【完結】華麗なるマチルダの密約

氷 豹人

文字の大きさ
69 / 114

一族の奇跡

しおりを挟む
 ロイは不機嫌を隠しもせず、ギロリと鋭い視線でマチルダを雁字搦めにする。
 マチルダはここが貴族領の穏やかな湖畔ではなく、猛禽類の徘徊するサバンナではなかろうかと錯覚した。
 彼の双眸はそれほど獰猛だ。
「つまらないことで悩んでいるんだな」
 ガラガラした擦れた声は、まさしく獣を想起させる。
「君は『ブライス一族の奇跡』なのに」
 ロイはマチルダに奇妙な渾名をつけた。
「え? 」
 聞いたこともないその渾名に、マチルダは不審極まりなく細眉をこれでもかと中央に寄せる。
「親類縁者、誰もが君にひれ伏すさ」
 仰々しくロイはマチルダの手を取ると、その甲に触れるか触れないかの際で軽く息を吹いた。
 手の甲は尊敬の証。
 彼は彼女にかしづく。
「ど、どうして? 」
 何故、一介の子爵令嬢に、位の高い人々がひれ伏すのか。その意図が読めない。
「この私を難なく受け入れる女性だからだ」
「何だか卑猥に聞こえるわ」
「そう聞こえたなら正しい」
 あっけらかんとロイは言う。
 猛禽類の鋭さは消えて、彼の眼差しからは欲に塗れた妖しげな匂いがぷんぷんしている。
「しかも、この私を子宮内に直に入り込ませる名器」
 この男は会話の中で下品な台詞を口にしなければならない制約でも課しているのだろうか。
 マチルダはこめかみを押さえた。
「ほ、他の女性は違うの? 」
「ああ。君が初めてだ」
「よくも妻の前で躊躇いもなく過去の女性との情事を口に出来るわね」
「褒め言葉なのに」
「うれしくない称号だわ」
 ブライス一族の奇跡などと物々しい渾名の、その理由に、マチルダはますますこめかみを痛める。
「君のような名器は、曽祖母ひいおばあ様以来。実に百年ぶりだ」
 どうも揶揄ではない。目が本気だ。ロイの口調から、曽祖母様をかなり尊敬しているのは明らか。
「そ、そんなことで身分差は相殺されるの? 」
「勿論。我が一族は子孫繁栄に何より重きを置く」
 ことあるごとに「子孫繁栄」を口に出してきたロイ。一族の信条のようだ。長い歴史により積み重ねられてきたその教えを、ロイは忠実に守っている。
「ちなみに、曽祖母様は元はメイドだ。彼女は子供を十七人産み、九十八歳で大往生するまで、一族の長として君臨した」
 曽祖母様は彼にとって絶対的な存在なのだろう。彼だけではない。一族全ての。
 今でこそ身分差に関する考えは変わりつつあるが、百年前といえばかなり締め付けが厳しい時代だった。同じ貴族でさえ、上下関係を重んじる時代。そのような時代に、メイドを娶るなんて。とてもじゃないが、考えられない。
「私も六十手前で子供を作った曽祖父にあやかりたいものだ」
 ロイの喉がくっと鳴った。
「バカ! 」
 マチルダは顔を真っ赤にしていきりたち、握り込んだ拳にこれでもかと青筋を立てる。だん、と靴先を踏み出した。
「これから親類の集まりでどんな顔をしろと言うの! 恥ずかしくて仕方ないわ! 」
「堂々としていたら良いんだ」
「そ、そもそも、どうしてご親戚が私のことを……その……め、名器……だと知っているのよ! 」
「言い淀む姿は可愛いな」
「うるさい! 」
「あれは隣の部屋から親戚の重鎮一同、揃って観察していて」
 骨の軋む音が夜空をつんざく。
 マチルダは迷いなくロイの鳩尾に拳を打ち込んだ。
しおりを挟む
感想 5

あなたにおすすめの小説

愛された側妃と、愛されなかった正妃

編端みどり
恋愛
隣国から嫁いだ正妃は、夫に全く相手にされない。 夫が愛しているのは、美人で妖艶な側妃だけ。 連れて来た使用人はいつの間にか入れ替えられ、味方がいなくなり、全てを諦めていた正妃は、ある日側妃に子が産まれたと知った。自分の子として育てろと無茶振りをした国王と違い、産まれたばかりの赤ん坊は可愛らしかった。 正妃は、子育てを通じて強く逞しくなり、夫を切り捨てると決めた。 ※カクヨムさんにも掲載中 ※ 『※』があるところは、血の流れるシーンがあります ※センシティブな表現があります。血縁を重視している世界観のためです。このような考え方を肯定するものではありません。不快な表現があればご指摘下さい。

悪役令嬢の末路

ラプラス
恋愛
政略結婚ではあったけれど、夫を愛していたのは本当。でも、もう疲れてしまった。 だから…いいわよね、あなた?

魅了が解けた貴男から私へ

砂礫レキ
ファンタジー
貴族学園に通う一人の男爵令嬢が第一王子ダレルに魅了の術をかけた。 彼女に操られたダレルは婚約者のコルネリアを憎み罵り続ける。 そして卒業パーティーでとうとう婚約破棄を宣言した。 しかし魅了の術はその場に運良く居た宮廷魔術師に見破られる。 男爵令嬢は処刑されダレルは正気に戻った。 元凶は裁かれコルネリアへの愛を取り戻したダレル。 しかしそんな彼に半年後、今度はコルネリアが婚約破棄を告げた。 三話完結です。

【完結】仲の良かったはずの婚約者に一年無視され続け、婚約解消を決意しましたが

ゆらゆらぎ
恋愛
エルヴィラ・ランヴァルドは第二王子アランの幼い頃からの婚約者である。仲睦まじいと評判だったふたりは、今では社交界でも有名な冷えきった仲となっていた。 定例であるはずの茶会もなく、婚約者の義務であるはずのファーストダンスも踊らない そんな日々が一年と続いたエルヴィラは遂に解消を決意するが──

断罪まであと5秒、今すぐ逆転始めます

山河 枝
ファンタジー
聖女が魔物と戦う乙女ゲーム。その聖女につかみかかったせいで処刑される令嬢アナベルに、転生してしまった。 でも私は知っている。実は、アナベルこそが本物の聖女。 それを証明すれば断罪回避できるはず。 幸い、処刑人が味方になりそうだし。モフモフ精霊たちも慕ってくれる。 チート魔法で魔物たちを一掃して、本物アピールしないと。 処刑5秒前だから、今すぐに!

【完結】姉は聖女? ええ、でも私は白魔導士なので支援するぐらいしか取り柄がありません。

猫屋敷 むぎ
ファンタジー
誰もが憧れる勇者と最強の騎士が恋したのは聖女。それは私ではなく、姉でした。 復活した魔王に侯爵領を奪われ没落した私たち姉妹。そして、誰からも愛される姉アリシアは神の祝福を受け聖女となり、私セレナは支援魔法しか取り柄のない白魔導士のまま。 やがてヴァルミエール国王の王命により結成された勇者パーティは、 勇者、騎士、聖女、エルフの弓使い――そして“おまけ”の私。 過去の恋、未来の恋、政略婚に揺れ動く姉を見つめながら、ようやく私の役割を自覚し始めた頃――。 魔王城へと北上する魔王討伐軍と共に歩む勇者パーティは、 四人の魔将との邂逅、秘められた真実、そしてそれぞれの試練を迎え――。 輝く三人の恋と友情を“すぐ隣で見つめるだけ”の「聖女の妹」でしかなかった私。 けれど魔王討伐の旅路の中で、“仲間を支えるとは何か”に気付き、 やがて――“本当の自分”を見つけていく――。 そんな、ちょっぴり切ない恋と友情と姉妹愛、そして私の成長の物語です。 ※本作の章構成:  第一章:アカデミー&聖女覚醒編  第二章:勇者パーティ結成&魔王討伐軍北上編  第三章:帰郷&魔将・魔王決戦編 ※「小説家になろう」にも掲載(異世界転生・恋愛12位) ※ アルファポリス完結ファンタジー8位。応援ありがとうございます。

結婚式に結婚相手の不貞が発覚した花嫁は、義父になるはずだった公爵当主と結ばれる

狭山雪菜
恋愛
アリス・マーフィーは、社交界デビューの時にベネット公爵家から結婚の打診を受けた。 しかし、結婚相手は女にだらしないと有名な次期当主で……… こちらの作品は、「小説家になろう」にも掲載してます。

離婚した彼女は死ぬことにした

はるかわ 美穂
恋愛
事故で命を落とす瞬間、政略結婚で結ばれた夫のアルバートを愛していたことに気づいたエレノア。 もう一度彼との結婚生活をやり直したいと願うと、四年前に巻き戻っていた。 今度こそ彼に相応しい妻になりたいと、これまでの臆病な自分を脱ぎ捨て奮闘するエレノア。しかし、 「前にも言ったけど、君は妻としての役目を果たさなくていいんだよ」 返ってくるのは拒絶を含んだ鉄壁の笑みと、表面的で義務的な優しさ。 それでも夫に想いを捧げ続けていたある日のこと、アルバートの大事にしている弟妹が原因不明の体調不良に襲われた。 神官から、二人の体調不良はエレノアの体内に宿る瘴気が原因だと告げられる。 大切な人を守るために離婚して彼らから離れることをエレノアは決意するが──。

処理中です...