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埋もれるほどの花びらを君に

3度目の密会

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 初対面から一夜明けた朝、レイバックは人を探し王宮内を練り歩いていた。探し人はといえば、本日一日行動を共にする予定のゼータ。7時頃歓談の間で朝食をとり、互いに私室に戻って以後行方が知れないのである。共同浴場や便所、食堂など思いつく場所は一通り巡り、気が付けば時刻は午前9時を目前にしている。本日午前中の予定は、アムレットとメアリを交えたポトス城内の散策だ。集合場所はアムレットらの客室、集合時刻は9時と昨日のうちに周知がされている。
 集合時刻を目前にして、ゼータは一体どこへ行ったのだ。やきもきしながら捜索を続けるも、結局レイバックが探し人を発見することは叶わなかった。

 集合時刻を5分ほど過ぎ、ゼータ捜索を諦めたレイバックは一人客室へと向かう。朝の挨拶とともに扉を開けば、客室の奥にある木製椅子にアムレットが腰かけていた。一房の乱れもなく撫でつけられた黒髪に、引き結ばれた薄い唇。背筋を伸ばし椅子に腰かける様は、几帳面を通り越し神経質とさえ感じさせる。窓から外を眺めていた様子のアムレットは、レイバックの入室に気が付くと軽く頭を下げた。

「レイバック様、おはようございます」
「アムレット殿。悪いが少し待ってもらえるか。ゼータが行方不明なんだ」
「ゼータ様でしたらすでに客室にお見えですよ」
「…ん?」
「メアリ様を引っ張って聖ジルバード教会の図書室に向かわれました。もう1時間半も前のことです」
「…んん?」

 レイバックは改めて壁に掛かる時計を仰ぎ見る。現在時刻は午前9時と少し。1時間半となれば午前7時半だ。つまりゼータは朝食を済ませたその足で客室を訪れ、同じく朝食を済ませたばかりであろうメアリを掻っ攫ったことになる。メアリ誘拐の目的は、思い出の地聖ジルバード教会で魔法談話に花咲かせるためと容易に想像がつく。しかしこの件について、レイバックはゼータから一切の報告を受けていない。誘拐は突発的な犯行だ。

「アムレット殿。ゼータは、集合時刻にここに戻ると言っていたか?」
「いえ、時間が惜しいので道中立ち寄って欲しいと仰っておりました」
「…埃塗れの図書室に迎えに来いということか。王と皇太子を相手に」
「つまりは、そういう事になります」

 己の妃の蛮行に軽い眩暈を覚え、レイバックは天井を仰いだ。一通り唸り通した後に視線を落とせば、一定の距離を保って置かれた2つのベッドが目に入る。きっちりと整えられた窓際のベッドはアムレットのもの。そして櫛や手鏡、化粧品が散らばったままのベッドはメアリのものだ。どうやらメアリは、身なりを整える最中に誘拐犯に襲われたらしい。目の前で婚約者を連れ去られるアムレットの心中は、果たしていかようであったのか。

「とりあえず外に出ようか。迎えに来いと言われてしまえば、行くしかあるまい」
「そのようですね、行きましょう」

 困り果てるレイバックとは裏腹に、アムレットの口元には微かな笑みが浮かんでいた。

 レイバックとアムレットは、雑談を交わしながら王宮を出た。門扉の前にある数段の階段を下り、道なりを北側へと向かえば目の前には荘厳な建物が見えてくる。6階建ての王宮を遥かに超える三角錐の屋根、鉄格子の付けられた半円形の窓の数は見えるだけでも50を軽く超える。幾度とない修繕の末に現在までその荘厳な姿を保つ、聖ジルバード教会がそこにある。

「こちらの建物が聖ジルバード教会でしたか。昨日広場を歩くうちに、珍しい造りの建物があるとは存じておりました」
「教会とは名ばかりで、大聖堂が図書室になっている以外はほとんどが廃墟だ」
「そうなのですか。綺麗な造りの建物ですから、民に解放すれば喜ばれましょうに。ロシャ王国では、教会と名の着く建物は結婚式場の定番でございますよ」

 目を細め、青空に霞む三角屋根を臨むアムレット。レイバックはからからと笑い声を立てた。

「ここで婚礼の儀を執り行う者などいやしない。すこぶる縁起の悪い場所だからな」

 アムレットは首を傾げるが、レイバックがそれ以上言葉を発することはなかった。

 聖ジルバード教会の表門は老朽化により閉ざされているため、建物内に出入りするためには教会南側にある勝手口を使う。勝手口を入ってすぐの場所には形だけの事務室があり、色味のない真っ新な廊下が奥へ奥へと延びている。廊下を付き辺りで右に折れ、左右開きの古びた木製門をくぐればそこはかつての大聖堂だ。とはいえ今その場所に神を奉るための祭壇などはなく、あるのは埃に塗れた大量の書物だけ。国内一の蔵書数を誇りながらも、雪のように舞い散る埃が人々を遠ざけ、余程の書物好きでなければ立ち入ることなどない場所だ。

「…物凄い量の書物です。それに黴臭い」
「掃除が行き届かなくてすまんな。書物好きの妃を迎えて以降、侍女に頼んで書庫内の整理整頓を進めてはいるんだが。あまりに長い期間放置されていたために、どこから手を付けて良いかわからないとの苦情が相次いでいる」
「ここにある書物は、今からどれほどの―」

 顔に降りかかる埃を手のひらで払い、アムレットはうず高く積まれた本の山を見上げた。そしてそのまま黙り込んだ。途端に無言となったアムレットの視線を追い、レイバックも本山を見上げる。そして思わず息を呑んだ。
 2人が見上げる先は、大聖堂の最奥にある巨大なステンドグラスだ。かつて祭壇があった大聖堂の最奥は、ドーム状の他とは区切られた空間になっている。そのドーム状の空間を囲うようにして、天井まで伸びる巨大なステンドグラスが埋め込まれているのだ。しかしレイバックとアムレットが揃って目を見張るのは、七色に輝くステンドグラスが美しかったからではない。陽灯りを透かし込むステンドグラスは当然美しいのだが、驚くべきは大聖堂の天井を覆うようにして虹が架かっていることだ。氷の欠片のようにきらきらと煌めくその虹は、七色のステンドグラスと重なり神秘的な美しさを醸し出している。なぜ、雨上がりでもないのに虹が架かっている。いや、そもそもここは室内だ。目の前の光景を俄かに信じることができず、硬直するレイバックとアムレットの耳に見知った声が聞こえてきた。

「ゼータ様、凄いです!本当に虹が架けられるだなんて」
「まだまだ、こんなものじゃないですよ。2か月掛けて練習したんですからね」

 ぱちん、と指を弾く音。小さな音は大聖堂の内部に殊の外大きく響き渡る。硬直から解けたレイバックとアムレットの頭上で、虹は七色の光の粒となった。幾万の光の粒は火の粉のように大聖堂を覆いつくし、そして次の瞬間跡形もなく消失した。ほんの一瞬の出来事であった。「室内に架かる虹が突如光の粒となり消失する」という常識では考えられぬ出来事を目の当たりにし、アムレットは完全に思考停止状態である。耳に届いた2人分の会話から、全ての経緯を把握したレイバックは、廃人状態のアムレットの肩を優しく叩く。

「アムレット殿、あれは魔法だ」
「魔法…」
「ゼータがメアリ姫相手に魔法を披露したんだろう。こそこそ部屋を空けることが多いとは思っていたが、まさか虹を掛ける練習をしていたとは…」

 アムレットとメアリの来国が決まって以降、ゼータは夜分や公休日に私室を空けることが多くなった。かばんに数冊の魔法書を詰め、こそこそと王宮を抜け出す様子が頻繁に目撃されたのだ。本人は誰にも気づかれずに脱出を試みているつもりであったようだが、千里眼にも等しいカミラの包囲網を掻い潜ることなど不可能に等しい。レイバックはカミラの密告により、ゼータの脱走はそれとなく把握していたのである。
 加えてここ1か月ほどのことだ。王宮の南方にある兵士の訓練場付近で、なぜか頻繁に虹の目撃情報が上がっていた。それも「虹が出ている」との人の言葉を聞き窓を見やれば、すでにそこに虹はないという不可思議な現象が頻発していたのだ。ゼータの脱走と摩訶不思議な虹の出現を結びつける者などいなかったが、今考えればあれは魔法の練習風景だったのだ。ロシャ王国から客人を迎えるべく、ゼータは密かに新たな魔法を会得していた。

 レイバックとアムレットは、足音を立てぬように大聖堂の最奥を目指した。ステンドグラスからの陽灯りが射し込むその場所に、図書室の書物を閲覧するための机と椅子が並べてあるのだ。本棚の陰に身を隠し、2人が閲覧席を覗き見れば、確かにその場所には人の姿があった。淡い黄色のワンピースをまとった薄茶髪の女性はメアリ、濃い橙色のワンピースをまとう黒髪の女性はゼータだ。閲覧席の机の上には大量の書物が積まれているから、彼女達は随分と長い事魔法談議に勤しんだ後のようだ。思いつく限りの魔法の知識を語り終え、満を持して虹の魔法を披露した、というところだろうか。
 手のひらの上に小さな虹を作り出すゼータと、指先で虹をつつき破顔のメアリ。遠巻きに2人の様子を眺めていたレイバックは、ぽつりと零す。

「…邪魔をするのも悪いだろうか」
「そのように感じます」

 ゼータとメアリがかつて図書室内でどのような出会いを遂げたのか、それはレイバックの知る由ではない。しかし密かに虹の魔法を会得していたことから考えれば、ゼータはメアリの来訪を心から楽しみにしていたのだ。「また私に魔法について教えていただけますか?」昨日のメアリの言葉からも、ロシャ王国の姫メアリと、魔法研究所の研究員ゼータが良好な関係を築いていた事実が伺える。1年と9か月前メアリとルナの間にあった確執など、雨上がりの虹のように綺麗さっぱり消え失せていた。彼女達の間には、彼女達にしか成し得ない関係がある。ならばこの場に邪魔者は無用。
 レイバックとアムレットは、物音を立てぬようにひっそりと図書室を後にしたのであった。
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