桜の森奇譚──宵待桜

さくら乃

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第壱話 桜の樹の下にて

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 桜の降りしきる夜だった。
 その美しい青年は、ただ独り立っていた。


       ☆  ☆


 その夜、私は、いつもは乗らない深夜のバスに乗った。自宅へと向かう最終のバスだ。
 大分疲れていたのか、眠りこけてしまい、気がつけば最寄りのバス停を通り越し、終点に着いてしまっていた。
 とは言え、十五分も歩けば、自宅まで戻ることが出来る。

 私は更に疲れが増すのを感じながら、今バスで通って来た道を、とぼとぼと引き返した。
 ふと、立ち止まり、通りを見渡す。

 両側に家の建ち並ぶ広い道。真っ直ぐな道のその先は緩やかにカーブし、そして、消える。両脇には低い植え込みが続き、等間隔で樹木が植わっている。
 乗っていたバスが回送車となり、私の横を通り過ぎてしまうと、全く人気もなく車の一台も通っておらず、しん……と静まり返るばかりだ。
 新興住宅地の整然とし過ぎる道に、街灯が点々と灯る。昼間とは全く違う様相に、何処か知らない世界へと続く道のように思えた。
 
 私は数秒そんな不可思議な感覚に襲われていたが、ハッと我に返った。
 ぶるっと身体が震えたのは、このひんやりとした空気のせいに違いない。昼間は春の暖かさを感じても、まだ夜には冷え込んでくる時期だ。


 さあ、早く帰ろう……。


 一歩を踏み出そうとしたその時、はらはらと白いものが舞っているのが眼の端に映った。


 雪……?


 そんな筈は、勿論なかった。こんな時期に雪なんて。
 それは、溶けることなく、舗装された歩道の上に落ちた。


 花びら……。
 桜の……?


 はらはら、はらはらと。
 後から、後から降ってくる。

 顔を上げ、花びらが降る先を見ると、そこには公園があった。
 

 公園か……。そう言えば、あったな。


 桜は、公園のフェンスの内側を、ぐるりと囲むように植わっていた。枝はフェンスを越え、外側にも伸びている。
 そこから、今もはらはらと花びらが舞い落ちている。

 私は、帰途とは逆の方向に歩んだ。吸い寄せられるように、公園へと向かう。

 何故だか、桜に呼ばれているような気がした。


 満開だ……。


 内側に入り、間近でみると、かなり圧倒的だ。
 桜は数種類あり、白っぼい花びら、濃いピンクの花びら、淡いピンクの花びら。葉が一緒に出ているものもある。
 それぞれが隣あった樹にまで枝を伸ばし、全て繋がっているようにさえ見える。


 いろんな桜があるんだな。染井吉野くらいしか知らない。


 じっと見ていると、胸の奥を羽で撫でられるような、微かな騒めきを感じる。


 夜の桜って……なんだか……。


 誰もいない寂しい夜の公園に、月光と街灯で白く浮かびあがる桜。
 まるで桜の花びら自体が発光しているかのように見える。

    
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