17 / 40
16. ラミアの目
しおりを挟む
カインside
操縦室の扉の前に立って、軽くノックする。しかし、返事はない。ロックには4桁の暗証番号を入力しなければ開かない鍵が使われているので勝手に入ることは出来なそうだ。しかし、小型旅客機で10人程度を運ぶこの高級旅客機には、キャビンアテンダントも見当たらない。大方、1人くらいは居るのだろうが。
もう1度強く扉を叩くと、目線の高さに取り付けられた除き窓のカーテンがシャッと開いた。
「何か、御用ですか?」
「ええ。膝の上で眠っていた妹が、機体の下部から異様な音がすると言うので。私も聞いてみたのですが、確かに聞こえるのです。」
「具体的にはどのように聞こえなさるのですか?」
「なんかこう…薄い鉄板を、軽く爪で弾いているような音が、不安定なリズムで聞こえてくるのです。」
そこまで話すと、窓の向こうでパイロットの1人であろう中年の優男が眉間にシワを寄せた。
「分かりました、確認いたしますのでお席でお待ちください。」
「お願いします」
そう言われて、自分の席へ戻ろうと扉に背を向けた時だった。
ガタンッ
機体が大きく揺れる。俺も男性もバランスを崩して壁に背中を打ち付ける。窓の向こうの彼は慌てたように奥へと引っ込んで行った。何やらガサゴソと音が聞こえてくる。直ちに調べ始めようとしてくれているのだろう。
俺は慌てて座席に戻り、不安そうにこちらを見上げて待っていたリリノアの頭を抱き寄せた。
「今調べてくれている。少し待とう。でも、非常時には備えておいたほうがよさそうだ。」
周りの客もざわつき始めた。流石にさっきの揺れには気づいたらしい。空気が変わったことでリリノアがその肩を震わせた。
「大丈夫だ、何かあっても俺がどうにかする。」
安心させるようにそっと笑いかけ、ノアの下腹部に手を触れた。
「この子の為にも…ね。」
ノアが深く頷く。
すると、ちょうどそのタイミングで機内アナウンスが流れた。
『こちら、機長です。只今、先程の振動の原因を調査致しましたところ、大型の鳥が機体の本体に衝突した模様です。また、右舷エンジンにバードストライクの形跡が見受けられます。現在、近辺に不時着できる空港は御座いませんので、もう少々お待ちください。』
アナウンスに、機内は騒然とする。同乗しているマダムたちがその耳障りな高い声でまくし立て始めた。
「まぁ、なんてことですの!?」
「私たちはどうなるのですか?」
「墜落でもしたら承知いたしませんよ!!」
あぁ、五月蝿い。承知も何も、墜落したら諸共死ぬだろうが。
そう悪態をつきたいのを抑えつつ、意外と冷静にしているノアの手を握った。なるほど、彼女はあんな五月蝿い輩とは違って大人なのか。きっと、どう足掻いても現状をどうすることも出来ないことを理解し、
「カイン、バードストライクって何?」
勘違いでした。
その恐ろしさを知らなかったから冷静なだけだったのか。いや、知らないのか喪失した記憶の中だったのか。とりあえず、じっと見つめてくる紅い瞳を優しく見つめ返しながら答える。
「エンジンに、飛んでいる鳥が巻き込まれて、止まってしまうことだよ。」
「それって墜落しちゃうんじゃあ…」
「そうだね。行こう、立てるかい?」
ここで飛行機事故なんかであっけなく死んでたまるか。
俺はそんな思いからノアの小さな手を引いて立ち上がり、もう1度操縦室の方に向かった。そして、軽く戸を叩く。
「おい、聞こえて、」
ガシャアアアアア!!!!!!!!
「何!?」
おかしい。何故、操縦室からガラスの砕ける音が聞こえる?この部屋の中にある、割れた時にあんな音を立てるガラスなんて………………
「フロントガラスが割れたのか…!?」
ドアノブを握ってガチャガチャと動かす。いっそ壊れてくれと思うが、高級旅客機のセキュリティはそんなに甘いはずがない。
「チッ、こんな扉ッ」
蹴破ろうと本気で蹴るも、扉はビクともしない。
となると、開ける道はただ一つ。暗証番号を入力するしかない。しかし、検討もつかないということは、《0000》から試さねばならない。一体どれだけ時間がかかるか。
「カイン、どんどん地面に近づいてない!?」
窓の外を見ていたリリノアが青ざめてこちらを見ている。
「あぁ、時間が無い。どうにかして暗証番号をッ!!」
俺がボタンのうちの0を押そうとした時だった。
「暗証番号?違う、0じゃない。一つ目は2な気がする。」
突然何を言い出すのだと、俺は彼女の瞳を見た。すると、その目は本気であることを大いに物語っている。
どうせ当てはないのだ、彼女の確信を信じよう。そう思って俺は2のボタンを押した。
「次は?」
「5。そのつぎが3で、最後は8」
言われた通りにボタンを押す。
ピー…ガシャン。
「開いた…!?」
ノブを押すと、扉は開いた。それと同時に強く殴られたような衝撃と、風が吹き込む。
「ひゃっ」
「ノア!!!」
酸素濃度が一気に下がった。背後で聞こえていた乗客の喧騒が溶け消えて、全員気絶したのだと悟る。ノアも目を細くして朦朧とする意識と格闘していた。俺自身は危機感が勝って気を失う暇もないと身体が察したらしい。幸いにも意識はハッキリしている。
「ノア、こっちに来い」
飛ばされそうなリリノアの服の袖を掴んだ。そのまま操縦室の奥へと進むと、気絶したパイロットが2人、ハンドルにもたれかかっていた。天井からは酸素マスクが降りている。片方をリリノアに被せて、俺は操縦席に着いた。
「上がれぇぇぇっ!」
ハンドルを握り、強く引く。フロントガラスは半分が割れてしまっていて、機体がバランスを取れずに不安定に揺れる。取り敢えずは機体が上昇し、数百メートルまでに近づいていた地面が遠ざかった。しかし、どうして良いかもわからない。
(流石に俺も飛行機の操縦は出来ないなぁ)
俺はそっと席を立ち、リリノアに手を伸ばした。俺も息が苦しくなってきた。だが、こうしていてはどうしようもない。
「リリノア、聞こえるかい」
「…えぇ」
「脱出するよ」
彼女の酸素マスクを外してやり、脇にしっかりと抱える。そして座席に足をかける。ノアは意識があるのかないのか、四肢をだらんと投げ出してしまっている。俺はしっかりと彼女を抱え直して。
破れたフロントガラスの隙間から外へ飛び出した。
●●●
リリノアside
目が覚めると、見慣れない場所にいた。白い天井に、洒落た小さいシャンデリアがついている。部屋の中は、電気こそ点いているが陽の光で明るい。まだ昼間なのかな…
何があったんだっけ?確か…そうだ、飛行機だ。飛行機に乗っていて、嫌な音がして、バードストライクがどうのって言って…操縦室で…
「死んじゃったの!?」
思わず大声を出して飛び起きる。丁寧にかけられていた毛布がふわりと舞い上がり、ベッドから落ちた。
見渡すと、どこかのホテルの一室らしく、室内にあるのは私がいるベッドと、2人がけのソファと、小さなデスクとその椅子と姿見がある。
「カイン…?どこにいるの?」
いつも近くにいるはずの人がいない。どこに行ったのだろうと思いながら、ベッドから降りようとした時だった。
「痛っ!」
右腕の1点に抓られたような痛みが走る。目に涙さえ浮かぶような痛みに、睨めつけるようにそこを見ると、その正体は点滴だった。
「えっ…え?何よこれ…え?え?」
予想もしない展開に、頭の中がパニックになる。強く引っ張ってしまったせいで針が抜けかかっていて、固定している紙テープにじわりと血が滲んだ。
「何よこれぇっ!!!」
「あ、起きたの?」
「!?」
思わぬところで返事が返ってきた。声の主は、ひょっこりと部屋の隅から現れたカイン。私からは死角になっていて見えないが、どうやらそちらに部屋の入口はあるらしい。
…というより。
「カイン、貴方、頭の包帯どうしたの?」
そう、彼の頭には包帯が巻かれていた。白っぽい髪に白い包帯だから、一瞬は気づかなかったが。
「これ?ちょっと転んだ」
「ちょっと転んだ!?」
いやいやいやカインさん、ちょっとの意味間違っていませんか?普通、ちょっと転んだくらいで包帯を巻くような怪我…まして、頭なんて無いと思うの。
「そう、ちょっとね。」
「…ソウデスカ」
もう、受け入れてしまった方が楽なのだと思う。
「で、ここはどこなの?私達、一体どどうなって、」
「あぁ、ここは病院だよ。」
「病院!?」
いや、点滴とかある時点でそんな気はしていたけれど…。こんなお洒落な病室、現代で見たことがない。いや、待って。もしかして…
「母国とは大分違うよね、こんなホテルみたいな病室。」
「ここは…」
「ギリシャに着いたよ」
私は息が詰まった。
彼がそう言うと同時くらいに、その背後から白衣を着た男性が現れる。綺麗なブロンドの髪に、青い瞳をして、メガネをかけていて、いかにもといった感じの医者である。だがしかし、ここで問題がひとつ。
「カイン、私は他国語なんて喋れないわよ?」
小さい声で言ったつもりだったのに、医師は笑いを零した。
「大丈夫ですよ、お嬢さん。私が貴女の母国語をお話できます。」
「あ、どうも…」
私が少し恥ずかしげにしていると、少し皺のあるその大きな手が私の頭をくしゃりと撫でた。
「にしても、連れのお兄さんの方は少々間違っておられる。どうして飛行機から飛び降りてぶつけた怪我が、ちょっと転んだなんて言えるんだね?」
困ったように笑う医師。カインは照れ隠しのようにその頬を指先でゆるく掻いた。
「…飛行機から飛び降りたですって!?」
「あれ、やっぱりノアは覚えてなかったか」
話によると、彼はあの時、上空約1200mから私を抱えてその身を投げて、真下の森林に落ちたのだとか。木の枝に引っかかって地面に激突するのを免れたものの、枝の一部が頭部に刺さって気絶してしまったらしい。飛行機のことは全世界で生放送されていたらしく、私たちの落下の瞬間もしっかり収められていて、1時間もしないうちに発見されて近くの病院に搬送されたらしい。
そして、今に至る。まず何処から指摘して良いのかは分からない。飛び降りたことから全て。
しかし、残りの乗客は全員帰らぬ人となってしまったらしく、彼もそのことに心残りを感じていないわけでは無さそうだった。
「俺だってどうにかなるならこんな危険なことはしなかったよ。でも、あのままあそこにいても、死んでしまうのは明確だったからね。何もしないよりかは行動するべきかと思ったんだよ。」
強がるように苦笑しながら、彼は私のいるベッドに浅く腰掛けた。そして、医者が目の前にいるというのに、彼は私の腕に刺さった点滴の針を丁寧に抜き取った。そして、ポケットから絆創膏を取り出して傷口に貼ってくれる。
「やれやれ、君って子は。家が医療関係の仕事なのかな?手つきがやけに慣れている。」
「あ、えぇそうなんです。姉が医者でして、そこで育ったものですから。」
「お姉さんに育てられたのかい?」
「ちょっと事情がありまして。俺が8歳の時に、当時14歳だった姉に引き取られたんです。両親はいないも同然でしたから、姉が母親でした。」
「なんと、14で子育てか。」
談笑する彼は、さりげなく私の手に自らの手を重ねてきたが、私はその動きがどうしてもぎこちなく見えた。触れた手は少し冷たく、微かに震えている。きっと、私には知り得ない彼の感情の表れなのだろう。私もそっと、もう片方の手を上に重ねてその手を包み込む。
「そういえば、おふたりさん。聞きたいことがあるのだが。」
「…なにか?」
返事をしたのはカインだった。先程までとは打って変わって、警戒心を剥き出しにした彼の視線が医師を見つめ、貫く。
「お嬢さん…いや、リリノアさんの事なのだが。見たところまだ15歳程度に見えるのだが、どうして妊娠しているんだい?」
カインは私を庇うように立ち上がった。張り詰めた緊張感の中で、医師だけが言葉を続ける。
「その子は君たち二人の子かい?」
「…あの、」
「そうですが何か。」
彼は私の言葉さえも遮り、懐かない猫のように医師に噛み付かんとして言った。
しかし、医師は怯む様子もなく、そうかそうかと穏やかに笑ってメガネを外した。
「ならば、このギリシャにいるうちは、ラミアに気をつけなさい。彼女の目玉は今、きちんとはめられているらしいからね。」
操縦室の扉の前に立って、軽くノックする。しかし、返事はない。ロックには4桁の暗証番号を入力しなければ開かない鍵が使われているので勝手に入ることは出来なそうだ。しかし、小型旅客機で10人程度を運ぶこの高級旅客機には、キャビンアテンダントも見当たらない。大方、1人くらいは居るのだろうが。
もう1度強く扉を叩くと、目線の高さに取り付けられた除き窓のカーテンがシャッと開いた。
「何か、御用ですか?」
「ええ。膝の上で眠っていた妹が、機体の下部から異様な音がすると言うので。私も聞いてみたのですが、確かに聞こえるのです。」
「具体的にはどのように聞こえなさるのですか?」
「なんかこう…薄い鉄板を、軽く爪で弾いているような音が、不安定なリズムで聞こえてくるのです。」
そこまで話すと、窓の向こうでパイロットの1人であろう中年の優男が眉間にシワを寄せた。
「分かりました、確認いたしますのでお席でお待ちください。」
「お願いします」
そう言われて、自分の席へ戻ろうと扉に背を向けた時だった。
ガタンッ
機体が大きく揺れる。俺も男性もバランスを崩して壁に背中を打ち付ける。窓の向こうの彼は慌てたように奥へと引っ込んで行った。何やらガサゴソと音が聞こえてくる。直ちに調べ始めようとしてくれているのだろう。
俺は慌てて座席に戻り、不安そうにこちらを見上げて待っていたリリノアの頭を抱き寄せた。
「今調べてくれている。少し待とう。でも、非常時には備えておいたほうがよさそうだ。」
周りの客もざわつき始めた。流石にさっきの揺れには気づいたらしい。空気が変わったことでリリノアがその肩を震わせた。
「大丈夫だ、何かあっても俺がどうにかする。」
安心させるようにそっと笑いかけ、ノアの下腹部に手を触れた。
「この子の為にも…ね。」
ノアが深く頷く。
すると、ちょうどそのタイミングで機内アナウンスが流れた。
『こちら、機長です。只今、先程の振動の原因を調査致しましたところ、大型の鳥が機体の本体に衝突した模様です。また、右舷エンジンにバードストライクの形跡が見受けられます。現在、近辺に不時着できる空港は御座いませんので、もう少々お待ちください。』
アナウンスに、機内は騒然とする。同乗しているマダムたちがその耳障りな高い声でまくし立て始めた。
「まぁ、なんてことですの!?」
「私たちはどうなるのですか?」
「墜落でもしたら承知いたしませんよ!!」
あぁ、五月蝿い。承知も何も、墜落したら諸共死ぬだろうが。
そう悪態をつきたいのを抑えつつ、意外と冷静にしているノアの手を握った。なるほど、彼女はあんな五月蝿い輩とは違って大人なのか。きっと、どう足掻いても現状をどうすることも出来ないことを理解し、
「カイン、バードストライクって何?」
勘違いでした。
その恐ろしさを知らなかったから冷静なだけだったのか。いや、知らないのか喪失した記憶の中だったのか。とりあえず、じっと見つめてくる紅い瞳を優しく見つめ返しながら答える。
「エンジンに、飛んでいる鳥が巻き込まれて、止まってしまうことだよ。」
「それって墜落しちゃうんじゃあ…」
「そうだね。行こう、立てるかい?」
ここで飛行機事故なんかであっけなく死んでたまるか。
俺はそんな思いからノアの小さな手を引いて立ち上がり、もう1度操縦室の方に向かった。そして、軽く戸を叩く。
「おい、聞こえて、」
ガシャアアアアア!!!!!!!!
「何!?」
おかしい。何故、操縦室からガラスの砕ける音が聞こえる?この部屋の中にある、割れた時にあんな音を立てるガラスなんて………………
「フロントガラスが割れたのか…!?」
ドアノブを握ってガチャガチャと動かす。いっそ壊れてくれと思うが、高級旅客機のセキュリティはそんなに甘いはずがない。
「チッ、こんな扉ッ」
蹴破ろうと本気で蹴るも、扉はビクともしない。
となると、開ける道はただ一つ。暗証番号を入力するしかない。しかし、検討もつかないということは、《0000》から試さねばならない。一体どれだけ時間がかかるか。
「カイン、どんどん地面に近づいてない!?」
窓の外を見ていたリリノアが青ざめてこちらを見ている。
「あぁ、時間が無い。どうにかして暗証番号をッ!!」
俺がボタンのうちの0を押そうとした時だった。
「暗証番号?違う、0じゃない。一つ目は2な気がする。」
突然何を言い出すのだと、俺は彼女の瞳を見た。すると、その目は本気であることを大いに物語っている。
どうせ当てはないのだ、彼女の確信を信じよう。そう思って俺は2のボタンを押した。
「次は?」
「5。そのつぎが3で、最後は8」
言われた通りにボタンを押す。
ピー…ガシャン。
「開いた…!?」
ノブを押すと、扉は開いた。それと同時に強く殴られたような衝撃と、風が吹き込む。
「ひゃっ」
「ノア!!!」
酸素濃度が一気に下がった。背後で聞こえていた乗客の喧騒が溶け消えて、全員気絶したのだと悟る。ノアも目を細くして朦朧とする意識と格闘していた。俺自身は危機感が勝って気を失う暇もないと身体が察したらしい。幸いにも意識はハッキリしている。
「ノア、こっちに来い」
飛ばされそうなリリノアの服の袖を掴んだ。そのまま操縦室の奥へと進むと、気絶したパイロットが2人、ハンドルにもたれかかっていた。天井からは酸素マスクが降りている。片方をリリノアに被せて、俺は操縦席に着いた。
「上がれぇぇぇっ!」
ハンドルを握り、強く引く。フロントガラスは半分が割れてしまっていて、機体がバランスを取れずに不安定に揺れる。取り敢えずは機体が上昇し、数百メートルまでに近づいていた地面が遠ざかった。しかし、どうして良いかもわからない。
(流石に俺も飛行機の操縦は出来ないなぁ)
俺はそっと席を立ち、リリノアに手を伸ばした。俺も息が苦しくなってきた。だが、こうしていてはどうしようもない。
「リリノア、聞こえるかい」
「…えぇ」
「脱出するよ」
彼女の酸素マスクを外してやり、脇にしっかりと抱える。そして座席に足をかける。ノアは意識があるのかないのか、四肢をだらんと投げ出してしまっている。俺はしっかりと彼女を抱え直して。
破れたフロントガラスの隙間から外へ飛び出した。
●●●
リリノアside
目が覚めると、見慣れない場所にいた。白い天井に、洒落た小さいシャンデリアがついている。部屋の中は、電気こそ点いているが陽の光で明るい。まだ昼間なのかな…
何があったんだっけ?確か…そうだ、飛行機だ。飛行機に乗っていて、嫌な音がして、バードストライクがどうのって言って…操縦室で…
「死んじゃったの!?」
思わず大声を出して飛び起きる。丁寧にかけられていた毛布がふわりと舞い上がり、ベッドから落ちた。
見渡すと、どこかのホテルの一室らしく、室内にあるのは私がいるベッドと、2人がけのソファと、小さなデスクとその椅子と姿見がある。
「カイン…?どこにいるの?」
いつも近くにいるはずの人がいない。どこに行ったのだろうと思いながら、ベッドから降りようとした時だった。
「痛っ!」
右腕の1点に抓られたような痛みが走る。目に涙さえ浮かぶような痛みに、睨めつけるようにそこを見ると、その正体は点滴だった。
「えっ…え?何よこれ…え?え?」
予想もしない展開に、頭の中がパニックになる。強く引っ張ってしまったせいで針が抜けかかっていて、固定している紙テープにじわりと血が滲んだ。
「何よこれぇっ!!!」
「あ、起きたの?」
「!?」
思わぬところで返事が返ってきた。声の主は、ひょっこりと部屋の隅から現れたカイン。私からは死角になっていて見えないが、どうやらそちらに部屋の入口はあるらしい。
…というより。
「カイン、貴方、頭の包帯どうしたの?」
そう、彼の頭には包帯が巻かれていた。白っぽい髪に白い包帯だから、一瞬は気づかなかったが。
「これ?ちょっと転んだ」
「ちょっと転んだ!?」
いやいやいやカインさん、ちょっとの意味間違っていませんか?普通、ちょっと転んだくらいで包帯を巻くような怪我…まして、頭なんて無いと思うの。
「そう、ちょっとね。」
「…ソウデスカ」
もう、受け入れてしまった方が楽なのだと思う。
「で、ここはどこなの?私達、一体どどうなって、」
「あぁ、ここは病院だよ。」
「病院!?」
いや、点滴とかある時点でそんな気はしていたけれど…。こんなお洒落な病室、現代で見たことがない。いや、待って。もしかして…
「母国とは大分違うよね、こんなホテルみたいな病室。」
「ここは…」
「ギリシャに着いたよ」
私は息が詰まった。
彼がそう言うと同時くらいに、その背後から白衣を着た男性が現れる。綺麗なブロンドの髪に、青い瞳をして、メガネをかけていて、いかにもといった感じの医者である。だがしかし、ここで問題がひとつ。
「カイン、私は他国語なんて喋れないわよ?」
小さい声で言ったつもりだったのに、医師は笑いを零した。
「大丈夫ですよ、お嬢さん。私が貴女の母国語をお話できます。」
「あ、どうも…」
私が少し恥ずかしげにしていると、少し皺のあるその大きな手が私の頭をくしゃりと撫でた。
「にしても、連れのお兄さんの方は少々間違っておられる。どうして飛行機から飛び降りてぶつけた怪我が、ちょっと転んだなんて言えるんだね?」
困ったように笑う医師。カインは照れ隠しのようにその頬を指先でゆるく掻いた。
「…飛行機から飛び降りたですって!?」
「あれ、やっぱりノアは覚えてなかったか」
話によると、彼はあの時、上空約1200mから私を抱えてその身を投げて、真下の森林に落ちたのだとか。木の枝に引っかかって地面に激突するのを免れたものの、枝の一部が頭部に刺さって気絶してしまったらしい。飛行機のことは全世界で生放送されていたらしく、私たちの落下の瞬間もしっかり収められていて、1時間もしないうちに発見されて近くの病院に搬送されたらしい。
そして、今に至る。まず何処から指摘して良いのかは分からない。飛び降りたことから全て。
しかし、残りの乗客は全員帰らぬ人となってしまったらしく、彼もそのことに心残りを感じていないわけでは無さそうだった。
「俺だってどうにかなるならこんな危険なことはしなかったよ。でも、あのままあそこにいても、死んでしまうのは明確だったからね。何もしないよりかは行動するべきかと思ったんだよ。」
強がるように苦笑しながら、彼は私のいるベッドに浅く腰掛けた。そして、医者が目の前にいるというのに、彼は私の腕に刺さった点滴の針を丁寧に抜き取った。そして、ポケットから絆創膏を取り出して傷口に貼ってくれる。
「やれやれ、君って子は。家が医療関係の仕事なのかな?手つきがやけに慣れている。」
「あ、えぇそうなんです。姉が医者でして、そこで育ったものですから。」
「お姉さんに育てられたのかい?」
「ちょっと事情がありまして。俺が8歳の時に、当時14歳だった姉に引き取られたんです。両親はいないも同然でしたから、姉が母親でした。」
「なんと、14で子育てか。」
談笑する彼は、さりげなく私の手に自らの手を重ねてきたが、私はその動きがどうしてもぎこちなく見えた。触れた手は少し冷たく、微かに震えている。きっと、私には知り得ない彼の感情の表れなのだろう。私もそっと、もう片方の手を上に重ねてその手を包み込む。
「そういえば、おふたりさん。聞きたいことがあるのだが。」
「…なにか?」
返事をしたのはカインだった。先程までとは打って変わって、警戒心を剥き出しにした彼の視線が医師を見つめ、貫く。
「お嬢さん…いや、リリノアさんの事なのだが。見たところまだ15歳程度に見えるのだが、どうして妊娠しているんだい?」
カインは私を庇うように立ち上がった。張り詰めた緊張感の中で、医師だけが言葉を続ける。
「その子は君たち二人の子かい?」
「…あの、」
「そうですが何か。」
彼は私の言葉さえも遮り、懐かない猫のように医師に噛み付かんとして言った。
しかし、医師は怯む様子もなく、そうかそうかと穏やかに笑ってメガネを外した。
「ならば、このギリシャにいるうちは、ラミアに気をつけなさい。彼女の目玉は今、きちんとはめられているらしいからね。」
0
あなたにおすすめの小説
どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~
さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」
あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。
弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。
弟とは凄く仲が良いの!
それはそれはものすごく‥‥‥
「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」
そんな関係のあたしたち。
でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥
「うそっ! お腹が出て来てる!?」
お姉ちゃんの秘密の悩みです。
妻からの手紙~18年の後悔を添えて~
Mio
ファンタジー
妻から手紙が来た。
妻が死んで18年目の今日。
息子の誕生日。
「お誕生日おめでとう、ルカ!愛してるわ。エミリア・シェラード」
息子は…17年前に死んだ。
手紙はもう一通あった。
俺はその手紙を読んで、一生分の後悔をした。
------------------------------
私が王子との結婚式の日に、妹に毒を盛られ、公衆の面前で辱められた。でも今、私は時を戻し、運命を変えに来た。
MayonakaTsuki
恋愛
王子との結婚式の日、私は最も信頼していた人物――自分の妹――に裏切られた。毒を盛られ、公開の場で辱められ、未来の王に拒絶され、私の人生は血と侮辱の中でそこで終わったかのように思えた。しかし、死が私を迎えたとき、不可能なことが起きた――私は同じ回廊で、祭壇の前で目を覚まし、あらゆる涙、嘘、そして一撃の記憶をそのまま覚えていた。今、二度目のチャンスを得た私は、ただ一つの使命を持つ――真実を突き止め、奪われたものを取り戻し、私を破滅させた者たちにその代償を払わせる。もはや、何も以前のままではない。何も許されない。
冤罪で辺境に幽閉された第4王子
satomi
ファンタジー
主人公・アンドリュート=ラルラは冤罪で辺境に幽閉されることになったわけだが…。
「辺境に幽閉とは、辺境で生きている人間を何だと思っているんだ!辺境は不要な人間を送る場所じゃない!」と、辺境伯は怒っているし当然のことだろう。元から辺境で暮している方々は決して不要な方ではないし、‘辺境に幽閉’というのはなんとも辺境に暮らしている方々にしてみれば、喧嘩売ってんの?となる。
辺境伯の娘さんと婚約という話だから辺境伯の主人公へのあたりも結構なものだけど、娘さんは美人だから万事OK。
あるフィギュアスケーターの性事情
蔵屋
恋愛
この小説はフィクションです。
しかし、そのようなことが現実にあったかもしれません。
何故ならどんな人間も、悪魔や邪神や悪神に憑依された偽善者なのですから。
この物語は浅岡結衣(16才)とそのコーチ(25才)の恋の物語。
そのコーチの名前は高木文哉(25才)という。
この物語はフィクションです。
実在の人物、団体等とは、一切関係がありません。
屈辱と愛情
守 秀斗
恋愛
最近、夫の態度がおかしいと思っている妻の名和志穂。25才。仕事で疲れているのかとそっとしておいたのだが、一か月もベッドで抱いてくれない。思い切って、夫に聞いてみると意外な事を言われてしまうのだが……。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる