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第一章:大英雄の産声《ルクス・ゲネシス》
26 回想:饗宴の館
しおりを挟む【…………貴様、何故生きている?】
黒色の輝きがモスカへの攻撃をすべて、その体で受け止めたのだ。
腹部や肩、鎖骨、大腿にまで至るまでに挿し込まれた鋭利な鉄塊はその者を死に至らしめるには十分すぎる。
が、その黒色の男は鉄塊を抜きながら、モスカを振り返った。
「オマエ、勇者なんだろモスカ! 何してんだよ、勝てよ……!!」
「…………?」
「あ、耳、潰されたのか。つっても……オレも怪しいが……」
耳を手掌で押し付けて確認、辛うじて物音は聞こえる。
【オマエ……私に背を向けて──】
唱喝の詩人の爪が弧を描き、小さな体に襲いかかった。
「黙ってろ」
しかし、そのすべてを叩き落とした。中指、薬指の黒爪は割れ、破片をエレは蹴飛ばした。
まっすぐに伸びてくるエレの短剣に唱喝の詩人は後ずさりし、強制的に術を展開させられた。
【調和ノ唄──】
艶やかな唄で、崩壊をしていた空間が時を戻すかのように修復をしていく。
霧散していた天井が――床が――壁が――装飾品や調度品に至るまでが、綺麗に元通りの状態になるのにそうかからなかった。
【転地ノ唄ッ!】
そして重ねるように歌われた唄によって、行く手を阻むように天井が――地面が――空間の中央に向かって形を変える。
砂に空気を送って流動層にしたように、表面温度が燃ゆるほどの熱を持った床や天井がボコボコと自在に形を変えていく。
しかし、それらすべてを避けて斬り伏せた。その間ですべての爪は割れ、唱喝の詩人は壁にまで追いやられていた。
「深度五とはいえ、この程度か」
【ッ!?】
魔族は歯をかみ締めた。
何が起こっているのかがわからない。
館に攻め込まれたという報告は聞いていた。こんな沼沢の奥底に只人が来る訳もない。来るとすれば、最近、多くの同胞を殺している者達だろう、と思っていた。
そうか。
彼が──コイツが、
【……わかった、分かったぞ!! お前が勇者だな!? 死なぬ体。素早い動き……秩序神から異能をもらったのだろう!? 他の三人は貴様の付き人で──】
「おれが、勇者、っつたか?……そう見えるか? そりゃあいい。今まで生きてきた中で、一番の貶し言葉だ」
エレの瞳に影がかかる。
勇者の器として育ったというのに勇者に選ばれなかったエレにとって、その言葉はあまりにも残酷だ。
が、手が留まった。連撃が止んだ。
唱喝の詩人は密かに笑う。
【勇者ではない……? 嘘を付くでないぞ。只人のちからを超えているではないか】
「……オバさんの言う通り。どこぞの神サンから異能はもらってるらしい。その割には、忌々しい、呪いみたいな最低な贈物だけどさ」
魔族に死んだ瞳を向け、嘲笑った。
「勇者になれるなら、なりたかったさ」
勇者に選ばれなかった者は渇望する。モスカやルートス、ヴァンドにそれらの声は届かない。
が、魔族には届いた。ぐにゃりと笑った唱喝の詩人の顔は、エレに咄嗟の防御姿勢を整えさせて。
【……ならば、勇者を殺せば良い】
ぴく、とエレの瞼が痙攣するのが見えた。
【自分が勇者になるまで、殺せば明くる日か勇者になれる。そうであろう? 勇者は魔王に殺されない限り、この争いは終わらないんだから】
──声が聞こえてきた。
【そら、殺してみせろ。私は前代勇者を殺したぞ? そのおかげでアヤツが選ばれたのだろう? 次は貴様が選ばれるだろう。なに、わたしら二人は争う必要がない。手を取り合おうじゃあないか】
唱喝の詩人はエレの丹田あたりをツンッと突き、母親のように笑った。
──たくさんの声が聞こえてきた。
【が、勇者以外は私が喰らってもいいだろう? 優秀な個体ほど、素晴らしい結果になるのだ。前代勇者の──】
「エレ! 何してんだ! 早く殺せ!!」
「何してるの!? はやくしなさいよ!」
「エレ……?」
後ろから微かに聞こえる仲間たちの声。
抜けていた握力を再び強めた。その目の光は正義の光だった。
唱喝の詩人は面白くなさそうに眉を潜め、後ろをみやった。
【今更、正気に戻ったか……が、いいのか?】
そして、さきほどまで聞こえていた声が重なった。
【──斉唱が来るぞ】
それは、二度目の崩壊の唄。只人の死を尊ぶ、賛美歌だ。
「「「「「《崩壊ノ唄》」」」」」
「──!?」
エレ達の鼓膜が破れてから、再度、詠唱を重ねていたのか。
戦闘が長引くことも想定していて──
「──ルートス!」
エレは咄嗟に合図を送る──そして、ルートスは反射的に杖を構えた。
「――《我の前は朱》《彼の前は蒼》《反転せよ》──」
「ルートス!? おまえ、それ」
ヴァンドが言い終える前にルートスは《ことば》を並べ、締めにカツンと床を突いた。
「止めろ!! ルートス!!」
「――《座標交換》」
詠唱が放たれ、そのコンマ秒後、彼らのいた場所へと貫通術式が到達。
轟音。
壁がジュゥと焼き切れる音がした。
けれど、その熱光線の射線上に対象の姿はなくなっていた。
モスカ達が地脈の結節点から唱喝の詩人の館に戻ると、そこには唱喝の詩人の死体と顔に涙痕が走っているが、なにか憑き物が落ちたような顔をしているエレが立っていた。
耳から血が滴り、この場所に来た時よりも傷が増えている。
巻いた包帯からはドロッとした赤い血液が滲んでいる。
その血まみれの手には見たことのない武器が握られていた。
「エレ……その武器」
「……調度品の中に紛れ込んでた。昔に戦った只人から奪ったんだろう」
足元に落ちていた壊れた二本の短剣を少し足で退けながら、
「武器が壊れた。これ、使ってもいいだろ?」
その武器は今現在もエレが所有している武器、名前はすぐ壊れると思って付けていないらしい。
それもそうだ。細く、それでかつ、短い。扱いに困る武器なのは一目瞭然だったのだから。
「いいが……お前、倒したのか?」
「あぁ。唄を放つ瞬間に口を閉ざして魔法を中断させて殺した。戦い方や技、攻撃手段は後で伝える」
「……ルートス、あとでエレから話を聞いておけ」
「えぇ……忘れない間に頼むわね」
魔法使いの彼女の仕事は多岐に渡る。
モスカの護衛もそうだが、塔の管理者である彼女は叙事を正確に保管をしなければならない仕事があるのだ。
嘘を吐けない魔法使いに記録を頼むのは常。叙事の保管を頼むにはうってつけの職業だ。
「そちらは任せるとして、他に敵はいなかったのか?」
「敵は……」
モスカの方を向いたまま口の中に言葉を潜めるエレだったが、首を横に振った。
「……いない。いたとしても、こんな有様だ。生きていられない」
これが、唱喝の詩人という魔族を倒した時に起こった時の話だ。
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