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【バレンタイン番外編】天然系美少女山本さんは、あまりに無防備すぎるから、ときどき無邪気が僕を巻き込む
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暖かい日が続くなあ。
風呂を終えた僕は、自室の畳に身を任せ、ぼうっと天井を視界いっぱいにしている。
そういえば雪も全然降ってないよなあと、目をカレンダーに移す。
ああ。もう今年に入って二ヶ月半になるんだ。
あれ?
気づくと何やら甘い匂いが漂ってきている。
なんだろう?
僕は立ち上がり台所へ向かう。
ちょっと覗いてみると、エプロン姿の山本さんが立っていた。
エプロンの下には白と水色のボーダーのルームウェア。
ブラウンのショートボブの髪を耳にかけている。
頬をほんのり染めながら、色白の腕をまくって出し、一生懸命に作業をしている。
この距離だと手元は見えない。
でもこの季節に甘い匂いといったら、まあ、あれだよな、チョコレート的なやつだよな。
……やっぱり僕に義理的なやつをくれたりするのかな?
そんなことを思うと、気づかないほうが良いのかもという気がしてきた。
「あ、ゆーとさん」
引き返そうと思ったとたん山本さんに見つかり声をかけられた。
首だけこちらに向け、手には泡だて器を持っている。
「えへへー。バレンタインデーが近いですからねー」
引き返すのもなんなので、台所に入ることにする。
山本さんは身体ごと振り返り、正面を向いた。
「甘い匂いで幸せですー」
と、にっこり微笑む。
「ゆーとさん、楽しみにしてくださいね。頑張って美味しいの作りますから」
「あ、ありがとうございます」
エプロンは汚れの無い綺麗なままだ。
もう何度も使っているのに汚れが全然見当たらない。
アイボリー地に細かい花が散らしてあり、薄い緑色のラインで縁取られた、オーソドックスなエプロンだ。
きっと汚さないように気をつかってくれているのだろう。
そのエプロンは元々亡くなった祖母にプレゼントしたものだ。
といっても、祖母は一度も使わずに亡くなってしまったけど。
山本さんが急に真顔になる。
「ゆーとさん、ほっぺたがむずむずするのですが、何かついていませんか?」
うん。
そうでしょうとも。
頬にはチョコレートが付いていた。
エプロンは綺麗なのに。
「左の頬にチョコレートついてますよ?」
と、言うと、
「わたし失敗しちゃってました」
なんて、照れ笑いのような表情を浮かべた。
「いや、料理の最中ですし、そういうこともあるでしょう」
僕は下手なフォローをしてみる。
すると、山本さんは、
「ゆーとさん、すみませんが、取ってもらえませんか?」
と、とたとたと近づいてきた。
「え?」
急に距離が近くなって慌てる僕に、
「その、わたし今、手袋しちゃっていますので」
と、頬を出してきた。
チョコレートの甘い匂いとは別の良い香りがやってきた。
山本さんは、ほんのり赤くなっている左側の頬を向け、下からのぞき込むようにしている。
山本さんは、
「むずむずします……」
と、言うと、
「んぅ。ゆーとさん……はやく……お願いします……」
と、目を閉じた。
おーぅっ!?
目を閉じる!?の!?
何故に!?
至近距離でそれはまずくない!?
山本さんが更に頬を寄せてきた。
雰囲気に導かれるまま、僕は右手人差し指を山本さんの頬にあてた。
山本さんの長いまつげがかすかに揺れる。
ぷに。
おーぅぅっ!?
や、や、やぁわらかぁい。
艶やかで、しっとりしていて、滑らかで。
ぷに。
や、や、やばい。
ちょっと押すと静かに沈むのにまた浮きあがってくる弾力。
ぷに。
や、や、やみつきになる。
どこかにトリップしてしまいそうになる。
なんだ?この安らぎ癒し物質は。
……やめられないっす。
「ん……んふぅ……ゆーとさぁん?」
と、山本さんは目をゆっくり開けた。
「え」
「あの、ゆーとさん、その、ちょっとばかり、くすぐったいです」
「あ、ご、すみません!」
僕は慌てて手を引っ込める。
少し身を引いた山本さんは、うつむいて顔を赤らめている。
「いいえ。わたしこそすみません。せっかく取ってもらっているのに、くすぐったくって」
「いやいや、僕のほうこそ。その、あの、なかなか、とれなくて」
とっさに誤魔化す僕。
誤魔化すことに罪悪感が無いわけではないけど。
……本当の事を言ったらもっとまずい気がするし。
「そうですよね。それなに、わたしったらすみません」
罪悪感が増します……。
「せっかく、ゆーとさんが一生懸命取ってくれようとしているのに、我慢できなくて」
罪悪感が増し増しです…………。
「ちゃんとしますから……お願いしますっ」
と、今度は正面から顔を近づけてきた。
そしてまた目を閉じる。
正面から?
で?
目を?
閉じる?
おーぅぅぅっ!?
目を閉じる!?の!?
何故に!?
「や、山本さん?」
「はい?」
僕が声をかけると、近づいた山本さんは目を開けて少し下がった。
「な、なんで目を閉じるのですか?」
「なんでというか……。閉じないほうが良いですか?」
山本さんは不思議そうな表情をして小首をかしげる。
「いや、その、どっちでも良いんですけど、その……」
「わかりました。開けたままにしますね」
山本さんはまた僕に近づき、
「では、お願いします」
と、今度はあごの下あたりで、細い指をからませて両手を組んだ。
いや、それはそれで、くるものあるけど……。
僕は雑念を振り払い、山本さんへと右手を伸ばした。
幼さを残した大きな二重の目は開いたままだ。
そしてゆっくりと、頬に指を近づけた。
人差し指を動かし、頬に付いた乾いたチョコレートを取る。
かり、かり、かり。
山本さんは真正面から僕を見ている。
かり、かり、かり。
山本さんの目が僕を映す。
かり、かり、かり。
視界をふさがれた山本さんの視線は、僕を捉えたまま動かない。
この至近距離でただただじっと見つめられている。
確かに。
確かにですよ。
……これはこれで気まずい。
僕は、視線を感じないように緊張を悟られないように、作業を進めた。
と、右手の人差し指にチョコレートが移る。
「取れました」
山本さんから少し離れて指先のチョコレートを見せる。
ぱく。
……?
…………?
………………?
……………………?
…………………………?
「甘いですー」
と、山本さんは満面の笑み。
え?
僕は山本さんの幸せそうな声で意識が戻る。
おーぅぅぅぅっっ!?
何?
何が起きたの?
「美味しいですー」
と、山本さんは無邪気に笑顔満開になっている。
……僕の指先からチョコレートが消えている。
おいおいおいおいおいおい。
まてまてまてまてまてまて。
どうしました?山本さん?
肉食獣ですか?山本さん?
ちょっと無防備が過ぎませんか?山本さん?
あれ?
ふと、甘い香りの他にほのかに別の匂いが漂っているのに気づく。
「……山本さん、チョコの他に何か入れました?」
「はい~」
と、山本さんの表情がさらにゆるくなる。
「香り付けにちょっとだけお酒を~」
表情だけでなく、全身に柔らかさがまわっていく。
「山本さん?」
「大丈夫ですよ~。ちょっとだけ気持ち良いです~」
と、足元へとゆっくり下がっていき、山本さんは眠りの世界へと渡っていったのでした……。
◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
そんな昨晩でした……。
そして、今、僕らは昼休みの教室だ。
うちの高校はそんなに厳しくないので、あちこちでチョコのやり取りをしている。
中には本命というものもあるのかもしれないけど、みんな平穏に楽しんでいる。
もちろん僕には、本命などという都市伝説のような仕組みとは無関係だ。
もてたりしないのは自覚しているけど、うかつにもてて運貯金が減ったらもったいないし。
山本さんも大忙しだ。
今朝早起きして仕上げたチョコレートブラウニーを配っていた。
「友チョコですー。これからも宜しくお願いしますー」
と、丁寧に説明しながら渡している。
一か所にとどまらず、教室のあちこちに出向いて話に華を咲かせている。
「香り付けにお酒をちょっと使っているのですが、お酒に弱くて昨日はいつの間にか寝てしまいました。作っている途中からの記憶が無くて……」
なんて失敗談を交えながら、楽しそうに配っている。
そうだよなあ。
確かに昨晩はちょっと雰囲気違ったし。
「だから今日の朝頑張ったんですっ」
と、包み隠さず話しては自分でも食べたりして、クラスメイトと仲良く笑い合っている。
山本さんは、少し昂っているのか頬がちょっと赤い。
声も少し大きめで、いつもよりテンション高めだ。
バレンタイン効果なのかな?
楽しそうな山本さんを見て、僕もどういうわけか嬉しくなる。
山本さんは、また違うグループのところへ行った。
一つ一つ男女問わずクラス全員に渡すつもりらしい。
たくさん作っていたもんなあ。
一生懸命に作っていたもんなあ。
どこにも交わらず席に座りきった僕のそばに、山本さんがやってきた。
「ゆーとさんっ」
手を後ろに回してのぞき込むように僕に話しかける。
「ゆーとさんにも、渡していいですか?」
こんな間近で直接訊かないで欲しいです……。
僕は照れ臭いのもあり、それに答えず別の話をする。
「そういえばイギリスでもバレンタインはチョコレートを渡すのですか?」
無知っぷりが露呈してしまうけど、まあその通りだから仕方ない。
「イギリスでもありますよ。ただチョコレートとは決まっていませんが」
山本さんは僕の隣の席なので、自分の椅子を近づけて座った。
「そうなんですか?」
僕は普通に訊き返す。
「はい。男女どちらからとか関係なく、愛する人にプレゼントをする日なのです」
ふむ。
なるほど。
「でも、好きな人だけではなく、みんなにチョコを渡すっていうのも素敵だと思いますー」
と、山本さんは、後ろの窓に広がる暖かな冬空を背景にして笑った。
うん。
山本さんはイギリスにずっといたから、こういう日本っぽい慣習も新鮮なんだろう。
日本式のバレンタインという日を目いっぱい楽しんでいるようだ。
クラス全員分を作るくらいの張り切りようだし。
「でも、みんなの分って、たくさん作るの大変じゃないですか?」
僕は無粋かなとも思いながら訊いてみる。
山本さんは、
「いえいえ。作るのも楽しいですよっ」
と、言って、
「昨日の夜は、いつの間にか寝てしまいましたが」
なんて、恥ずかしそうに笑った。
すると山本さんは真顔になった。
「イギリスにこだわるよりも、ほら、あるじゃないですか、ことわざで」
ん?
「郷に入れば郷にしかられ、ですよ」
怒られちゃうの?
「あれ?郷に入れば郷にしたたれ?」
なんか水が漏れてない?
「あれ?郷に入れば郷にしばかれ?」
それは痛そうだなあ……。
「あれ?郷に入れば郷にしやがれ?」
億千万!?
「なんて。知っていますよー。郷に入れば郷にしたがえ、ですねー」
と、楽しそうに大きく笑った。
お?
山本さん、テンション高いというより、違わない?
うん?
いつもは白い頬だけど、またちょっと赤いよね?
朝、作っていたから?
それとも、自分でも食べたから?
「山本さん?」
僕は、ちょっと不安になって名前を呼ぶと、
「もう、ゆーとさんにも、ちゃんとありますからー」
と、噛み合わずに笑った。
山本さんがさらに近づいてきた。
「でも、ゆーとさんには、いろいろお世話になっているので特別なものですよ」
と、口に手を添えて僕にささやいた。
おうっ!?
山本さん?
特別な気持ちはありがたいけど、ちょっと近すぎやしないですか?
変な噂が立つと大変じゃないですか?
周囲を見渡して誰も僕を見ていないことを確認してしまう。
山本さんは全く気にしないで、
「はい。特別なチョコです」
と、丁寧に僕の手へと渡してくれた。
見るとそれは、他のものとは違うラッピングが施してあった。
「山本さん、その特別だなんてすみません。ありがとうございます」
自分の手にあるチョコレートを見ながら、僕はお礼を言う。
すると、山本さんは、
「わたしも、ゆーとさんから特別なチョコをもらいましたし」
と、ちょっと照れたように言った。
え?
「すみません。何もバレンタインプレゼントしてないですよね?」
全く身に覚えがないぞ?
「いただきましたよー」
なに?
「秘密ですー」
秘密?
「どういうことですか?」
話の見えない僕は、改めて訊きなおす。
それを聞いた山本さんは、
「えへへー」
と、ゆるい表情で笑うだけだった。
???
「山本さん?」
僕はもう一度訊きなおす。
「内緒ですよ」
山本さんが僕の耳元に近づいた。
「特別にゆーとさんにだけ教えてあげますね」
山本さんが自分の口に手を添えた。
そして、
「夢の中の……ゆーとさんの指が……チョコレートで……とても美味しかったのです」
と、甘い匂いをさせながら、嬉しそうに、くすぐったい声でささやいた。
山本さん!?
……それは夢の話?なのでしょうか?
▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲
暖かい日が続くなあ。
風呂を終えた僕は、自室の畳に身を任せ、ぼうっと天井を視界いっぱいにしている。
そういえば雪も全然降ってないよなあと、目をカレンダーに移す。
ああ。もう今年に入って二ヶ月半になるんだ。
あれ?
気づくと何やら甘い匂いが漂ってきている。
なんだろう?
僕は立ち上がり台所へ向かう。
ちょっと覗いてみると、エプロン姿の山本さんが立っていた。
エプロンの下には白と水色のボーダーのルームウェア。
ブラウンのショートボブの髪を耳にかけている。
頬をほんのり染めながら、色白の腕をまくって出し、一生懸命に作業をしている。
この距離だと手元は見えない。
でもこの季節に甘い匂いといったら、まあ、あれだよな、チョコレート的なやつだよな。
……やっぱり僕に義理的なやつをくれたりするのかな?
そんなことを思うと、気づかないほうが良いのかもという気がしてきた。
「あ、ゆーとさん」
引き返そうと思ったとたん山本さんに見つかり声をかけられた。
首だけこちらに向け、手には泡だて器を持っている。
「えへへー。バレンタインデーが近いですからねー」
引き返すのもなんなので、台所に入ることにする。
山本さんは身体ごと振り返り、正面を向いた。
「甘い匂いで幸せですー」
と、にっこり微笑む。
「ゆーとさん、楽しみにしてくださいね。頑張って美味しいの作りますから」
「あ、ありがとうございます」
エプロンは汚れの無い綺麗なままだ。
もう何度も使っているのに汚れが全然見当たらない。
アイボリー地に細かい花が散らしてあり、薄い緑色のラインで縁取られた、オーソドックスなエプロンだ。
きっと汚さないように気をつかってくれているのだろう。
そのエプロンは元々亡くなった祖母にプレゼントしたものだ。
といっても、祖母は一度も使わずに亡くなってしまったけど。
山本さんが急に真顔になる。
「ゆーとさん、ほっぺたがむずむずするのですが、何かついていませんか?」
うん。
そうでしょうとも。
頬にはチョコレートが付いていた。
エプロンは綺麗なのに。
「左の頬にチョコレートついてますよ?」
と、言うと、
「わたし失敗しちゃってました」
なんて、照れ笑いのような表情を浮かべた。
「いや、料理の最中ですし、そういうこともあるでしょう」
僕は下手なフォローをしてみる。
すると、山本さんは、
「ゆーとさん、すみませんが、取ってもらえませんか?」
と、とたとたと近づいてきた。
「え?」
急に距離が近くなって慌てる僕に、
「その、わたし今、手袋しちゃっていますので」
と、頬を出してきた。
チョコレートの甘い匂いとは別の良い香りがやってきた。
山本さんは、ほんのり赤くなっている左側の頬を向け、下からのぞき込むようにしている。
山本さんは、
「むずむずします……」
と、言うと、
「んぅ。ゆーとさん……はやく……お願いします……」
と、目を閉じた。
おーぅっ!?
目を閉じる!?の!?
何故に!?
至近距離でそれはまずくない!?
山本さんが更に頬を寄せてきた。
雰囲気に導かれるまま、僕は右手人差し指を山本さんの頬にあてた。
山本さんの長いまつげがかすかに揺れる。
ぷに。
おーぅぅっ!?
や、や、やぁわらかぁい。
艶やかで、しっとりしていて、滑らかで。
ぷに。
や、や、やばい。
ちょっと押すと静かに沈むのにまた浮きあがってくる弾力。
ぷに。
や、や、やみつきになる。
どこかにトリップしてしまいそうになる。
なんだ?この安らぎ癒し物質は。
……やめられないっす。
「ん……んふぅ……ゆーとさぁん?」
と、山本さんは目をゆっくり開けた。
「え」
「あの、ゆーとさん、その、ちょっとばかり、くすぐったいです」
「あ、ご、すみません!」
僕は慌てて手を引っ込める。
少し身を引いた山本さんは、うつむいて顔を赤らめている。
「いいえ。わたしこそすみません。せっかく取ってもらっているのに、くすぐったくって」
「いやいや、僕のほうこそ。その、あの、なかなか、とれなくて」
とっさに誤魔化す僕。
誤魔化すことに罪悪感が無いわけではないけど。
……本当の事を言ったらもっとまずい気がするし。
「そうですよね。それなに、わたしったらすみません」
罪悪感が増します……。
「せっかく、ゆーとさんが一生懸命取ってくれようとしているのに、我慢できなくて」
罪悪感が増し増しです…………。
「ちゃんとしますから……お願いしますっ」
と、今度は正面から顔を近づけてきた。
そしてまた目を閉じる。
正面から?
で?
目を?
閉じる?
おーぅぅぅっ!?
目を閉じる!?の!?
何故に!?
「や、山本さん?」
「はい?」
僕が声をかけると、近づいた山本さんは目を開けて少し下がった。
「な、なんで目を閉じるのですか?」
「なんでというか……。閉じないほうが良いですか?」
山本さんは不思議そうな表情をして小首をかしげる。
「いや、その、どっちでも良いんですけど、その……」
「わかりました。開けたままにしますね」
山本さんはまた僕に近づき、
「では、お願いします」
と、今度はあごの下あたりで、細い指をからませて両手を組んだ。
いや、それはそれで、くるものあるけど……。
僕は雑念を振り払い、山本さんへと右手を伸ばした。
幼さを残した大きな二重の目は開いたままだ。
そしてゆっくりと、頬に指を近づけた。
人差し指を動かし、頬に付いた乾いたチョコレートを取る。
かり、かり、かり。
山本さんは真正面から僕を見ている。
かり、かり、かり。
山本さんの目が僕を映す。
かり、かり、かり。
視界をふさがれた山本さんの視線は、僕を捉えたまま動かない。
この至近距離でただただじっと見つめられている。
確かに。
確かにですよ。
……これはこれで気まずい。
僕は、視線を感じないように緊張を悟られないように、作業を進めた。
と、右手の人差し指にチョコレートが移る。
「取れました」
山本さんから少し離れて指先のチョコレートを見せる。
ぱく。
……?
…………?
………………?
……………………?
…………………………?
「甘いですー」
と、山本さんは満面の笑み。
え?
僕は山本さんの幸せそうな声で意識が戻る。
おーぅぅぅぅっっ!?
何?
何が起きたの?
「美味しいですー」
と、山本さんは無邪気に笑顔満開になっている。
……僕の指先からチョコレートが消えている。
おいおいおいおいおいおい。
まてまてまてまてまてまて。
どうしました?山本さん?
肉食獣ですか?山本さん?
ちょっと無防備が過ぎませんか?山本さん?
あれ?
ふと、甘い香りの他にほのかに別の匂いが漂っているのに気づく。
「……山本さん、チョコの他に何か入れました?」
「はい~」
と、山本さんの表情がさらにゆるくなる。
「香り付けにちょっとだけお酒を~」
表情だけでなく、全身に柔らかさがまわっていく。
「山本さん?」
「大丈夫ですよ~。ちょっとだけ気持ち良いです~」
と、足元へとゆっくり下がっていき、山本さんは眠りの世界へと渡っていったのでした……。
◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
そんな昨晩でした……。
そして、今、僕らは昼休みの教室だ。
うちの高校はそんなに厳しくないので、あちこちでチョコのやり取りをしている。
中には本命というものもあるのかもしれないけど、みんな平穏に楽しんでいる。
もちろん僕には、本命などという都市伝説のような仕組みとは無関係だ。
もてたりしないのは自覚しているけど、うかつにもてて運貯金が減ったらもったいないし。
山本さんも大忙しだ。
今朝早起きして仕上げたチョコレートブラウニーを配っていた。
「友チョコですー。これからも宜しくお願いしますー」
と、丁寧に説明しながら渡している。
一か所にとどまらず、教室のあちこちに出向いて話に華を咲かせている。
「香り付けにお酒をちょっと使っているのですが、お酒に弱くて昨日はいつの間にか寝てしまいました。作っている途中からの記憶が無くて……」
なんて失敗談を交えながら、楽しそうに配っている。
そうだよなあ。
確かに昨晩はちょっと雰囲気違ったし。
「だから今日の朝頑張ったんですっ」
と、包み隠さず話しては自分でも食べたりして、クラスメイトと仲良く笑い合っている。
山本さんは、少し昂っているのか頬がちょっと赤い。
声も少し大きめで、いつもよりテンション高めだ。
バレンタイン効果なのかな?
楽しそうな山本さんを見て、僕もどういうわけか嬉しくなる。
山本さんは、また違うグループのところへ行った。
一つ一つ男女問わずクラス全員に渡すつもりらしい。
たくさん作っていたもんなあ。
一生懸命に作っていたもんなあ。
どこにも交わらず席に座りきった僕のそばに、山本さんがやってきた。
「ゆーとさんっ」
手を後ろに回してのぞき込むように僕に話しかける。
「ゆーとさんにも、渡していいですか?」
こんな間近で直接訊かないで欲しいです……。
僕は照れ臭いのもあり、それに答えず別の話をする。
「そういえばイギリスでもバレンタインはチョコレートを渡すのですか?」
無知っぷりが露呈してしまうけど、まあその通りだから仕方ない。
「イギリスでもありますよ。ただチョコレートとは決まっていませんが」
山本さんは僕の隣の席なので、自分の椅子を近づけて座った。
「そうなんですか?」
僕は普通に訊き返す。
「はい。男女どちらからとか関係なく、愛する人にプレゼントをする日なのです」
ふむ。
なるほど。
「でも、好きな人だけではなく、みんなにチョコを渡すっていうのも素敵だと思いますー」
と、山本さんは、後ろの窓に広がる暖かな冬空を背景にして笑った。
うん。
山本さんはイギリスにずっといたから、こういう日本っぽい慣習も新鮮なんだろう。
日本式のバレンタインという日を目いっぱい楽しんでいるようだ。
クラス全員分を作るくらいの張り切りようだし。
「でも、みんなの分って、たくさん作るの大変じゃないですか?」
僕は無粋かなとも思いながら訊いてみる。
山本さんは、
「いえいえ。作るのも楽しいですよっ」
と、言って、
「昨日の夜は、いつの間にか寝てしまいましたが」
なんて、恥ずかしそうに笑った。
すると山本さんは真顔になった。
「イギリスにこだわるよりも、ほら、あるじゃないですか、ことわざで」
ん?
「郷に入れば郷にしかられ、ですよ」
怒られちゃうの?
「あれ?郷に入れば郷にしたたれ?」
なんか水が漏れてない?
「あれ?郷に入れば郷にしばかれ?」
それは痛そうだなあ……。
「あれ?郷に入れば郷にしやがれ?」
億千万!?
「なんて。知っていますよー。郷に入れば郷にしたがえ、ですねー」
と、楽しそうに大きく笑った。
お?
山本さん、テンション高いというより、違わない?
うん?
いつもは白い頬だけど、またちょっと赤いよね?
朝、作っていたから?
それとも、自分でも食べたから?
「山本さん?」
僕は、ちょっと不安になって名前を呼ぶと、
「もう、ゆーとさんにも、ちゃんとありますからー」
と、噛み合わずに笑った。
山本さんがさらに近づいてきた。
「でも、ゆーとさんには、いろいろお世話になっているので特別なものですよ」
と、口に手を添えて僕にささやいた。
おうっ!?
山本さん?
特別な気持ちはありがたいけど、ちょっと近すぎやしないですか?
変な噂が立つと大変じゃないですか?
周囲を見渡して誰も僕を見ていないことを確認してしまう。
山本さんは全く気にしないで、
「はい。特別なチョコです」
と、丁寧に僕の手へと渡してくれた。
見るとそれは、他のものとは違うラッピングが施してあった。
「山本さん、その特別だなんてすみません。ありがとうございます」
自分の手にあるチョコレートを見ながら、僕はお礼を言う。
すると、山本さんは、
「わたしも、ゆーとさんから特別なチョコをもらいましたし」
と、ちょっと照れたように言った。
え?
「すみません。何もバレンタインプレゼントしてないですよね?」
全く身に覚えがないぞ?
「いただきましたよー」
なに?
「秘密ですー」
秘密?
「どういうことですか?」
話の見えない僕は、改めて訊きなおす。
それを聞いた山本さんは、
「えへへー」
と、ゆるい表情で笑うだけだった。
???
「山本さん?」
僕はもう一度訊きなおす。
「内緒ですよ」
山本さんが僕の耳元に近づいた。
「特別にゆーとさんにだけ教えてあげますね」
山本さんが自分の口に手を添えた。
そして、
「夢の中の……ゆーとさんの指が……チョコレートで……とても美味しかったのです」
と、甘い匂いをさせながら、嬉しそうに、くすぐったい声でささやいた。
山本さん!?
……それは夢の話?なのでしょうか?
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true177
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一年前、伊藤 健介(いとう けんすけ)は幼馴染の多田 悠奈(ただ ゆうな)に振られた。それも、心無い手紙を下駄箱に入れられて。
それ以来悠奈を避けるようになっていた健介だが、二年生に進級した春になって悠奈がいきなり告白を仕掛けてきた。
これはハニートラップか、一年前の出来事を忘れてしまっているのか……。ともかく、健介は断った。
日常が一変したのは、それからである。やたらと悠奈が絡んでくるようになったのだ。
彼女の狙いは、いったい何なのだろうか……。
※小説家になろう、ハーメルンにも同一作品を投稿しています。
※内部進行完結済みです。毎日連載です。
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