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トリーチェ編
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案外しつこいラルフから逃げ回り、販路問題に頭を悩ませていたある日、とうとうレア先生は見ぬふりをしていた欲望を爆発させた。そうでなくとも自分の撒いた種によって自分の首を絞めていたのだ。
レ……レアチーズケーキが……食べたい………!
名を呼ばれる度にふんわりと思い浮かぶレアチーズケーキ。
好きな名前にしようと思ったらコレしかなかった。さすがに『レア・チーズ』にするわけにもいかず、皮だけ愛しているクレープを後ろに付けた。
気が付けば長らく食べていない。あの一番のお気に入りの店に久しぶりに行こうかしらと思ったら、明日でさえも待っていられなくなってくる。
逃げ隠れするものの、レア先生は休日もなく一度も休んだことがなかったので、集会所で一緒に働く役人のアーベルは二つ返事で『是非息抜きでお休みしてください!』と送り出してくれた。
だから今、リリアンヌはチーズケーキを前にしてそのお味に震えているのである。
「はぁ……」
馬鹿みたいにちょっと口が開いてしまうのは許して欲しい。誰も見ていないのだから。
だけど常連だったので、案内係は気づいて(くれて)しまった。セレブ相手に商売をしているだけあって接客のプロである。多少の変装は誤魔化されないらしい。アレっと言う顔をしたので眼鏡の奥で苦い顔をして『シーっ!』と指を立てると、何らかを察して、だけどいつもの半個室に案内してくれた。
焼き印付きだがお嬢様育ちである。大変に満足のいく食事の時間を過ごした。
心地いい音楽が流れ、耳障りな笑い声などあるはずのない穏やかな店内。久しぶりに来ると余計に素晴らしい空間だと感じた。ランチコースは美味しかったし、やっぱりデザートのチーズケーキもおかわりしたくなるくらい。
ケーキだけホールでテイクアウトしようかしら。
「リリアンヌよね?」
平和に悩んでいるリリアンヌの耳に、可愛らしい声が響いた。
「あ……メアリー!」
高等学校時代の同級生であるメアリーである。
「久しぶりね? 前もこの店で会ったわ」
「え、ええ、そうね」
なんとなくキョロキョロとメアリーの周囲を窺ってしまう。だけど他に誰かいる様子もない。
「なぁに? 誰かいらっしゃるの? 待ち合わせ?」
「え、いいえ、違うわ。ひとりよ」
「……なんだか随分雰囲気が変わったわね? その服、正気?」
パニエも着ていない、シンプルなワンピースの自分をまじまじと凝視する友人の目に少し緊張する。
「正気よ。もう似合わない服を着るのは止めたの」
「ふぅん……私も一人なの。お茶だけ一緒にどう?」
「ええ、もちろん」
二カ月ぶりの再会だが、その前はもっと期間が開いていた。普段から連絡を取り合う仲でもないからリリアンヌの誘拐やら婚約やらも知らないはずだ。ギヴリーの家から出ていることも、この様子だと知らないのではないか。ならばとリリアンヌは幸運に気が付いた。メアリーは上級議員を多数輩出しているハロッド家の娘だ。この人脈を使わない手はない。
「メアリー、あの……頼み事があるの」
「どんな?」
「パーティかお茶会か、社交場に行きたくて。だけどちょっと事情があって、ギヴリーと距離を置いているの。ほら、そもそも私、あの家にずっといる立場にないし……それでちょっと、独り立ちの練習のようなことをしているんだけど、友人に頼まれて起業の手伝いみたいなことをしていてね。石鹸と衣類を販売するつもりなのよ。実際使ってみると凄く良いものだし、社交場でテスターを配りたくて」
「ああ、良いわよ」
「えっ?」
「……なんとなく、リリの昔からの状況は察しているもの。家を出たって不思議はないでしょ。何か始めるってことなら、協力できるわよ」
「本当に!?」
呆気なくメアリーの承諾が取れて、リリアンヌは驚いた。
まだ詳細も伝えていないのに、何という幸運が! やっぱり幸運期なのだと胸元の三つ星を撫でる。
「具体的に、どういう頼みなの?」
「本当は私がパーティーで商品を紹介できたらと思ったのだけど、よく考えてみれば招待状もドレスもないのよ。家に置きっぱなしで出てきたから。だから」
代わりに石鹸を配って貰えないだろうか、と言い出しにくいリリアンヌに代わってメアリーが提案する。
「つまり、招待枠の手配と、あなたのドレスを用意すればいいのね」
「え!?」
「いいわよ」
「えっ、さすがにそれは頼めないわ。私、ドレスを買える持ち合わせはなくて」
「そんなの大丈夫よ。それよりまさか私に商売の宣伝を任せるなんてつもりじゃないでしょうね。申し訳ないけど、それこそ無理よ。あなたは元からギヴリー出身だから抵抗ないでしょうけれど、私は議員の娘よ。できないわ」
「あ……そうか、それもそうね。でも良いの?ドレスを用意してもらうなんて。あなたのサイズはきっと小さいから入らないわ」
「お安い御用、全く問題なしよ」
久しぶりの再会で安請け合いし過ぎにも聞こえたが、メアリーは平然としていたので妙に頼もしく感じてしまう。
「パーティーはギヴリーの出席がない社交場がいいわよね。女性が多そうな」
「ええ」
「三日後にモルド夫妻が開催するチャリティーイベントのパーティーがあるの。それはどう?」
「チャリティーイベント? って、三日後!?」
「そうよ、近ごろ流行ってるでしょう。移民への寄付。それが高じて一位のカードを狙って寄付集めのイベントが始まっているのよ。チャリティー系は女性が多いから、ちょうど良さそうじゃないかしら。ギヴリーはもう何度も一位に入っているから、そういうイベントには招待されていないわ。だからどちらかというと小金持ちが集まる感じ」
「なるほど」
購買層としては逆に大金持ちより良さそうに感じた。それに、軍人が友だち探しをするような場所でも無さそうだ。万が一ニアミスしてしまっても、こちらが先に気づけば良い。背の高い軍服のネイトなら一番目立つだろうから、見つけるのには自信があった。
「でも三日後なんて、ドレスが……間に合うの?」
「ええ、間に合うわ。じゃあ小物の類も揃えておくから、あなたは商品だけ用意して三日後の夕方前にハロッドに来てちょうだい。パーティーの招待枠はあなたの分だけ押さえておくから、急に誰か連れてきたりはしないでね」
メアリーってこんなに頼もしかったかしら。
リリアンヌは幸運を通り越して騙されているようにすら感じた。だけど女神の前髪を捕まえにいかなくてはならない。
「もちろんよ。……本当にいいのかしら。ありがとうございます!! メアリー」
「……う……うん……わかっているわ、大丈夫よ……」
リリアンヌは深く頭を垂れて旧友に感謝を表したから、メアリーが泣きそうな顔で目を逸らしたのを結局見ることはなかった。
◇
三日後。
ハロッド家の家紋が入った馬車が、モルド家邸宅正門より少し手前で止まる。
リリアンヌはやや緊張した面持ちで小さめのテスターを大量に入れた籠を掴み、髪を手櫛で梳いて整えた。
「ここまで本当にありがとう、メアリー。パーティー自体が久しぶりだから緊張するわ。でも本当にこんな素敵なドレスまで用意してもらって。緊張するけど、ちょっと楽しくもなっていて。ふふ」
向かいに座るメアリーに話しかけるが、返事はない。
「メアリー? どうしたの?」
「……その……騙すつもりなんてなかったのよ? だけど悔しいじゃない、あなたは身を引くって決断をしたのかもしれないけれど、そういうのって良くないと思うの。本当に想い合ってる二人は一緒になるべきよ、諦めずに頑張って欲しいの」
「……は?」
「それでしかもあんなハンサムに頼まれたら、だって……普通断れないじゃない?」
「…………」
率直に嫌な予感が脳天を突き抜ける。
馬車の扉が、ごくごく自然に開く音が聞こえた。
「待たせたな、俺のリ」
バタン!!!!!!! ガチャガチャッ!!!!
「メッ!! メアリー!!!!!!!!」
「違うの、違うの、リリー、聞いて」
半泣きで縋って来るメアリーを平手で押し返し、
「馬車を出して、早く馬車を出してぇぇぇぇ」
と叫んだが、扉の前で明らかに銃声がして「きゃー」と悲鳴を上げ互いにしがみつく羽目になる。
ぶらん、ぶらん、と壊された金具が揺れる扉はゆっくりだらしなく開いていき、涙目で顔を寄せ合う女二人の前に真っ白な海軍服盛装姿の男が満面の笑みで現われた。
「待たせたな、リリアンヌ。なんだその前髪は、新しいな」
「待ってません!!」
ぽーい、っと馬車から出され、まずは熱烈にキスされる。
「んーーーーーーーーーーーーっ」
もちろん押しても微動だにしないし、こちらの化粧もお構いなしに舌を突っ込まれるしで最後は酸欠でバンバン肩を叩きながらのギブしかない。
そんな二人を真っ赤な顔をしたメアリーが『やだぁ』と瞳を潤ませ観覧している。
「大丈夫か?」
顔を離したネイトはべろりと口紅で汚れた唇を舐め、口づけだけでは飽き足らず視線でミューズを舐め回して脳内で早速犯した。
「大丈夫じゃないし、今、すぐ、その目を閉じなさい」
「籠を持とう。ふ~ん、グレイプの石鹸だな? 本船の洗面にあったな」
「それは返しなさい、私のです」
「取りに来たら返してやろう」
「あなたの返してやろうだけは一生信じません」
「あ~……これか」
「今返さないで!!」
ピロンと零れた紐にギョッとして慌ててポケットに突っ込み返すと肩を揺らして笑い、嬉しそうに顔にも首にも手を沿わせてまた口を付けて来る。
「リリ、リリ」
「もぅっ、ちょっと、止めてって!! あ、ほら人が来るわよ、ほら」
「あんな芋みたいなのはどーでもいい」
「だけどあなた、沢山のお友だちが必要なんでしょう? 変な提督だと思われたらお友だちがいなくなるわ」
「リリ、お前……」
ネイトがふと真顔になって手の中の女を見る。
「なに」
「………いや、そうだな。じゃあ、続きは終わってからにしよう。まずは石鹸を配って寄付を募り、友を得ようじゃないか、婚約者殿」
リリアンヌはさすがに言い訳をしようと旧友を振り返るが、メアリーは口元を押さえて力強く頷きまくっている。
「違うわよ、メアリー。この人は婚約者なんかじゃ」
「良いのよ!! わかってるわ、リリー。お家の反対があるんでしょう!? マリーと三角関係になっているのよね? そりゃ家には居づらいでしょう。でも私は二人の純愛を応援しているから!!」
全然違う。
「ちなみにだけど、そのドレスもネイト様が用意されたものなの。確かにちょっと荒っぽいし熱烈が過ぎて無理矢理みたいだけど、良いと思うわよ、私は! だって軍人だし、そういうのは仕方ないって言うかキュンてするって言うか羨ましいって言うか、つまり私も色々と強引にされてみたいって言うか」
「わかったわ、メアリーありがとう、もう黙った方がよろしいわ」
「良ければ乱暴な男を紹介しましょうか」
お前が一番黙れと首を絞めながらメアリーを家に帰した頃には、リリアンヌはパーティー会場に入る前からクッタクタになっていた。
「はぁ……」
「大丈夫か?」
誰のせいだ。
誰もいない門の脇でしゃがみ込んだミューズをネイトが後ろから長い脚で挟み込む。
「挟まないで」
「せっかく捕まえたんだ。挟むだろ、普通」
マッチを擦る音がして、またあの煙草の臭いが始まる。
「あー、早くヤリてぇ。なぁ、リーリ」
「………」
始まってしまった。
レ……レアチーズケーキが……食べたい………!
名を呼ばれる度にふんわりと思い浮かぶレアチーズケーキ。
好きな名前にしようと思ったらコレしかなかった。さすがに『レア・チーズ』にするわけにもいかず、皮だけ愛しているクレープを後ろに付けた。
気が付けば長らく食べていない。あの一番のお気に入りの店に久しぶりに行こうかしらと思ったら、明日でさえも待っていられなくなってくる。
逃げ隠れするものの、レア先生は休日もなく一度も休んだことがなかったので、集会所で一緒に働く役人のアーベルは二つ返事で『是非息抜きでお休みしてください!』と送り出してくれた。
だから今、リリアンヌはチーズケーキを前にしてそのお味に震えているのである。
「はぁ……」
馬鹿みたいにちょっと口が開いてしまうのは許して欲しい。誰も見ていないのだから。
だけど常連だったので、案内係は気づいて(くれて)しまった。セレブ相手に商売をしているだけあって接客のプロである。多少の変装は誤魔化されないらしい。アレっと言う顔をしたので眼鏡の奥で苦い顔をして『シーっ!』と指を立てると、何らかを察して、だけどいつもの半個室に案内してくれた。
焼き印付きだがお嬢様育ちである。大変に満足のいく食事の時間を過ごした。
心地いい音楽が流れ、耳障りな笑い声などあるはずのない穏やかな店内。久しぶりに来ると余計に素晴らしい空間だと感じた。ランチコースは美味しかったし、やっぱりデザートのチーズケーキもおかわりしたくなるくらい。
ケーキだけホールでテイクアウトしようかしら。
「リリアンヌよね?」
平和に悩んでいるリリアンヌの耳に、可愛らしい声が響いた。
「あ……メアリー!」
高等学校時代の同級生であるメアリーである。
「久しぶりね? 前もこの店で会ったわ」
「え、ええ、そうね」
なんとなくキョロキョロとメアリーの周囲を窺ってしまう。だけど他に誰かいる様子もない。
「なぁに? 誰かいらっしゃるの? 待ち合わせ?」
「え、いいえ、違うわ。ひとりよ」
「……なんだか随分雰囲気が変わったわね? その服、正気?」
パニエも着ていない、シンプルなワンピースの自分をまじまじと凝視する友人の目に少し緊張する。
「正気よ。もう似合わない服を着るのは止めたの」
「ふぅん……私も一人なの。お茶だけ一緒にどう?」
「ええ、もちろん」
二カ月ぶりの再会だが、その前はもっと期間が開いていた。普段から連絡を取り合う仲でもないからリリアンヌの誘拐やら婚約やらも知らないはずだ。ギヴリーの家から出ていることも、この様子だと知らないのではないか。ならばとリリアンヌは幸運に気が付いた。メアリーは上級議員を多数輩出しているハロッド家の娘だ。この人脈を使わない手はない。
「メアリー、あの……頼み事があるの」
「どんな?」
「パーティかお茶会か、社交場に行きたくて。だけどちょっと事情があって、ギヴリーと距離を置いているの。ほら、そもそも私、あの家にずっといる立場にないし……それでちょっと、独り立ちの練習のようなことをしているんだけど、友人に頼まれて起業の手伝いみたいなことをしていてね。石鹸と衣類を販売するつもりなのよ。実際使ってみると凄く良いものだし、社交場でテスターを配りたくて」
「ああ、良いわよ」
「えっ?」
「……なんとなく、リリの昔からの状況は察しているもの。家を出たって不思議はないでしょ。何か始めるってことなら、協力できるわよ」
「本当に!?」
呆気なくメアリーの承諾が取れて、リリアンヌは驚いた。
まだ詳細も伝えていないのに、何という幸運が! やっぱり幸運期なのだと胸元の三つ星を撫でる。
「具体的に、どういう頼みなの?」
「本当は私がパーティーで商品を紹介できたらと思ったのだけど、よく考えてみれば招待状もドレスもないのよ。家に置きっぱなしで出てきたから。だから」
代わりに石鹸を配って貰えないだろうか、と言い出しにくいリリアンヌに代わってメアリーが提案する。
「つまり、招待枠の手配と、あなたのドレスを用意すればいいのね」
「え!?」
「いいわよ」
「えっ、さすがにそれは頼めないわ。私、ドレスを買える持ち合わせはなくて」
「そんなの大丈夫よ。それよりまさか私に商売の宣伝を任せるなんてつもりじゃないでしょうね。申し訳ないけど、それこそ無理よ。あなたは元からギヴリー出身だから抵抗ないでしょうけれど、私は議員の娘よ。できないわ」
「あ……そうか、それもそうね。でも良いの?ドレスを用意してもらうなんて。あなたのサイズはきっと小さいから入らないわ」
「お安い御用、全く問題なしよ」
久しぶりの再会で安請け合いし過ぎにも聞こえたが、メアリーは平然としていたので妙に頼もしく感じてしまう。
「パーティーはギヴリーの出席がない社交場がいいわよね。女性が多そうな」
「ええ」
「三日後にモルド夫妻が開催するチャリティーイベントのパーティーがあるの。それはどう?」
「チャリティーイベント? って、三日後!?」
「そうよ、近ごろ流行ってるでしょう。移民への寄付。それが高じて一位のカードを狙って寄付集めのイベントが始まっているのよ。チャリティー系は女性が多いから、ちょうど良さそうじゃないかしら。ギヴリーはもう何度も一位に入っているから、そういうイベントには招待されていないわ。だからどちらかというと小金持ちが集まる感じ」
「なるほど」
購買層としては逆に大金持ちより良さそうに感じた。それに、軍人が友だち探しをするような場所でも無さそうだ。万が一ニアミスしてしまっても、こちらが先に気づけば良い。背の高い軍服のネイトなら一番目立つだろうから、見つけるのには自信があった。
「でも三日後なんて、ドレスが……間に合うの?」
「ええ、間に合うわ。じゃあ小物の類も揃えておくから、あなたは商品だけ用意して三日後の夕方前にハロッドに来てちょうだい。パーティーの招待枠はあなたの分だけ押さえておくから、急に誰か連れてきたりはしないでね」
メアリーってこんなに頼もしかったかしら。
リリアンヌは幸運を通り越して騙されているようにすら感じた。だけど女神の前髪を捕まえにいかなくてはならない。
「もちろんよ。……本当にいいのかしら。ありがとうございます!! メアリー」
「……う……うん……わかっているわ、大丈夫よ……」
リリアンヌは深く頭を垂れて旧友に感謝を表したから、メアリーが泣きそうな顔で目を逸らしたのを結局見ることはなかった。
◇
三日後。
ハロッド家の家紋が入った馬車が、モルド家邸宅正門より少し手前で止まる。
リリアンヌはやや緊張した面持ちで小さめのテスターを大量に入れた籠を掴み、髪を手櫛で梳いて整えた。
「ここまで本当にありがとう、メアリー。パーティー自体が久しぶりだから緊張するわ。でも本当にこんな素敵なドレスまで用意してもらって。緊張するけど、ちょっと楽しくもなっていて。ふふ」
向かいに座るメアリーに話しかけるが、返事はない。
「メアリー? どうしたの?」
「……その……騙すつもりなんてなかったのよ? だけど悔しいじゃない、あなたは身を引くって決断をしたのかもしれないけれど、そういうのって良くないと思うの。本当に想い合ってる二人は一緒になるべきよ、諦めずに頑張って欲しいの」
「……は?」
「それでしかもあんなハンサムに頼まれたら、だって……普通断れないじゃない?」
「…………」
率直に嫌な予感が脳天を突き抜ける。
馬車の扉が、ごくごく自然に開く音が聞こえた。
「待たせたな、俺のリ」
バタン!!!!!!! ガチャガチャッ!!!!
「メッ!! メアリー!!!!!!!!」
「違うの、違うの、リリー、聞いて」
半泣きで縋って来るメアリーを平手で押し返し、
「馬車を出して、早く馬車を出してぇぇぇぇ」
と叫んだが、扉の前で明らかに銃声がして「きゃー」と悲鳴を上げ互いにしがみつく羽目になる。
ぶらん、ぶらん、と壊された金具が揺れる扉はゆっくりだらしなく開いていき、涙目で顔を寄せ合う女二人の前に真っ白な海軍服盛装姿の男が満面の笑みで現われた。
「待たせたな、リリアンヌ。なんだその前髪は、新しいな」
「待ってません!!」
ぽーい、っと馬車から出され、まずは熱烈にキスされる。
「んーーーーーーーーーーーーっ」
もちろん押しても微動だにしないし、こちらの化粧もお構いなしに舌を突っ込まれるしで最後は酸欠でバンバン肩を叩きながらのギブしかない。
そんな二人を真っ赤な顔をしたメアリーが『やだぁ』と瞳を潤ませ観覧している。
「大丈夫か?」
顔を離したネイトはべろりと口紅で汚れた唇を舐め、口づけだけでは飽き足らず視線でミューズを舐め回して脳内で早速犯した。
「大丈夫じゃないし、今、すぐ、その目を閉じなさい」
「籠を持とう。ふ~ん、グレイプの石鹸だな? 本船の洗面にあったな」
「それは返しなさい、私のです」
「取りに来たら返してやろう」
「あなたの返してやろうだけは一生信じません」
「あ~……これか」
「今返さないで!!」
ピロンと零れた紐にギョッとして慌ててポケットに突っ込み返すと肩を揺らして笑い、嬉しそうに顔にも首にも手を沿わせてまた口を付けて来る。
「リリ、リリ」
「もぅっ、ちょっと、止めてって!! あ、ほら人が来るわよ、ほら」
「あんな芋みたいなのはどーでもいい」
「だけどあなた、沢山のお友だちが必要なんでしょう? 変な提督だと思われたらお友だちがいなくなるわ」
「リリ、お前……」
ネイトがふと真顔になって手の中の女を見る。
「なに」
「………いや、そうだな。じゃあ、続きは終わってからにしよう。まずは石鹸を配って寄付を募り、友を得ようじゃないか、婚約者殿」
リリアンヌはさすがに言い訳をしようと旧友を振り返るが、メアリーは口元を押さえて力強く頷きまくっている。
「違うわよ、メアリー。この人は婚約者なんかじゃ」
「良いのよ!! わかってるわ、リリー。お家の反対があるんでしょう!? マリーと三角関係になっているのよね? そりゃ家には居づらいでしょう。でも私は二人の純愛を応援しているから!!」
全然違う。
「ちなみにだけど、そのドレスもネイト様が用意されたものなの。確かにちょっと荒っぽいし熱烈が過ぎて無理矢理みたいだけど、良いと思うわよ、私は! だって軍人だし、そういうのは仕方ないって言うかキュンてするって言うか羨ましいって言うか、つまり私も色々と強引にされてみたいって言うか」
「わかったわ、メアリーありがとう、もう黙った方がよろしいわ」
「良ければ乱暴な男を紹介しましょうか」
お前が一番黙れと首を絞めながらメアリーを家に帰した頃には、リリアンヌはパーティー会場に入る前からクッタクタになっていた。
「はぁ……」
「大丈夫か?」
誰のせいだ。
誰もいない門の脇でしゃがみ込んだミューズをネイトが後ろから長い脚で挟み込む。
「挟まないで」
「せっかく捕まえたんだ。挟むだろ、普通」
マッチを擦る音がして、またあの煙草の臭いが始まる。
「あー、早くヤリてぇ。なぁ、リーリ」
「………」
始まってしまった。
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