11 / 114
悪役令嬢は壁の花
しおりを挟む
気を取り直したように一人掛けソファに座って、男は長い足を持て余し気味に組んだ。肘掛けに凭れ掛かり、首を傾ける。
「しかし、男に手を触られたくらいで、いちいち反応するとは。夜会でのダンスはどうしていたんだ? 」
細く整えた眉がひょい、と上がる。
「……」
マチルダは無言で彼のその動きを目で追った。
黙秘権行使だ。
「まさか」
憎たらしいことに、男は察しが良過ぎる。
「悪かったわね! 私は壁の花よ! 」
夜会での女性は二種類いる。
主役か、主役でないか。
即ち、相手がいるか。いないか。
別に自分が、声すら掛けられずにピッタリと壁に背中をくっつける「その他大勢」に成り果てようと、恥じたりするなんてなかった。それが当然の成り行きだと諦めていたから。
だが、今回ばかりは赤っ恥をかかされ、顔から湯気を吹き出す勢いでテーブルを叩きつけた。
「困ったもんだな」
わざとらしい溜め息。
「何が困るのよ」
「完璧な恋人を演じる男を斡旋するんだ。よそよそしくされたら、台無しになるだろう」
再度の確認のためか、男らしい手がマチルダの指先を撫でた。
案の定、マチルダがこれでもかと跳ねる。
「いやはや。まさか、ここまで初心だとは」
「わ、悪かったわね! 」
「別に悪くはない」
「きゃっ」
またしても耳朶に指先が掛かり、マチルダが飛んだ。
相手は完全に反応を楽しんでいる。
「く、口止め料は幾らをお望み? 」
悔しさが際立って、唇がひび割れしてしまいそうだ。
頭の中でぐるぐる考えていたことを、とうとう口にした。
「何だと? 」
「子爵家の弱みを握ったんだから。言い値を出すわ」
「馬鹿馬鹿しい」
男は目を眇める。元々の鋭い眼光がさらに険しくなった。
「愚かな娘だ」
鬱陶しそうに前髪を掻き上げる。
「良いかい、お嬢さん。うちは、君の家なんか比べものにならないくらいの財産があるんだ。つまらないことは口にするんじゃない」
マチルダの脳に、牙を剥く獰猛な黒豹が過ぎった。
だが、これっぽっちで怯んではいられない。
「だ、だったら。何が望みなのよ」
「私がこの世で一番嫌いなものはな、お嬢さん」
「な、何よ」
「おつむの弱い娘だ」
ギロリと凄まれ、マチルダはびくりと尻を後ろへずらす。
「中でも大嫌いなのは、親の財産を自分のものだと勘違いしている娘」
言いながら、黒豹は獲物を睨みつける。
「君のことだよ、お嬢さん」
作法も何もあったものではない。男は指先をマチルダに向けた。
男に品性が備わっているのは、一つ一つの所作からもわかる。敢えて不躾に指をさすのは、マチルダのことを侮蔑しているからに他ならない。
「無礼な! 」
踵を踏み締めて床を叩くと、マチルダは一息に立ち上がった。木綿ドレスの裾を翻す。
「この話は忘れてちょうだい」
帽子を被り直した。あんまり悔しくて、いつの間にか帽子を握り締めてしまっていたようだ。つばがくしゃくしゃになっている。
「待て待て。話は最後まで聞け」
男はやや腰を浮かすと、素早くマチルダの腕を掴み、勢い任せに引いた。
有無を言わさぬ強さで、マチルダは再びソファへ。
「馬鹿な娘は嫌いだが、躾のしがいがあれば、俄然、燃える」
「この私を躾けようと言うの? 」
「ああ」
「ふざけないで! 」
身を乗り出し、男の頬に一発入れてやらなければ気が済まない。
だが、男の方が動作が早かった。
ひょい、と難なくかわされる。
空振りしたマチルダは、バランスを崩してつんのめった。
顔面を大理石のテーブルにぶつけてしまう。
が、マチルダが覚悟した痛みは訪れず、代わりに何か硬くて弾力のある物が額に当たった。
「お転婆なお嬢さんだな」
頭上から呆れた声。
マチルダの額を打ったのは、彼の鍛えられた胸筋だった。
マチルダは一足飛びで真後ろに引く。
「わ、わわわ私はサーカスのライオンじゃないのよ! 」
「まあな。餌で言いくるめられそうにない」
「何ですって! 」
まだ額に彼の感触が残っている。マチルダは真っ赤になって怒鳴った。
「気の強い女は好みだ。しかも、腹の底に何も隠していない、気持ち良いくらいのあけっぴろげな女がな」
「わ、私はあなたの玩具になるつもりはありません」
「良いな。尚更、気に入った」
男は満足そうに声を弾ませた。
出会って初めて見せた笑顔は、少年のように生き生きとしている。笑えば目尻の皺が深くなった。
「尻を振って私に擦り寄る女は、いい加減に飽き飽きしていたんだ」
「最低」
「それは、こっちの台詞だ。我々は相性抜群だな」
「全然。平行線だわ」
「思ったより馬鹿ではなさそうだな」
言いながら男はマチルダの手を取り、恭しく甲へとキスを落とした。
「自己紹介がまだだったな。私はロイ・オルコット。ロイと呼んでくれ」
一連の仕草に不備はない。
まるで上級貴族のような振る舞いだ。
「しかし、男に手を触られたくらいで、いちいち反応するとは。夜会でのダンスはどうしていたんだ? 」
細く整えた眉がひょい、と上がる。
「……」
マチルダは無言で彼のその動きを目で追った。
黙秘権行使だ。
「まさか」
憎たらしいことに、男は察しが良過ぎる。
「悪かったわね! 私は壁の花よ! 」
夜会での女性は二種類いる。
主役か、主役でないか。
即ち、相手がいるか。いないか。
別に自分が、声すら掛けられずにピッタリと壁に背中をくっつける「その他大勢」に成り果てようと、恥じたりするなんてなかった。それが当然の成り行きだと諦めていたから。
だが、今回ばかりは赤っ恥をかかされ、顔から湯気を吹き出す勢いでテーブルを叩きつけた。
「困ったもんだな」
わざとらしい溜め息。
「何が困るのよ」
「完璧な恋人を演じる男を斡旋するんだ。よそよそしくされたら、台無しになるだろう」
再度の確認のためか、男らしい手がマチルダの指先を撫でた。
案の定、マチルダがこれでもかと跳ねる。
「いやはや。まさか、ここまで初心だとは」
「わ、悪かったわね! 」
「別に悪くはない」
「きゃっ」
またしても耳朶に指先が掛かり、マチルダが飛んだ。
相手は完全に反応を楽しんでいる。
「く、口止め料は幾らをお望み? 」
悔しさが際立って、唇がひび割れしてしまいそうだ。
頭の中でぐるぐる考えていたことを、とうとう口にした。
「何だと? 」
「子爵家の弱みを握ったんだから。言い値を出すわ」
「馬鹿馬鹿しい」
男は目を眇める。元々の鋭い眼光がさらに険しくなった。
「愚かな娘だ」
鬱陶しそうに前髪を掻き上げる。
「良いかい、お嬢さん。うちは、君の家なんか比べものにならないくらいの財産があるんだ。つまらないことは口にするんじゃない」
マチルダの脳に、牙を剥く獰猛な黒豹が過ぎった。
だが、これっぽっちで怯んではいられない。
「だ、だったら。何が望みなのよ」
「私がこの世で一番嫌いなものはな、お嬢さん」
「な、何よ」
「おつむの弱い娘だ」
ギロリと凄まれ、マチルダはびくりと尻を後ろへずらす。
「中でも大嫌いなのは、親の財産を自分のものだと勘違いしている娘」
言いながら、黒豹は獲物を睨みつける。
「君のことだよ、お嬢さん」
作法も何もあったものではない。男は指先をマチルダに向けた。
男に品性が備わっているのは、一つ一つの所作からもわかる。敢えて不躾に指をさすのは、マチルダのことを侮蔑しているからに他ならない。
「無礼な! 」
踵を踏み締めて床を叩くと、マチルダは一息に立ち上がった。木綿ドレスの裾を翻す。
「この話は忘れてちょうだい」
帽子を被り直した。あんまり悔しくて、いつの間にか帽子を握り締めてしまっていたようだ。つばがくしゃくしゃになっている。
「待て待て。話は最後まで聞け」
男はやや腰を浮かすと、素早くマチルダの腕を掴み、勢い任せに引いた。
有無を言わさぬ強さで、マチルダは再びソファへ。
「馬鹿な娘は嫌いだが、躾のしがいがあれば、俄然、燃える」
「この私を躾けようと言うの? 」
「ああ」
「ふざけないで! 」
身を乗り出し、男の頬に一発入れてやらなければ気が済まない。
だが、男の方が動作が早かった。
ひょい、と難なくかわされる。
空振りしたマチルダは、バランスを崩してつんのめった。
顔面を大理石のテーブルにぶつけてしまう。
が、マチルダが覚悟した痛みは訪れず、代わりに何か硬くて弾力のある物が額に当たった。
「お転婆なお嬢さんだな」
頭上から呆れた声。
マチルダの額を打ったのは、彼の鍛えられた胸筋だった。
マチルダは一足飛びで真後ろに引く。
「わ、わわわ私はサーカスのライオンじゃないのよ! 」
「まあな。餌で言いくるめられそうにない」
「何ですって! 」
まだ額に彼の感触が残っている。マチルダは真っ赤になって怒鳴った。
「気の強い女は好みだ。しかも、腹の底に何も隠していない、気持ち良いくらいのあけっぴろげな女がな」
「わ、私はあなたの玩具になるつもりはありません」
「良いな。尚更、気に入った」
男は満足そうに声を弾ませた。
出会って初めて見せた笑顔は、少年のように生き生きとしている。笑えば目尻の皺が深くなった。
「尻を振って私に擦り寄る女は、いい加減に飽き飽きしていたんだ」
「最低」
「それは、こっちの台詞だ。我々は相性抜群だな」
「全然。平行線だわ」
「思ったより馬鹿ではなさそうだな」
言いながら男はマチルダの手を取り、恭しく甲へとキスを落とした。
「自己紹介がまだだったな。私はロイ・オルコット。ロイと呼んでくれ」
一連の仕草に不備はない。
まるで上級貴族のような振る舞いだ。
38
あなたにおすすめの小説
【完結】姉は聖女? ええ、でも私は白魔導士なので支援するぐらいしか取り柄がありません。
猫屋敷 むぎ
ファンタジー
誰もが憧れる勇者と最強の騎士が恋したのは聖女。それは私ではなく、姉でした。
復活した魔王に侯爵領を奪われ没落した私たち姉妹。そして、誰からも愛される姉アリシアは神の祝福を受け聖女となり、私セレナは支援魔法しか取り柄のない白魔導士のまま。
やがてヴァルミエール国王の王命により結成された勇者パーティは、
勇者、騎士、聖女、エルフの弓使い――そして“おまけ”の私。
過去の恋、未来の恋、政略婚に揺れ動く姉を見つめながら、ようやく私の役割を自覚し始めた頃――。
魔王城へと北上する魔王討伐軍と共に歩む勇者パーティは、
四人の魔将との邂逅、秘められた真実、そしてそれぞれの試練を迎え――。
輝く三人の恋と友情を“すぐ隣で見つめるだけ”の「聖女の妹」でしかなかった私。
けれど魔王討伐の旅路の中で、“仲間を支えるとは何か”に気付き、
やがて――“本当の自分”を見つけていく――。
そんな、ちょっぴり切ない恋と友情と姉妹愛、そして私の成長の物語です。
※本作の章構成:
第一章:アカデミー&聖女覚醒編
第二章:勇者パーティ結成&魔王討伐軍北上編
第三章:帰郷&魔将・魔王決戦編
※「小説家になろう」にも掲載(異世界転生・恋愛12位)
※ アルファポリス完結ファンタジー8位。応援ありがとうございます。
魅了が解けた貴男から私へ
砂礫レキ
ファンタジー
貴族学園に通う一人の男爵令嬢が第一王子ダレルに魅了の術をかけた。
彼女に操られたダレルは婚約者のコルネリアを憎み罵り続ける。
そして卒業パーティーでとうとう婚約破棄を宣言した。
しかし魅了の術はその場に運良く居た宮廷魔術師に見破られる。
男爵令嬢は処刑されダレルは正気に戻った。
元凶は裁かれコルネリアへの愛を取り戻したダレル。
しかしそんな彼に半年後、今度はコルネリアが婚約破棄を告げた。
三話完結です。
王子は婚約破棄を泣いて詫びる
tartan321
恋愛
最愛の妹を失った王子は婚約者のキャシーに復讐を企てた。非力な王子ではあったが、仲間の協力を取り付けて、キャシーを王宮から追い出すことに成功する。
目的を達成し安堵した王子の前に突然死んだ妹の霊が現れた。
「お兄さま。キャシー様を3日以内に連れ戻して!」
存亡をかけた戦いの前に王子はただただ無力だった。
王子は妹の言葉を信じ、遥か遠くの村にいるキャシーを訪ねることにした……。
9時から5時まで悪役令嬢
西野和歌
恋愛
「お前は動くとロクな事をしない、だからお前は悪役令嬢なのだ」
婚約者である第二王子リカルド殿下にそう言われた私は決意した。
ならば私は願い通りに動くのをやめよう。
学園に登校した朝九時から下校の夕方五時まで
昼休憩の一時間を除いて私は椅子から動く事を一切禁止した。
さあ望むとおりにして差し上げました。あとは王子の自由です。
どうぞ自らがヒロインだと名乗る彼女たちと仲良くして下さい。
卒業パーティーもご自身でおっしゃった通りに、彼女たちから選ぶといいですよ?
なのにどうして私を部屋から出そうとするんですか?
嫌です、私は初めて自分のためだけの自由の時間を手に入れたんです。
今まで通り、全てあなたの願い通りなのに何が不満なのか私は知りません。
冷めた伯爵令嬢と逆襲された王子の話。
☆別サイトにも掲載しています。
※感想より続編リクエストがありましたので、突貫工事並みですが、留学編を追加しました。
これにて完結です。沢山の皆さまに感謝致します。
愛された側妃と、愛されなかった正妃
編端みどり
恋愛
隣国から嫁いだ正妃は、夫に全く相手にされない。
夫が愛しているのは、美人で妖艶な側妃だけ。
連れて来た使用人はいつの間にか入れ替えられ、味方がいなくなり、全てを諦めていた正妃は、ある日側妃に子が産まれたと知った。自分の子として育てろと無茶振りをした国王と違い、産まれたばかりの赤ん坊は可愛らしかった。
正妃は、子育てを通じて強く逞しくなり、夫を切り捨てると決めた。
※カクヨムさんにも掲載中
※ 『※』があるところは、血の流れるシーンがあります
※センシティブな表現があります。血縁を重視している世界観のためです。このような考え方を肯定するものではありません。不快な表現があればご指摘下さい。
村娘になった悪役令嬢
枝豆@敦騎
恋愛
父が連れてきた妹を名乗る少女に出会った時、公爵令嬢スザンナは自分の前世と妹がヒロインの乙女ゲームの存在を思い出す。
ゲームの知識を得たスザンナは自分が将来妹の殺害を企てる事や自分が父の実子でない事を知り、身分を捨て母の故郷で平民として暮らすことにした。
村娘になった少女が行き倒れを拾ったり、ヒロインに連れ戻されそうになったり、悪役として利用されそうになったりしながら最後には幸せになるお話です。
※他サイトにも掲載しています。(他サイトに投稿したものと異なっている部分があります)
アルファポリスのみ後日談投稿しております。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる