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――翌朝。
私とヴィンセントは、夏の離宮の小礼拝堂にいた。
真っ白な石を積んで作られたドーム状の部屋。床には美しいモザイクタイルが敷き詰められ、高い位置に空いた窓には色ガラスがはめられている。
全体的に素朴ではあるけれど、なんというか、本物感がすごい。
憧れホテルとして結婚雑誌に載るような式場に、この荘厳さは出せないだろう。
そんな場所に、私がいる。
不思議だ。本当に不思議だけれど、今の私には、これが現実。
信徒席には人の姿がなく、礼拝堂にいるのは、私とヴィンセントの他には神様だけ。
そう、今日の神父さん役は、太陽に似た金属製神像の前に立つ神様なのだ。
「書類上ではもう結婚しちゃってますから、ここでやる結婚式は形式的なものです。皇宮でももう一回披露宴をやらなきゃいけないかもしれませんが、ま、それはそれ。こういうこぢんまりした感じでやっとくのもいいでしょう」
現代的な眼鏡に色とりどりの光を受けながら、神様が言う。
「はい。大変ありがたいです」
私は緊張してうなずいた。
本日の衣装は、昨日のと基本的に構造は一緒。
神話風の白いドレスに、地面を引きずる長いヴェールだ。
ただしその作りはとんでもなく凝っていて、ドレスは波打つたびに夏の水面みたいなブルーのグラデーションを浮かべるし、ヴェールには満天の星々が金糸で縫い取られている。
ドレスに使われる金糸織りの帯にはこまかに砕かれた七色の宝石が縫い込まれ、ヴェールを抑えるティアラは本体が見えないくらい、全体が宝石に覆われていた。
生まれて初めて近くで見てわかったのだけれど、きちんとカットされた本物の宝石って、とんでもなくよく光る。まとうだけで、自分も輝ける存在になった気がする。
そーっと隣を見ると、ますますまぶしくて目が痛んだ。
隣に立つヴィンセントは、これまたいつもどおりの白基調の衣装なのだけれど、やっぱり刺繍と宝石の数が半端ではない。詰め襟の軍服めいた服に、刺繍で重くなった裾の長い上着を羽織り、ウエストを宝飾品のようなベルトで留めている。
舞台に上がるような格好なのに、少しもおかしくない。
こういう着飾り方って、肩幅も筋肉もあるひとがすると最高なんだな、としみじみ思う。
彼は穏やかで威厳ある顔に薄い笑みを浮かべ、神様を見下ろした。
「あなたに取り仕切ってもらえるとは、光栄です」
「あはは。もうすぐまた市井に紛れちゃいますけどね」
軽く笑う神様に、私はちょっと驚く。
「そうなんですか。せっかくだからお飾りとして宮殿にいてくれたらいいのに」
正直な本心を言うと、神様はなんだか嬉しそうな顔で私を見た。
「ちゃっかりしてるなあ。幸せそうで何よりですけど、とにかく式をしますよ」
「はい」
「承知しました」
私たちが同時に返すと、神様は私たちに語りかける。
「あなたがたは生まれた場所も違えば、性別も違う。違うものを見つめて生き、違うことを思い、違う人間として生きてきました。これからも、そのことは変えようがありません」
思ったよりも夢のないことを言う、というのが私の正直な感想だ。
私はヴィンセントと、完全に一緒のものになりたいのに。
神様は続ける。
「そのことをしっかり覚えていてください。まったく違う者たちが出会い、手を取り合い、相手を信じようと決めた奇跡を、しっかりと抱いていてください」
彼の言うことを聞いていると、今までのことが次々に思い出された。
最初の衝撃的な出会いから、ヴィンセントがひざまずいてくれたこと。
一緒に仕事したこと。皇帝にさらわれたこと。
短い間で、私たちはお互いを信じ合うことができた。
そうだね。それが、奇跡なんだ。
「あなたたちはここに、一生を共に生きる誓いを立てます。――異議のあるものは?」
神様が言う。私たちは、ほとんど同時に相手の手を探って、握りしめた。
そうしてそのまま、ふたりで言う。
「「ありません」」
「そう言ってくれると思っていました。永遠に、お幸せに!」
神様が今までの荘厳さを投げ捨てて、ごくごく明るく適当に言う。
私たちはぱっと顔を見合わせ、強く抱き合った。
一度、二度、三度唇を合わせたところで、ヴィンセントが顔を退く。
「――これ以上やると、このまま部屋に帰りたくなるな」
「私もです。行きましょう」
くすくすと笑い、私はヴィンセントの手を引いた。
ヴィンセントは大股で私の後についてくる。私はドレスをたくし上げ、ほとんど小走りで礼拝堂の扉に向かった。扉に手を伸ばそうとした直前に、両開きの扉が外へと開く。
明るい。空だ。
真っ青な空。その下に、真っ青な海!
「おめでとうございます!!」
「ご結婚、おめでとうございます!」
「末永くお幸せに!!」
口々に叫ぶ声がして、香りのいい花びらが舞う。
「ありがとう!」
「まるで花の嵐だな」
私たちは笑いながら、離宮の中庭に下りていく。
夏の離宮の中庭は、すっかりパーティー仕様になっていた。
石の城と城壁には色とりどりのリボンが飾られ、小さなブーケがさしこまれている。
みずみずしい花の香りに潮の香りと、柑橘類の爽やかな香りが入り交じって、高級な夏の香水みたいだ。
集まっているお客さんは、ヴィンセントと元皇帝のごくごく身内のみ。
ただし、身内と呼べるようなひとたちは、身分にかかわらず集まってもらった。古くからヴィンセントがお世話になっていた使用人さんたちが、庭に張られた天幕で酔っ払っているのが見える。夏の国の楽団が、異国情緒のある弦楽器を弾き鳴らしているのも素敵だ。
素敵なドレスのお嬢さんが隣を通り過ぎたとき、私はふと、彼女を目で追った。
彼女が何か、不思議なものを持っていたような気がしたからだ。
この世界に似つかわしくない、強い色味の――ボタン?
……♥ボタン……のはずは、ないか。
多分見間違いだろう。私は小さく首を振り、飲み物を受け取った。
気になる見間違いを記憶から追い払おうと、ヴィンセントをまじまじと見る。
「なんだ。どこか、おかしいか」
今さらそわっとして聞いてくるヴィンセントが愛おしい。
私はにっこりと笑って答える。
「いえ。私の旦那様、宇宙一美男子、というか……いい人間だなと思っていました」
ヴィンセントはきょとんとしたのち、顎を撫でてしばし考えこんだ。
「ふむ。私が世界一いい人間なら……お前はもう、神の使いだな」
考えたあげく言ったのは、そんなことで。
私は思わず、まったく女帝らしくない笑い声をあげてしまう。
「あはははは! 実際、神様からもらったアレを持ってましたしね!」
アレ。すなわち、♥のマークのボタン。
ヴィンセントもあれを思い出したらしく、ものすごく複雑な表情をした。
「アレは、そうだな。うむ。忘れよう」
「はい、忘れました」
私も深くうなずく。たとえまた♥ボタンが手に入ったとしても、もう押すことはないだろう。
私たちは、そんなものなしでも生きていける世界にたどりついたのだ。
改めてヴィンセントを見つめ、心をこめて、丁寧に言う。
「私は、あなたがいればそれで充分です」
ヴィンセントは私の腰を抱き、私が大好きな微笑みで答えてくれる。
「しあわせにする。この世界の美しさを、いやというほど見せてやる」
そう言うあなたは美しく、背景も含めて、一枚の絵のようで。
この世界の美しさのすべては、もうとっくに、私の目の前にあるのだった。
私とヴィンセントは、夏の離宮の小礼拝堂にいた。
真っ白な石を積んで作られたドーム状の部屋。床には美しいモザイクタイルが敷き詰められ、高い位置に空いた窓には色ガラスがはめられている。
全体的に素朴ではあるけれど、なんというか、本物感がすごい。
憧れホテルとして結婚雑誌に載るような式場に、この荘厳さは出せないだろう。
そんな場所に、私がいる。
不思議だ。本当に不思議だけれど、今の私には、これが現実。
信徒席には人の姿がなく、礼拝堂にいるのは、私とヴィンセントの他には神様だけ。
そう、今日の神父さん役は、太陽に似た金属製神像の前に立つ神様なのだ。
「書類上ではもう結婚しちゃってますから、ここでやる結婚式は形式的なものです。皇宮でももう一回披露宴をやらなきゃいけないかもしれませんが、ま、それはそれ。こういうこぢんまりした感じでやっとくのもいいでしょう」
現代的な眼鏡に色とりどりの光を受けながら、神様が言う。
「はい。大変ありがたいです」
私は緊張してうなずいた。
本日の衣装は、昨日のと基本的に構造は一緒。
神話風の白いドレスに、地面を引きずる長いヴェールだ。
ただしその作りはとんでもなく凝っていて、ドレスは波打つたびに夏の水面みたいなブルーのグラデーションを浮かべるし、ヴェールには満天の星々が金糸で縫い取られている。
ドレスに使われる金糸織りの帯にはこまかに砕かれた七色の宝石が縫い込まれ、ヴェールを抑えるティアラは本体が見えないくらい、全体が宝石に覆われていた。
生まれて初めて近くで見てわかったのだけれど、きちんとカットされた本物の宝石って、とんでもなくよく光る。まとうだけで、自分も輝ける存在になった気がする。
そーっと隣を見ると、ますますまぶしくて目が痛んだ。
隣に立つヴィンセントは、これまたいつもどおりの白基調の衣装なのだけれど、やっぱり刺繍と宝石の数が半端ではない。詰め襟の軍服めいた服に、刺繍で重くなった裾の長い上着を羽織り、ウエストを宝飾品のようなベルトで留めている。
舞台に上がるような格好なのに、少しもおかしくない。
こういう着飾り方って、肩幅も筋肉もあるひとがすると最高なんだな、としみじみ思う。
彼は穏やかで威厳ある顔に薄い笑みを浮かべ、神様を見下ろした。
「あなたに取り仕切ってもらえるとは、光栄です」
「あはは。もうすぐまた市井に紛れちゃいますけどね」
軽く笑う神様に、私はちょっと驚く。
「そうなんですか。せっかくだからお飾りとして宮殿にいてくれたらいいのに」
正直な本心を言うと、神様はなんだか嬉しそうな顔で私を見た。
「ちゃっかりしてるなあ。幸せそうで何よりですけど、とにかく式をしますよ」
「はい」
「承知しました」
私たちが同時に返すと、神様は私たちに語りかける。
「あなたがたは生まれた場所も違えば、性別も違う。違うものを見つめて生き、違うことを思い、違う人間として生きてきました。これからも、そのことは変えようがありません」
思ったよりも夢のないことを言う、というのが私の正直な感想だ。
私はヴィンセントと、完全に一緒のものになりたいのに。
神様は続ける。
「そのことをしっかり覚えていてください。まったく違う者たちが出会い、手を取り合い、相手を信じようと決めた奇跡を、しっかりと抱いていてください」
彼の言うことを聞いていると、今までのことが次々に思い出された。
最初の衝撃的な出会いから、ヴィンセントがひざまずいてくれたこと。
一緒に仕事したこと。皇帝にさらわれたこと。
短い間で、私たちはお互いを信じ合うことができた。
そうだね。それが、奇跡なんだ。
「あなたたちはここに、一生を共に生きる誓いを立てます。――異議のあるものは?」
神様が言う。私たちは、ほとんど同時に相手の手を探って、握りしめた。
そうしてそのまま、ふたりで言う。
「「ありません」」
「そう言ってくれると思っていました。永遠に、お幸せに!」
神様が今までの荘厳さを投げ捨てて、ごくごく明るく適当に言う。
私たちはぱっと顔を見合わせ、強く抱き合った。
一度、二度、三度唇を合わせたところで、ヴィンセントが顔を退く。
「――これ以上やると、このまま部屋に帰りたくなるな」
「私もです。行きましょう」
くすくすと笑い、私はヴィンセントの手を引いた。
ヴィンセントは大股で私の後についてくる。私はドレスをたくし上げ、ほとんど小走りで礼拝堂の扉に向かった。扉に手を伸ばそうとした直前に、両開きの扉が外へと開く。
明るい。空だ。
真っ青な空。その下に、真っ青な海!
「おめでとうございます!!」
「ご結婚、おめでとうございます!」
「末永くお幸せに!!」
口々に叫ぶ声がして、香りのいい花びらが舞う。
「ありがとう!」
「まるで花の嵐だな」
私たちは笑いながら、離宮の中庭に下りていく。
夏の離宮の中庭は、すっかりパーティー仕様になっていた。
石の城と城壁には色とりどりのリボンが飾られ、小さなブーケがさしこまれている。
みずみずしい花の香りに潮の香りと、柑橘類の爽やかな香りが入り交じって、高級な夏の香水みたいだ。
集まっているお客さんは、ヴィンセントと元皇帝のごくごく身内のみ。
ただし、身内と呼べるようなひとたちは、身分にかかわらず集まってもらった。古くからヴィンセントがお世話になっていた使用人さんたちが、庭に張られた天幕で酔っ払っているのが見える。夏の国の楽団が、異国情緒のある弦楽器を弾き鳴らしているのも素敵だ。
素敵なドレスのお嬢さんが隣を通り過ぎたとき、私はふと、彼女を目で追った。
彼女が何か、不思議なものを持っていたような気がしたからだ。
この世界に似つかわしくない、強い色味の――ボタン?
……♥ボタン……のはずは、ないか。
多分見間違いだろう。私は小さく首を振り、飲み物を受け取った。
気になる見間違いを記憶から追い払おうと、ヴィンセントをまじまじと見る。
「なんだ。どこか、おかしいか」
今さらそわっとして聞いてくるヴィンセントが愛おしい。
私はにっこりと笑って答える。
「いえ。私の旦那様、宇宙一美男子、というか……いい人間だなと思っていました」
ヴィンセントはきょとんとしたのち、顎を撫でてしばし考えこんだ。
「ふむ。私が世界一いい人間なら……お前はもう、神の使いだな」
考えたあげく言ったのは、そんなことで。
私は思わず、まったく女帝らしくない笑い声をあげてしまう。
「あはははは! 実際、神様からもらったアレを持ってましたしね!」
アレ。すなわち、♥のマークのボタン。
ヴィンセントもあれを思い出したらしく、ものすごく複雑な表情をした。
「アレは、そうだな。うむ。忘れよう」
「はい、忘れました」
私も深くうなずく。たとえまた♥ボタンが手に入ったとしても、もう押すことはないだろう。
私たちは、そんなものなしでも生きていける世界にたどりついたのだ。
改めてヴィンセントを見つめ、心をこめて、丁寧に言う。
「私は、あなたがいればそれで充分です」
ヴィンセントは私の腰を抱き、私が大好きな微笑みで答えてくれる。
「しあわせにする。この世界の美しさを、いやというほど見せてやる」
そう言うあなたは美しく、背景も含めて、一枚の絵のようで。
この世界の美しさのすべては、もうとっくに、私の目の前にあるのだった。
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