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緋糸たぐる御伽姫

23.街歩き-下町の食堂

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「…誰も来ないな」
「…来ませんね」

 集合場所であると聞いた東門のアーチの下に、メアリとレイバックが並んで立っていた。雨はいまだ止むことなく降り続いている。時刻は集合時刻である11時半を回った所であるが、見知った顔は誰も現れる気配がない。

「来る門を間違えただろうか」
「いえ。東門に変更になったと、確かにマルコーは言っておりました」

 レイバックの頭にとある可能性がよぎる。もしやマルコーにはめられたのか。頭の回る人間が全くの嘘を述べるとも思えないから、恐らく予定していた食堂が休業であったことは本当だ。しかしマルコーは変更となった集合場所を、メアリとレイバックにだけ偽って伝えたのだ。そうした理由など容易に想像がつく。メアリとレイバックを2人きりにして、結婚への道のりを着実に歩ませるためだ。

 レイバックはいまだ雨を降らせる黒雲を見上げる。今からメアリと2人で別の門に向かい皆を探すことができない訳ではない。しかし魔獣園にある門は東西南北の全部で4つ。今いる東門を除いてもまだ3つの門が残されているのだ。比較的大きな食堂の立ち並ぶエリアと言えば北門付近であるが、シモンが人ごみを避けて別の門を選んでいる可能性もある。安易の移動は得策ではない。
 レイバックは黒雲から視線を落とし、隣に立つメアリの姿を眺めた。慣れぬ雨の中を歩いたために平靴の爪先は濡れ、ふくらはぎにも水飛沫が掛かっている。移動中は傘を差してはいたものの、華奢な肩はしっとりと濡れていた。雨により体温を奪われた身体は震え、先程から両手で腕を擦る仕草を繰り返している。雨に慣れぬメアリをこれ以上屋外に留め置くことは気の毒だ。

「メアリ姫。マルコーが集合場所を伝え間違えたのではないか?魔獣園には門が4つある。皆別の門に集合しているのだろう」
「…そうかもしれませんね。どうしましょう。今から別の門に向かいますか?」
「いや。どこか近間で食事を取り、後の立寄地で合流しよう。別門に向かったところで会える保証はないし、正午を越えると食堂はひどく混むんだ。もたもたしていると昼食を食べ損ねてしまう」
「皆様は心配なさらないでしょうか」
「シモンは俺が街歩きに慣れていることを知っている。俺とメアリ姫が行動を共にしていることはマルコーに知れているし、集合地点でいつまでも待ちはしないだろう」

 2人が揃ってはぐれたことはマルコーの策略なのだから、あちらはあちらで上手くやるだろう。続く言葉をレイバックは飲み込んだ。

「さて、そうと決まれば昼食だ。混む前に手近な店に入ろう。少し急いだ方が良いな」

 園内に建てられた時計は集合時刻の11時半を大きく回り、正午に近い頃となっている。腹を空かせた人々が食堂に殺到する時間に当たれば、簡単な昼食を取るまでに小一時間待たされることもざらにある。メアリという国賓が共にいる以上待ち時間は最低限に留めたいと、レイバックは魔獣園の風景に背を向ける。

「メアリ姫、行こうか」

 名を呼ばれたメアリは、緊張の面持ちでレイバックの背に続いた。東門を出て降りしきる雨の中に、2つの傘が開く。

***

 レイバックが選んだ昼食会場は、魔獣園の東門を出て2分ほど歩いた場所にある小さな食堂だった。一国の王と姫君と食事をするにはいささかお粗末。しかしメアリの青白い唇を見ていると贅沢も言っていられない。レイバックが木製の扉を押し開けると、扉の上部でカラコロと鈴のなる音がした。

「2人だが座れるか?」
「大丈夫ですよ。奥へどうぞ」

 幸いにも店内の席にはまだ空きがあった。2人掛けのテーブル席へと案内されたレイバックとメアリは、椅子に腰を下ろしてようやく一息をつく。すぐに女性店員が2人の元に水の注がれたグラスを運んできた。人間でいえば20歳半ばと見えるその女性店員は、ポトスの街中でも珍しい薄緑色の髪を有していた。雪のような白肌に、見る角度によって色彩を変える不思議な目の色をしている。魔族だと一目でわかる容姿だ。2つのグラスをテーブルに置いた女性店員が立ち去った後に、メアリは対面に座るレイバックに顔を寄せた。

「あの方は何という種族ですか?」
「精霊族のニンフという。踊りが得意な種族だと聞いた事がある。ポトスの街に暮らす者はあまり多くないな。国土の北方にニンフの暮らす精霊族の集落があるはずだ」
「ニンフ…ですか。綺麗なお方」

 メアリはしばらく店内を動き回るニンフの店員に見入っていた。しかしその内に興味深そうに店内のあちこちに視線を巡らせ始める。王族が下町の食堂に来る機会はない。古びた椅子に腰かける様々な種族の客人、厨房から飛び出す料理の完成を告げる声、テーブルの上で湯気を立てる料理。メアリにとっては何もかもが新鮮なのだ。

「メアリ姫。確認だが庶民の食堂を訪れた経験は?」
「初めてです」
「貴重な初体験に立ち会えて何よりだ。庶民の食堂では自分で食べる物を選ぶ必要がある。この食堂は一通りのメニューは揃っているが、何を頼む?」

 レイバックはテーブルの上に置いてあるメニュー表を指差す。メアリはじっくりと時間を掛けてメニュー表を上から下まで眺めるものの、やがて困ったように首を傾げる。

「名前だけではどんな料理かまるでわかりません。選んでいただいてもよろしいでしょうか?」
「ああ、そうしよう。苦手な食材はあるか」
「…恥ずかしながら生の玉ねぎは食べられません」
「実は俺も生野菜は好きではない。サラダを頼むのは止めようか」

 声を潜めて苦手を告白するメアリの表情が、必要以上に申し訳なさそうなものだから、レイバックは思わず笑みを零すのであった。

 ニンフの店員に注文を済ませた後、2人の間はしばし沈黙となる。レイバックは過去に何度かこの食堂を訪れた経験がある。定食メニューを頼めば給仕は早いが、今日は一品料理をいくつも頼んだから料理の到着にはいつもより時間が掛かるだろう。レイバックは壁時計を一瞥し、それから水を飲むメアリに視線を向けた。

「魔獣園ではどのエリアが一番楽しかった?」
「やはりキメラ館でしょうか。美しい生物ばかりではありませんでしたから、展示ガラスを覗き込むたびに胸がどきどきしました。人気を博している理由がわかります」
「キメラ館は常連客が多いエリアなんだ。魔獣は総じて寿命が長いから、鳥獣エリアや四足獣エリアの展示は滅多に入れ替わらない。しかし寿命が短いキメラは頻繁に展示が変わる。展示動物が死ぬと2,3日後には新しいキメラが入れられるから、お披露目を狙ってキメラ館に通う常連客も多いと聞く」
「わざわざお披露目に立ち会うのですか?」
「稀にお披露目後数時間で展示を取り下げられてしまうキメラがいるんだ。キメラは美しいだけの生物ではない。中には実験失敗により見るに堪えぬ容姿となった生物もいて、観覧客の苦情を受けて展示を取り下げることがある。そういったキメラは展示取り下げ後すぐに処分されてしまうから、お披露目を逃すと2度とお目にかかることはできない」
「…何だか可哀そうですね」

 目を伏せるメアリの後ろで、鈴の音と共に扉が開いた。2人組の客人。これで狭い店内の席は全て埋まってしまった。急いで正解だったとレイバックは息を吐く。

「レイバック様は魔獣やキメラにお詳しいですね。生き物が好きなのですか?」
「いや、俺は特に好きという訳でもないんだが…。知り合いに研究所に勤務する者がいてな。そいつが会うたびに魔法やら魔獣やらキメラやらの雑学を披露してくるものだから、いつの間にか知識が身についてしまった」

 レイバックの脳裏に浮かぶのは、昨晩見た友の顔である。客室のベッドの上の大の字になったゼータは物憂げな表情を浮かべていたが、レイバックが「明日は急遽使節団員の街歩きに同行する事になった。早朝から夕方まで王宮を空けるから、好きに過ごしていて構わない。魔法研究所に行っていても良いぞ」と伝えると途端に満面の笑みとなった。久々に何の憂いもなく自由の身だとはしゃぎ、ベッドの上で跳ね回るゼータの姿は、氷の上の海豹あざらしそのものであった。

「研究所の方というのは皆博学なのですね。私も図書室でお会いしましたよ。魔法や魔族について色々と教えていただきました」
「…図書室?聖ジルバード教会のか?」
「ええ。外交使節団として学ぶべき事が決まっておりませんから、空き時間は図書室に通っているんです」
「その出会った研究員というのは女性だろうか?」
「男性ですよ。ゼータ様というお方です。2度講義をしていただきましたが、博学でお話も上手でいらっしゃいました。ひょっとしてお知り合いですか?」
「…顔と名前程度は知っている。彼は国家直属の魔法研究所の研究員だ」

 仮初の妃候補とは言え、ルナとメアリは良好とは言い難い関係である。関係を掻き回す者が、あれこれ画策を図るマルコーであるにしろだ。偽り事は苦手だと自身で言っておきながら、なぜわざわざ危ない橋を渡っているのだと、レイバックは心中ゼータに文句を並べるのである。
 丁度その時、ニンフの店員が料理を運んできた。テーブルの上に次々と並べられる大衆料理、メアリは目を白黒させている。店員が去った後も、メアリは積極的に料理に手を伸ばす様子はなかった。大皿の上の料理にはどれも小鉢に入った調味料が添えられている。熱々の肉の塊は切り分けられていない。この食堂の料理は、給仕後に客が少しばかり手を加えなければ食べる事ができない物ばかりなのだ。味は良いが、厨房の調理員が物ぐさであるのが難点と評価される食堂だ
 レイバックは慣れた仕草で肉を切り分け、煮込み料理に小鉢の調味料を流し入れる。その様子をメアリは黙って眺めていた。何か手伝わねばと両手を浮かせてはいるものの、その手は空中で止まったままだ。結局レイバックがメアリの皿に料理を取り分けるまで、メアリの両手は不自然に身体の前に掲げられたままであった。

「申し訳ありません。全て任せてしまって…」
「慣れぬ場所に慣れぬ料理だ。気にするな。さぁ、冷めないうちに頂こう」

 レイバックが揚々とフォークを取れば、メアリもそれにならう。背筋を伸ばし料理に向かうメアリの姿は凛と美しく、豪華とは言い難い大衆料理の並ぶテーブルは一瞬で王宮の晩餐と化した。しかし淑女の振る舞いで小さな一口を口へと運んだメアリは、初めて食べる異国の大衆料理に子どものように顔を綻ばせるのだ。その姿があまりにも愛らしくて、レイバックの顔にも思わず笑みが零れる。
 質素な食堂の一角で、微笑みを交わすレイバックとメアリ。その姿は、束の間の逢瀬を楽しむ恋人同士のようにも見える。
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