学園ミステリ~桐木純架

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01桐木純架君

折れたチョーク事件01

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   (三)折れたチョーク事件



 話は前後する。

 高校の授業中、俺の視線はたびたび黒板を外れ、吸い込まれるようにある少女のうなじに合わされる。少年のような短髪が異質で、そこだけ漆黒をまとっているように見えた。

 彼女の名は飯田奈緒いいだ・なお。15歳。俺と同じ1年3組のクラスメイトだ。そして俺は、彼女に惚れていた。

 たいていどんな場所にも――高校に限らず――人をきつける人物というのはいるものだ。そういった人間は他者よりおのずと引力が強く、気づけば注目と尊崇そんすうを一手に引き受けるのだ。奈緒もまたそうした指導者格の一人で、まだ4月も半ばだというのに、早くもクラスの中心人物と化していた。

 奈緒はとにかく明るい。天性の素質というべきか、そのチャーミングな笑顔はとろけるようで、いったんその光を浴びるとどこまでもついていきたくなる心持ちになるのだ。それは女に奥手の俺でも右にならえだった。

 まだ入学一週間と経っていない頃、彼女と俺は日直として共に活動した。起立・礼の掛け声、黒板消しの洗浄、ゴミ捨て、日誌への書き込み。俺は面倒くさがりな性分だったが、様子が綺麗ということで既に奈緒へ傾倒しかかっていたので、ゴミ捨ての仕事をかっさらうように務めてやった。こういうのは大柄な男がやるに限る。

 ペットボトル・プラスチック・燃やすゴミの三つの袋を引きずって階段を下り、1階のゴミ収集場に来ると、それらを分別して放り込む。その単純な仕事を終えて教室に戻ると、奈緒が頬を膨らませて仁王立ちしていた。ウサギのような大きい茶色の瞳に、小振りな鼻、魅惑的な唇だ。両耳が丸まっている。

「なんで一人で行っちゃうの? 私たちは同じ日直じゃない。せめてじゃんけんで決めるとかしないと、私が困るよ」

「ああ、悪りぃ」

 俺はぶっきらぼうに答えた。奈緒は可愛くて美しい。純架の美貌には勝てないが、あいつはほぼ特別な存在だ。比較自体間違っている。

 俺は彼女の顔を正視できず、ついとよそを向いた。

「仕事は全部終わりか? なら解散でいいよな?」

「うん。後は朱雀君が日誌を書けばおしまいよ」

 奈緒はようやく溌剌はつらつとした声を出すと、鞄を机から拾い上げた。

「じゃ、私は帰るから。またね」

「おう」

 奈緒が去ると教室は俺一人になった。俺は教壇に置かれた日誌を開き、今日の分のページをめくった。

 そこには既に、奈緒の書き込みがあった。

『今日はこれといった事件もなく教室は和気あいあいでした。日直の仕事は大変でしたが、面倒なゴミ捨てを朱雀君が率先してやってくれて助かりました。ありがとう』

 俺は心臓が一つ跳ね上がる音を胸郭一杯で感じた。思わず教室の出入り口へ振り向くが、既に奈緒の姿はない。それは俺にとって好都合だった。今の感激した自分を見られたら羞恥しゅうちで死にそうだったからだ。

 それから俺は奈緒を特に意識するようになった。しかし彼女は人気者で、褒められた容姿でもない無骨ぶこつな俺とは釣り合うわけもない。そのことは自分でも分かっている。俺は胸中に淡い思いを隠しながら、いつも人だかりの中心にいて近づくことすら出来ない彼女を熱く眺めるばかりだった――



 木曜日の授業がとどこおりなく終わり、ホームルームの時間となった。俺たち1年3組の担任で数学教師の宮古博が教室に入ってくる。赤い癖っ毛の髪が眉まで伸びるが、襟足はさっぱりと切っている。知的で穏やかな双眸は銀縁眼鏡の向こう側だ。今年33歳だという。

「起立! 礼!」

 今日の日直の号令で室内のものが一斉に頭を下げる。それが終わると宮古先生は黒板の粉受けに視線を向けた。チョークを拾い上げようとしているのだろう。だがお目当てのものがなかったのか、チョークボックスを開いた。明快な舌打ちをする。

「白が折れてるじゃないか」

 教室中の全生徒の瞳に映る中、宮古先生は窓際の教卓に寄って引き出しを開け、新品の純白チョークを取り出した。満足そうに口元をほころばせる。

「やっぱりチョークは長くなきゃな」

 数学Aの授業で、またホームルームで、宮古先生はいつも折れていない、長いチョークを使いたがった。その方が書きやすいらしい。ちなみに使い込まれたチョークなら、多少の短さは我慢するそうだ。折れたチョークの持ちにくさ、書き心地の悪さが、特別嫌だということだ。前に言っていた。

 そんなことがあったのと、例の『血の涙事件』は平行して進んでいた。具体的には翌週月曜日の音楽の時間にショパンが壁から消え去ったのだ。そしてそれは火曜日の早朝に解決を見た。



 水曜日の朝、担任の宮古先生が入室してきた。純架も含め、生徒たちが一斉に着席する。起立と礼ののち、宮古先生は黒板に何か書こうとしてチョークを探した。

「またか?」

 その表情が明らかに険しくなる。粉受け、チョークボックスと見て、いよいよ厳しい顔つきになった。

「誰だ? また白のチョークを折ったのは」

 宮古先生は憤懣ふんまんやるかたない様子で、朝日が差し込む教室をひと渡り眺め回した。先週木曜日の夕方のホームルーム時にも同じことがあった。俺も、多分他の生徒も、もちろん宮古先生も、ようやくここで『誰かがチョークを折っている』ことを認識したのだ。

 宮古先生は教壇を軽く叩いた。

「先生は長いチョークが好きなんだ。それを知っていていちいち折るなんて、一体どういう了見だ。誰だ、犯人は」

 俺は首をすくめた。そんなことをする犯人が、このクラスの中にいるとは断定できないだろう。あるいは他の教師が、授業中に筆圧の強さで折っている……とは考えられないだろうか。だが俺の記憶では、昨日そんな真似をした教師は一人もいなかった。

 宮古先生はまた教卓から白い新品を取り出し、黒板に連絡事項を書き始めた。進路のプリントの提出期限と、今日の四時間目は自習との内容……なるほど。

 こちらを向いて室内を見渡す。と、宮古先生は紙飛行機を飛ばすようにチョークを構え、そのまま生徒たちの中へ放り投げた。それは宙に鮮やかな放物線を描き、机に突っ伏していて寝ていた純架の後頭部に命中した。

 出た、宮古先生必殺のチョーク投げ。今回で三回目だ。抜群のコントロールで、同僚や生徒たちから大変な支持を集めていた。

「あいたっ」

 純架が頭を押さえて上体を起こす。まだ夢の世界に半ば足を突っ込んでいるらしく、きょろきょろと辺りを見回す。クラス中から失笑が漏れた。宮古先生は真面目な顔で言った。

「桐木、せめて一日の始まりぐらいは居眠りするな。先生の話は退屈かもしれんが、無益ではないんだぞ」

 純架はよほど痛かったらしく、まだ頭の後ろ半分を手でさすっている。

「すみませんでした」



「僕は激怒しているよ、楼路君」

 昼休み、俺と純架は外のベンチで食事をしたためていた。純架は先に弁当箱を空にすると、俺にあっかんべーをしながら話しかけてくる。俺は彼の頬を張った。乾いた音が空に響く。純架は頬を押さえてまじまじと俺の顔を見た。どうしてビンタされたか分からないらしい。

「激怒しているって、何に対してだ」

 純架は頬をさすっていた。不当な暴力を受けたという不満をちらつかせている。こいつ、狂ってんのかよ。

「1年3組のチョークのことさ。誰が何のためにいちいち白い奴を折っているんだろうね?」

「知らねえよ。宮古先生に恨みを抱いてるどこかのいかれ頭じゃねえか? やり口が汚ねえっつうか、清々すがすがしくないよな」

「そいつのおかげで今朝は酷い目に遭った」

 後頭部を叩いて示す。

「朝のホームルームで食らったチョーク投げ、急所に当たったかどうか知らないけど、滅茶苦茶痛かったんだからね。もしチョークが使い込まれたり折れたりした短いものなら、こうまで衝撃はなかったはずだよ」

 当時を思い出したか、彼は改めて憤慨ふんがいを露わにした。どうやら豊富な黒髪はチョークの勢いを全く減殺げんさいしなかったようだ。俺は笑殺した。

「お前が寝てたのがそもそも悪いんじゃねえか」

 純架はいたって真剣に、街頭演説する政治家のように語る。彼にしか見えない支援者に手を振ったのはいき過ぎではなかろうか。

「僕は昨日の疲れをいやしていただけさ。すぐ起きるつもりだったんだよ」

「どうだか……」

「ともかく!」

 純架は立ち上がり、握り拳を打ち振るった。議員というより革命家の気分に浸っているようだ。

「誰もチョークを折らなければ、今回僕を見舞った大惨事は防げたはずなんだ。少なくとも僕の痛みは、高層ビルの倒壊クラスではなく犬小屋の横転クラスで済んだに決まってる。宮古先生は目当てのチョークが折られていたから、新品で最も長い、つまり命中するととてつもなく痛いそれを用いたわけだからね」

 妙な理屈だ。俺は勝手に放言させておいて、さっさと飯を進めた。純架は気づかずに続ける。

「僕はチョーク折りの犯人を許さないよ、絶対に。これは何としても突き止めなければね。『探偵同好会』、始動だよ!」

「始動って、俺たち2人だけだけどな」

 そのとき見知った顔が歩いてきた。いきなり毒々しい声が聴覚に攻め込んでくる。

「あ、お前!」

 血の涙を演出して畑中先生を追い詰めた、2年生2人組――三つ編みの山岸先輩ときつい目の海藤先輩だった。どこかで弁当を使った帰りらしく、軽そうな鞄を提げている。
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