生人形師喜三郎が駆ける

CHIHARU

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19   辰五郎親分のとんでもない提案

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「刑部卿さまには、娘のお芳が、いつもお世話になっておりまして……」
  辰五郎は、意外な言葉を口にした。

 お芳さんに、刑部卿さまのお手が着いてたのか。だから、辰五郎親方とも懇意なのか。
 喜三郎は、納得した。

「美香のような、京の『止む事なし』な女も良いが、余は、やはり、生粋の江戸育ちの〝侠〟な女がよい。暴れ馬を乗りこなす楽しみと似ておる」

「はは。わっちの娘は、雌馬ですかい」
 辰五郎が、額を掻き掻き、いかにも楽しげに笑い飛ばす。

「……でな。昨晩もな。お芳が……」
 慶喜と辰五郎は、お芳の〝美点〟について、語り合い始めた。

 慶喜は、女との睦言を、白昼堂々、あっけらかんと話しているのも関わらず、まるで、研鑚の成果を披露するような語り口で、卑しさなど、微塵もなかった。

 お偉いお方は、下々とは違う。
 喜三郎は、妙に感心しながら、辰五郎の後ろに控え、来るべき〝時〟を待った。


 一頻り、盛り上がったあと、
「ところで、用向きは、なんじゃ」
 ようやく本題を持ち出す順が巡ってきたらしい。

 喜三郎に緊張が走る。
 手の中に、嫌な汗が滲む。

「ただのご機嫌伺いと聞いておりまするが」
 平岡が、代わりに返答し、『頼み事など持ち出すでない』と、牽制に出た。

 正攻法で切り出すのは、拙いか。
 喜三郎の心配を他所に、当の辰五郎は、涼しい顔である。

「まあ、ちょっとあれを見ておくんなせえ」
 辰五郎は、喜三郎が大事に抱える包みに目をやった。

「何じゃ」
 慶喜の、思いのほか鋭い視線に、指先が、小刻みに震えそうになる。

「なにやら面白いものと見た。早う、こちらへ」
 慶喜は、好奇心を顕わにして、急かした。

 平岡は、疑り深そうに、包みを睨み付けている。

 辰五郎が喜三郎の手から、包みをもぎ取り、慶喜に渡した。

「なになに」
 慶喜の目が、子供のように輝く。
 結びを目を解く暇も、もどかしげに、包みを開く。

「こ、こりゃ。なんじゃ」
  息を呑み、一瞬、ぎょっと固まった。

 出てきたのは、黛人形の頭部だった。

 実物を御覧に入れることが、一番、手っ取り早い。
 迷わず、一番に自慢の、黛の頭を持参していた。

「はは。生首かと思うたぞ。こんな人形があろうとは……。これが、噂の〝生人形〟か」
 慶喜は、吸い付けられたように、人形の頭から、目を離さない。

「さすがは、刑部卿さま。御存知なら、話は早い」
 辰五郎は『してやったり』というふうに、ぽんと膝を叩いた。

「こいつは、喜三郎と申しやして……」
 説明を始めようとした、辰五郎の言葉を、
「実はな。じじい」
 と、慶喜が遮った。

「活けるがごとき人形があると聞いたとき、余は、是非とも見とうなった。じゃが、余が自ら、見世物小屋なぞを訪ねるわけにはいかぬ。いや、実は、忍びで行こうと思うて、平岡に止められたのじゃ。……で、平岡を、見にやらしたのじゃが……」

 平岡は、苦虫を噛み潰したような顔で、俯いた。

「そ、そうでございましたか」
 喜三郎は、思わず声を上げた。

「これがそうなのか」
 慶喜は興味津々で、人形の頭を、子細に、観察する。

 あらゆる方向から矯めつ眇めつ、吟味する。
 光に透かせて見る。
 まるで探求心の塊である。

 だが……。

「よし。わしも作ってみるか」
 
「は」
 喜三郎は、我が耳を疑った。

「それは宜しゅうございますな」
 辰五郎は、たちまち〝太鼓持ち〟に豹変した。
「刑部卿さまなら、軽いもんでございましょう」

「うむ」
  慶喜が、初めて人形から目を離し、大きく頷いた。
「余は、この頭を越えるものを作ってみせる。よい玩具が見つかった。ははは。当分、これの作り方の研究で、楽しめるな」
 快活に笑う目尻は、狂気すら感じさせた。

 子供の手慰みじゃねえ。こちとらは、心血注ぎ込んでるんでえ。
 あまりに安易な考えに、喜三郎は呆れ、腹が立った。

「お恐れながら。そ、そんなに簡単には……」
 喜三郎が言いかけたときだった。

「黙れ」
 平岡が一喝した。
「手解きなど、無用じゃ」
  さらに一気に捲し立てる。
「卿は、万能のお方じゃ。何事につけても、天賦の才を授けられた、選ばれたお方じゃ。卿は〝習う〟ということが、大嫌いなお方じゃ。すべて、御自分の力で、会得なさってこられたのじゃ」

「そうそう」
  辰五郎も、平岡の話を横取りし、平岡に援軍を送った。

「刑部卿さまは、投網にしても、漁師の見よう見真似で、三日と経たぬうちに、本職の漁師も真っ青な熟練の技を会得された、ってえ話を、聞いておりますよ」

 三日は、さすがに信じられないが、確かに、いくつかの信じられぬような逸話が、巷に、流布していた。

「そうじゃ。打鞠にせよ、書画に、将棋や碁にせよ。刺繍から屋敷の普請まで。この御年にして、既に、数え切れぬほど、さまざまな技を会得なさっておられる。それがすべて、独力で極められたのじゃ」
 平岡の目は、慶喜に心酔し切っている。

「で、興行の小屋に、刑部卿さまが頭を作られた人形を、密かに飾らせていただくってええのは、どうでしょうかね」
  辰五郎が、突然、とんでもない提案を持ち出した。

「え。何を馬鹿なことを言うのだ」
 平岡が、滅相もないと、直ちに異を唱えた。
「万が一、下賤な見世物小屋に置かれた人形が、卿の御作だなどと知れたら……」

「よいよい」
 平岡の言葉を、慶喜が遮った。
「それは、良い考えじゃ。黙っておればよい。余の作った頭とは、誰一人として気がつくまい。考えるだけでも愉快じゃ」
 慶喜は、目を輝かせ、悪戯っぽく笑った。

「し、しかしですな……」
 平岡はまだ心配げに何かぶつぶつ言いかけたが、慶喜は聞いていない。

「それについちゃあ、ちょいとばかり、困った問題が、ごぜえやしてね」
 辰五郎は、気軽な口調で、ようやく本題を持ち出した。
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