『好き』のその先

日和純礼

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 ツァーリは粗雑な口調だが、公の場ではそつなくこなす由緒正しき生粋の貴族だ。
 アザーロヴァ辺境伯の長男。国立高等学院の魔術科錬金術学専攻五回生。来月で卒業する。

 ちなみに、エミーリアが対戦する予定のレヴとは、アザーロヴァ辺境伯の二男。ツァーリの弟で同校の騎士科四回生。

 エミーリアもこれでいて貴族令嬢である。
 アザーロヴァ辺境伯が治める『ロヴァ領』に隣接する『ベレス領』を治めるベレスレフ侯爵の長女。同校の騎士科四回生。

 ちなみに、妹のリリーユも同校の魔術科三回生であり、専攻は四回生に上がる際に決まる。

 四人は俗に言う幼馴染である。

 広大な領地を誇り他国と隣接する国防の要所ロヴァ領は元より、そのロヴァ領の東に隣接するベレス領も、敵襲および魔物や獣の脅威に晒されている地域である。
 領主自らが武器を手に取り、害を除くことは年に度々あった。

 元々相性の良い家同士なのか、厳しい環境でそうなったのか、歴代のロヴァ領とベレス領の領主間の協力体制と信頼関係の在り方は、他の地域に比べかなり密接だった。

 今代の場合は、現アザーロヴァ辺境伯とエミーリアの父親である現ベレスレフ侯爵が初等教育からの親友であり、そのうち奥方同士も気の置けない仲になって、子どもたちは全員まとめて育てられたような感じだ。

 そしてアザーロヴァ辺境伯もベレスレフ侯爵も、控え目に言って、かなり似通った現実主義かつ効率主義者であった。

 彼らの教育方針は「向いてないことをどれだけやっても時間の無駄」である。
 そのためか、あまり『貴族らしさ』というのは強く要求されなかったのはエミーリアには幸いだったと思う。

 それよりも、辺境伯は武術が、侯爵は魔術が得手であることをはじめとして、お互いに不得手を補完し合っていることから、四人にも補完し合える関係を望んだ。

「無理ならかまわない」というスタンスではあったが。

 物心がつくかつかないかの頃は、犬か猿のように転がりながら四人で遊び倒していた。良いことも悪いことも四人でやって、何度首根っこを捕まれたか覚えていない。

 いつも最初は一番年上のツァーリが怒られ、それをレヴと二人で必死に庇っている内に、何故かエミーリアたち二人がこんこんと叱られ、説教が終わって気がつけば落ち込んでいるリリーユをツァーリが慰めていた。
 自分たちも慰めてくれと、レヴと二人でツァーリにかぶりつく、というのが定番の流れだった。

「お前らなぁ」とツァーリに言われながら、皆でぎゅうぎゅうするのが大好きだった。
 レヴと争ってツァーリに頭を撫でてもらったり、手を繋いでもらったりもした。

 ツァーリの瞳の銀色は、いつも優しい色だった。


 やがて四人は雁首を揃え、初等教育で一通りの基礎的な学術を習うと、教養部分は最低限続けるとして、各自得手な方面を探して注力することになった。

 蓋を開ければ、初等教育の時点で、ツァーリは別格だった。
 剣術、槍術、弓術、馬術、戦術、統治学、魔術、治癒術、諸々と、語学、算術に至るまで何を与えられてもやれば驚くほど出来る。

 大人たちとも専門的な会話を対等に交わしているように見えた。

 ――今にして思えば、ロヴァ領の環境からして、早く大人になろうと、ツァーリの努力の賜物だったのだろう。ある時からツァーリの部屋には、書籍がどんどん積み上げられていた。

 当時はそんなことを察することもなく、「兄上を支えるところがある気がしない……」とレヴが項垂れたのにも、エミーリアは同意しかなかった。

 ただ、そう言ったレヴにしても、槍術と馬術、戦術、統治学は突き抜けていて、エミーリアは将来、アザーロヴァ家には申し訳ないことになりそうだと、出来すぎた兄弟を見て思ったものだ。

 幸い、早々に妹のリリーユが、魔術の火力に半端ない才を発揮して、少しだけ肩の荷が軽くなったが。

 それでもベレスレフ侯爵家のお荷物とならないよう、エミーリアも勉めた結果、剣術、弓術、馬術は自分に合っている、と見極めがついた。

 さらに有難いことに、エミーリアは自身が物心のついた頃から気配に敏いとの自覚はあったが、周囲に潜む《草》を見つける特殊な才を《草》から指摘された。

 辺境伯側も侯爵側も危険な地域を担う特性上、自領で騎士団のほか、《草》と呼ばれる部隊を持っていた。《草》は諜報から護衛まで、広く『暗部』を受け持つ。
 気配を絶つことに長けた《草》の存在をいつも感知するエミーリアに、彼らは自信を喪失し、かつ猛省していたが、エミーリアに注視されては職務に影響が出る上、万が一、敵方の《草》であれば、エミーリア自身が危うい。
《草》はそれらを自然にかわす方法に始まり、果ては『ある程度』の暗器の扱いや毒物の耐性のつけ方までをエミーリアに指南した。

 最初は《草》の仕事の合間の戯れであったが、エミーリアの吸収力が良かったためか、右肩上がりに指導側の熱量が上がり、結果的に訓練は三年間みっちりと『秘密裏』に行われた。

 なぜ秘密にされていたかというのは、成り行き上というしかない。
 エミーリア自身は公になれば、指導が終わることはわかっていたので黙っていた。
《草》も侯爵家令嬢に教える内容ではないと思いつつも、最初から血を恐れず――正しく引き継ぐエミーリアに勿体ないと思ってしまった、とのちに聞いた。
 エミーリアが死を『恐れなさすぎて』、危うく見えたとも。

 確かに、この頃の自分は命を賭けるぐらいしか自分には『使えるもの』がないと思っていた。
《草》の『喪失』に触れて、少し間違ってしまい――、間違いを正してくれたのも《草》だった。

 修行がまったく『ある程度』ではないと言われるレベルを突き抜け、エミーリアの『暗殺術』の才が、視察中に敵襲を察知して討ち取ったことで両親の知るところとなり、ベレスレフ侯爵家の奥方、つまりエミーリアの母親が頭を抱えた頃――


 ツァーリが十一歳、エミーリアが十歳。

 毎年夏に辺境伯領への長期視察があり、この年もエミーリアは父親に同行した。いつもは一緒に同行するリリーユは夏風邪をひいていたので、母親と自領で留守番だった。

 訪れたアザーロヴァ邸では、レヴが夏風邪で寝込んでいた。
「俺はもうすぐこの世を去るだろう……」と呟くレヴを見て、存外元気そうでエミーリアは安心した。

 早々に部屋を辞し、勝手知ったる場所ゆえに、庭でも散策しようかとエミーリアが廊下を歩いていると、ツァーリが自室から出てくるところに出くわした。軽くスカートをつまんで会釈する。

「おう。庭か?」
「よくわかりましたね」

 お互い挨拶もそこそこに、連れ立って歩く。

 母親が口煩く言うこともあり、この頃からツァーリへの態度を最低限あらため、エミーリアは敬語を使うようになっていた。

 これがエミーリアに存外馴染んだ。

 ツァーリがどんどん背を伸ばし、彼の変わっていく面差しと自分の顔との距離が離れはじめた頃から、何とも名状しがたい気持ちが湧いてきて、少しだけその気持ちと距離を取るのに、言葉使いの変容は丁度良かった。

「ツァーリ兄様は?」
「んん、気分転換。温室にでも行こうかと」

 付き合わないかと聞かれ、エミーリアは迷わず頷く。
 大体、父親に同行したといっても、視察に付いていけるのはまだ一部の場所のみしか許されておらず、いつもは大抵レヴと手合わせをするか、皆と雑談するかで過ごしていた。

 一方のツァーリは、アザーロヴァ辺境伯の視察にほぼ同行し、それ以外でも大人たちと一緒にいることが増えていた。今日のように父親たちが視察に出た際、ひとり家に残って居るのを見掛けるのは久しぶりだ。

 昨今の記憶にある限り、ツァーリと二人きり、と言っても側に護衛や侍女は勿論控えているが、そういった機会があっただろうか?

「そういえばリリーユも夏風邪なんだってな?
 お前と二人だけって、なかなかないよな」
「今、同じことを思っていました」
「んじゃ、長子同士、ロヴァ領とベレス領の将来について、忌憚のない意見交換といこうか」
「あら、お手柔らかにお願い致しますわ」

 ニヤリと笑うツァーリに向かって、エミーリアは慇懃無礼に答えてみせる。とりとめもない話をしているうちに、温室に着いた。

 一歩踏み入れて、エミーリアは目を見張る。

 青紫や赤紫の小さな花が一面群生していて、蜜を吸いに来たのか、多くの蝶がヒラヒラと周囲を舞っていた。

「わあ、素敵ですね……。
 野の花のようですが、随分と趣を変えて植え替えたのですね」
「ふ、驚いたか?お前の珍しい顔が見られて、ちょっと嬉しいぞ」
「それは良かったですね」
「チッ……この一面とあちら、研究用に植え替えたんだ。見て回るか?」
「はい」

 ツァーリはそこで少し何かを考えたようで、侍女と護衛を二人の会話が聞こえない位置まで下がらせた。

「兄様?」

 エミーリアが首を傾げると、ツァーリが笑って見せた。

「言ったろ?忌憚のない意見交換をしようかと思ってぇさ」

 私に相手が務まるだろうか、と思いながら、心なしか態度を崩したツァーリと一緒に歩き出す。

「……ロヴァ領の南方で、急激に砂漠化が進んでる話、聞いてるだろ」

 エミーリアは頷く。

 今回の視察は主にそのためだった。
 ここ百年で徐々に砂漠はその範囲を広げており、近年はその速度の上昇が問題になっていた。ベレス領にもかなり近づいている。
 砂漠には、農耕は言うまでもなく居住も難しいが、魔物や獣は潜みやすく、独自の生態系を作っていた。いよいよ厄介な問題として看過できない、というのが国を含めての共通認識だとエミーリアは聞いている。

 抜本的な解決法は、まだ無い。

「王都の国立植物系研究所をはじめとして、他の協力機構や協会も頑張ってくれている、とは思うが、何せ辺境のことだから危機感に温度差があるのは否めねぇ。
 それで砂漠の緑化対策のための研究班を俺も持たせてもらった。情報の取り纏めのほか、研究自体も行うつもりだ。
 それで、先月からこの温室の一角の使用許可を父上に取ってる」
「――砂漠でも育つ植物の選定ですか?
 植物自体の開発からですか?」
「両輪を回す必要がある。今ある生態系を崩すと、別の歪みがあるし、最終的には農耕地にすることが目的だから……とまあ、ここら辺はすでに議論が進んでいるんだが」

 近頃、ツァーリが何かを考えている節は感じ取っていたし、常々、頭の出来の違う幼馴染だとは思っていたが――

「……ツァーリ兄様は将来に渡って、『これ』に付き合うことを決めたのですね」

 エミーリアは話を聞いて、心の底から驚いた。
 そして、同じ長子でありながら、すでに自領の未来と向き合うツァーリに比べ、今も自分のことで手一杯な自分に、恥じ入ることを通り越し、絶望した。

「まぁな。いずれはアザーロヴァ領を継ぐだろうが、父上を見る限り、まだまだずっと先だろう?
 俺は今、全然時間があるし、一番時間が掛かりそうで一番将来ネックになりそうなことに、取っ掛かることにしたんだ、が……」

 そこで、ツァーリは言い淀む。

「――逆に」

 エミーリアの絶望も知らず、ツァーリの話は続いていた。

「お前は何で三年近くも、隠れて暗殺術やってたんだ?」

 ガーン。

 絶望の淵に立つエミーリアの背を容赦なく崖下に向けて押された。
 エミーリアの真っ白な顔色を見て、ツァーリは慌てた。

「違ぇよ!責めてんじゃねぇ!」

 えぇと何つぅか、とあたふた言葉を探している幼馴染を見て、エミーリアは少し正気を取り戻す。

「ほら、俺は何でもたいした努力もせずに出来ちまったから……」

 継がれた言葉にエミーリアの菫色の瞳が、知らず細くなった。

「ソウデスネ」
「いや、ちが、何か間違えてる。ちょっと仕切り直すから、聞いてくれ、いや、聞いてください!」

 自慢話なら他所でやって欲しい。

 エミーリアの空気を察して余計に慌てたのか、ツァーリは叫ぶように言った。

「くそっ……俺には取り立ててやりたいことがないんだよ!
 与えられたことが何でもそこそこに出来ても、意欲がある奴のほうが絶対に強くなれる!」

 顔だけで答える――、ひたすら無言ともいう、エミーリアの反応にツァーリは頭をガシガシ掻いた。
 先ほどまでの砂漠緑化の話はどうなった、と疑問だらけの顔をエミーリアがしていたからだろう。

「あぁ、砂漠の緑化対策をやることに決めたが、結局、重要度が高いものに絞って消去法で決めただけだ」
「それの何か問題でも?」
「問題って……やりたいことをやる奴に、やらなきゃいけないからと言ってやる奴は劣る……」

 ボソボソ言うツァーリに、エミーリアは、首を傾げた。

「すみません。何を言っているのだか、サッパリわからない」
「馬鹿野郎!」

 わあっと、ツァーリは顔を覆った。

 エミーリアは困惑した。
 ……そういえば、やたら頭はいい癖にツァーリは昔から面倒臭いところがあった、とエミーリアは暫くぶりに思い出す。

「ええ?だって、ツァーリ兄様がやろうとしていることは、誰かと比べる必要があるのかどうかすら、わかりません。
 優劣とか、少なくとも、今までツァーリ兄様……ツァーリにいはずっと上手くやってきたでしょう?」

 それは今、悩むことなのか。
 こっちはもう随分と前から――

「最初こそ、それなりにこなしてた槍術だって、今じゃレヴから簡単に一本とられるぐらいだ。弓術だと精度でお前に負けるし……。
 周りが気にならないぐらい、俺のやりたいことが何か見つけられたら良かったんだろうが、これが将来、どのくらい活かせるのかとか、重要度や必要性とかを考えちまう時点で、全部何か違うなってなって……。でも迷ってる時間も勿体ないし……。
 父上たちに、今は色々と子どもだからと大目に見てもらっているが、……砂漠緑化はやっぱり出来ませんでしたじゃ、済まない」
「なんだ、ビビってるんですか?」
「ビビってないわぁ!」

 何が言いたいのかわからなくなってきたぁ、と喚き出したツァーリに、ふむ、とエミーリアは頬に手をあてる。

 ――砂漠緑化という壮大な話から、随分とグレードダウンしたため、エミーリアにも考えられそうな規模になってきた。

 やりたくないことをやって、さらに向いてないという喜劇的な悲劇は、貴族だとザラにある。
 しかし、ツァーリは能力の基礎値が高いし、性格的にも何だって途中で放り出すようなことはないだろう。父親たちにやると明言したからには、相当な覚悟をもって、何らかの結果を残せる見通しを立てた上で着手したには違いない。
 伊達や酔狂でやれる内容と規模ではないし、何より、子どもの遊びに付き合ってアザーロヴァ辺境伯が許可を出すわけがない。

 ――それでも、熱に浮かされたような弱音がツァーリの口から出てしまったのは。

「さすがのツァーリ兄でもお父様たちの『向いてないことをどれだけやっても時間の無駄』の呪詛を破れていないんですね」

 何かと関わる際に、覚悟を抉られる。
 結果が出るまで、抉られ続ける。

 たとえ、好きでも。
 向いていなければ、全部無駄――

「さすがの、って何だよ。寂しい言い方しやがって」

 ツァーリは銀の瞳を揺らした。

「失言でした」

 エミーリアは素直に謝る。
 不出来な自分と関わるのは、この優秀な幼馴染たちにとって、そのうち時間の無駄だと断じられるだろうとエミーリアは密かに思っていた。

 けれども、ツァーリはツァーリだ、ということに妙に安心したエミーリアは、暫く空けていた距離を、もう少し詰めてみる気になる。

 エミーリアは敬語を止めた。

「あのね、ツァーリ兄」
「何だよっ」
「拗ねないでよ、可愛くないから」
「失礼な!」

 俺は可愛いわ!と声を上げるツァーリに、内心で同意しながら、エミーリアは言葉を続ける。

「あのね。消去法でも何でも、どういう経緯であれ、自分が手をつけようと選んだものには、自分の『好き』な成分が含まれてると思う」
「『好き』な成分?」
「私が何で暗殺術を三年も続けてるのか聞いたでしょう?……まぁ、普通の貴族令嬢には必要ないし、基本時間の無駄だと思うよね」
「おう。しかも隠れてな」

 妙にそこに突っ掛かるな、とエミーリアは思ったが、無視する。

「……昔から好きだったんだよね。隠れん坊が」
「それは知ってる」

 ツァーリが破顔する。

「ほら、ツァーリ兄とか隠れるのも見つけるのも、上手くなかったでしょ?」
「お前が本気で上手すぎたんだよ!反則的にな!」
「ソウデスネ。でも《草》は本職なだけあって、隠れん坊がそれはもう本気出すと当たり前に上手くて、楽しかった。大好きだったの、彼らとの隠れん坊。
 はじまりはそこで、後は全部、その延長」

 エミーリアはにっこり笑ってみせたが、反対にツァーリは笑いをおさめた。

「騎士団は対外的にも評価されるでしょう?隣国と国交が断絶して以降、国境での表立った小競り合いの数も減ったから、今や世間じゃ安定職扱いだし。
実際は別にしてもね。
 でも《草》はあくまで『陰』でしょう?
 表立たなくなった分、彼らの負担は増すばかりで。
 勿論、私たちはその有用さと重要さを知っているけど、彼らは半端ないの」

 死の匂いが。

「……」
「気になっちゃって目を逸らせなくなって。役目を果たす彼らの矜持に触れて、主家である自分が、何か気持ちを返すことを考えることすら、烏滸がましいんだけど。
 私、一緒に居たくなったの。
 そうしたら、有難いことに色々と教えてくれて」

 彼らにとっては面倒な時間だっただろうけれど、自分は無駄にしたくないと思えた。

 目の前に居る人が、明日にはいないかもしれない。
 自分の身ひとつ、護れる手段は多様なほうが、可能性が広がるはず、と信じて。

「たとえ向いてなくたって、進んだ道には『気づき』があちこちにあったから。どんどん頑張るエネルギーになった。
 失敗したって、その先、止めることになったって、結局は全部自分が無駄にしなきゃいいんじゃないの?
 お父様たちがどう思うかは、私はもう気にしない」

 エミーリアは目の前のツァーリの顔を見て、ふと気づいた。

 ――進む道を、交わらせればいい。

「……ツァーリ兄にも、何かはあったんじゃない?
 気になる何か。取っ掛かりになる『好き』が」
「……『好き』」
「何にせよ、ツァーリ兄なら砂漠緑化も上手くいくよ。
 これから先も、私、ずっと味方でいるし――」

 エミーリアは、ツァーリ自身の気持ちを晒して、歩み寄る機会をくれたツァーリに感謝した。
 多分、本人が想定していた以上に晒してしまったのだろうけど。

 自然に笑いが込み上げてきて、つい言うつもりのなかった言葉が口をつく。

「ツァーリ兄も寒いの?」

 エミーリアは自分の言葉に自分で驚きながらも、思った。

 ――この人だけかもしれない

 何が、とは言えない、何か。

 心の勢いのままに、ツァーリの片手をエミーリアは自分に引き寄せ、胸のところで両手で包む。

 ツァーリの手は熱かった。ただ少し、震えていた。

 ツァーリはされるがまま、銀色の瞳を揺らして完全に黙ってしまった。

 沈黙が長く落ち、柄にもなく語り過ぎてしまったかな、とエミーリアが少し焦れてきた頃。

 ツァーリの焦点がエミーリアに合った、と思った瞬間、ツァーリがエミーリアの手をほどき、急に踵を返した。

 エミーリアが慌てて追いかけると、遠目に目を丸くしている侍女たちが見えた。

「ツァーリ兄……兄様!」

 ツァーリは最初に見た、青紫と赤紫の小さな花の群生の場所で止まった。

「どうしました?」

 ツァーリの背中に、エミーリアが声を掛けると、おもむろにツァーリが振り返る。

 その目の下は少し赤かった。

「くそっ……」
「はい?」
「覚えてろよ!」
「はい?」

 ツァーリは捨て台詞を残して走り去った。

 エミーリアは暫くその場に立ち尽くした。
 時間を無駄にしてしまったのかな、と。


 ――この後、滞在中にツァーリと再び会うことはなかった。知恵熱が出たらしい。あの時、すでに熱があったから奇行が目立ったんだな、とエミーリアは納得したが、久方ぶりに遠慮なくツァーリと話せた機会は、やっぱり嬉しかった。

 それに――、自分の将来さきを見た。


 やがて視察から自領に戻ったのち、ツァーリとの文通が始まった。

 最初はツァーリからで、直接会う機会も遠からずあるのに何だろうと思えば、いつぞやの謝罪の手紙が送られてきた。温室にあった小さな花の押し花と一緒に。

 お嬢様の瞳と似た色の花ですね、と侍女に言われた。

 そう言われると何だか愛着が湧いてきて、お礼の手紙を書いたら、すぐに返事が届いて「文字の練習時間を増やせ」とか何とか書いてあったので、勉強中である《草》の呪術文字で丁寧に『禿』を百回書いて送ったら、早々に解呪の問い合わせが着た。

 といったことをやっているうちに、文通はエミーリアがツァーリと同じ国立高等学院に入学するまで、三年間続いた。

 手紙上では、お互いに示し会わせたように他愛のないやり取りが続いた。
 それが、まだ『折れていない』という暗黙の了解。

 取り巻く環境は激変していた。
 やはり、というべきか、主にツァーリの周辺が。



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