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思いがけない救世主

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 金属のぶつかる音は止まない。
 繰り出す剣の重さは、毒りんごの手首から上腕にかけて、痺れをもたらす。
「貴様みたいなひょろひょろした腕に、やられてたまるか」
 剣を受け止めることで精一杯で、押し返す力もない。受け止めたまま、後退りする。いつしか階段を降りて、貨物室まで押し戻されていた。
「むっ? 」
 ザンターは、ふと気づく。
 毒りんごの喉仏は、つるんと滑らかだ。
「まさか、女か? 」
 ザンターは、唖然となる。
「いやいや。まさか」
 ふっと力が緩んだ。
 仮面の下の目を血走らせ、毒りんごは真横にひとっ飛びする。
 何とか剣の応酬からは逃れられた。
 全身汗だくで、衣装がぐっしょり濡れて重い。
 肩を上下させ、呼吸を整えようとしても、浅く細い息はなかなか元通りにはならない。喉に鉛がつかえたように苦しい。
 ザンターの息も荒い。
 どちらが先に乱れた息を戻すか。勝敗はそこで決まる。


 少女らは毒りんごとザンターが貨物室中を動き回しているうちに、隙を見て外へと逃げ出していた。
「毒りんご様!」
 神父の馬車に乗り込んだはずの、変声期前のやや高い声。
「リオ! 」
 逃げ出しているはずなのに。
 船に残った少年に気を取られた。
「隙あり! 」
 マントを剣先が掠める。生地が斜めに切れた。
「……くそっ」
 毒りんごが歯噛みする。
「オイラに任せて! 」
 リオは、貨物室にある酒樽を横向けると、それを思い切り蹴っ飛ばす。
 酒樽はザンターに向かって、ごろごろと転がった。
 ザンターは咄嗟に酒樽をかわす。
 毒りんごと距離が出来た。
「よし!」
 リオは拳を頭上に掲げる。
「わああ! 離せ! 」
 喜んだのも束の間、リオは襟首を掴み上げられた。
「生意気な小僧めが」
 ザンターは、いらいらと目を眇める。
「離せ! この、国王の犬が! 」
「黙れ、小僧! 」
 リオの爪先は床面を離れ、ジタバタと無闇矢鱈ともがいた。襟を掴まれているため、喉が締まり、威勢の良さを失い、呼吸がやっとの状態だ。リオの顔が赤から青に変わっていく。
「リオを離せ! 」
 毒りんごが声を張り上げる。
「では、剣を置け。懐のものもな」
 ザンターの命じるまま、毒りんごは武器を目の前に放り投げた。
「勝負あったな」
 ニヤリ、とザンターの口髭ごと口元が斜めになった。


 不意に、ドン、と床を踏む音が鳴り渡る。
「誰だ! 」
 ザンターは音の発した扉前を睨んだ。
「久々だね、ザンター」
 響きのある、低く耳に馴染む声。
 ハッと毒りんごが息を呑む。
「オーランド公爵閣下。何故」
 ザンターは、このような場には決して相応しくない相手の名を口にする。
 ランハートは扉に凭れ掛かりながら、気怠そうに小首を傾げた。
 銀に輝く前髪を鬱陶しそうに掻き上げながら、ランハートは話す。
「ウィルソン氏から、内々に相談を受けていたんだよ。自分の船で闇取引が行われている疑いがあると」
 垂れがちな目で毒りんごをチラリと見る。
 咄嗟に毒りんごは視線を逸らせた。
「まさか、本当だったとはね」
 酒樽が転がり、南京錠の外された木箱が三つ。刀傷が板壁や床板に入る。滅茶苦茶な貨物室は、何かが起こった形跡が有りありだ。
「閣下。これは」
「ああ。全ての元凶は、白雪姫だ」
「あ、あの。この件は」
「まず、私に預からせてくれ。お前の悪いようにはしない」
 言い訳を考えあぐねるザンターを、ランハートは慈愛に満ちた優しい声で諭す。
「後は私が対処しよう。君は引きなさい」
「しかし」
「私の話が聞けないのか? 」
 ランハートの目つきが変わった。穏やかさは消え、冷たい色となる。獰猛さが顕著だ。さすが、国王の実弟である。
 ザンターは、ヒッと喉を引くつかせると、慌てて一礼し、走り去った。


「噂の義賊か」
 言いながらランハートは毒りんごに近寄るなり、顎先を掴み上げ、じっくり観察する。
 百九十センチ近くある大男は、燭台の薄暗い灯りに照らされると、やはり迫力がある。
 仮面から覗く毒りんごの目は、ランハートから逃げられない。
「美しい翠緑の瞳だ」
 ランハートは目を細めた。すでに獰猛さは形を潜め、いつもの垂れた目は飄々としている。
「私を突き出すのか? 」
 毒りんごは、酷く冷静な気持ちになっていた。
 ランハートの眼差しは、何故か心を鎮める。
「いいや」
 彼は首を横に振った。
「何故、私を助ける? 」
「気まぐれだ」
 果たしてその理由が定かか、そうでないか。ニタリと人の悪い笑みを作るランハートから、真意は見えない。
「船乗りみんなが酔い潰れていたのは」
 皆、一様に酔っ払っていたのが、引っ掛かる。
「ウィルソン氏に頼んで、眠り薬入りの酒を差し入れた。船内を探るためにね」
 毒りんごの予想通り、ランハートが仕組んでいたのだ。
「船の主人の前では、人攫いの件を巧みに隠すだろうからね。眠らせてから、じっくり探る手筈だったが」
 ザンターとの諍いを、彼はどこかから監視していたのだ。
「予想以上の成果だよ」 
 ニタニタと端正な顔を崩し、拍手する。
 策士め。毒りんごは奥歯を噛んだ。
「娘達は」
「あの狸親父が、保護した。あんななりだが、根は良い奴だ。丁重に扱ってくれる」
 狸親父とは、ウィルソン商会の経営者だ。ランハートは昼間、公務で会うのだと話していた。
「彼とは古い馴染みでね。信頼の置ける男に間違いはない」
 狸親父とうそぶくほど、気心の知れた相手というわけか。
 果たして信頼出来る相手なのか。少女達は無事か。逃げ切る様を見届けていないため、どことなく割り切れない。
「安心しなさい」
 毒りんごの表情から心を読み取ったランハートは、極上の笑みを寄越す。
 乙女達がたちまち赤面する笑みだ。
 所詮、義賊の中身は二十歳の少女。毒りんごも例外ではない。
 耳朶が酷く熱を持つ。
 仮面と黒ずくめの衣装のおかげで、相手には気づかれていない。
「早く逃げなさい」
 ランハートの節のある長い指が戸口を示す。
 頷いた毒りんごは、すでに義賊の外面となっていた。
「また会えることを楽しみにしているよ。毒りんご」
 背後に、ランハートのやや弾んだ声が響いた。


「良い男ですね。オーランドは」
 誰もいない路地を、馬を駆っていた毒りんごに、二人乗りの前方のリオが呟く。
「とても、血塗れ国王と血が繋がってるとは、思えない」
 毒りんごの脳裏を過る、穏やかな眼差し。垂れ目が尚更に拍手をかける。
「……そうだな」
 早く、ランハートに会いたい。
 じわじわと胸に広がっていく想い。
 には、今まで感じたことのない不可思議な感情が湧いていた。


















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