【完結】華麗なるマチルダの密約

氷 豹人

文字の大きさ
91 / 114

海運会社の社長室

しおりを挟む
 警察にて調書をとり、その足でロイの会社へ。
 ロイが経営する「ブライス海運」は、王都の一等地の、個人商店や事務所が並ぶ一角にある。
 余裕で馬車同士が往来する広々と整備された道路に面したロイの会社は、同じ建築士の設計なのか、高級娼館ローレンスとどことなく似通っている。
 白亜の三階建で、両脇には太い柱が支え、外階段を五段上がった先には真樺の両開きの頑丈で分厚い扉。扉には半裸の人魚と渦巻く波がデザインされた、見事な細工彫り。
 鋳物製の看板には、ブライス海運の名前と、またもや人魚の彫刻彫り。
 エントランスには、今まさに海に飛び込んだ人魚の絵が壁一面に飾られていた。伯爵邸で見た絵の倍近い大きなキャンバスだ。
 仄暗い海面に飛沫が飛んで、美しい人魚を銀色の満月が淡く照らす。  
 眺めていると、そのまま絵の中に引き込まれてしまいそうな気にさえなってくる。
「人魚だ」
「人魚が絵から飛び出してきた」
 二階の従業員室でロイから紹介された際、誰からともなくそのようなが呟きが漏れる。
 黄金色の髪を腰元で揺らめかせ、琥珀の瞳が凛と前を見据えている。エントランスに飾られている人魚は、マチルダそのもの。
 前触れのない夫人の訪問に、社員一同がぽうっと惚けてしまった。
「私の顔に何かついているのかしら? 」
 身なりは整えているが、化粧にはさほど手を掛けていない。それがまずかったのだろうか。
 あまりにも皆んなが凝視してきて、マチルダは躊躇うばかりで、己の頬を擦る。
 よもや美しい貴婦人に男共が目を奪われているとは思わない。
 その美貌ゆえ男らを気後れさせ、それに自覚なく、夜会では壁の花が定番だったマチルダには、男の下心などとは今まで無縁で過ごしてきた。
 ロイを例外として。
 恋に狂うロイは、軟弱な野郎どもとは違う。
 だからこそ、海運という荒くれ者らと渡り合う会社の社長の椅子に腰掛けているのだ。
 ロイはライバルにもならない部下らを肉食獣そのものの睨みで捩じ伏せると、妻の手を引き、ずかずかと社長室に一直線に向かった。
 

 社長室は、伯爵邸のロイの寝室同様に、壁紙は濃紺の青海波の柄で、深い海底を連想させた。
 ペルシャ絨毯は青系のコンパートメント紋様。
 大きく取られた窓を背に配置されたマホガニー製の広々した執務机には、署名を待つ書類がこれでもかと積み重なっている。  
 壁一面の埋め込み式の書棚には、あらゆる国の言語の書物がぎゅうぎゅうと詰め込まれ、入りきらない分は床に何冊も積まれていた。
「積荷の重量制限が変わった。これ以上は別便だ。追加料金を徴収しろ。文句があるやつがいるなら、私に通せ」
 執務椅子に腰掛けるなり、ロイの顔が社長にと変化する。
 ロイはてきぱきと社員に指示を出しながら、真剣に書類に目を通す。
 とてもじゃないが、朝、寝惚け眼でマチルダの乳首を吸っていた変態と同一人物とは思えない。
 マチルダはまるでお芝居の一場面でも見ているかのような気分で、部屋の片隅に用意された椅子に座りながらぼんやりと夫の仕事ぶりを眺めていた。


 

しおりを挟む
感想 5

あなたにおすすめの小説

愛された側妃と、愛されなかった正妃

編端みどり
恋愛
隣国から嫁いだ正妃は、夫に全く相手にされない。 夫が愛しているのは、美人で妖艶な側妃だけ。 連れて来た使用人はいつの間にか入れ替えられ、味方がいなくなり、全てを諦めていた正妃は、ある日側妃に子が産まれたと知った。自分の子として育てろと無茶振りをした国王と違い、産まれたばかりの赤ん坊は可愛らしかった。 正妃は、子育てを通じて強く逞しくなり、夫を切り捨てると決めた。 ※カクヨムさんにも掲載中 ※ 『※』があるところは、血の流れるシーンがあります ※センシティブな表現があります。血縁を重視している世界観のためです。このような考え方を肯定するものではありません。不快な表現があればご指摘下さい。

悪役令嬢の末路

ラプラス
恋愛
政略結婚ではあったけれど、夫を愛していたのは本当。でも、もう疲れてしまった。 だから…いいわよね、あなた?

魅了が解けた貴男から私へ

砂礫レキ
ファンタジー
貴族学園に通う一人の男爵令嬢が第一王子ダレルに魅了の術をかけた。 彼女に操られたダレルは婚約者のコルネリアを憎み罵り続ける。 そして卒業パーティーでとうとう婚約破棄を宣言した。 しかし魅了の術はその場に運良く居た宮廷魔術師に見破られる。 男爵令嬢は処刑されダレルは正気に戻った。 元凶は裁かれコルネリアへの愛を取り戻したダレル。 しかしそんな彼に半年後、今度はコルネリアが婚約破棄を告げた。 三話完結です。

【完結】仲の良かったはずの婚約者に一年無視され続け、婚約解消を決意しましたが

ゆらゆらぎ
恋愛
エルヴィラ・ランヴァルドは第二王子アランの幼い頃からの婚約者である。仲睦まじいと評判だったふたりは、今では社交界でも有名な冷えきった仲となっていた。 定例であるはずの茶会もなく、婚約者の義務であるはずのファーストダンスも踊らない そんな日々が一年と続いたエルヴィラは遂に解消を決意するが──

【完結】姉は聖女? ええ、でも私は白魔導士なので支援するぐらいしか取り柄がありません。

猫屋敷 むぎ
ファンタジー
誰もが憧れる勇者と最強の騎士が恋したのは聖女。それは私ではなく、姉でした。 復活した魔王に侯爵領を奪われ没落した私たち姉妹。そして、誰からも愛される姉アリシアは神の祝福を受け聖女となり、私セレナは支援魔法しか取り柄のない白魔導士のまま。 やがてヴァルミエール国王の王命により結成された勇者パーティは、 勇者、騎士、聖女、エルフの弓使い――そして“おまけ”の私。 過去の恋、未来の恋、政略婚に揺れ動く姉を見つめながら、ようやく私の役割を自覚し始めた頃――。 魔王城へと北上する魔王討伐軍と共に歩む勇者パーティは、 四人の魔将との邂逅、秘められた真実、そしてそれぞれの試練を迎え――。 輝く三人の恋と友情を“すぐ隣で見つめるだけ”の「聖女の妹」でしかなかった私。 けれど魔王討伐の旅路の中で、“仲間を支えるとは何か”に気付き、 やがて――“本当の自分”を見つけていく――。 そんな、ちょっぴり切ない恋と友情と姉妹愛、そして私の成長の物語です。 ※本作の章構成:  第一章:アカデミー&聖女覚醒編  第二章:勇者パーティ結成&魔王討伐軍北上編  第三章:帰郷&魔将・魔王決戦編 ※「小説家になろう」にも掲載(異世界転生・恋愛12位) ※ アルファポリス完結ファンタジー8位。応援ありがとうございます。

笑う令嬢は毒の杯を傾ける

無色
恋愛
 その笑顔は、甘い毒の味がした。  父親に虐げられ、義妹によって婚約者を奪われた令嬢は復讐のために毒を喰む。

結婚式に結婚相手の不貞が発覚した花嫁は、義父になるはずだった公爵当主と結ばれる

狭山雪菜
恋愛
アリス・マーフィーは、社交界デビューの時にベネット公爵家から結婚の打診を受けた。 しかし、結婚相手は女にだらしないと有名な次期当主で……… こちらの作品は、「小説家になろう」にも掲載してます。

悪意には悪意で

12時のトキノカネ
恋愛
私の不幸はあの女の所為?今まで穏やかだった日常。それを壊す自称ヒロイン女。そしてそのいかれた女に悪役令嬢に指定されたミリ。ありがちな悪役令嬢ものです。 私を悪意を持って貶めようとするならば、私もあなたに同じ悪意を向けましょう。 ぶち切れ気味の公爵令嬢の一幕です。

処理中です...