【完結】華麗なるマチルダの密約

氷 豹人

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悪役令嬢は壁の花

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 気を取り直したように一人掛けソファに座って、男は長い足を持て余し気味に組んだ。肘掛けに凭れ掛かり、首を傾ける。
「しかし、男に手を触られたくらいで、いちいち反応するとは。夜会でのダンスはどうしていたんだ? 」
 細く整えた眉がひょい、と上がる。
「……」
 マチルダは無言で彼のその動きを目で追った。
 黙秘権行使だ。
「まさか」
 憎たらしいことに、男は察しが良過ぎる。
「悪かったわね! 私は壁の花よ! 」
 夜会での女性は二種類いる。
 主役か、主役でないか。
 即ち、相手がいるか。いないか。
 別に自分が、声すら掛けられずにピッタリと壁に背中をくっつける「その他大勢」に成り果てようと、恥じたりするなんてなかった。それが当然の成り行きだと諦めていたから。
 だが、今回ばかりは赤っ恥をかかされ、顔から湯気を吹き出す勢いでテーブルを叩きつけた。
「困ったもんだな」
 わざとらしい溜め息。
「何が困るのよ」
「完璧な恋人を演じる男を斡旋するんだ。よそよそしくされたら、台無しになるだろう」
 再度の確認のためか、男らしい手がマチルダの指先を撫でた。
 案の定、マチルダがこれでもかと跳ねる。
「いやはや。まさか、ここまで初心うぶだとは」
「わ、悪かったわね! 」
「別に悪くはない」
「きゃっ」
 またしても耳朶に指先が掛かり、マチルダが飛んだ。
 相手は完全に反応を楽しんでいる。
「く、口止め料は幾らをお望み? 」
 悔しさが際立って、唇がひび割れしてしまいそうだ。
 頭の中でぐるぐる考えていたことを、とうとう口にした。
「何だと? 」
「子爵家の弱みを握ったんだから。言い値を出すわ」
「馬鹿馬鹿しい」
 男は目を眇める。元々の鋭い眼光がさらに険しくなった。
「愚かな娘だ」
 鬱陶しそうに前髪を掻き上げる。
「良いかい、お嬢さん。うちは、君の家なんか比べものにならないくらいの財産があるんだ。つまらないことは口にするんじゃない」
 マチルダの脳に、牙を剥く獰猛な黒豹が過ぎった。
 だが、これっぽっちで怯んではいられない。
「だ、だったら。何が望みなのよ」
「私がこの世で一番嫌いなものはな、お嬢さん」
「な、何よ」
「おつむの弱い娘だ」
 ギロリと凄まれ、マチルダはびくりと尻を後ろへずらす。
「中でも大嫌いなのは、親の財産を自分のものだと勘違いしている娘」
 言いながら、黒豹は獲物を睨みつける。
「君のことだよ、お嬢さん」
 作法も何もあったものではない。男は指先をマチルダに向けた。
 男に品性が備わっているのは、一つ一つの所作からもわかる。敢えて不躾に指をさすのは、マチルダのことを侮蔑しているからに他ならない。
「無礼な! 」
 踵を踏み締めて床を叩くと、マチルダは一息に立ち上がった。木綿ドレスの裾を翻す。
「この話は忘れてちょうだい」
 帽子を被り直した。あんまり悔しくて、いつの間にか帽子を握り締めてしまっていたようだ。つばがくしゃくしゃになっている。
「待て待て。話は最後まで聞け」
 男はやや腰を浮かすと、素早くマチルダの腕を掴み、勢い任せに引いた。
 有無を言わさぬ強さで、マチルダは再びソファへ。
「馬鹿な娘は嫌いだが、躾のしがいがあれば、俄然、燃える」
「この私を躾けようと言うの? 」
「ああ」
「ふざけないで! 」
 身を乗り出し、男の頬に一発入れてやらなければ気が済まない。
 だが、男の方が動作が早かった。
 ひょい、と難なくかわされる。
 空振りしたマチルダは、バランスを崩してつんのめった。
 顔面を大理石のテーブルにぶつけてしまう。
 が、マチルダが覚悟した痛みは訪れず、代わりに何か硬くて弾力のある物が額に当たった。
「お転婆なお嬢さんだな」
 頭上から呆れた声。
 マチルダの額を打ったのは、彼の鍛えられた胸筋だった。
 マチルダは一足飛びで真後ろに引く。
「わ、わわわ私はサーカスのライオンじゃないのよ! 」
「まあな。餌で言いくるめられそうにない」
「何ですって! 」
 まだ額に彼の感触が残っている。マチルダは真っ赤になって怒鳴った。
「気の強い女は好みだ。しかも、腹の底に何も隠していない、気持ち良いくらいのあけっぴろげな女がな」
「わ、私はあなたの玩具になるつもりはありません」
「良いな。尚更、気に入った」
 男は満足そうに声を弾ませた。
 出会って初めて見せた笑顔は、少年のように生き生きとしている。笑えば目尻の皺が深くなった。
「尻を振って私に擦り寄る女は、いい加減に飽き飽きしていたんだ」
「最低」
「それは、こっちの台詞だ。我々は相性抜群だな」
「全然。平行線だわ」
「思ったより馬鹿ではなさそうだな」
 言いながら男はマチルダの手を取り、恭しく甲へとキスを落とした。
「自己紹介がまだだったな。私はロイ・オルコット。ロイと呼んでくれ」
 一連の仕草に不備はない。
 まるで上級貴族のような振る舞いだ。









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