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幕間のお話
閑話 戦闘奴隷の生き様①
しおりを挟む中位迷宮上広場、そこから二人の気配が遠ざかっていくのを感じると、薄い胸に置いていた手をダランっと下に投げた。
拳殻を収納し、既に綺麗に形が整えられた地面へと膝をついて、先程まで主の鮮血で染まっていた土を握った。
「わたしのせいだ……わたしの……」
自分がもっと早く走れたら、自分がもっと早く到着をしていたら、自分が残って戦っていたら、過去の記憶などに怯えなければ……。
そんな考えが頭の中で濁流となって駆け巡り、アンの中の罪悪感を膨れ上がらせた。
アンには自分が二人を倒したという現実なぞどうでもよかった。自分の主人の体を護れなかった自分の無力さの方が――とてつもなく大きな感情として、自分の頭の中に居座っている。
握る拳から血が滴るほどの苛立ちを覚える。
――何が、最強の少女だ。何が、戦闘奴隷だ。大事な時に傍にいれずに、何が、家族だ。
「何が、何が! 何が!! わたしは、何もできやしないじゃないか! 何も務めれずに……また、あるじを……」
自己否定を繰り返す少女の姿を虚ろな目で見て、シルクはハンっと鼻で笑う。
「……そんなに腹が立つなら俺も、アイツらも殺せばいいだろうが」
ヒュー……ヒュー……と喋るのでさえ辛そうな声。
その一言で、アンの中で堪えていた感情が殺意へと一瞬にして変わり、倒れているシルクの真上に立って拳を振り上げた。
虫の息のかつての同僚を見る目は、闘技場で見ることができた『最強の少女』であった時の目、そのもの。
ギリッと歯を噛みしめる音が聞こえたと思うと、アンは右手を振り下ろす。
シルクは死を覚悟し、思わず目を瞑った――
「……は……っ?」
痛みを感じずに疑問に思ってみると、顔の横に拳があることに気づく。
「おまえ……っ」
それは、覇気もなければ、魔素すらも使われてない軽い一撃。
当然のように土が抉れるわけでも、殴った音が響き渡るわけでもない。
土が着いた手をグイッと引き上げると、涙がシルクの服へと滴り落ちてきた。
「ダメだ……わたしは……どうしても殺さなければならない時だけ手を汚すと誓ったんだ……。わたしは、もう……闘うだけの奴隷じゃない。あるじがそうしてくれた、そういう生き方を教えてくれたんだ……」
その涙は決して痛みなどの単純なモノで流れた訳では無い。
声色は震えているが、その表情は頭を垂れていることで黒髪が隠してしまっている。
クラディスは、奴隷としてではなく一人の人間として扱ってくれていた。
毎日、毎日、空腹すら満たされない最低限の料理、体はボロボロになって、他の牢屋から聞こえる怒号や苦痛の声で睡眠すらまともに出来ない。
戦うことですら自己を肯定できなかった。そんな自分に他の生き方を教えてくれた。
息の抜き方、体の安め方、料理の仕方、皿の洗い方、服の着方、人との話し方……。
そんな主人を失いかけたんだ。
殴れば、気持ちは少しでも晴れる。そんなの分かっていた。
だが、ここでシルクらを殺してしまうと昔の自分に囚われる気がしてならない。昔の――醜く地を這っていた自分に戻ってしまう気がした。
「……つまんねぇ。つまんねぇよ、お前」
その姿は、シルクからしてみると異様にしか見えない。理解ができない。
ただの奴隷が、なに高尚なこと言ってんだ、と。
「闘技場にいる時はもっと一心に自分の持ってる力を奮っていただろ。俺は見たぞ。参加者の首を折って飛ばして、腹を裂いて、心臓をその拳で止めた。それに……さっきもだ。あの重装備の野郎もその手で殺したじゃねぇか」
「昔は生きるために力を奮っていた……。だけど、これから先、わたしの力はあるじのために使う。今ここで殺し損ねたお前のトドメを刺すことは……自分のためであって、あるじのためじゃない」
シルクなりの正論をぶつけたつもりが、全く見当違いな回答が返ってくる。
苛立ちから首筋が張り、胸部の痛みが全身に走る。だが、その痛みよりも目の前の少女の腑抜けた言葉に何か言ってやりたい気持ちが勝った。
「そんな……っ綺麗事なんか、いいんだよ……ォッ! 早く殺せよ! 本当は殺したいんだろ? 憎んでるんだろ? 俺らを殴って、蹴って、すり潰して、引きずって、投げ飛ばして、痛みを与えたいんだろ? やれよ、なぁ……!」
「……お前はどうしてそこまで戦闘に命を捧げるんだ」
「……どうして、だァ……?」
抉られている胸部に置いていた手でアンに指を差した。
「俺たちは"奴隷"だぞ……! 俺たちの生き方は俺らじゃなく、上が決める……。お前の主人が腰抜けだったからお前まで同じようになったって訳だろ……!? 俺は主人に……ロバートに! 戦闘能力が評価されたからずっと闘ってきたんだ……!」
口から血を吐き出しながら、笑いながら、苦痛で顔が歪みながら、必死に口端を釣りあげて話しを続ける。
まるで、自分の中に長い年月をかけて出来上がった奴隷という存在意義を読みあげるように、自由に生きようとする少女に伝えるように、その生き方を否定するように。
「俺はシルクだ。ロバート公に買われた1等級戦闘奴隷だ。だから戦う! おれの生きる意義はそれだけありゃあいい! 俺は、闘うことだけに生きる価値を見いだせる! 俺は……俺は――ッ!!」
「――可哀想な」
「……あ……?」
自分の生き方を一言で一蹴され、シルクの顔には困惑と怒りが混ざる。
「可哀想な生き方。わたしはお前のようにならなくて良かった。あるじに……買ってもらえて良かった」
あの日――クラディスに買われた日からの出来事が、大事な思い出を綴っていた頁を捲るように思い出されていく。
初めて食べたクッキーなる菓子の味。一緒に治癒士の勉強で唸ったこと。髪を乾かしてもらっている間のあの時間。自分を背負っている時の背中の温かさ――……。
「わたしはアン。クラディス様に買われた1等級戦闘奴隷。だけど……闘うだけじゃない。わたしの生きる意義は、あるじを守って一緒に過ごすこと。わたしの居場所はあるじの隣、あの御方と笑って話せるだけでいい」
「っそれがぁっ! 腑抜けだって言ってんだろ……ッ! ちったぁ奴隷らしくなったかと思ってたら、館にいた時からなんも変わっちゃいねぇ!!」
瞬間、パキッ、と枝が割れた音がアンの長耳に入って来た。
「!」
音の主。決してナグモやケトスではない。森林部分からこちらに向かってきているのは大きな魔物の気配。
この迷宮上広場に張られていた認識阻害の結界が機能しなくなってからは、いつ魔物が来てもおかしくなかった。
「……」
アンは振り返り見て、その魔物の力量を推し測るようにじっと動かなくなる。
好機、と。シルクは最後の力を振り絞って近くの石を持って振りかぶった。
これを投げてしまえば、この少女を殺れるかもしれない。意識が外れている今、これが最後のチャンスだ。
力強く歯を食いしばり、怒りの感情のまま投げれば届く。自分のこれまでの生き方を「可哀想」だと言った相手に一撃を加えられる――
「……っ」
しかし、何故か、シルクはその石を投げることをしなかった。
同時にアンはシルクへと視線を戻し、立ち上がった。
「……わたしはお前を殺したかった。あるじのことや、わたしにしたことで殺したいくらい憎んでいる。でも、わたしは変わるんだ。だから……さよならだ」
こちらへと近寄ってきている魔物の気配は大きく、魔素を消費しているアンでは無事では済まない。
足早にこの場所を去った方がいいと判断をした。
アンはシルクが横たわっている横を通り過ぎ、紐で拘束されている冒険者には目もくれずにケトスとナグモに追いつくように走って行った。
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