神聖なる悪魔の子

らび

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15. ギリシャの母

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カインsaid
 
 布団が素肌に触れている慣れない感触に、自身が何も身につけていないことを悟る。そして、体中の至る場所に包帯やガーゼが施されているのも分かる。きっと、ガラスの破片で怪我をしたところを手当してくれたのだろう。…リリノア?
 僅かに重みを感じて身体を起こすと、俺の腹部あたりにもたれ掛かってベッドに伏せる彼女の姿があった。しかし、俺が起き上がってしまったせいで彼女のバランスが崩れて椅子から落ちそうになった。
「…っと」
間一髪でその腕を掴んで引き寄せる。どうやら眠っているらしい。部屋の中は真っ暗で、恐らくもうかなり遅い時間だ。
「んん…」
小さく唸るリリノアは、一向に起きる様子はない。それだけ疲れきっているのは、きっと俺の側から離れなかったからだろう。つかんだ腕は冷気に冷やされている。
「ごめんよ。…っしょっと」
そのまま彼女の両脇に手を入れて、子犬を抱き上げるように持ち上げる。その身体は前より少しだけ重くなっていて、それでもまだまだ軽く、簡単にベッドに上げられた。右腕に頭を乗せて支え、改めてその顔を覗く。幼く、美しい顔をして眠っていた。しかし、その面積の半分は黒い布に覆われている。こんな暗闇の中でなら、外してやってもいいのだろうか。
 彼女の右目に視力は無い。それは生まれた時からであり、原因はわからない。…と、表向きでは言われている。しかし、俺はその理由を知っていた。彼女の右目は《蛇の目》であり、それはアダムとイヴをそそのかしたそれのものである。一族はそれを恐れて、彼女が生まれたとき目玉を見るや否やくり抜いてしまおうとした。しかし、それを哀れに思った母親であり前当主のレアが制止し、その場で黒い布を巻いたのだ。生き物の目は、生まれてすぐに塞いで光を入れないようにしておけば、発達しない。要するに、一生見えることはない。だがリリノアは異端児、驚異的な回復力を持つ当主もかつて居たとの事で、彼女は一生その瞳に光を当てることを禁じられた。本人は、そのことを知らずに生きている。その美しい眼が死に腐ろうと、彼女は一生気づかないのだろう。
 俺はそっと布を解いて外してやった。久しぶりに見たその右目を含めた素顔。とても美しく、愛嬌のある表情だ。
「…カイン?」
「リリノア。起こしてしまったかい?」
「ううん…私、寝ちゃったんだね。具合はどう?」
「心配いらないよ」
「良かった」
薄らと開いた彼女の大きな瞳は涙の膜に覆われていてぬらりと濡れていた。右目の瞳孔は縦に細く筋のようになっており、まさに蛇の瞳だ。彼女はその目が開いていることに気づいているのだろうか。
 くしゃりと笑って胸に顔を埋められると、その絹のような髪が直に触れてくすぐったさを感じた。思わずぎゅっと抱きしめると、リリノアの口から安堵の溜息が漏れた。熱を持った吐息が腕にかかる。本当に、愛おしくてならないのはもう何年も昔からのことなのだが、彼女はきっと知らない。
「心配かけてごめんよ。でも、君はまた自分を責めているんじゃないかな…何度も言うけど、俺は故意でこの仕事をしているし、仕事は生活の本の一部でしかない。君と一緒に生活しているのは、ただ純粋に君が好きだからなんだってことを忘れないでね」
もそもそと彼女の小さな頭が縦に振れてまたくすぐったい。それでも、リリノアが素直に頷いたのはこれが初めてで、心底嬉しくてならなかった。
 不意に彼女の顔が上へ向いて暗闇の中で目が合う。そして、すっと首が伸びてきて耳元に小さく囁きかけられた。
「あのね、いつもありがとう。大好きだよ」
 次の瞬間には、俺から唇を重ねていた。何と表現して良いかわからなかった。それでも言葉にならない感情がこみ上げてきて、表現せずにはいられなかった。今、彼女がどんな顔をしているのかは分からない。しかし長く続けば続くほど、息苦しさが増してくる。離すタイミングを完全に見失った俺は、ベッド脇にあるタンスに手を伸ばして手探りでバスローブを引っ張り出して片手で身につけた。そして彼女を抱き締めたままごろりと仰向けに倒れ込み、眠そうな目をしているリリノアに布団を被せた。
「おやすみ」
「…お…やす…み」
曖昧に返事をした彼女は、身体を胎児のように丸めて俺の腕の中で寝息を立て始めた。
 リリノアの眠る体勢は昔から変わらない。長い間鎖で繋がれていたせいで、体を伸ばして眠ることができなくなってしまったのだ。その証拠に、レントゲンを撮ってみると背骨が歪に成長してしまっている。開放されてからの数年間で少しは修正されたものの、今とて完治してはいない。一度アン姉さんに相談したことがあるが、治したければ歪んだ骨を取り除いて人口の骨を埋め込むしかないという。それは公にはされていない、姉さんにしか出来ない手術。しかし、公に出来ないのはそれだけリスクを伴うからなのだ。逆に、寝たきりの生活になってしまうことがあるかもしれないと言うのだ。寧ろそうなる可能性の方が高いと。だから俺は拒否した。
 背骨のせいで長く立っていたり歩き続けられないのならば俺が背負ってやればいい。成長不調のせいで身体が弱くなってしまうなら、俺が側でその手を握り続ければいい。これは俺の勝手な考えで、リリノアがなんと思うかは分からない。それでも、例えエゴだと罵られようと、俺は全てを受け入れて押し通す方が正しいと、今でも思い続けている。
 もう1度彼女の頭を撫でた。そして、そのまま手を流して歪んだ背骨をなぞる。
「悪いのは、俺だけでいいんだ。」
そして俺も、重くなってきた瞼を閉じた。

●●●
リリノアside

 目が覚めると、すぐ近くにカインが眠っていた。彼が私より長く眠っているなんて珍しいこともあるものだ。しかし、今朝は頭部に違和感を感じる。なんというか…慣れ親しんだ締め付けがない。覆われているはずの右目のあたりに触れると、ぬらりとした感触が指先に触れて、眼球に直に触ったのだと察する。
「……………………え?」
目が開いているのに分からなかったというの?
 布団の中でもぞもぞと手を動かして瞼をなぞる。そうか、私の右目は視力が無いんだ。だから隠していたんだ。
 ひとり納得していると、音も無く目の前のカインの目が開いた。紅く美しい瞳が覗かれる。数回の瞬きを繰り返して、彼は慌てたように目を見開いた。
「ッノア、目を閉じて」
「あっ」
閉じて、と言った割に彼は私の右目を自らの左手で覆い隠した。そしてゆっくりと身を起こして枕元にある黒い布を取って私の頭に器用に巻いた。
「カイン、私の右の目って見えないの?」
「あぁ、生まれつきだよ。視力のない目は明後日の方向を向いてしまうからね。だから隠しておくんだよ」
「そうなんだ…」
なんだか言いくるめられている気がする。わざわざ黒い包帯を巻くのは何故だろう。このご時世、眼帯でも何でもあるというのに。でも、彼が言わないと言うのなら、それ相応の理由があるに決まっている。だから私はそれ以上追求しなかった。
「さて。リリノア、看病ありがとう。もう大丈夫だよ。」
彼がそういうので、私も体を起こして隣に並んだ。私を見た彼は口元に笑みを浮かべて、ベッド座ったままでバスローブの腰紐を解き、するりと脱ぎ捨てて包帯だらけの上半身を晒した。私の慣れない巻き方のせいか、かなり緩んでしまっている。しかし、そんなことを気にする様子もなく、その包帯を外していく。
「えっ、でもまだ、」
「いいから見ててごらん」
まだ昨日の今日じゃ傷は治っていないはず。まして、ガラスが深くまで刺さっていた部分もあるというのに…。
「あれ…」
「ほらね?」
晒された彼の上半身裸体には、傷ひとつ無くなっていた。
「なんで!?」
「神の子の特権だよ。長く生きる分、外傷には強く出来ているんだ。」
「ほぉー!」
私の目は今、きっと文字通り丸くなっているのだろう。こんな所で異端児的能力を目の当たりにするとは…!!
 驚きを隠しきれない私を見て、堪えきれないといった様子のカインが含み笑いを漏らした。そしてひとしきり笑ってから彼はローブを肩に掛けるように軽く羽織り、ベッドから降りてクローゼットの前に立った。開けると、彼の服がずらりと並んでいて、そして全てがシンプルで質素な物であることを知った。確かに着飾るタイプでは無いと思ったが、スーツ1着とそれに合わせるのであろう白いワイシャツ以外が全て単色のTシャツとパーカーとズボンというのは驚いた。…ネグリジェで生活している私の言えたことではないが。そしてさらに、彼は特に選ぶ様子もなく一番端にあるTシャツと重ねられたうち一番上にあるズボン、そして薄手でフードのないパーカー(?)を手に取ってクローゼットを閉めた。
「…カインって、服にこだわりとか無いの?」
「服なんて着られればいいんじゃないの?」
「…そうだよね」
うん、尤もな回答だと思う。しかし、流行やらファッションセンスやらと謳われる現代で、カインくらいの年齢ならいくらでも着飾る若者はいるだろう。しかし、上には上がいるというように無頓着な人は興味の無いことに対しては一切無頓着なのだと知った。
 私がそんなことを考え込んでいるうちに、カインは既に着替え終えていて見慣れた姿をしていた。
「さて、リリノア。」
未だベッドの上に座ったままの私の元に戻ってきた彼は、腰を屈めて私と目線を合わせた。
「朝食を済ませたら出かけるよ?」
「どこへ?」
首を傾げる私の首元から髪を一房掬いあげて、そのままするりと髪を梳いた彼はいたずらっぽい微笑みを口元に浮かべて言った。
「ギリシャまで、ちょっと。」

●●●
 数時間後。私は上空何千キロという高さを飛行していた。よく分からないままカインに連れられて、車で向かった先は国際空港だった。いつの間に準備したのやら、私が朝食を終える頃には荷造りを終えていて、今はこうして少人数の客を乗せるための高級旅客機に乗っている。
「さっき思い立ったような言い方だったのに、よく飛行機なんて取れたわね」
「この飛行機は、俺達は何回か使っていて常連なんだけど、現代で言う社長とか、下手したら国王までもが使うような高級旅客機なんだよ。だから、一杯になることはまず無いね。」
「…私達って国王でも社長でも無いよね?」
「まぁね。でも、ブルードの一族は国家レベルの名家だから、その当主となれば余裕で利用できるよ。」
そんなものなのか。自分のことなのによく分からない。なにせ、未だに記憶はあの水海の底で見たものしか蘇っていないのだから、詳しいことは知らなくて当然なのだが。
「それで、ギリシャに行って何をするの」
「エキドナを探せって言われたんだよ。」
「誰?」
「エキドナ。スフィンクスやケルベロス、プロメテウスを火口で遅った鷹のエトンとか、その他にも数多の聖獣を生み出している獣たちの母親だ。何があるのかは知らないが、とりあえず会いに行けとだけ預言者から連絡があったんだ。前に君も、ギリシャに行きたいと言っていたしね。本当は出産後、体調が落ち着いた頃に行きたかったんだけど、どうも急を要するみたいでね。だから、無理はししないでね」
「…分かった。じゃあ言うけど…」
私は出発して直ぐに我慢していることがあった。それを言っていいものかと思っていたが、そろそろ限界にも近かった。
「…酔った。気持ち悪い」
吐き気こそないが、とても気分が悪かった。ぐらぐらして平衡感覚がない。
 カインが肘置を上げて膝をぽんぽんと叩いて横になるよう促してくれている。私は靴を脱いで椅子に足を上げて、カインの太股に頭を乗せて横になった。すると、彼は少し強めに私の肺のあたりを摩り始めた。不思議なことに、そうされていると酔いが覚めるようにすっきりとしてくる。
「確かに、君は車以外の乗り物が苦手なんだよね。もし楽なら、ずっとこうしていればいい。何故かここを擦ると君の乗り物酔いは覚めるんだよね」
何年も一緒にいるだけあって、よく分かっているのだろう。今においては私より私のことを知っているのだから。
 その言葉に甘えて数時間もたった。カインは右手で私をさすりながら左手で本を読んでいた。私は特に何をするでもなく、少しの眠気に微睡んで空を見つめていた。…と、その時。

ガタンッ!カッカッカッ…

 床を伝って、カインの足を通って、私の耳に届く異様な機械音。僅かに揺れる機体。音が聞こえたのか振動を感じたのか、私の頭の上でカインはパタンと本を閉じた。
「カイン、何だろう」
「気のせいじゃなかったね。何か嫌な予感がする」
「同じ。」
飛行機なんて大掛かりな機会の構造なんて知らないが、異常事態であるのは言うまでもない。そっと体を起こして周りを見渡すと、幸か不幸か周りの客は気づいていない。
「カイン、どうする?」
「仕方がない。機長に話しを聞いてこよう。君はここで待ってて」
そう言って彼は席を立ち、操縦室のある方へと歩いていった。

 これから何か、よからぬことが起こる。私の直感がそう告げている。周囲の貴族のような格好をしている人々は、未だ何も気づいていない。私は無意識に胸の前で手を組み合わせて、祈るばかりだった。
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