寡黙な消防士でも恋はする

氷 豹人

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「日浦君!」
 扉を開けて叫んだのは、本署の救急救助課係長の女性消防司令補で、日浦とは同期だ。
 七福市の七台目の防災ヘリ導入にはかなり無理を押し通したらしい。
 それほどの情熱を注いだのだから、初の定期点検に同乗していても何ら不思議ではない。
 鼓膜が破れるかってくらいの劈くプロペラ音。それによって発生した風に煽られ、足元がぐらつく。本署の最新型ヘリの存在は噂に聞いていたが、お目に掛かったのは今日が初めてだ。威力が半端ない。風圧で煙の真っ只中へ吹き戻されないよう、必死に足裏に力を込めて踏ん張った。今にも飛んでしまいそうなカズ兄の腕を、日浦は片手だけで留めている。馬鹿力だ。
「よし!堂島、行け!」
 横づけのタイミングを見計らい、日浦が怒鳴った。
 後部座席にいた係長は、救助用ハーネスを、素早く降下させた。
「む、無理です。無理無理」
 カズ兄はプロペラの凄まじい回り方と、それが生む風の強烈さに体が竦み、後ずさった。いいから、大人しくハーネスを装着させろ。火は確実に迫っている。俺の無表情にプレッシャーを感じてもなお、カズ兄はぶるぶると首を振って抵抗した。
「大丈夫。操縦士も副操縦士も、この道三十年のベテランだ。うちの堂島も、信頼の置けるやつだ。必ずあなたを助ける」
 日浦が断言する。
 こいつの口から、俺を褒め称える台詞が出たのは、配属二年で初めてだ。ちょっと感動した。褒められるのは悪くない。言葉って、やっぱり大切なんだな。ジワリと胸が熱くなる。
 日浦の後押しで、カズ兄も決意したらしい。あっさりと救助ハーネスを装着し、窓枠から離れた。カズ兄の体はあっと言う間にヘリの中だ。よし、救助成功。
 だが、まだホッとするのは早い。要救助者が奥の座席に着いたことを確認すると、今度は笠置の番だ。俺はハーネスごと降下した。山岳救助隊ならともかく、俺達は訓練でしかこんなもの使用したことがない。
「た、助かった」
 ヘリの中で、笠置が脱力するのも無理はない。上昇する黒煙はすでに二十四階全体を覆い尽くし、開いた窓から外へと立ち昇って行く。
 愚図愚図している場合ではない。次は日浦だ。
「ちょっと。嘘でしょ」
 係長が絶句する。
 俺の頬は引き攣ったきり動かなかった。
 すでに黒煙は日浦の体を覆い尽くし、まともに姿すら見えない。おまけにこんな状態で煙を吸い込んだままなら、一酸化炭素中毒の危険性がある。もう悠長にハーネスを下ろしている場合ではない。
「ぎりぎり建物に横づけしてくれ!」
「どうするつもり!」
 係長が叫んだ。
「頼む!」
 無理を承知で懇願した。沈黙。操縦士と係長が無言で遣り取りをしている。
「お願い。横づけして」
 上役の許可が降りた。
 さすが日浦と同期だけのことはある。物分かりがいい。度胸もある。俺が今から何をしようか承知の上で、首を縦に振ったのだ。
「今回だけよ。『サイボーグ』は一人で充分なんだから」
 釘をさすことも忘れない。さすが、本署の狸ジジイらと渡り合っている女傑だ。
 危険極まりない難しい頼みだが、そこは三十年のベテランパイロット二人、巧くしてくれた。
 機体ぎりぎりに足を掛ける。
「ちょ、ちょっと。堂島さん。まさか」
 背後で笠置の焦った声。こいつもようやく察したか。
 最早、方法はこれしかない。俺は床を思い切り蹴った。
 真正面に黒煙を受ける。
 なにくそと蹴散らし、窓の中へと滑り込む。勢い余って床に一回転したものの、素早く体勢を立て直す。視界がかなり悪い。もうじき火の手が回ってくる。日浦、どこだ。
「日浦!」
 応答なし。だが、必ずこの近くにいる。
「日浦!」
 窓から離れて、目星をつけてうろつく。黒煙は人間の影すら隠してしまう。頼む。返事してくれ。要救助者を逃がす時点ですでにやつは朦朧としていた。別の階へ逃げるほどの体力は残されていないはずだ。
 俺の頭に嫌な予感が掠める。もしや、もう……。
 違う!首を振って頭に湧いた仮定を散らす。やつはこんなところでくたばるタマじゃない。
 ふと、防火靴の先に何かが触れた。物ではない。柔らかい感触。四つ這いになって目を凝らす。指だ。見覚えのある、節くれだった男らしい指。
「日浦!」
 うつ伏せで倒れていた。名前を呼ぶと、ぴくっと僅かに指先が動いた。生きている!ちゃんと意識はある。証拠に、駆け寄って慌てて抱き起こせば、男前は弱々しいながらも憎たらしそうに唇を斜めに吊った。口中で何やら忌々しそうな罵りまで付け加えて。
「は……早く……逃げろ」
 こんな場合でも、副隊長を気取るつもりか。
「あんたを置いていけるか!」
「じきに……火の手が……ここにも」
「だから、あんたと一緒に逃げるんだよ! ごちゃごちゃ喋ってないで、早く!」
「無理……だ……煙を……吸い込んで……か、体が……」
 言葉通り、日浦の体力の消耗は激しく、力の入らない肢体はだらんと垂れて、まるで蝋人形そのものだ。
 空気呼吸器の目盛に、俺の背筋がヒヤリと冷たくなる。肩に手を回し、無理矢理立ち上がらせるが、全く力の入らない相方はずるずると俺に引き摺られるだけで、重さが半端ない。鉄の塊を抱えているみたいで、肘ががくがくと戦慄く。
「急げ!空気呼吸器の残量がもうない!」
「堂島……」
「何だ!」
「……好きだぞ」
「はあ?」
 いきなりこいつは何を言い出すんだ。
 日浦は力なく口元を引き攣った。
「最期に……伝えておこうと……思って……」 
「何を縁起でもねえことを!俺もあんたも、こんなとこでくたばってる場合じゃねえよ!」
 ヘリの音が大きい。煙ぎりぎりの際どさで、ベテランパイロットが操縦技術をこれでもかと駆使してくれている。
「ちょっと、あんた達!救助用ハーネスを!」
 日浦の無線越しに係長の声。
「こっちだ!煙をしこたま吸ってる!早く!」
 ほどなくハーネスが降りて来る。
「日浦さん。俺はあんたにちゃんと謝りてえ。そして、伝えたいこともある。こんなとこで死なれちゃ、俺が困るんだよ」
 面体を日浦に被せる。残量は間もなく尽きる。キンキンと警告音が耳障りだ。
「だから、キスは無事に生還するまでお預けだ」
 装着完了のタイミングで、上へと引っ張られる。
「俺達は無事に戻るんだ!」
 眼下には、轟々と燃え盛る炎。今しがた俺達がいた付近の窓からは、硝子を割って勢いよく炎が吹き出している。少しでも遅ければ、間違いなく俺達はあの中に取り残されていた。
 俺の手に、日浦の手が重なる。
 生きている。
 そう思ったら、今更ながら、張り詰めていた神経がふっと途切れて、ぐんにゃりと軟体動物の如く力を失った。
 そして、改めて誓う。無事に生還した暁には、日浦に何が何でも伝えなければならないことを伝える。言われっぱなしにさせてたまるか。
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