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笑顔で釘を刺す
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朗らかなお婆ちゃん。
マチルダがアンドレア侯爵夫人に抱いた第一印象だ。
だが、ロイは全く逆の印象を持っている。
アンドレア侯爵夫人は六十手前の、ふくよかなご婦人だ。ほうれい線が目立つ、まん丸の顔。円らな碧眼。灰褐色の髪は丁寧に後ろで一つに纏められて、以前にロイから贈られたものと同じ職人らしき細工のかんざしが飾られている。六枚の花弁が円くまとまった花から、一欠片が三枚の花弁が垂れ下がるデザイン。この国で品種改良される前の、東国の紫陽花であるとロイが耳打ちした。
侯爵夫人は、繊細なレース細工の扇で口元を隠しながら、にこにこと屈託なく目を細めると、ロイの方へと顔を向けた。
「この場合、ブライス卿とお呼びした方が良いのかしら? それとも、ロイ・オルコット氏かしら? 」
彼女の真向かいに座し、肩を張っていたロイがびくりと小さく跳ねた。
「ブ、ブライスで。いつも通りに」
ハンカチで額の汗を拭いながら、愛想笑いを浮かべる。
このように、しどろもどろするロイは、マチルダが知る限り初めてだ。まさしく、怖い教師を前に気を張る生徒そのもの。
「あら、そう。あなたがロイ・オルコットとして、アニストン家の子爵令嬢に魂を抜かれたと、すでに私の耳にまで届いておりますよ」
「そ、それは」
確かに事実ではあるが、真横に妻がいるというのにおおっぴらにされるのは、なかなかに恥ずかしい。
ロイが赤面するから、マチルダもつられてしまった。
「確か、誰かに横取りされてはいかんと、慌てて結婚証明書を発行したとか」
「いや、それは。その」
「私に隠し事は通じませんからね。随分と金を積んで、司祭を丸め込んだらしいですね」
あくまでにこにこと表情を崩さないから、余計に不気味だ。
マチルダはロイがアンドレア侯爵夫人が恐ろしいと口にした理由に納得する。
笑顔のまま、ギロチンの紐を切る侯爵夫人の幻想が頭を過る。
「司祭を買収など本来あってはならないことですが」
ロイも、これほど早く夫人の耳に入るのは予想外だったらしい。いづれは知れることだが、それまでに上手い言い訳を捻り出そうと、余裕ぶっていたのだろう。
アテが外れたロイは、ひたすらハンカチで汗を拭い、すでに布地がぐっしょりと重くなっている。
「あなたがこれほどまでに狂わされる気持ちは、充分理解出来ますよ。これほど、お美しい方ならね」
アンドレア侯爵夫人が値踏みする。
ここでオドオドしてはいけない。夫人はマチルダの本質を探っているのだ。
マチルダは背筋を正した。
「今回は目を瞑りますが。二度目はありませんよ」
笑顔で釘を刺す。
ロイの額はもう水浸しだ。
「噂とは当てにならないものですね。ツンケンして気位の高い、潔癖そのもののご令嬢だと伺っておりましたが」
夫人は言いながら、円な目をさらに細めた。
マチルダがアンドレア侯爵夫人に抱いた第一印象だ。
だが、ロイは全く逆の印象を持っている。
アンドレア侯爵夫人は六十手前の、ふくよかなご婦人だ。ほうれい線が目立つ、まん丸の顔。円らな碧眼。灰褐色の髪は丁寧に後ろで一つに纏められて、以前にロイから贈られたものと同じ職人らしき細工のかんざしが飾られている。六枚の花弁が円くまとまった花から、一欠片が三枚の花弁が垂れ下がるデザイン。この国で品種改良される前の、東国の紫陽花であるとロイが耳打ちした。
侯爵夫人は、繊細なレース細工の扇で口元を隠しながら、にこにこと屈託なく目を細めると、ロイの方へと顔を向けた。
「この場合、ブライス卿とお呼びした方が良いのかしら? それとも、ロイ・オルコット氏かしら? 」
彼女の真向かいに座し、肩を張っていたロイがびくりと小さく跳ねた。
「ブ、ブライスで。いつも通りに」
ハンカチで額の汗を拭いながら、愛想笑いを浮かべる。
このように、しどろもどろするロイは、マチルダが知る限り初めてだ。まさしく、怖い教師を前に気を張る生徒そのもの。
「あら、そう。あなたがロイ・オルコットとして、アニストン家の子爵令嬢に魂を抜かれたと、すでに私の耳にまで届いておりますよ」
「そ、それは」
確かに事実ではあるが、真横に妻がいるというのにおおっぴらにされるのは、なかなかに恥ずかしい。
ロイが赤面するから、マチルダもつられてしまった。
「確か、誰かに横取りされてはいかんと、慌てて結婚証明書を発行したとか」
「いや、それは。その」
「私に隠し事は通じませんからね。随分と金を積んで、司祭を丸め込んだらしいですね」
あくまでにこにこと表情を崩さないから、余計に不気味だ。
マチルダはロイがアンドレア侯爵夫人が恐ろしいと口にした理由に納得する。
笑顔のまま、ギロチンの紐を切る侯爵夫人の幻想が頭を過る。
「司祭を買収など本来あってはならないことですが」
ロイも、これほど早く夫人の耳に入るのは予想外だったらしい。いづれは知れることだが、それまでに上手い言い訳を捻り出そうと、余裕ぶっていたのだろう。
アテが外れたロイは、ひたすらハンカチで汗を拭い、すでに布地がぐっしょりと重くなっている。
「あなたがこれほどまでに狂わされる気持ちは、充分理解出来ますよ。これほど、お美しい方ならね」
アンドレア侯爵夫人が値踏みする。
ここでオドオドしてはいけない。夫人はマチルダの本質を探っているのだ。
マチルダは背筋を正した。
「今回は目を瞑りますが。二度目はありませんよ」
笑顔で釘を刺す。
ロイの額はもう水浸しだ。
「噂とは当てにならないものですね。ツンケンして気位の高い、潔癖そのもののご令嬢だと伺っておりましたが」
夫人は言いながら、円な目をさらに細めた。
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