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第四章

妹の秘密

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「何だと? 」
 思わず吉森は立ち上がりかけた。
 渡邊は香都子に目配せし、話の続きの了解を取る。
 香都子は顔を背けたものの、渡邊を制止はしなかった。
 渡邊は息を吸うと、思い切ったように口を開いた。
「大旦那様の筆跡を真似て、香都子さんが私を呼んだのです。くれぐれも内密に、うちに入り込んで調べてほしいと」
 仰け反ったのは、吉森だ。
 道理で渡邊は吉森の依頼に乗り気ではなかったはずだ。
 本来の依頼人は香都子だったのだ。
 それを知らずに、秘密を公にしてしまった。吉森は絶句した。
「じゃあ、何故、最初にとぼけたことを」
「あの時点では、本当に知らなかったのです」
 いけしゃあしゃあと、探偵は答える。
 そんな吉森の不安を払拭させるかのごとく、隣に座る森雪が机の下から指を絡ませてきた。
 驚くほど冷たい指の感触に、ハッとなる。大丈夫。そんなふうに森雪は頷いた。
 彼のこれまでの言動から、香都子が真の依頼者であったことは全てお見通しだったのかもと思い至る。
 根回しの良い森雪のことだから、吉森が隠し通すその点を巧く処理したのだろうか。
「ああ、何てこと」
 松子は眩暈を起こす。吉森とはまた違った思いを松子は胸に巡らせていた。
「わかりました。白状いたします」
 香都子は覚悟を決めたと前を見据えた。
 吉森にも森雪にも似ていない、揺らぐことのない芯のあるその眼差しは、キネマの女優に全く引けを取らない美貌の一つとして燦然としている。
「実は音助と私は、もう長いこと男女の関係にありました」
 話の内容が思ってもみなかったことに、吉森はさらに目を丸くした。松子も同様だ。しかし、森雪は顔色一つ変えない。とうに知っていたのは確かだ。
「ただ音助は本当に私と所帯を持つつもりなのか。他に女はいないのか。気になって、気になって」
 大河原は親子ほどの年の違いのある二人が関係を持っていたことまでは調べ上げていなかった模様で、空咳をして驚きを誤魔化している。
「そうこうしているうちに、父が渡邊さんへしたためた依頼状を仏壇の抽斗から見つけました。これ幸いと、内容を書き換えて、送ったのです。私、探偵に知り合いがおりませんので、どなたに依頼してよいものかと悩んでおりました。父の手紙は、渡りに舟だったのです」
「清右衛門殿が渡邊に依頼を?」
「内容は、お母様が使用人と姦通しているかも知れないとのことでした」
 ぎょっと目を剥いた松子は、途端に憤怒の表情にと変貌する。ヒステリックに眉を吊ると、机に手をついて伸び上がるなり、二つ先の娘に怒鳴りつける。
「何と愚かな!姦通など!私は、私は!」
「まあまあ、奥さん。潔白を信じたいから、清右衛門殿も依頼を躊躇ったのでしょう」
「躊躇うも何も、事実無根です!」
 宥める大河原にも怒鳴り散らし、まだ腹に据え兼ねるといったふうに、ぶすっとして居住まいを正した。
「ああ、香都子。よりによって、どうして音助なんかと」
 怒りの矛先は、娘から番頭へと向いていた。
 そんな母を、香都子は冷ややかに一瞥する。
「きっと、お母様はそう仰る。だから私は、あの日、音助と駆け落ちを企てたのです」
 京都に恩師の見舞いに行ったときの香都子の服装は、いつになく地味で、派手な色を好む彼女らしくはなかった。たとえ暗めの色を選ばざるを得ないにしても、装飾品に凝る。それが、あの日は、まるで別人を装うかのごとく、雰囲気を違わせていた。
「ああ……」
「松子様!」
 会話の内容にとうとう耐えられず、松子は眩暈を起こし、仰向けに体が倒れて行く。突然のことに俄かにざわめき対応が遅れる中、一番素早かったのは渡邊だった。音もなく立ち上がるなり松子の体を支える。
 そのとき、吉森は見逃さなかった。渡邊の左腕にチラリと覗いた青い筋を。刺青だ。一瞬のことだったので、それがただの痣なのか、彫り物なのか判別は出来なかった。
「結局、音助は来なかった。てっきり、怖気づいて雲隠れしたとものだとばかり。まさか……まさか、命を」
 香都子の唇が戦慄き、眦が潤んだかと思えば、どっと涙が頬を伝う。今の今まで、香都子は音助が自分を捨てたと歯噛みしていただろう。それが全くの筋違いであることに、受けた衝撃は計り知れない。
「自殺他殺の両面で当たっております」
「どちらにせよ、もうこの世に音助はいないのですね」
 たとえ自殺であろうとそうでなかろうと、最早、亡くなったことに変わりはない。焦燥感漂わせ、香都子は遠くを見つめながら呟いた。
 
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