていくのも。

 じわりと誘惑が立ち昇る。
 ギヴリーの長女じゃなくて、マリアンヌの従姉妹じゃなくて、ドレスが似合わない私じゃない世界。
 星の女たちは逞しく生きている。自分にもそんな選択肢があると初めて具体的に思い描いた。綺麗な服など必要じゃない。メイドも馬車も。私には手と足があるのだから――――。

 薄暗闇でそんな妄想に溺れかけ、リリアンヌは我に返る。
 シャキッとしなければ。
「……切符売り場はどこかしら」
 言い聞かせるように独り言ちて、辺りを見渡した
 今いる倉庫の三つ向こうが大通りの筋のようだ。静かに売り場を探して走ると、予想通り、港と大通りの角に閉店した切符売り場があった。ホッとして近づき、航路と時刻表がごちゃ混ぜになった手書きの発着表に食らいつく。


 ―――AM6:00発、マレーナ:ヨロブ港行
 ―――PM2:00発、アストラダ:ミルグク港行(マレーナ:ダリストン港経由)


 仄暗く、人気の出払った夜の港。
 売り子のいない切符売り場で頼りなく時刻表を見つめる女の後ろ姿など、男を寄せ付ける灯火に等しい。

「乗れなかったのか? かわいそうになぁ」
「俺、良い船知ってる、ただで乗せてやんぞ」
「乗る前に飯でも食って時間潰そっか」

 時刻表を必死で見ていた間に、いつの間にやら男が三人背後に立っていた。
 見つかってしまった……ショックを受けて恐る恐る後ろを振り返るが、リリアンヌは叫びそうになる。

 セーフ! 海軍服を着ていない!

 思わず小躍りしそうになる。
 満面の笑みをした美女に男三人は面食らい、だが勘違いしてトゥンクした。
「なんだ、すーげぇ良い女じゃん」
「やば……可愛い……じゃないな、綺麗がすげえ」
「色、白ぉ」
「エロぉ」
「あ~、もう飯止めとく? すぐいっちゃう?」

 確かにすぐイっちゃう体質にはなったが、ごめん冠る。
「残念だけど、待ち合わせなの」
「え、ここで?」
「そう」
 咄嗟に吐いた嘘は少し浅い。男たちは嬉しそうなままだ。
「へぇ、誰と? 手ぶらで?」
「荷物は預けてあるの」
 後ろ手に握り込んだ札束を身体で隠し、そしらぬ顔で嘘を重ねるが、足場が不安定なでっち上げは男たちにも見え見えだった。自覚はある。
 三人はにやにやと笑い合い、待ち合わせに付き合おうぜ、と頼みもしないのに申し出た。
「付き合って頂く必要はないわ。直ぐに来るから。もうあっちへ行って」
 ツンと澄まして早口でぶった切り、人のいる大通りに向かって一歩を踏み出した。
「おっと、待ち合わせの場所から動かない方が良いんじゃないの」
 タンクトップ姿の男が行く手を塞いだ。

 何が嫌いって、リリアンヌはこの袖のない脇が丸見えの服を着た男が大嫌いである。

「どきなさい、あなたに関係ないわ」
「あんたさ、ちょっとお嬢さんだな。品がすごい。家出とか? 行くとこないんだろ」
「ウチに置いてやるよ」
「離して!」
 横から唇の分厚い男に腕を掴まれたが、バシッと叩いて逃げる。スタスタと歩いた。
「はは、怖がっちゃって。かーわい」
「怖くねぇよ」
「なぁ」
「しつこいわよ」
 走り出すのが何となく怖かった。そうしたら完全に捕まる気がした。

 野生動物のようにじりじりと距離を測って、相手も自分も出方を見ている。さぁ、どうやって逃げ出そうか……だがその見られている視線の奥にある、もうひとつの青い瞳に気が付いてリリアンヌは今度こそ声を上げそうになった。


 ネイト!


 通りの反対側からポケットに手を突っ込んで、煙草を吸いながらこちらを見ている見知った男がいるではないか!
「あっ」
 三人が声を上げる。リリアンヌは男たちに構わず全速力で走り出す。
 タンクトップどころじゃない、一番捕まってはいけない奴から。
「待てって!」
 大通りを曲がり、店の裏の木箱を薙ぎ倒して後方を塞ぎ、途中靴を放り出して裸足で駆ける。
 男たちは興奮じみた顔で美しいネズミを追いかけ回し、勝手知ったる地元の道を一人が先回りしてリリアンヌの行く手を塞ぐ。
「きゃあ!!」
 簡単に抱き込まれ、薄い身体は汗ばんだ手に担ぎ上げられた。

 あれっ、ちょっとあの男に捕まるくらいに良くない状況だったかも、とリリアンヌはタンクトップの肩の上でジタバタと足掻きながら焦り始めた。

「俺ん家行く?」
「もーその辺でよくね? 俺興奮して完勃ち」
「そこの茂みでいいだろ。とりあえず一回輪姦したら持って帰ろうぜ」
 冗談ではない。テイクアウトの相談に身を捩る。
「はいはい、動くなー」
「脚綺麗だな」
 三人はそのまま小径の向こうにある叢に分け入った。
「ここで良いよな、降ろすぞ」
「誰が一番にヤる?」
「じゃんけんしよーぜ」

 じゃんけんの結果、負けた二人は身体を押さえ、勝ったタンクトップがトップバッターに躍り出る。
「よーっしゃ」
 何がよっしゃ!! リリアンヌは憤怒でタンクトップを睨み上げて奥歯を噛んだ。

 まただ! また!! 

 どいつもこいつも、人の身体をなんだと思っている!?
 自由を奪えば何をしても問題がないと思っているのか。腹立たしくて唸り声が勝手に漏れる。
「おー、おー、猫みたいだな。胸はねーけど、すっべすべじゃん」

 べとり。

 やたらと熱くてねっとりした手が身体をまさぐった。
「………!?」
 リリアンヌは困惑した。それはあまりに衝撃的な気持ちの悪さで。
 熱すぎる温度の手が身体を這うたびに、ぞーっと肌が粟立つ。
「触らないで……」
 掠れた声が漏れた。布地の引き裂かれる音がする。
「全部脱がせようぜ、俺にもさわらし……あれ」
「あ?」
「星!?」
「え、いやでも、三つあるぞ。普通一つじゃ」
 男たちがシンとした。
「どーする? やめるか?」
「でももったいねぇよ。お前らやらねーなら俺やるし」
 露わになった乳房へと頭上の男から手が伸びる。
「触らないで!!」
 バシン、と馬乗りになっていたタンクトップがリリアンヌの頬を叩く。
「黙れ!!」

 一瞬、何が起こったのかわからなかった。
 血の味がして、継いで猛烈に頬が熱くなる。

 あれ、今、殴られた?
 これが殴られるってこと?

 突然どっと汗が噴き出る。心臓が大きく跳ね出す。
 呼吸が浅くなって、自分が吸っているのか吐いているのか、上がどこなのか下がどっちなのかわからなくなる。

 こわい。

『我慢するな。これから幾らでも危ない目に遭う可能性はある。俺の側にいるのはそういうことだ。だけどお前が声を上げないと、俺が気づかないかもしれない』


 さっき見ていた、目が合った、青い目と煙草の煙を吐く男を思い出す。


「けどやばいんじゃね」
「でも三つだろ? 偽物じゃねーのか、別物っつーか」
「そうだ、パクリだろ。どうせバレねーって、それか後で舌切っちまえば?」
「もういいじゃん、やろーぜ。やってから考えよーぜ」
 言いながらまた三人の手が動き出す。スカートがめくられて手と足を押さえられる。その手が気持ちが悪い。触られた端から泥がへばりつくようだ。リリアンヌは生理的な嫌悪で暴れた。怖くて泣ける。気持ち悪い、気持ち悪い、気持ち悪い! 

 無理!!

「いやっ、やめて、はなしてっ、ネ」
「黙れって!」
 男が再び殴る腕を振り上げた。

「ネイトーーーーーーっ」


 ぱんっ


 乾いた音がして、静かになった。
 鼻腔に独特の臭いがへばりついてくる。
「………~~~ぁぁぁぁああああ!!!」
 ポタポタっと生温かいものが顔や胸元に落ちてくる。広い夜空に浮かぶ月。その逆光に目を凝らすと、男が振り上げていた手のシルエットがおかしかった。指が四本、足りない。

 ぱんっ

「うわああっ」

 次の銃声の後、リリアンヌの手足を押さえていた男が顔面を押さえてのたうち回る。指の間から血が噴き出ている。

 ぱんっ

 最後の男も叫び声を上げて逃げようとしたが、股間を手に蹲った。声も出ない。

「……はっ……はっ……」

 リリアンヌはがくがくと震える身体で男たちがのたうち回る様子を見る。
 ゆっくりと近づいて来る足音を聞きながら。
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