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再来

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 小説なんかだと、「赤ちゃんが出来たわ」から飛んで、もう次のページでは赤ん坊を抱いて幸せそうな主人公だったから、その過程がこんなに辛いとは知る由もなかった。
「大丈夫か? イザベラ? 」
 ベッドに横たわり、ぐったりするイザベラの頬を、ルミナスは優しく撫でる。
 何だかルミナスの方が重病人のようだ。どことなくやつれて、隈が大きい。最近は運河建設に関連する仕事に追われている上、イザベラの口に出来そうな食材探しで、かなり追い込まれしまっているらしい。夜遅くまで、執務室に明かりが灯っている。
「あなたも。倒れないで」
「勿論だよ」
 ルミナスはイザベラの足元に腰掛けると、彼女の頬を軽く啄む。
「アリアの勉強が滞ってるわ」
「大丈夫。アリアは、君が元気になったら驚かせるんだと、もう新しい単語を半分覚えたよ。簡単な挨拶なら、出来るようになった」
「本当? あの勉強嫌いのアリアが? 」
「ああ。今度君に、おはようの挨拶を隣国の言葉でするんだって息巻いていたよ」
「まあ! 楽しみだわ! 」
 青白い顔が、パッと華やぐ。
「悪いね。もっと私に知識があれば」
 申し訳なさそうにルミナスはイザベラの前髪を指先で掬う。
「私も妊娠した妻を相手にするのは初めてで」
 独白に、イザベラは首を傾げる。
「アリアのときは? 」
「あ、ああ……うん……」
 ルミナスは言葉を濁す。目を泳がせた後、イザベラの手に己の手を重ねた。
「明日の午後、母上が来る」
「お母様が? 」
「私が呼んだ」
「あなたが? 」
 イザベラは目を見開いた。
 あれほど母親に関わることを避けていたルミナス自らが、母を呼びつけるとは。
「少しは事態が好転すると良いな」
 ルミナスはイザベラの唇に軽くキスを落とす。
 爵位ある者として常に身なりに気を配り、唇は艶やかだったが、今の彼の唇はガサガサに荒れて乾いていた。


悪阻つわりです。大抵は、じきに過ぎます」
 ルミナスの不安を、母はあっさりと一蹴した。
 母の到着は午後を予定していたが、どうやら馬を飛ばしたらしく、大幅に前倒しで、朝早くの訪れだった。
 挨拶もそこそこに、眠るイザベラを扉の隙間から確認すると、応接間に入る。
「アークライト。何ですか、その身なりは」
 またもやの小言に、ルミナスはいらいらと目を眇める。
 ルミナスの髪ははねて、無精髭が目立っていた。隈も大きい。服装も皺だらけで、よれよれ。社交界で美男子で通っていた彼とは、まるで別人。
「このようなときに」
「このようなときだからです。あなたは貴族ですよ。辿れば、王家へ繋がる血筋。そのことを自覚なさい」
「ですが」
「言い訳は無用」 
 ピシャリと一言。
 ルミナスは歯噛みする。
 これだから、母は苦手なのだ。本当なら呼びたくなかった。だが、全てはイザベラのため。日毎に憔悴していく妻をみていられなかったのだ。
 ルミナスは母を呼んだ後悔を、ずらずらと考えて打ち消すのに必死だった。





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