【完結】家庭教師イザベラは子爵様には負けたくない

氷 豹人

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月明かり

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 ドロシーの愚痴はデザートが終わるまで止まらなかった。
「今日はすまなかったね」
 寝室のベッドに横たわりながら、ルミナスは申し訳なさそうにイザベラに声を掛けた。
 これまで寝室は別々だったが、本物の夫婦になって以来、二人は朝までベッドを共にしている。どちらかが言い出したわけでもなく、ごく自然的に。
 髪に櫛を入れながら、化粧台の鏡越しにイザベラは微笑んだ。
 ルミナスの母は口煩いだけで、阿片窟の娼婦のように害はない。気に食わないことがあると容赦なく腹や頬に蹴りを入れないだけ、ドロシーの方がずっとマシ。
「全く、あの女は。昔から何も変わっていない」
「あなたのお母様よ。悪く言っては駄目よ」
 くどくどした言い方が気になるだけで、話す内容は一理あるものばかりだ。もてなす側からしたら、相手の好みを熟知していなくてはならない。でないと今後、主人として客を招いた際に、大失敗しかねない。
「君は本当に出来た妻だよ」
 ルミナスはとろんと重い瞼を閉じる。すぐさま寝息が聞こえてきた。余程、今日一日で精神をすり減らしたのだろう。
 イザベラはルミナスの目に掛かる前髪を優しく払うと、額に軽くキスを落とす。眠りが深いのか、彼はびくともしない。
 イザベラはガウンを羽織ると、そっと廊下に出た。まだ眠るには早い時間帯だ。
 

「まあ、綺麗な月」
 イザベラは誰に対してでなく呟いた。
 眠れない夜があると、決まって食堂や広間が集約した生活棟と寝室等のプライベートな建物を繋ぐ二階の渡り廊下に来る。この窓からちょうど月が綺麗に見えるのだ。
 いつもはイザベラだけが独占する場所。
 しかし、今夜は先約がいた。
「お義母様? 」
 ドロシーが物憂げな顔で、半分に満たない月を見上げている。
 ドロシーはイザベラの姿に、ハッと表情を強張らせた。
「……今日の海亀のスープ。あんな趣味の悪い食事をよく出せたものね」
 まずいものを見られてしまった。そんなことを誤魔化すように、ドロシーの口調はいつになく早い。
「あれはアークライト様が、お義母様が来られるからと、伝手を頼って苦労して手に入れた品なんですよ」
「……そうなの? 」
「ええ。ラズベリーパイも、ミルクジャムも、お義母様の好物だからと」
「よく私の好物を覚えていたわね」
 ぷい、と背いたので、彼女が今どのような表情をしているのかわからない。
「……」
「……」
 二人は並んで黙って月を見上げる。
 星々の瞬きに負けないくらい、今夜の月の光は強い。
「私の夫は爵位のない三男で。子爵の地位を得るためだけに、婿に入ったのです」
 訥々とドロシーが語る。
「私達夫婦には、最初から愛情なんてなかった。少なくとも夫には」
「お義母様は、お義父様を愛してらしたのですか? 」
 ドロシーは無表情で黙り込んだ。
「アークライトには驚きました」
 不意にドロシーは話題を変える。
「まさか、あの子が、こんな若い平民の娘を娶るなど。どうせ、体が目的でしょう」
「ルミナス様は、私を大切に扱ってくださいます。とても深い愛情で」
「幻想よ」
 ドロシーは一言。辛そうに眉をしかめる。
「あの子には、昔から厳しく躾けてきましたからね。妙な虫がつかないように、清く正しく美しくと」
 その反動で、変態的な性格が形成されたのではなかろうか。イザベラはこっそり思う。
「さあ。明日は夜明けにはもう出発ですよ。夜更かしはおやめなさいな」
 ドロシーはガウンの襟を首元に引き上げると、身を翻す。
 後ろ姿はイザベラと同じくらいに小さく、痩せた背中は儚い。
 一見するといがみ合っているように思えるが、互いに愛情は存在している。
 ルミナスは母のために、高価で手に入りにくい海亀に奔走し、好物もちゃんと覚えていた。
 ドロシーも、ルミナスの努力を知ってうれしそうに声が弾んだし、息子が自分の好物を覚えていたことに笑顔だった。イザベラに気づかれまいと背けたが、見逃さなかった。
 ルミナスが愛情たっぷりな男なのは、それと同じくらいの愛情を受けた証拠。
 そしてイザベラは、寄宿学校で匿名を名乗るルミナスからも、同じくらいの愛情を注がれていたのだと。彼女は目を閉じて、そんなことを考えていた。
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