11 / 95
子爵様からのお誘い
しおりを挟む
アリアの部屋に戻って来たら、心配そうな今にも泣き出しそうな顔が待ち受けていた。
ちくり、とイザベラの心を棘が刺す。
「酔っ払い相手に何もされなかった? 」
またしてもイザベラの胸が痛んだ。
「え、ええ。何も問題なかったわ」
問題なら、ありありだ。
憎たらしい子爵に易々と唇を許し、あろうことか自分も醸し出す雰囲気に飲み込まれてしまったのだから。
男性に対する免疫がないのも困りものだ。つくづく自分の経験のなさに呆れ、イザベラはこっそり溜め息をつく。ルミナスの友人のフィオナまでとはいかないが、あれくらい男性に負けず劣らずの余裕があれば。
「あら、イザベラ。眼鏡はどうしたの? 」
アリアの指摘に、ハッととイザベラは両手で顔を覆った。
キスに夢中になるあまり、本来の目的を失ってしまっていた。
今更、取り戻しに行くわけにもいかない。憎々しいルミナスに、今しがたの出来事をほじくり返されてしまったらと思うと。ニタニタ笑いが甦る。絶対、今は駄目だ。今晩中に問答を想定して、明日の朝にそつなく振る舞えるように整えた方が得策だ。
悶々とするイザベラを横目して、察しの良い齢八歳の少女は、しっかり空気を読んだ。それきり眼鏡の件は持ち出さず、再び書取りを始める。
ドアをノックされたのは、そんなときだ。
「イザベラ様」
レディースメイドの声だ。アリアの身の回りを専門とするメイド。勉強中は用事を控えるよう言いつけてあったのに。レディースメイドは、屋敷の使用人の中でも上位におり、場をよく弁え、他の使用人とは一線を画すほど出来た者でしかなれない。
その彼女が、自ら言いつけを破るとは。
「何事ですか? 」
只事ではないと察して、すぐさまドアを開ける。
途端にヒッとイザベラは退いた。
ほうれい線の目立つレディースメイドの真後ろには、白々しいくらいに笑顔のルミナスが控えていたからだ。
「私が呼んでも、君は理由をつけてドアを開けてくれないだろう? 」
レディースメイドは申し訳なさそうにイザベラに一礼すると、そそくさとその場を去る。
屋敷の頂点に位置する者に命じられれば、レディースメイドも従わないわけにはいくまい。
ルミナスの読み通り、彼自身がドアをノックすれば、間違いなくイザベラは開けなかった。むしろ、鍵さえかけた。
彼の方が上手だ。
「何か御用でしょうか? 」
まんまと罠にかかったイザベラは、悔し紛れに早口で問いかけた。
「忘れ物だよ」
言いながらイザベラに眼鏡をかける。
耳朶にルミナスの指先が触れ、カッと全身の血が逆流した。広間での情熱的にキスを交わした姿が脳内でいっぱいになる。
「で、では。失礼します」
ルミナスに赤面を詰られる前にさっさと引っ込んでしまおう。
が、閉めかけたドアの隙間に素早く足を入れたルミナスに、阻止されてしまった。
「まだ話は終わっていないよ」
不気味なくらいの笑顔に、イザベラの嫌な予感が働く。
「君、パノラマ館に行ったことはあるかい? 」
「パノラマ館? 」
寄宿学校で勤めていた際に、誰とは言わずその単語を聞かされたことがあったかも知れない。果たしてそれが何であるかはわからないが。
「知らないのか」
「申し訳ありません。生憎と、今まで俗世と離れていたもので」
嫌味ったらしい返答にも、ルミナスは笑顔を崩さない。むしろ、どことなくうれしそうだ。
「丁度良かった。チケットを手に入れたんだ。明日、行ってみないかい? 」
紙片を顔の前でひらひらさせる。
「いえ。私は」
「さっきのお詫びだよ」
「ですから私は」
「命令だよ。ミス・シュウェーター」
有無を言わさぬ声は、使用人を一発で黙らせる強さを持っている。例に漏れず、イザベラも口を引き結ぶしかなかった。
「私は遠慮しておくわ」
真後ろから口を挟んだアリアは、意味ありげにルミナスにウィンクした。
「何故? アリア? 」
「だって明日、読んでしまいたい本があるの。それにパノラマ館は去年三度も行ったから。もう良いわ」
「そんな……」
アリアがいれば、どうにか平静は保たれる。そう考えていたイザベラは、絶望感に苛まれた。
ルミナスと二人きりなんて、ぞっとする。
ルミナスは目を輝かせ、幾分頬を紅潮させて、アリアに頷き返した。
何やら目だけで親子の会話が始まっているようだ。
イザベラはそんなことに構っていられず、呆然とその場に立ち竦んだ。
ちくり、とイザベラの心を棘が刺す。
「酔っ払い相手に何もされなかった? 」
またしてもイザベラの胸が痛んだ。
「え、ええ。何も問題なかったわ」
問題なら、ありありだ。
憎たらしい子爵に易々と唇を許し、あろうことか自分も醸し出す雰囲気に飲み込まれてしまったのだから。
男性に対する免疫がないのも困りものだ。つくづく自分の経験のなさに呆れ、イザベラはこっそり溜め息をつく。ルミナスの友人のフィオナまでとはいかないが、あれくらい男性に負けず劣らずの余裕があれば。
「あら、イザベラ。眼鏡はどうしたの? 」
アリアの指摘に、ハッととイザベラは両手で顔を覆った。
キスに夢中になるあまり、本来の目的を失ってしまっていた。
今更、取り戻しに行くわけにもいかない。憎々しいルミナスに、今しがたの出来事をほじくり返されてしまったらと思うと。ニタニタ笑いが甦る。絶対、今は駄目だ。今晩中に問答を想定して、明日の朝にそつなく振る舞えるように整えた方が得策だ。
悶々とするイザベラを横目して、察しの良い齢八歳の少女は、しっかり空気を読んだ。それきり眼鏡の件は持ち出さず、再び書取りを始める。
ドアをノックされたのは、そんなときだ。
「イザベラ様」
レディースメイドの声だ。アリアの身の回りを専門とするメイド。勉強中は用事を控えるよう言いつけてあったのに。レディースメイドは、屋敷の使用人の中でも上位におり、場をよく弁え、他の使用人とは一線を画すほど出来た者でしかなれない。
その彼女が、自ら言いつけを破るとは。
「何事ですか? 」
只事ではないと察して、すぐさまドアを開ける。
途端にヒッとイザベラは退いた。
ほうれい線の目立つレディースメイドの真後ろには、白々しいくらいに笑顔のルミナスが控えていたからだ。
「私が呼んでも、君は理由をつけてドアを開けてくれないだろう? 」
レディースメイドは申し訳なさそうにイザベラに一礼すると、そそくさとその場を去る。
屋敷の頂点に位置する者に命じられれば、レディースメイドも従わないわけにはいくまい。
ルミナスの読み通り、彼自身がドアをノックすれば、間違いなくイザベラは開けなかった。むしろ、鍵さえかけた。
彼の方が上手だ。
「何か御用でしょうか? 」
まんまと罠にかかったイザベラは、悔し紛れに早口で問いかけた。
「忘れ物だよ」
言いながらイザベラに眼鏡をかける。
耳朶にルミナスの指先が触れ、カッと全身の血が逆流した。広間での情熱的にキスを交わした姿が脳内でいっぱいになる。
「で、では。失礼します」
ルミナスに赤面を詰られる前にさっさと引っ込んでしまおう。
が、閉めかけたドアの隙間に素早く足を入れたルミナスに、阻止されてしまった。
「まだ話は終わっていないよ」
不気味なくらいの笑顔に、イザベラの嫌な予感が働く。
「君、パノラマ館に行ったことはあるかい? 」
「パノラマ館? 」
寄宿学校で勤めていた際に、誰とは言わずその単語を聞かされたことがあったかも知れない。果たしてそれが何であるかはわからないが。
「知らないのか」
「申し訳ありません。生憎と、今まで俗世と離れていたもので」
嫌味ったらしい返答にも、ルミナスは笑顔を崩さない。むしろ、どことなくうれしそうだ。
「丁度良かった。チケットを手に入れたんだ。明日、行ってみないかい? 」
紙片を顔の前でひらひらさせる。
「いえ。私は」
「さっきのお詫びだよ」
「ですから私は」
「命令だよ。ミス・シュウェーター」
有無を言わさぬ声は、使用人を一発で黙らせる強さを持っている。例に漏れず、イザベラも口を引き結ぶしかなかった。
「私は遠慮しておくわ」
真後ろから口を挟んだアリアは、意味ありげにルミナスにウィンクした。
「何故? アリア? 」
「だって明日、読んでしまいたい本があるの。それにパノラマ館は去年三度も行ったから。もう良いわ」
「そんな……」
アリアがいれば、どうにか平静は保たれる。そう考えていたイザベラは、絶望感に苛まれた。
ルミナスと二人きりなんて、ぞっとする。
ルミナスは目を輝かせ、幾分頬を紅潮させて、アリアに頷き返した。
何やら目だけで親子の会話が始まっているようだ。
イザベラはそんなことに構っていられず、呆然とその場に立ち竦んだ。
5
あなたにおすすめの小説
冷徹公爵の誤解された花嫁
柴田はつみ
恋愛
片思いしていた冷徹公爵から求婚された令嬢。幸せの絶頂にあった彼女を打ち砕いたのは、舞踏会で耳にした「地味女…」という言葉だった。望まれぬ花嫁としての結婚に、彼女は一年だけ妻を務めた後、離縁する決意を固める。
冷たくも美しい公爵。誤解とすれ違いを繰り返す日々の中、令嬢は揺れる心を抑え込もうとするが――。
一年後、彼女が選ぶのは別れか、それとも永遠の契約か。
家出を決行した結果
棗
恋愛
フィービーの婚約者ミゲルには大切な幼馴染がいる。病弱な幼馴染をいつも優先するミゲルや母が亡くなって以降溝が出来てしまった父と兄との関係にフィービーは疲れていた。
デートの約束をしてもいつも直前になって幼馴染を理由にキャンセルされ、幼馴染にしか感情を見せないミゲルを、フィービーを見ようとしない父や兄を捨てる決心をしたフィービーは侍女や執事の手を借りて家出を決行した。
自分を誰も知らない遠い場所へ行ったフィービーは、新しい人生の幕開けに期待に胸を躍らせた。
※なろうさんにも公開しています。
【完結】赤ちゃんが生まれたら殺されるようです
白崎りか
恋愛
もうすぐ赤ちゃんが生まれる。
ドレスの上から、ふくらんだお腹をなでる。
「はやく出ておいで。私の赤ちゃん」
ある日、アリシアは見てしまう。
夫が、ベッドの上で、メイドと口づけをしているのを!
「どうして、メイドのお腹にも、赤ちゃんがいるの?!」
「赤ちゃんが生まれたら、私は殺されるの?」
夫とメイドは、アリシアの殺害を計画していた。
自分たちの子供を跡継ぎにして、辺境伯家を乗っ取ろうとしているのだ。
ドラゴンの力で、前世の記憶を取り戻したアリシアは、自由を手に入れるために裁判で戦う。
※1話と2話は短編版と内容は同じですが、設定を少し変えています。
結婚して5年、冷たい夫に離縁を申し立てたらみんなに止められています。
真田どんぐり
恋愛
ー5年前、ストレイ伯爵家の美しい令嬢、アルヴィラ・ストレイはアレンベル侯爵家の侯爵、ダリウス・アレンベルと結婚してアルヴィラ・アレンベルへとなった。
親同士に決められた政略結婚だったが、アルヴィラは旦那様とちゃんと愛し合ってやっていこうと決意していたのに……。
そんな決意を打ち砕くかのように旦那様の態度はずっと冷たかった。
(しかも私にだけ!!)
社交界に行っても、使用人の前でもどんな時でも冷たい態度を取られた私は周りの噂の恰好の的。
最初こそ我慢していたが、ある日、偶然旦那様とその幼馴染の不倫疑惑を耳にする。
(((こんな仕打ち、あんまりよーー!!)))
旦那様の態度にとうとう耐えられなくなった私は、ついに離縁を決意したーーーー。
【完結】仲の良かったはずの婚約者に一年無視され続け、婚約解消を決意しましたが
ゆらゆらぎ
恋愛
エルヴィラ・ランヴァルドは第二王子アランの幼い頃からの婚約者である。仲睦まじいと評判だったふたりは、今では社交界でも有名な冷えきった仲となっていた。
定例であるはずの茶会もなく、婚約者の義務であるはずのファーストダンスも踊らない
そんな日々が一年と続いたエルヴィラは遂に解消を決意するが──
夫が運命の番と出会いました
重田いの
恋愛
幼馴染のいいなづけとして育ってきた銀狼族の族長エーリヒと、妻ローゼマリー。
だがエーリヒに運命の番が現れたことにより、二人は離別する。
しかし二年後、修道院に暮らすローゼマリーの元へエーリヒが現れ――!?
私が王子との結婚式の日に、妹に毒を盛られ、公衆の面前で辱められた。でも今、私は時を戻し、運命を変えに来た。
MayonakaTsuki
恋愛
王子との結婚式の日、私は最も信頼していた人物――自分の妹――に裏切られた。毒を盛られ、公開の場で辱められ、未来の王に拒絶され、私の人生は血と侮辱の中でそこで終わったかのように思えた。しかし、死が私を迎えたとき、不可能なことが起きた――私は同じ回廊で、祭壇の前で目を覚まし、あらゆる涙、嘘、そして一撃の記憶をそのまま覚えていた。今、二度目のチャンスを得た私は、ただ一つの使命を持つ――真実を突き止め、奪われたものを取り戻し、私を破滅させた者たちにその代償を払わせる。もはや、何も以前のままではない。何も許されない。
愛された側妃と、愛されなかった正妃
編端みどり
恋愛
隣国から嫁いだ正妃は、夫に全く相手にされない。
夫が愛しているのは、美人で妖艶な側妃だけ。
連れて来た使用人はいつの間にか入れ替えられ、味方がいなくなり、全てを諦めていた正妃は、ある日側妃に子が産まれたと知った。自分の子として育てろと無茶振りをした国王と違い、産まれたばかりの赤ん坊は可愛らしかった。
正妃は、子育てを通じて強く逞しくなり、夫を切り捨てると決めた。
※カクヨムさんにも掲載中
※ 『※』があるところは、血の流れるシーンがあります
※センシティブな表現があります。血縁を重視している世界観のためです。このような考え方を肯定するものではありません。不快な表現があればご指摘下さい。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる