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続編 愛くらい語らせろ
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「では、消防車に実際に乗ってもらいましょう」
織本女史が顔に極上の笑みを張り付かせ、見物人をぐるりと見渡す。
勿体ぶっているが、予め乗る人物は決めてある。決められた時間内でスムーズに進めるためだ。
期待で胸を膨らませるガキどもは「ハイ、ハイ」と喧しく手を挙げ、大人ぶる女子に鬱陶しそうに睨まれていた。どこの世界でも同じだな。
「堂島くん」
睨まれるのは、ガキだけじゃない。
織本女史は、いらいらとこめかみに筋を浮かせて名指ししてきた。
はいはい。わかってます。睨むな。
バスケットに乗る体験係の任務、しっかり務めますよ。
「では、どなたか先生。お願いしますよっ……と。うっ……」
うげっ、と出かけた声は、喉の奥で何とか堪えた。
何で日浦と揉めてるときに限って、火に油を注ぐ展開になるかな。
ほら見ろ。日浦の目が尖って、背後で紫炎がとぐろを巻いているぞ。
四ノ宮先生と呼ばれた、見合い相手の女は仄かに頬を染めて、上目遣いで軽く頭を下げてきた。
ガキどもは「いいな~」の大合唱。
羨望と嫉妬、約一名の私怨を受けて、四ノ宮先生は一歩踏み出す。
と、僅かな段差に爪先を引っかけ、体が前に傾いた。
「危ねえっ」
咄嗟に後ろから手を回して腰を支え、勢い任せに引っ張ると、先生の後頭部が俺の胸板にぶつかった。先生の体は羽のような軽さで、弾みで片足が宙に浮いた。
おおおっ、とガキどものどよめき。
ヒュウッて口笛なんかいらねえから。どこのどいつだ、生意気なガキは。
案の定、日浦のこめかみに筋が浮き立って、拳を握り込みぶるぶる肩を震わせている。
不可抗力だ。しょうがねえだろ。目線で訴えたものの、無視かい。日浦め、怒りで目も合わせやしねえ。
「ご、ごめんなさい」
一気に注目の的となり赤面している。これで男っ気ないとか、絶対嘘だろ。
「いえ」
内心では次から次へと言葉が飛び交っているものの、一向に表には出ないのが俺と言う人物だ。
黙って差し出した手に先生は戸惑っていたが、ややあって用途を理解したようで、恐る恐る手を重ねた。
念入りに手入れされた滑らかな手のひら。指先一本一本まで気を配ってすべすべしている。節くれだってマメだらけの俺の手に触れるのが、申し訳ないくらいだ。
四ノ宮先生は、今度は難なくバスケットに乗り込めた。
合図の元、バスケットは上昇を始める。
地上は凪いでいるが、高度が上がるにつれて肌に触れる風の強さが増して行く。受ける風で髪が乱れる。
「わあ、気持ち良い」
てっきり怖がるかと思ったけど、なかなか肝の据わってる女だな。
地上では建物に阻まれているが、こうして高所にいると七福市の全貌が明らかになる。
七福市は今は過渡期にあり、そこかしこで開発が進められていた。
巨大なビル群のオフィス街があり、迷路のように高速道路が巡っていた。クレーン車がまた新たなビル建設に携わり、下町と呼ばれる民家は更地がどんどん増えていく。俺の実家近辺にもショッピングモール建設の話が来て、立ち退きを打診されているらしい。まあ、うちは立ち退き案件から逸れた土地だから、蚊帳の外だけど。
なんて俺が町の変わり具合を憂いている間、四ノ宮先生は極上の笑顔。何だ、そのアトラクションを満喫してるみたいな顔は。
「聞いていいですか?」
おそらく今がチャンスだ。
判断し、思い切って聞いてみる。
「どうして俺なんかと見合いを?」
四ノ宮先生ほどの別嬪なら、もっと条件の良い男前がいるだろうに。よりにもよって、こんなバツイチの無口無表情の男と見合いしたがるんだか、さっぱり理解出来ない。
「堂島さん。もう忘れてるでしょうけど」
四ノ宮先生は盛り過ぎの付け睫毛を瞬かせる。
「高校生の頃、私、堂島さんに助けられたことがあるんです」
女子を助けた?嫌われたじゃなくて?こんな別嬪を助けたなら、脳味噌に引っかかってなくもないが、何故か俺の記憶はすっからかん。
「電車で痴漢にあって。怖くて怖くて。どうしようもなかったとき」
普段は免許取り立ての先輩の車に乗るか、原付運転だが、ごく稀に電車も使用したことあったっけ。主にナンパした女と連んでるとき。
「堂島さんが痴漢の手をこう、引っ掴んで」
言いながら四ノ宮先生は、手を頭上で捻り上げるポーズをする。
「『おっさん!卑劣なことしてんじゃねえよ!』」
当時の俺の巻き舌まで上手く再現している。
高校の時分のことは、ハッキリ言って黒歴史だから。
ベリーショートの髪を黄色に染めて、両耳、鼻、口といった思いつく限りの場所にピアスの穴が空き、ブランドシャツの胸元をだらしなく開いて、道行く輩を無駄に睨みつけ、毎日喧嘩三昧。かろうじて警察のお世話にはならなかったが、法律スレスレの危ないことを平気でやってのけていた。
おそらく、引っ掛けた女の前で格好つけたかっただけだろうよ。
「そんなことありましたっけ」
言葉に詰まって、鼻の頭を指先でかく。
それが照れ隠しに映ったのか。
四ノ宮先生は、ふふふと鈴が鳴るように小さく声を揺すった。
織本女史が顔に極上の笑みを張り付かせ、見物人をぐるりと見渡す。
勿体ぶっているが、予め乗る人物は決めてある。決められた時間内でスムーズに進めるためだ。
期待で胸を膨らませるガキどもは「ハイ、ハイ」と喧しく手を挙げ、大人ぶる女子に鬱陶しそうに睨まれていた。どこの世界でも同じだな。
「堂島くん」
睨まれるのは、ガキだけじゃない。
織本女史は、いらいらとこめかみに筋を浮かせて名指ししてきた。
はいはい。わかってます。睨むな。
バスケットに乗る体験係の任務、しっかり務めますよ。
「では、どなたか先生。お願いしますよっ……と。うっ……」
うげっ、と出かけた声は、喉の奥で何とか堪えた。
何で日浦と揉めてるときに限って、火に油を注ぐ展開になるかな。
ほら見ろ。日浦の目が尖って、背後で紫炎がとぐろを巻いているぞ。
四ノ宮先生と呼ばれた、見合い相手の女は仄かに頬を染めて、上目遣いで軽く頭を下げてきた。
ガキどもは「いいな~」の大合唱。
羨望と嫉妬、約一名の私怨を受けて、四ノ宮先生は一歩踏み出す。
と、僅かな段差に爪先を引っかけ、体が前に傾いた。
「危ねえっ」
咄嗟に後ろから手を回して腰を支え、勢い任せに引っ張ると、先生の後頭部が俺の胸板にぶつかった。先生の体は羽のような軽さで、弾みで片足が宙に浮いた。
おおおっ、とガキどものどよめき。
ヒュウッて口笛なんかいらねえから。どこのどいつだ、生意気なガキは。
案の定、日浦のこめかみに筋が浮き立って、拳を握り込みぶるぶる肩を震わせている。
不可抗力だ。しょうがねえだろ。目線で訴えたものの、無視かい。日浦め、怒りで目も合わせやしねえ。
「ご、ごめんなさい」
一気に注目の的となり赤面している。これで男っ気ないとか、絶対嘘だろ。
「いえ」
内心では次から次へと言葉が飛び交っているものの、一向に表には出ないのが俺と言う人物だ。
黙って差し出した手に先生は戸惑っていたが、ややあって用途を理解したようで、恐る恐る手を重ねた。
念入りに手入れされた滑らかな手のひら。指先一本一本まで気を配ってすべすべしている。節くれだってマメだらけの俺の手に触れるのが、申し訳ないくらいだ。
四ノ宮先生は、今度は難なくバスケットに乗り込めた。
合図の元、バスケットは上昇を始める。
地上は凪いでいるが、高度が上がるにつれて肌に触れる風の強さが増して行く。受ける風で髪が乱れる。
「わあ、気持ち良い」
てっきり怖がるかと思ったけど、なかなか肝の据わってる女だな。
地上では建物に阻まれているが、こうして高所にいると七福市の全貌が明らかになる。
七福市は今は過渡期にあり、そこかしこで開発が進められていた。
巨大なビル群のオフィス街があり、迷路のように高速道路が巡っていた。クレーン車がまた新たなビル建設に携わり、下町と呼ばれる民家は更地がどんどん増えていく。俺の実家近辺にもショッピングモール建設の話が来て、立ち退きを打診されているらしい。まあ、うちは立ち退き案件から逸れた土地だから、蚊帳の外だけど。
なんて俺が町の変わり具合を憂いている間、四ノ宮先生は極上の笑顔。何だ、そのアトラクションを満喫してるみたいな顔は。
「聞いていいですか?」
おそらく今がチャンスだ。
判断し、思い切って聞いてみる。
「どうして俺なんかと見合いを?」
四ノ宮先生ほどの別嬪なら、もっと条件の良い男前がいるだろうに。よりにもよって、こんなバツイチの無口無表情の男と見合いしたがるんだか、さっぱり理解出来ない。
「堂島さん。もう忘れてるでしょうけど」
四ノ宮先生は盛り過ぎの付け睫毛を瞬かせる。
「高校生の頃、私、堂島さんに助けられたことがあるんです」
女子を助けた?嫌われたじゃなくて?こんな別嬪を助けたなら、脳味噌に引っかかってなくもないが、何故か俺の記憶はすっからかん。
「電車で痴漢にあって。怖くて怖くて。どうしようもなかったとき」
普段は免許取り立ての先輩の車に乗るか、原付運転だが、ごく稀に電車も使用したことあったっけ。主にナンパした女と連んでるとき。
「堂島さんが痴漢の手をこう、引っ掴んで」
言いながら四ノ宮先生は、手を頭上で捻り上げるポーズをする。
「『おっさん!卑劣なことしてんじゃねえよ!』」
当時の俺の巻き舌まで上手く再現している。
高校の時分のことは、ハッキリ言って黒歴史だから。
ベリーショートの髪を黄色に染めて、両耳、鼻、口といった思いつく限りの場所にピアスの穴が空き、ブランドシャツの胸元をだらしなく開いて、道行く輩を無駄に睨みつけ、毎日喧嘩三昧。かろうじて警察のお世話にはならなかったが、法律スレスレの危ないことを平気でやってのけていた。
おそらく、引っ掛けた女の前で格好つけたかっただけだろうよ。
「そんなことありましたっけ」
言葉に詰まって、鼻の頭を指先でかく。
それが照れ隠しに映ったのか。
四ノ宮先生は、ふふふと鈴が鳴るように小さく声を揺すった。
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