神聖なる悪魔の子

らび

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17. エキドナの息子

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 ラミアはゼウスの愛人だった。しかし、彼に近づきすぎたせいで正妻ヘラの嫉妬からなる怒りを買い、ゼウスとの間に出来た子供を殺され、その美しかった姿は異形に変えられてしまった。下半身が蛇で、眠らない呪いをかけられた彼女を哀れんだゼウスは、眠る代わりに眼球を取り外せるようにした。それからは、彼女は眼球がそのアイホールにはまっている時だけ動き回り、他人の子供を殺して回るようになった。

●●●
 病室を出た私たちを待ち受けていたのは、あの墜落事故の情報を求める報道陣の記者たちだった。カメラやマイクを向けられて、何か言葉を発しているが、喧騒に飲まれてもはや聞こえない。どうして良いかも分からずに立ちすくむと、割って入ったのはあの医者だった。
「皆さん、彼らは病み上がり直後…いや、まだ傷も完治しない患者なのですぞ。それに子供じゃないか。そんな、怯えさせるような行動は大人としてどうかと思うがね?」
しかし、一向に記者たちは収まる様子を見せない。進むことが出来ずにどうしようかと思っていると、次に前に出たのはカインだった。
「皆さん、彼女はブルードの一族の現当主、リリノアブルードであります。我が家の命により、この地に降り立ちました。そこでこのような行動、公務執行妨害で彼女があなた方を処分しうるということをお忘れなく。」
普通に語りかけるような声だった。しかし、話終える頃には喧騒がやんでいて、見れば集まった人々は文字通り顔が青ざめてしまった。彼こそニッコリと笑っているものの、様子がいつもと違いすぎる。
 笑顔がどす黒い。いつもの木漏れ日のような彼からは想像がつかなかった。思わず見入っていると、細く閉じられて弧を描いていた彼の眼がすっと開く。もうその時点で眼は笑っていない。
 カインは私の右手を取ると、人々の群れに向かって突き進んだ。サッと道を開ける彼らを横目に、まっすぐ前だけを見て歩き続ける。
「カイン、怒ってる…?」
「まぁね」
「…ごめんなさい」
「なんで謝るの」
カインが怒っているのは珍しいから。そして、それを彼自身が肯定することなど滅多になかったから。何となく空気を読んで、私は黙ってついて行った。
 病院の出口まで来ると、外には警官が2人ほど待っていた。勿論、そこにはパトカー。私たちは連行されてしまうのだろうか?
「カイン殿、今回のご協力承諾の件、深く感謝いたします」
警官のひとりが口を開く。
「いいえ。当事者で語れるのは私達だけですからね」
先ほどとは違い、いつもの笑みを浮かべながら、警官に軽く会釈をする。
「それに…エキドナの元へ案内して頂けるのは、こちらとしても有難いのです。」

 私たちは近くの警察署に連れていかれ、あれこれと事情聴取をされた。とは言っても、私は殆ど覚えていなくて、答えたのは全てカインだった。
「ご協力、ありがとうございました。お早い復活をお祈りしています。さて、では次は私たちの番ですね。エキドナをお探しなのでしょう?」
思わず肩に力が入った。座っていたパイプ椅子が軋んで金属特有の音を出す。沈黙が降りる中、今までは聞こえもしなかった時計の秒針が刻む音が、やけに大きく聞こえてきた。
「彼女は今、保護されているのですよ。」
「保護?獣とは言え、神なのではなないのですか?」
まるで、動物を保護するかのような言い方である。私はそれに、少し腹が立ったようだ。脳裏に浮かぶのはドライアドや、森のニンフたち。彼らは人間ではない、存在すら知られぬ古い神の名残だ。今回、エキドナもそのようなものを想像していたのだが…
「いいえ、彼女はれっきとした人間です。ただ、少しばかり異様ですがね」
「で、どこに保護されているのですか?」 
「ここですよ。」
警官の若い男性がサラリと言いのけた事実。
「…は?」
「…え?」
理解出来ていないのは、私だけでは無いようだ。ほぼ同時に、私たち2人が声を漏らす。
「待ってください、ここは警察署ですよね?」
「あぁ、そうですよ。しかし、このギリシャにはエキドナのような存在が何件もあって、それを管轄している施設でもあるのですよ、ここは。」
予想外だった。もし、あの飛行機事故がなくて、私たちが普通に入国して一から探していたら、ここで管理されている神だなんて、想像がついたものか。
「付いてきてください。ご案内します」
神が人間の手によって管轄されるなど、あって良いのだろうか?
 そんな疑問を抱きつつ、私たちは狭い部屋を出た。

 エレベーターが3階で止まり、ゆっくりと扉が開く。そこは、先程までいたフロアーとは全く別の建物のようで、まるで獣を飼育する動物園のバックヤードのようだった。
「ここは…」
「ギリシャの聖獣を保護しているフロアーです。エキドナは危険ゆえ、一番奥の部屋に隔離してあります」
「なっ!!!!!!」
隔離?なんてひどい言い方だ、さっきエキドナはれっきとした人間だと言ったではないの!?
 私はドライアドの森の湖の底で見た記憶を思い出した。束縛、強制、隔離、屈辱。全ては私を苦しめ、正気を無くすほどにまで追い詰めた。警官の言葉から、私は自分のあの姿と、これから会うエキドナを重ねていた。もし、そんなひどい話があるなら…
 握りしめた手にみるみる力が入り、手のひらに爪がくい込んで、やがて皮を破り肉を引き裂いて行く。痛みを感じない。…まただ。
「ほらほら、リリノア落ち着いて」
後ろから伸びた手に両の手首を捉えられて、上に上げられる。
「君の自傷癖はいつになったら治るのやら。子供に遺伝しないといいなぁ」
冗談っぽく言いながら、カインは自らのポケットからハンカチを取り出して、それを噛んで二つに裂き、それぞれで私の手の平を縛った。
「痛い…」
「なんで初めて知ったような顔してるの」
「だって…」
「ほら行くよ。置いていかれちゃう」
私の肩に腕を回して、何かから守るように歩くカイン。平気そうに見せていても、きっと彼も警戒しているんだ。

「ほら、着きましたよ。ここです。」
そう言って警官が指をさしているのは、鉄格子の付いた大きな窓。中は部屋になっているらしい。私の身長でぎりぎり見えるくらいの高さに設置されたその窓を前にして立つと、そこから見えた景色に私は息が止まった。
 部屋の中は至ってシンプルで、クリーム色の床に白い壁、そして枕も毛布もないパイプのベッドが1つあるだけだった。しかし、何よりの問題はそこではなかった。
「…こんなの」
「見るな、ノア。」
大きく見開いた左目がカインの手に多い隠される。しかし、見てしまったものは忘れられない。
 そこで私たちが目にしたものは、1人の女性の姿だった。だが、一切の衣を纏わず裸体を晒し、身体中が鞭で打たれたかのように傷だらけで血すら滲んでおり、アザだらけだった。脚はうっすらと鱗に包まれ、足首から下は完全に鷹の足をしていた。金色の瞳こそ力強くこちらを睨みつけていたものの、身を横たえて上半身だけを床についた腕で支えながら起き上がり、振り向いている様はかなり衰弱していた。長く伸びた髪はボサボサに荒れていて、右手首には枷がついていて、長い長い鎖の先は、部屋の壁に繋がっていた。
「…保護、だと?」
私が怒りを顕にするよりも先に、低い声で喉を震わせたのはやはり彼だった。
「ふざけるな!こんなの、投獄されて拷問を受けた罪人と何が違うんだ!彼女が何かしたのか!?これでは動物園の動物にも劣るじゃないか!!」
息を荒らげて吐き捨てるように投げられた言葉。それは、過去の自分を痛めつけた人々への恨みのこもったそれのようだった。
「彼女は危険なのです。人間でありながら、そうでない力も持ち合わせている。文句を言うために来たのなら帰りますぞ」
警官も腹を立て始めている。カインとて馬鹿ではない。彼は自らを鎮めるように深呼吸した。それでも怒りは収まっていないらしい。
「なら、私たちも捕まえますか?」
私はカインの手をどけて、警官の前に出た。
「私たちは神の子…いいえ、呪われた異端児。彼女よりも何をするか分からない脅威なのではなくて?なにせ、私はギリシャ神すべての力を受け継ぐもの。こんな檻だって、簡単に壊せるわよ?」
自分でも何を口走っているのか分からない。誰かに乗っ取られているような気分だ。カインも驚いて目を丸くしている。警官の手が、常備しているのであろう拳銃に伸びた。しかしその手は小刻みに震えている。このまま押し通してしまえるかもしれない…?
「命が惜しいなら、そこで大人しくしていなさい。」
本当に、今の私は誰なのだろう。でも、警官は完全に怖気付いてくれた。どうせなのだから、この機会を利用しよう。
  心の準備をするように一息置いてから、私はエキドナの方を向いた。彼女までもが驚いた顔をしている。こちらの話は聞こえるらしい。
「初めまして、私は」
「ノア!?ノアなの!?本当に会えた…」
涙を流して喜ぶエキドナ。初めて会った筈なのに、彼女は私を知っているらしい。
「あぁ、来てくれたのね…そちらにいるのは誰の魂?」
カインの方を見てエキドナが言う。彼女は体を引きずって窓の方に這い寄ってきた。
「カインよ。」
「カイン…?って、あの弟アベルを、」
「エキドナ、そのことは」
カインが制止する。エキドナは言葉を遮られてハッとしたように口を塞いだ。
「ごめんなさい。でも、ノアが女の子で生まれたって本当だったのね」
「エキドナ、何があってこうなっているの?」
「分からない。私は森にいたのに、急にここの人間がやってきて、気がついたら捕まっていたの。身包み剥がされて、目が覚めたらこのザマよ」
悔しそうな顔をして唇を噛み締める彼女の目から涙がこぼれ落ちた。
「必ずここから出してあげるから、待ってて」
「ノア、大丈夫よ。私の息子がもうすぐ来るから。」
「息子?」
「そう。自慢の息子…キマイラよ。」
と、その時だった。

メキッ…ゴゴゴゴガシャアアアアアン!!!!!!

 爆風と破壊音を伴ってエキドナのいる部屋の壁を外側から破り、飛び込んできたのは見たこともない生き物だった。ライオンの頭に山羊の胴体を持ち、よく見ればその尾は蛇である。キマイラはエキドナを見つけるや否や、飼い主に甘える猫のように彼女に頭をすり寄せた。しかし、大きさはオスのライオンより少し大きく、思わず圧倒してしまった。
「ノア、カイン、来てください」
私たちは割れた窓から部屋に入り、彼女に手を惹かれてキマイラの背に乗った。

●●●
カインsaid

 確かにあの夢の中で、俺に囁きかけた「誰か」は、エキドナを助けろと言った。しかし、何を助ければ良いのかは聞いていない。
 降り立ったのは、森の中だった。俺もリリノアも眠らされていたのか、移動中の記憶はない。しかし、不思議にも気がついたらここに立っていたというような感じで、ひょっとしたらまだ夢の中にいるのではないかと思ってしまう。

『やい、人間がいる』
『本当だ、まだ子供だぞ』
『まて、この匂いには覚えがある』
『そうだ、間違いない!』

『罪人の魂の匂いだ!』

●●●
リリノアsaid

 また、眠っていたらしい。目が覚めたのは霧の中で、どっちを見ても真っ白だ。
「目が覚めましたか、エヴァ様」
「…エヴァ?」
「あぁ、イヴと言えば分かりますか?」
「なるほど。でも私はリリノアよ。」
確かに、そう聞かされている。正直、記憶がないから確証はないけれど。
 そっと地面に手をついて起き上がろうとすると、何処からとも無く白い手袋をした手が伸びてきた。そうだ、声がするのに本人の姿が見えないなんて、不自然だった。それに気づかないと言うのは、多分ルリアという存在があるからね。
 どうやら地面は芝生のようで、霧なのか朝露なのかは分からないが濡れている。伸ばされた手を握ると、グッと引かれて立たされて、声の主の顔がはっきり見えた。
 美しい女性だ。着ている服は純白の、ギリシャの挿絵に出てくる女神のような一枚布である。亜麻色の髪を金色のリングで留めており、御伽噺の絵本から抜け出してきたかのようだ。
「ありがとう」
「いいえ、こちらこそお礼を言わせて。我が恋人の大切な竪琴を、星に還してくれて」
「貴女の、恋人?」
「私、ユウリディケ。オルフェウスに愛されたニンフよ。」
「本当に!?だって貴女は…」
「死んだわよ。今も、黄泉の国の住人。」
そう、オルフェウスが救い損ねてしまった女性だ。しかし、彼も後を追うように逝ってしまって、黄泉の国では再会できたのかしら?
「あの、オルフェウスは…」
「今は一緒にいるわよ。」
「あぁ、よかった!」
まだ握っていた手を両手で握り直す。彼女もふわりと笑った。
「あら貴女、赤ちゃんがいるの?」
「え?」
「そうよ、間違いないわね。じゃあアダムと出会えたのね?」
「まぁ、ね。…って、あれ?カインは?」
そうだ、カイン。混乱の渦に飲まれて存在を確認していなかった。確認するまでもなく、いつも近くにいるので何も考えていなかった。
「カイン…って」
「…その、この子の父親…?」
「それは本当なの!?」
ユウリディケが私の肩を両手で掴む。その額には冷や汗が浮かび、美しい顔の眉間にシワを寄せて、焦ったような表情をした。
「そう。どうかした?」
「まぁ大変!急がなくては手遅れになるわ!!」
「手遅れ!?一体何が起こっているのよ!!」
「躊躇している暇は無いわ!ラドン!!!!!!」
彼女が空に向かって指笛を鳴らすと、空の彼方から霧を裂いて二つ頭のドラゴンが舞い降りた。
「ラドン、急いで!お前の母さんのところへこの子を連れて行って!!!!!!」
「まってユウリディケ!一体何なの?」
私の質問に彼女が答える前に、私の身体は宙に浮いて、ドラゴンの背に乗せられた。
「この子はラドン。エキドナの息子の1人。いい、向こうについたら、カインがアダムであると証明しなさい。今世のアダムはエヴァとともに神の子だって聞いたわ。それを証明すればいいの。」
「何でまたそんなことを…」
「ラドン、行って!!!!!!」
ドラゴンの二つの頭が同時に頷く。何をそんなに焦っているのだろう。それに、彼は今どこにいるの?
「まって、カインはっ!」
飛び立つドラゴン、遠ざかる地面。小さくなっていくユウリディケが最後に答えたのは。

「急がないと、カインは殺されてしまうわ!!!!!!」
 頭の中が、また真っ白に転じた。
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