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番外編・散歩/初詣01
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■散歩
秋が最盛期を迎えた頃だった。父さんや母さん、それから弁護士の方の同席のもと、僕は記者会見の場に座らされた。物凄い数の記者の視線、目が痛くなるようなフラッシュの爆撃を前に、油断したことへの反省、遭難したことへの謝罪、救助してくれた人々への感謝を口にする。そうした気持ちは嘘ではなかったけれども、SNSで散々叩かれ、ボロクソに書き倒されたことを思うと、何だか馬鹿馬鹿しくなってきた。
拷問から解放されたときは、外の新鮮な空気がとても美味しく感じられた。
「小石さん、ただいま。どう、一緒に散歩に行かない?」
帰宅した僕は、いの一番に小石さんに話しかけた。スマホを充電器に接続して放置する。
散歩。今まで小石さんを外に連れ出すことはなかった。小石さんはこの場所から遠い遠い景色を『見る』ことができる。だから別に僕と散歩なんかせずともよかったのだが……
「はい、行きます! 楽しみです」
僕はマスコミの苛烈な取材で、精神的にまいっていた。その気晴らしをしたかったのだ。彼女はそれを汲んでくれたみたいだ。ごめんね、小石さん。でも僕が小石さんの注意をあちこちに向けさせることで、彼女が新たな発見をすることも、ないとは言い切れない。この散策はお互いにとって有益なはずだった。
「それじゃ、ちょっと待ってて」
僕は鏡の前に立った。短く刈り込んだ茶色い髪と、小学生と間違われるほどの童顔が映っている。顔立ちは友人に言わせれば「元気はつらつ」で、すっきりした鼻は特に健康的だそうだ。ちょっと撫で肩で、今は県立狭見川中学校の黒い学ランを着ている。僕はそれを脱ぎ捨てると、白いシャツ、パーカー、デニムを身にまとい、ポケットに小石さんを入れた。
「ちょっと狭いけど我慢してね、小石さん」
小石さんは不満など述べなかった。浮き浮きと闊達にしゃべる。
「私には触覚がないですから、広いも狭いもないですよ。途中で落っことしたりしないよう気をつけてくださいね」
「うん、分かってるよ」
僕らは外に繰り出した。
「今日はよく晴れてますね。鳥さんたちが『ごきげんよう』と言ってます」
「へえ、あのツバメが……」
「篤彦さんは車を運転できないんですか? 篤彦さんのご両親のように」
「無理だってば。もっと年齢を重ねないと免許すら取れないよ」
「あのおじいさんが売っている、あの変な生き物は何ですか?」
「ああ、あれはタコだよ。そっか、海を知らないんだね、小石さんは」
小石さんの声は僕の脳内に響き渡る。それはいい。問題は、僕がそれに対する返事を声帯から発しなきゃならないってことだ。周囲から見れば、笑顔で歩きながら意味不明の独り言をぶつぶつつぶやく少年、と映るだろう。実際、気味悪そうな視線が僕の五体を串刺しにしている。僕は恥ずかしくていたたまれなくて、亀のように首を縮こまらせて足早に歩いていった。
それに気がついたのだろう、小石さんが申し訳なさそうな声を出す。
「あの、篤彦さん。ひょっとして迷惑じゃないですか?」
僕は急いで首を振った。小石さんを嫌な気分にさせるために散歩をしているんじゃない。それだけは分かってほしかった。
「とんでもない。新しくできた友達に街を紹介するのなんて、本当に楽しい出来事だよ。そりゃ多少、周囲から奇異の目で見られるけどもさ。そんなの言いたいやつには言わせておけばいいんだ」
もっと落ち着いていて、小石さんが楽しめるような娯楽はないか。僕はうんうん頭をひねった。脳内の豆電球が突如発光する。
「映画だ! 小石さん、映画館に行こう。僕の家からでも、映画館は『見える』よね。あの、大勢の人間がたくさんの椅子にぎゅうぎゅう詰めに座って、巨大なスクリーンの映像を見るやつ」
小石さんが明るく返してきた。
「はい、それならこの前しばらく観察してました。何か垂れ幕のような画面に物語が映し出されるものですよね。文字は分かりませんし、会話範囲内じゃないから音も聞けませんので、何だかよく分かりませんでした」
「それは好都合だよ」
僕は薄い財布を取り出した。中身に千円札数枚が入っていることを確認する。
「じゃ、二人で観よう。一人分の代金でね!」
それから数時間後。僕はポケットに小石さんを入れたまま、スクリーンに浮かぶ『THEEND』の文字が消え去るのを眺めていた。スタッフロールは最後まで観る派なのである。劇場内に照明の明かりが戻り、急に物語の世界から現実へと引きずり戻された。
他の客に続いて退場しながら、僕は小声で小石さんに話しかけた。まだクライマックスの興奮とエンディングの感動が、余燼となって胸にくすぶっている。
「ああ、楽しかった。小石さんは?」
「ええ、とっても楽しめました! 特に主人公の女の子が空を飛ぶ様は爽快でしたね」
「やっぱり観えてるんだね! 凄いや。喜んでくれたようで、来た甲斐があったよ」
僕は何度も満足の首肯をした。小石さんが言いにくそうに、ためらいがちに聞いてくる。
「あの……」
「ん?」
「私って、人間にしたらいくつぐらいの女の子なんでしょうか? 私の声で何か分かりませんか?」
ああ、そんなことか。女の子主人公を見ていて、何となく気になったんだろう。僕は出会ったときから変わらぬ印象を披露した。
「そうだなあ……聞いた感じ、少しお姉さんなのかな、って思うけど……」
「お姉さん?」
「少し年上の子。とても優しくて、繊細で……。あの映画の主人公のような底抜けな陽気さはないけれど……落ち着いてて、とてもいい声音。僕はそう思うよ」
秋が最盛期を迎えた頃だった。父さんや母さん、それから弁護士の方の同席のもと、僕は記者会見の場に座らされた。物凄い数の記者の視線、目が痛くなるようなフラッシュの爆撃を前に、油断したことへの反省、遭難したことへの謝罪、救助してくれた人々への感謝を口にする。そうした気持ちは嘘ではなかったけれども、SNSで散々叩かれ、ボロクソに書き倒されたことを思うと、何だか馬鹿馬鹿しくなってきた。
拷問から解放されたときは、外の新鮮な空気がとても美味しく感じられた。
「小石さん、ただいま。どう、一緒に散歩に行かない?」
帰宅した僕は、いの一番に小石さんに話しかけた。スマホを充電器に接続して放置する。
散歩。今まで小石さんを外に連れ出すことはなかった。小石さんはこの場所から遠い遠い景色を『見る』ことができる。だから別に僕と散歩なんかせずともよかったのだが……
「はい、行きます! 楽しみです」
僕はマスコミの苛烈な取材で、精神的にまいっていた。その気晴らしをしたかったのだ。彼女はそれを汲んでくれたみたいだ。ごめんね、小石さん。でも僕が小石さんの注意をあちこちに向けさせることで、彼女が新たな発見をすることも、ないとは言い切れない。この散策はお互いにとって有益なはずだった。
「それじゃ、ちょっと待ってて」
僕は鏡の前に立った。短く刈り込んだ茶色い髪と、小学生と間違われるほどの童顔が映っている。顔立ちは友人に言わせれば「元気はつらつ」で、すっきりした鼻は特に健康的だそうだ。ちょっと撫で肩で、今は県立狭見川中学校の黒い学ランを着ている。僕はそれを脱ぎ捨てると、白いシャツ、パーカー、デニムを身にまとい、ポケットに小石さんを入れた。
「ちょっと狭いけど我慢してね、小石さん」
小石さんは不満など述べなかった。浮き浮きと闊達にしゃべる。
「私には触覚がないですから、広いも狭いもないですよ。途中で落っことしたりしないよう気をつけてくださいね」
「うん、分かってるよ」
僕らは外に繰り出した。
「今日はよく晴れてますね。鳥さんたちが『ごきげんよう』と言ってます」
「へえ、あのツバメが……」
「篤彦さんは車を運転できないんですか? 篤彦さんのご両親のように」
「無理だってば。もっと年齢を重ねないと免許すら取れないよ」
「あのおじいさんが売っている、あの変な生き物は何ですか?」
「ああ、あれはタコだよ。そっか、海を知らないんだね、小石さんは」
小石さんの声は僕の脳内に響き渡る。それはいい。問題は、僕がそれに対する返事を声帯から発しなきゃならないってことだ。周囲から見れば、笑顔で歩きながら意味不明の独り言をぶつぶつつぶやく少年、と映るだろう。実際、気味悪そうな視線が僕の五体を串刺しにしている。僕は恥ずかしくていたたまれなくて、亀のように首を縮こまらせて足早に歩いていった。
それに気がついたのだろう、小石さんが申し訳なさそうな声を出す。
「あの、篤彦さん。ひょっとして迷惑じゃないですか?」
僕は急いで首を振った。小石さんを嫌な気分にさせるために散歩をしているんじゃない。それだけは分かってほしかった。
「とんでもない。新しくできた友達に街を紹介するのなんて、本当に楽しい出来事だよ。そりゃ多少、周囲から奇異の目で見られるけどもさ。そんなの言いたいやつには言わせておけばいいんだ」
もっと落ち着いていて、小石さんが楽しめるような娯楽はないか。僕はうんうん頭をひねった。脳内の豆電球が突如発光する。
「映画だ! 小石さん、映画館に行こう。僕の家からでも、映画館は『見える』よね。あの、大勢の人間がたくさんの椅子にぎゅうぎゅう詰めに座って、巨大なスクリーンの映像を見るやつ」
小石さんが明るく返してきた。
「はい、それならこの前しばらく観察してました。何か垂れ幕のような画面に物語が映し出されるものですよね。文字は分かりませんし、会話範囲内じゃないから音も聞けませんので、何だかよく分かりませんでした」
「それは好都合だよ」
僕は薄い財布を取り出した。中身に千円札数枚が入っていることを確認する。
「じゃ、二人で観よう。一人分の代金でね!」
それから数時間後。僕はポケットに小石さんを入れたまま、スクリーンに浮かぶ『THEEND』の文字が消え去るのを眺めていた。スタッフロールは最後まで観る派なのである。劇場内に照明の明かりが戻り、急に物語の世界から現実へと引きずり戻された。
他の客に続いて退場しながら、僕は小声で小石さんに話しかけた。まだクライマックスの興奮とエンディングの感動が、余燼となって胸にくすぶっている。
「ああ、楽しかった。小石さんは?」
「ええ、とっても楽しめました! 特に主人公の女の子が空を飛ぶ様は爽快でしたね」
「やっぱり観えてるんだね! 凄いや。喜んでくれたようで、来た甲斐があったよ」
僕は何度も満足の首肯をした。小石さんが言いにくそうに、ためらいがちに聞いてくる。
「あの……」
「ん?」
「私って、人間にしたらいくつぐらいの女の子なんでしょうか? 私の声で何か分かりませんか?」
ああ、そんなことか。女の子主人公を見ていて、何となく気になったんだろう。僕は出会ったときから変わらぬ印象を披露した。
「そうだなあ……聞いた感じ、少しお姉さんなのかな、って思うけど……」
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