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番外編・散歩/初詣02
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小石さんは安心したようなほっとしたような、なごんだ調子になった。
「はい……! よかったです」
映画館を出て帰路につく。まぶしい夕陽が短い昼間を締めくくろうとしていた。家路を急ぐ学生や主婦がすれ違ったり通り過ぎたりしていく。
そんな黄昏の頃合い、僕が急な階段に差しかかったときだった。
「うわっ!」
今まさに一段目を下りようとしたとき、僕はあの忌まわしき美野里山での遭難のとき同様、空足を踏んでしまったのだ。僕は宙を泳ぐような体勢から、どうにか体をひねり、手すりにしがみつく。助かった。
「あ、篤彦さん!」
信じられないことが目の前で起きている。小石さんが僕のポケットからこぼれ落ち、階段を跳ねて落下していたのだ。乾いた、甲高い音を連続で生じながら。
「小石さんっ!」
僕は顔から血の気が引くのを自覚した。慌てて段々を転落していく小石さんを追いかける。だが落下スピードの方が断然速く、僕は狂気に取りつかれたようにその後を駆けていった。
結局、階段の終わりまで小石さんは止まらなかった。アスファルトの上、マンホールのすぐそばまで転がって、ようやく静止する。僕は息を切らし、心臓をばくばく鳴らし、急いで走り寄った。無我夢中で小石さんを掴み上げる。
「大丈夫? 小石さん!」
少しの間があった。それは永劫にも思える刹那のときだった。
「はい、大丈夫……みたいです」
元気そうな声に、僕は安堵と疲労でへなへなとしゃがみ込んだ。一応破損はないかと、小石さんを裏表観察する。不思議なことに、あれだけ高い位置から階段を転げ落ちたのに、小石さんの体には傷一つ見当たらなかった。
「凄いや……。どう見てもただの石なのに、まるでダイヤモンドみたいな硬さだ」
「心配しました?」
「う、うん。すっごく。……ごめんよ、小石さん。もう二度とこんなへまはやらないから。本当に、すみませんでした」
小石さんはくすくす笑う。
「いいんですよ。私自身、自分を収めているこの石が、こんなに頑丈だなんて思いもよりませんでした。ちょっとびっくりしちゃいましたけど、結果オーライです」
日没は近い。だいだい色の光線が街を茜色に染め上げている。また一日が終わろうとしていた。
僕は小石さんを、今度はポケットの奥深くに突っ込んだ。上からぽん、と叩く。
「最後は大変だったけど、今日は楽しかった。また散歩しようよ、小石さん」
「はい、喜んで!」
■初詣
新年の最初の日、僕は小石さんをポケットに入れて、近所の神社に初詣に出かけた。白いコートを羽織って防寒着とし、手袋とマフラーも忘れない。
「神様にお祈りするんですね?」
「そうだよ。何を願ってもいいんだ。僕はもちろん合格祈願だね。小石さんも今のうちに何を拝むか考えておいてよ」
「私もお祈りしていいんですか?」
「もちろん。賽銭は僕が受け持つから、遠慮なく好きなことを、ね」
「ええっ、悪いですよ。お金は大事なものなんでしょう?」
「大事なものだからこそ、大事なときに使うんだよ。小石さん、君は僕の友達であり命の恩人なんだ。助けてくれたお礼も兼ねて、ここは僕の言うとおりにしてよ」
「そ、そうですか……。願いごと、願いごと……」
周辺の大人や子供たちが晴天の下、同じ目的でくり出している。鈴撞きのための、参道に伸びる長い行列の最後尾に、僕らは並んだ。あったかい格好で来てよかった。目の前の中年夫妻は、見るからに薄着で、さっきから胴震いを止められないでいる。
列が進み、角を曲ると巨大な赤い鳥居が視界に飛び込んできた。僕は一礼して小声でささやく。
「小石さん、この鳥居を見て何か思うところはないかい? 君の入っていた小箱は、鳥居の近くのほこらに置かれていてさ。きっと誰かが捧げたものだと思うんだよね。記憶はやっぱり戻らない?」
「はい……。でもこの建造物は、私がいたところのものよりずっと大きいですね」
「これが普通なんだよ。近くの山に行けばもっと大きい神社があってさ、より巨大な鳥居もあるよ」
さらに列は進み、手水舎で手と口を清めた。その後とうとう拝殿に到達し、階段に足をかける。いよいよだ。
「もう願いごとは決めた?」
「待ってください……。ちょっと思考がまとまらなくて……どうしましょう……」
寒がっていた夫妻が祈りを終えて立ち去る。さあ、僕らの番だ。奮発した千円札2枚――1枚は僕の分、もう1枚は小石さんの分――を賽銭箱に静かに投げ入れる。目の前に垂れ下がる綱を引くと、重いような軽いような、中途半端な短い音が、頭上の鈴から降り注いできた。
二礼二拍。僕は型どおりに祈願した。最後に一礼する。
「篤彦さん、これは?」
「作法どおりに神様に祈ったんだよ。常成高校に合格させてください、ってね。さあ、次は小石さんの番だ。どうぞ!」
「わ、分かりました!」
小石さんはしばらく無言の時間を持った。とはいえそれは長くなく、「はい、終わりました」との力の抜けた声が僕の頭に響く。僕は列を離れ、階段を下り始めた。
「その……。言いたくなかったら、別にいいんだけどさ。小石さん、何を願ったの?」
朗らかな返事が返ってきた。
「篤彦さんが常成高校に合格しますように、ってお祈りしました」
僕の心がじんと熱くなる。
「小石さん……ぷっ」
僕は吹き出し、笑い出した。全く、小石さんらしいや。
「あ、あの、変でしたか? ご迷惑でしたか?」
「……いいや。うん、最高のお願いだよ! ありがとう」
僕は目尻を指で拭いながら、合格祈願のお守りを買いに、さわやかな気分で歩き出した。
「はい……! よかったです」
映画館を出て帰路につく。まぶしい夕陽が短い昼間を締めくくろうとしていた。家路を急ぐ学生や主婦がすれ違ったり通り過ぎたりしていく。
そんな黄昏の頃合い、僕が急な階段に差しかかったときだった。
「うわっ!」
今まさに一段目を下りようとしたとき、僕はあの忌まわしき美野里山での遭難のとき同様、空足を踏んでしまったのだ。僕は宙を泳ぐような体勢から、どうにか体をひねり、手すりにしがみつく。助かった。
「あ、篤彦さん!」
信じられないことが目の前で起きている。小石さんが僕のポケットからこぼれ落ち、階段を跳ねて落下していたのだ。乾いた、甲高い音を連続で生じながら。
「小石さんっ!」
僕は顔から血の気が引くのを自覚した。慌てて段々を転落していく小石さんを追いかける。だが落下スピードの方が断然速く、僕は狂気に取りつかれたようにその後を駆けていった。
結局、階段の終わりまで小石さんは止まらなかった。アスファルトの上、マンホールのすぐそばまで転がって、ようやく静止する。僕は息を切らし、心臓をばくばく鳴らし、急いで走り寄った。無我夢中で小石さんを掴み上げる。
「大丈夫? 小石さん!」
少しの間があった。それは永劫にも思える刹那のときだった。
「はい、大丈夫……みたいです」
元気そうな声に、僕は安堵と疲労でへなへなとしゃがみ込んだ。一応破損はないかと、小石さんを裏表観察する。不思議なことに、あれだけ高い位置から階段を転げ落ちたのに、小石さんの体には傷一つ見当たらなかった。
「凄いや……。どう見てもただの石なのに、まるでダイヤモンドみたいな硬さだ」
「心配しました?」
「う、うん。すっごく。……ごめんよ、小石さん。もう二度とこんなへまはやらないから。本当に、すみませんでした」
小石さんはくすくす笑う。
「いいんですよ。私自身、自分を収めているこの石が、こんなに頑丈だなんて思いもよりませんでした。ちょっとびっくりしちゃいましたけど、結果オーライです」
日没は近い。だいだい色の光線が街を茜色に染め上げている。また一日が終わろうとしていた。
僕は小石さんを、今度はポケットの奥深くに突っ込んだ。上からぽん、と叩く。
「最後は大変だったけど、今日は楽しかった。また散歩しようよ、小石さん」
「はい、喜んで!」
■初詣
新年の最初の日、僕は小石さんをポケットに入れて、近所の神社に初詣に出かけた。白いコートを羽織って防寒着とし、手袋とマフラーも忘れない。
「神様にお祈りするんですね?」
「そうだよ。何を願ってもいいんだ。僕はもちろん合格祈願だね。小石さんも今のうちに何を拝むか考えておいてよ」
「私もお祈りしていいんですか?」
「もちろん。賽銭は僕が受け持つから、遠慮なく好きなことを、ね」
「ええっ、悪いですよ。お金は大事なものなんでしょう?」
「大事なものだからこそ、大事なときに使うんだよ。小石さん、君は僕の友達であり命の恩人なんだ。助けてくれたお礼も兼ねて、ここは僕の言うとおりにしてよ」
「そ、そうですか……。願いごと、願いごと……」
周辺の大人や子供たちが晴天の下、同じ目的でくり出している。鈴撞きのための、参道に伸びる長い行列の最後尾に、僕らは並んだ。あったかい格好で来てよかった。目の前の中年夫妻は、見るからに薄着で、さっきから胴震いを止められないでいる。
列が進み、角を曲ると巨大な赤い鳥居が視界に飛び込んできた。僕は一礼して小声でささやく。
「小石さん、この鳥居を見て何か思うところはないかい? 君の入っていた小箱は、鳥居の近くのほこらに置かれていてさ。きっと誰かが捧げたものだと思うんだよね。記憶はやっぱり戻らない?」
「はい……。でもこの建造物は、私がいたところのものよりずっと大きいですね」
「これが普通なんだよ。近くの山に行けばもっと大きい神社があってさ、より巨大な鳥居もあるよ」
さらに列は進み、手水舎で手と口を清めた。その後とうとう拝殿に到達し、階段に足をかける。いよいよだ。
「もう願いごとは決めた?」
「待ってください……。ちょっと思考がまとまらなくて……どうしましょう……」
寒がっていた夫妻が祈りを終えて立ち去る。さあ、僕らの番だ。奮発した千円札2枚――1枚は僕の分、もう1枚は小石さんの分――を賽銭箱に静かに投げ入れる。目の前に垂れ下がる綱を引くと、重いような軽いような、中途半端な短い音が、頭上の鈴から降り注いできた。
二礼二拍。僕は型どおりに祈願した。最後に一礼する。
「篤彦さん、これは?」
「作法どおりに神様に祈ったんだよ。常成高校に合格させてください、ってね。さあ、次は小石さんの番だ。どうぞ!」
「わ、分かりました!」
小石さんはしばらく無言の時間を持った。とはいえそれは長くなく、「はい、終わりました」との力の抜けた声が僕の頭に響く。僕は列を離れ、階段を下り始めた。
「その……。言いたくなかったら、別にいいんだけどさ。小石さん、何を願ったの?」
朗らかな返事が返ってきた。
「篤彦さんが常成高校に合格しますように、ってお祈りしました」
僕の心がじんと熱くなる。
「小石さん……ぷっ」
僕は吹き出し、笑い出した。全く、小石さんらしいや。
「あ、あの、変でしたか? ご迷惑でしたか?」
「……いいや。うん、最高のお願いだよ! ありがとう」
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