裏剣客加瀬崎十郎 北斎大画即書

CHIHARU

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十三   愚兄と、全ての責を己に帰そうとする健気な真吾

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 暗い通りの反対側から、提灯片手にふらふら歩いて来る人影があった。

「兄上」
 真吾が声をかけた人物こそ、蔵地家衰退の元凶、蔵地隼人助だった。

 背丈は、崎十郎と同じくらいだが、ぶくぶくと肥えている。
 動きも鈍いが頭の回転も鈍そうだった。
 肉に埋もれた腫れぼったいまぶたの下にある瞳は傲慢さを感じさせ、旗本らしい気品の欠片もなかった。

「おい、真吾、このような刻限までなにを遊んでおった」
 遊所帰りらしき隼人助は、呂律がまわっていなかった。

「お祖父さまの行方を捜しておりました」
「なに! もうろく爺ぃが屋敷から逃げ出したと申すか」
 隼人助はいまにもつかみかからぬばかりに真吾を睨みつけた。

「開けられぬよう、しっかり門を閉じておけと、あれほどきつく言うておるではないか。わしをわずらわせるでない」
 隼人助は真吾の頬を拳で殴りつけた。
 明らかに酒臭い臭いが、崎十郎のところまで漂ってきた。

「申し訳ございませぬ。昨夜は、うかつにも、正体もなく寝入っておりました」
「卑しい絵師の手伝いで夜業していたゆえであろうが。あれほど、画などやめいと申してあったに」
 狭い眉の間に皺を寄せながら、隼人助はさらに語気を強めた。

「わしは忙しい身じゃ。真吾、おのれは家におって遊んでおるだけの冷や飯食いではないか。老いぼれの世話など誰でもできる。簡単な責務も果たせぬとは、とんだ愚図の無能じゃな」
 言いたい放題な隼人助の言葉にも真吾は押し黙って頭を垂れている。

「画など、くだらぬものにうつつを抜かしおるのも、血筋は争えぬものじゃな」
 隼人助の話は、意外な方向へ流れ始めた。

「そちの母、静は勝川なにがしとかいう絵師の娘だったそうだな。下賤な絵師の血が混じっているだけでも気に食わぬというに……。静の母は、女郎だったというではないか。汚らわしいにもほどがあろう」

 真吾は夜目にも明らかなほど顔色を変えた。

「崎十郎殿もおられますゆえ、そのような話は……」
 制止しかけた真吾の言葉に、隼人助はさらに言を重ねた。

「そなたは知らぬだろうから教えてつかわそう」
 隼人助は、細い目を蝦蟇がまのように細くすると、真吾の顔に赤ら顔を寄せて声を落とした。

「そちは父の子ではない。爺ぃが奥女中であった静を手籠めにして産ませた子じゃ。静はそちを産んで、すぐに命を落としおった。身寄りとてなかった女ゆえ、憐れに思って赤子を引き取ったのじゃ。外聞をはばかって父の子と届けられたがの」

「初耳でございます。まさか、さようなことが……」
 真吾は絶句した。
 華奢な肩が、ぶるぶると震えている。

「わしは腹が減ったぞ。真吾、茶漬けを所望じゃ」
 由蔵が間の抜けた口調で言葉を挟んだ。

「わかりましてございます。家に上がりましたら、すぐ用意いたしますゆえ」
 祖父の〝正体〟を知った真吾は抑揚のない声で答え、引きつった笑みを返した。

「おい、真吾」
 隼人助は真吾の腕を、ぐいとつかむと、
「不愉快じゃ。これより憂さ晴らしに参るとするぞ。ついては資金が欲しい。いますぐ蔵の鍵を渡せ」と言い放った。

「まさか備前長船景光を……。あの宝刀は我が蔵地家の誇り。一命に代えても守り抜くよう、先祖代々受け継がれておるではありませぬか」
 真吾は声を裏返らせた。

「ほかに金子があるならば出してみい」
「昨夜の銭が、すべてでございます。わたくしが英泉先生のお手伝いをして得たあの銭は、米や味噌の支払いに充てるはずでした。昨晩、無断で持ち出されたではありませぬか」
 真吾の声は逼迫した色を帯びていた。

「ええい、弟の分際で、兄を盗人呼ばわりいたすか」
 隼人助は、無抵抗な真吾に殴る蹴るの暴行を始めた。

「隼人助殿、無体が過ぎましょう」
 崎十郎は両腕を広げて両者の間に身体を割り込ませた。

「うぬは黙っておれ。これは我が蔵地家の問題じゃ」
 隼人助にどんと胸を突かれて崎十郎はよろめいた。

「す、すみませぬ、崎十郎殿、大事ありませぬか」
 真吾がおろおろした様子で駆け寄ってくる。

「おい、早く爺ぃから蔵の鍵を取れ。おい、真吾……」
 言いながらも隼人助は、その場でへたり込んだ。

「兄上、今宵はもうお休みください。金子はわたくしが、なんとか工面してまいりますゆえ」
 真吾は隼人助を抱え起こした。

「お恥ずかしいところをお見せいたしました。兄も決して悪い人ではないのですが、御役にもつけず悔しく思う心が、このようにさせておるのです。近頃は悪い女に捕まっておるようで、なおさら心配いたしております。ですが、そのうち、兄も目を醒ましてくれることと信じております」

 健気に言うが、一朝一夕に改心するくらいなら、蔵地家がこのような窮状に陥っているはずがなかった。
 二十も半ばを過ぎていまなお無役なわけは、素行の悪さと無能さゆえに相違なかった。

「それでよいのか、真吾」
 崎十郎の問いかけには応えなかった。

「お世話になりました。では、失礼いたします」
 真吾は隼人助の身体を支えながら門をくぐると、
「お祖父さま、お履き物を……」
 履き物のまま式台を上がる由蔵を追って屋敷のうちに姿を消した。

 全てを他人のせいにする兄と、全ての責を己に帰そうとする健気な弟。
 度を超して優し過ぎる真吾の心の奥底はいかなるありさまかとひどく気になった。
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