【完結】華麗なるマチルダの密約

氷 豹人

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人魚と月

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 イメルダはどこへ消えてしまったのだろう。
 女王蜂のように君臨する姉が。
 これまでは、ぐらぐらする地面の上で何とか平行を保とうと、お互いに息を潜めながら何とか道を踏み外すことなく、上手くやれていた。
 そう思っていたのは、マチルダだけだった。


 イメルダにとってマチルダは、幸福だった家族を歪ませた元凶でしかなかったのだ。
 イメルダの母が病に侵され、日毎に正気を失くしていくときに、その辛さから逃げた父が愛人との間に設けた子供。
 それがマチルダだ。
 母が亡くなったときに、待ちかねたように再婚した父。
 すでに愛人の腹には生命が宿っていた。
 だからこそ、再婚話は異常な速さで進んだ。
 マチルダさえいなければ、父娘は身を寄せ合って、亡くした者の傷を埋めるためにじっくりと時間を掛けていたというのに。
 父だけが、新たな安らぎを得て、イメルダは取り残された。
 イメルダだけが、悲しみに沈んでいる。
 女王蜂の毒針はマチルダへ向いた。
 マチルダが不細工で根暗で、己を卑下するだけしか脳のない鈍臭い娘だったなら、イメルダは溜飲を下げたかもしれない。
 だが、マチルダは美し過ぎた。
 どのような嫌がらせさえ、泣き言すら吐かず、毅然と前を向いている。
 毒針すら跳ね返すような強さで。
 自分が持ち得ない美しさ。
 だが、マチルダはそんなイメルダの卑屈に気づかない。
 手にした美しさすら、気づいていない。
 針の毒は日毎に塗り重ねられていた。


「マチルダ。泣くな」
 涙の止まらないマチルダを、ロイはエントランスまで連れて来た。
 嫌われているのはわかっていたが、相当に恨まれているなんて。ここ最近で明るみになったイメルダの深淵は、マチルダの精神を大きく揺さぶった。
「私……私……それほどお姉様に恨まれていたのね……」
 気に食わない妹に、時折手荒い悪戯を仕掛ける意地悪な姉。それだけではなかった。身近な家令を操り、本気で命を狙うほど、憎まれていたのだ。メイカーの言動で確信した。
 嗚咽を漏らすマチルダの肩に手を回したロイは、彼女を己の胸へと引き寄せる。
「マチルダ。この絵を見てみろ」
 描かれた人魚の大きな絵へと促す。
「君と出会ってから、画家に描かせたうちの一枚だ」
 やはり、モデルはマチルダだった。
 ロイはマチルダを想い、何枚も何枚も、画家に描かせた。
「君が人魚なら、私はこの月だ」
 海に飛び込もうとする人魚の上空にある銀色の満月が、燦然と彼女を輝かせる。
「いつも君を見ている」
 ロイはマチルダの眦に溜まる涙を、唇で掬い取った。
「何があろうと君を守る。そばにいる。君を慈しむ者があることを、忘れないでくれ」
 彼なりの慰め。愛の言葉。
 マチルダは、じわりじわりと胸が熱くなり、これまでとは違った意味の涙が溢れてきた。
 あたたかさで体中が満たされていく。
「ええ。あなた。愛しているわ」
 何の飾りもない言葉が零れ落ちる。
「私もだよ。マチルダ」
 ロイは満足そうに目を細めると、愛しい妻の唇に自分の唇を重ねた。
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