【完結】華麗なるマチルダの密約

氷 豹人

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侯爵夫人は恐ろしい

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 アンドレア邸へ馬車が近づくにつれ、真向かいに座るロイがもぞもぞとし始めて、仕舞いに貧乏揺すりまでしだした。
 マチルダは不審に目を眇めた。
 ロイの額にはうっすらと汗が浮かんでいる。
「どうなさったの? 顔色が悪いわよ? 」
「胃がキリキリする」
「まあ。朝食の何がいけなかったのかしら? 」
「そうではない。これから侯爵夫人と面会するかと思うと」
 彼らしくない。弱々しい語尾。
「まあ。あなたのような不遜な人でも、そんな感情を持つのね」
「私を何だと思っているんだ。どいつもこいつも」
 などと悪態をつくその顔は、情けなく眉が下がって歪んでいる。ハンサムが台無しだ。
「侯爵夫人は恐ろしい方だ」
 ロイは独りごちる。
 常に自信に溢れて、偉そうに踏ん反り返る彼が、何だか今は母猫を見失った子猫のごとく、不安そうに震えていた。体もどこかししら一回り縮んでしまったとさえ思えるくらいに。
 この、時々殴りつけたくなるくらい偉そうな男を、ここまで変えてしまうなんて。
「それほど怖い方なの? 」
「ああ。国を陰で動かす黒幕と、実しやかに語られている」
「それほど恐ろしい方なのね」
「ああ」
 ロイの恐怖が伝染し、マチルダの膝頭が小刻みに戦慄く。レディとしてあるまじきことだが、がくがくと絶え間なく爪先を揺すってしまう。
「では、身分の低い私が顔を見せれば気を悪くなさるかしら」
「それはない。現に、アークライトの奥方は平民出身だが、侯爵夫人のお気に入りだ」
 ロイはアンドレア侯爵夫人の寛大な器を評する。
 つまり彼女は、家柄だとか財産だとかといった外面ではなく、人生で培った内面生、品性に重きを置く人物なのだ。
 却ってマチルダの不安は増幅する。
 つまり、これまでの経験値を試されているということだ。
 誤魔化しはきかない。
 マチルダは全身をガタガタと揺らした。


 王宮の目と鼻の先に、アンドレア侯爵邸がある。
 王宮に近ければ近いほど、その権力は大きい。
 アンドレア邸は門構えからして凄みがあった。ブライス邸もかなり広大だが、その倍もある敷地だ。都会のアパルトマンが十何件も入りそうなくらい。
 別名を「薔薇の館」と呼ばれるだけあって、一流の庭師が手掛ける薔薇は、金細工が施された重厚な門扉にも美しく彩りを添えて、ふわりと甘い香りを放っている。
 馬車は門扉を抜ける。いよいよ花の香りが充満してきた。巷によくある品種を始め、大振り、小振り、密集した花弁のもの、シンプルな造作のもの、変わった色など、様々な種類の、各国から取り寄せた薔薇が迎えた。
「奥様は間もなくお見えになられます」
 絵本の紳士を具現化したような家令が恭しく頭を下げる、
 通された庭園は、花崗岩で造られた瓢箪型の池の噴水が虹を作り出し、東の国から取り寄せた御影石の灯籠と調和している。 
 今や貴族で絶大な人気を博す東国趣味の走りとなった侯爵夫人の庭園。
 貴族の流行は、いつも侯爵夫人の真似事から。
 池を泳ぐ錦鯉を横目しながら、すぐに上位貴族の真似事で自分まで洒落た気になる愚かな下流貴族をマチルダは忌々しい気持ちで思い浮かべた。













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