神聖なる悪魔の子

らび

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29. 聖夜祭の約束

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 ~読者の皆様へ~

 前回の投稿から長らく空いてしまいましたが、覚えていらっしゃるでしょうか。今回はクリスマスも近いということで、少し穏やかなお話をお送りします。引き続き、よろしくお願いします

●●●
リリノアside

 イギリスの街は賑わっていた。あちこちに装飾が施されて一風変わったお祭りのようで。まだ明るいというのに街路樹はイルミネーションでキラキラと輝いている。街ゆく人々はコートやマフラーを身につけて、寒さに手を擦りながら俯きがちにすれ違っていく。しかし、国の違いだろうか、カップルが母国より目立つ気がする。
「カイン、今日ってお祭りなの?それとも祝日?」
「え?」
私の質問に意外そうな顔をして答えるカイン。私はなにか見当はずれなことを言っただろうか?
「あ、そうか。ノア、今日何日か知ってる?」
「日付…えっと、十二月の………」
「24だよ。つまり、クリスマス」
「なるほど!…クリスマスって何するの?」
「…まぁ、そうだよね。」
少し悲しそうに笑ったカインが私の頭に手を載せる。その表情の意味は言うまでもない。一年前の今頃、私は深い眠りの底にいた。その前も、特別何かをした覚えはないし、さらにその前からは記憶が無い部分に入る。
 「君の眠姫から1年か。大丈夫、今年はとりあえず俺に任せてくれ」
少し照れくさそうにそういう彼は、少し幼く見えて可愛らしくさえあった。 
 さりげなく手を取られて見知らぬ街をゆっくりと歩く。不思議と寒さはそれほど気にならないのに、少し体温の低い彼の手の感触は気になって仕方ない。
「カイン、寒いの?」
「え?何で。」
「手が冷たい」
私が繋いでいた彼の手を両手に包み直すと、また穏やかに微笑んで空いている方の手で私の頭をくしゃりと撫でた。
「ノアの手はあったかいもんね。男の手の温度なんてそんなものだよ?心配してくれてありがとう」
「そう…ならいいけど」
そう答えて空を見上げると、まるで待ち構えていたかのように雪がちらつき始めた。大粒の牡丹雪で、私のコートの襟元に落ちては一瞬で消えていくのをよく見ていると、肉眼でも結晶が見えた。
「さて、まずはここだな。」
気がつくとお店のショーウィンドウの前にいた。しかし、そのガラス越しにはキャンドルやツリーやスノーマンで装飾された小さな世界が見えるだけで、何を売っているお店なのかは見当もつかない。
「おいで。」
促されるままに扉をくぐり抜けると、店内は薄暗くキャンドルの灯りのみが灯されていて、唯一の店員らしき老人をカウンター越しにゆらゆらと照らし出していた。私に続いて入店したカインが扉を閉めたことで呼び鈴が鳴る。
「お客さんかね?」
「はい。…ノア、そこに座って待ってて」
指し示された方に目をやると、そこには高級そうな2人がけくらいの長さのソファーがあった。
 小さく頷いて彼の手を離れ、言われた通りに腰掛ける。キシリとも音を立てずに自分の体がもっそりと沈んだ。そんなことにささやかながら感動していると、小さく話し声が聞こえてきた。見ると、カインがカウンターの中にいた店員…それこそ絵に描いたサンタさんみたいなおじいさんとひそひそと話をしていた。内容までは聞き取れないので諦めて店内を見渡すと、絨毯から壁紙まで高級そうなものばかりを使っていて、しかし広い店内には商品と思われるものは見当たらない。強いていうなら、カウンターの奥の棚にフェルトが丁寧に芯に巻き付けられて並べられているくらいだ。
(家具屋さん?…にしては展示もされてないし…このソファーは売り物ではなさそう。フェルトってことは、手芸屋さん?小物屋さん?でも、可愛らしい感じのお店ではないよね)
柔らかい背もたれに体を預けると、微睡んできて瞼が重くなった。無理して引きずる必要も無いか、と思って目を閉じると、私にとっての空白の時間が訪れた。
(そういえば、最近ルリアが出てこないな…)

 ポンポンと肩を叩かれて緩やかに意識を引き戻す。私はいつの間にか眠ってしまったらしく、目の前には穏やかに微笑むカインの顔があった。手には大きな紙袋を持っている。
「お待たせ。終わったよ」
「あぁ、うん。大丈夫。」
「おいで、次に行こう。ちょっと時間が押してるからね、外は寒いよ。これを着て?」
カインがポンチョ型のコートを私に被せてマフラーを巻いてくれる。気がつけば、彼もキャメル色のダッフルコートを着ていた。

カランコロン

 ありふれたドアベルと音を聞き残して店をあとにする。カインにしっかりと握られた右手だけが彼と熱を共有しているために温度が低くなっている。軽く握り直すと、大きな手は私の手をさらに優しく包み込む。どうしてか、私はとてもそれが安心するものでマフラーに口を埋めて微笑んだ。

「次はここだよ。」
黙々と俯きながら歩き続けること再び数分、足元はお洒落なレンガの街路から紅いコンクリートのお店の玄関になっていた。見上げると、レストランと思しき看板が視界に入り、一緒に目に映った空の藍色の濃さから、夕飯かな、と呑気に予測する。
「どうぞ」
扉を開けて促してくれる彼に「ありがとう」と返して入店する。しかし、店に入って再び唖然、これまた高級そうな料理店だった。クールな制服を着こなしたウェイターの女性が話しかけてくる。
「ご予約はなさっていらっしゃいますか?」
「ええ。ブルードと。」
「…あぁ、ありました。お2人様のご予約ですね?こちらにどうぞ」
名簿をパタンと閉じて後ろ手にラックへと片付けるウェイター。スマートな流れで案内に従うと、連れていかれたのは2人用の小さな個室型の客室だった。
「お飲み物はいかが致しますか?」
「クリスマスローズを。」
「かしこまりました。」
テーブルに用意されていたグラス類の中からワイングラスのみを残して下げていく彼女。ごゆっくり、と頭を下げて扉をしめたところで私の緊張感が溶けた。
「ここは?カイン。」
「聖夜祭に相応しいディナーを。気に入らなかったかな?」
「ううん、そんなことない。でも、こういうところって…その、記憶がある限りでは初めてだから。驚いちゃって」
「だから個室にしたんだ。ディナーにはマナーがあるけれど、そんなことは気にしなくていいよ。ゆっくり楽しむといい。」
「ありがとう」
 穏やかな沈黙が心地よく私たちを包み、すべての邪気を払っているように思えた。時々交わされる何気ない会話に、私の記憶がなくなる前のことは一言も語られない。いっそのこと彼に聞き出してしまえば楽になるのかもしれないが、誰に言われたわけでもないけれど、自分で思い出さなければいけない気がするのだ。それに、昔の話を持ち出すと、彼の顔に僅かながら影が生まれる。それがどういう真意を隠し持っているのかは知らないけれど、私はそれが大嫌いだった。
 彼が注文した「クリスマスローズ」とは、白いワインのことだった。お酒なんて飲んだことないし、彼が飲んでいるのを見たこともなかったけれど、なんのためらいもなくワイングラスを傾けているあたり、彼にとって何の変哲もないことなのかもしれない。カインも、疲れたサラリーマンのように、酔ってすべてを忘れてしまいたいなどと思うのだろうか?そんな思いを込めて彼を見つめていると、不思議そうに首を傾げられる。それがなんとも言えず可愛くて、私は思わず笑いを漏らしてしまった。
「どうしたの?」
「ううん。カインってお酒強いのかなぁって。」
「…あ、そっか。俺、人が見てるところでは飲まないようにしてたんだよね。それこそ、姉さんの前でくらいしかやったことないかな。」
「そうなの?」
「うん。でもね、残念なことに俺は酔わないんだよ。姉さんとは正反対にね。」
「えっ、アンさんって」
「弱いなんてものじゃない。それこそ、介抱するこっちの身にもなって飲むなって言いたくなるくらいにね。」
「えっと…私って」
少しずつ体が火照ってきて、なんとなくまずいんじゃないかと思い始めた今。
「あぁ、ノアは姉さん寄りだな。」
「ひっ」
話を聞きながら少しずつ飲んでいたはずなのに、私のグラスはいつの間にか空になっていて。
「ごめん。…いや、わざとでもある」
「わざと…?」
「だって、酔わせないと甘えてくれないでしょ?」
そう言いながら席を立つカイン。私の方に回り込んで、椅子から直接抱き上げられる。何か言おうにも呂律も頭も回らない。
「さて、次行こうか。とっておきの場所。」
片手で荷物を持ってテーブルを軽く整え、客室をあとにする。その後の意識は朦朧としていて、でも心地よくて、彼の肩に掛けた手にそっと力を入れた。

 しばらく彼に抱えられて歩いたところで、冷気に触れた頬が冷め、同時に酔いも覚める。顔をあげると、高い所にいた。そこからは街が見渡せて、家々の小さな明かりがひとまとめにイルミネーションみたいに輝いていて、一言でいえばその夜景は「絶景」だった。
「カイン、ここは」
「秘密の場所。昔姉さんと来たことがあるんだ。あの時と何も変わらない。俺にとっての特別な場所の一つだ。」
周りを見ても、ほかの人がいる様子はない。少しばかりの木々が月光を遮り、木の葉の隙間から澄んだ空に瞬く星をのぞかせていた。
「だから、ここに決めたんだ。」
そっと、私を地面に下ろす彼。そして、改めて持ち続けていた紙袋を私に差し出す。
「メリークリスマス、ノア。」
「えっ、でも私、何も」
「受け取って。これは、ほんの気持ちに過ぎない。」
屈んで、背の低い私に目線を合わせてくる彼。私はその紅く綺麗な瞳に押されて袋を受け取る。
「開けてごらん?」
「うん」
言われるままに袋を開けると、中には赤いリボンを首に巻いた白くて大きなうさぎのぬいぐるみが入っていた。それは、私より頭一つ分小さいくらいの大きさで、うっかりすれば地面についてしまいそうだった。
「大きい…」
「ノアのために作ってもらったんだ。」
「どうして」
「君は、自分から誰かを抱きしめるということをしない。それが少し寂しいんだ。でも、君が誰かに触れることを恐れているのは知っている。君の記憶にはなくても、体が覚えているが故の反応なのかもしれない。だから、責めてもの練習に。」
 彼は、私以上に私のことを知っている。私が自分のことを知らなすぎるだけかもしれない。それでも、生い立ちからして私のことをここまで考えてくれる人はいなかったと思う。だから、いつの間にか涙が止まらなくなっていたのかもしれない。
「…カインは」
「うん?」
「何が欲しい?遅くなるけど、大したものは用意出来ないけど、何か、お返しを。」
「くれるの?」
「うん」
改めてよく考えると、彼が何を欲しているのかを聞いたことがない。趣味があるようにも見えないし、お金に困っているわけでもない。なら、何が欲しいと言われた時に彼は何を欲しがるのだろうか。
「じゃあ…俺の話を聞いて?」
「えっ」
「もともとこの話をしようと思っていたんだけど。でも、君は遠慮してしまうかもしれないから。先に言っておく。本心で答えて?それが何よりのプレゼントになるから。…どんな答えを、君が出したとしてもね。」
「…わかった。」
彼は、私の両手を包んでそっと息をついた。そして、真面目な顔をしてこちらを見つめて、それから目をそっと伏せて。
「俺と、結婚してくれないかな。」
「…へっ?」
とっさに口から出たのは情けないにも程がある声。難しいことなど何も言われていないというのに、なんと返したらいいかわからない。これは夢なのかと思ってしまうくらいに現実味がなくて、でも吹き抜ける風の冷たさは私を現実の中に置いている。
「いや、これは少し唐突すぎたかな。つまり、一族の決まりだからとか、そういうのを抜きにして、君本人としての同意の言葉が欲しい。一人の人間としてね。」
これがプロポーズというものだろうか。見知らぬ地で、大切な人からの申し出。本心ではどこか疑っていたから、どこまでが本当か分からなかった。
 迷惑ばかりかけていた。当主なのに、一族も手放したがるお荷物だと思っていた。しかし、それ自体が私の勘違いだったとしたら?自惚れてもいいのだろうか。
「私が…」
「うん」
「私が、誰かに愛されても、罰が当たらないかな。」
それだけが怖くて今まで怯えていたのだ。肯定されるのが怖くて、誰にも聞けなかったことの一つ。愛されるな、隔離されろと言わんばかりの私の生い立ち。まだ思い出せたことなどほんの少しだけれど、それでも世の中に疎まれていることくらいは馬鹿な私でもわかる。
「罰が当たって何が悪い。」
「え?」
「どんなことを神が嫌うかなんて誰にもわからない。それこそ、『神のみぞ知る』ってやつだよ。だから、気にするなって。もし悪いことだったなら、俺が全部許してやる。お前のあってほしい存在になる。だから、どうか。」
いつもと同じ穏やかな口調は、清らかな水のように私の心の中へと流れ込んでくる。入って、入り切らなくなって、溢れ出したのは涙。私は今、どんな顔をしているのだろうか。
「カインは、いいの?」
「勿論。」
そこまで言われたら、私の答えなんて分かりきっているものだ。

 美しい街、漆黒の空の下での聖夜祭。私は大切な彼に、プレゼントのお返しを、ちゃんと返せたのだろうか。



 この世界が大嫌いだった。そして、世界も私を嫌った。だから、いつ死んでもいいと思っていたんだろう。この世にしがみつくほど、未練もなかったから。でも、今はそうじゃない。大切な人がいる。ここにいたいと思う場所ができた。死ぬことが、少しだけ怖くなった。その恐怖心すら心地良い。
 昔の記憶は戻らないままだけど、これほどまでの幸福をこの私が味わったことは、未だかつて無かっただろう。
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