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機関員は出場する前に地図を確認し、現場までの道を頭の中に叩きこんでおかなければいけない。ベテランともなれば、住所を聞くだけで到着することも可能だ。
また、機関員は消防車を走らせるだけが仕事ではない。
現場に行き着くだけではいけない。
火を消すための水利を取ってホースを的確に伸ばすことも重要な任務である。
そのために目指すのは消火栓の場所。多くは歩道や車道の下にあり、マンホールで蓋をしてある他、学校のプールや川や池からも水を使う場合もある。そんな一番的確な場所を狙って消防車は一斉に走る。
もし同じ管轄内で起きた火災に拘らず、自分達より遠い場所から来るポンプ車に先を越されるのは、一生の不覚。自分の管轄さえ把握出来ない脳なしと言われたも同然だ。プライドをかけて、機関員はハンドルを握っている。
そのために、四月と十月の年二回の移動の時期に、地図を携えながら機関員は消火栓の場所を足を使って地道に把握するのだ。
消火栓の位置の確認て、この間してなかったか?
ところが、橋本は消火栓の場所を素通りした。
「あの?」
橋本はバイク通勤をしている。学生の頃からの年季ものらしい、剥き出しのエンジンやハンドルなどの自然なスタイルを持つタイプで、メンテナンスが施されてあって、長年使用している割には掠り傷一つ見当たらない。
「どこ行くんですか、橋本さん。そっちは火事のあった現場ですよ」
ハンドル操作を橋本に任せ、後ろでおとなしくひっついていた俺でも、さすがに声を掛けずにはいられない。
「橋本さんってば」
無視かよ。
初めこそ無視を決め込んでいた橋本だったが、あまりにもしつこく腰に回した手で揺さぶられ、消火栓がどうのとヘルメット越しに叫ばれたら、とうとう反応せざるを得なくなったらしい。
「あー!ちょっと黙っとけ。お前は」
「無視するからでしょ」
昨夜の火事の現場から僅か五百メートル手前の道路脇にバイクを停めると、ヘルメットを脱ぐ。
やや長めの前髪が瞼の上で落ち、鬱陶しそうに首を振ってそれを払う。
まるで映画のワンシーンのような仕草に、どきっと胸が鳴った。口さえ開かなければ、七福市消防局で日浦か橋本かと女子の中で称えられているのも頷ける。
「ごちゃごちゃ、ごちゃごちゃと。いちいち声がでかいわ、お前は」
口を開かなければ、の部分を俺は心の中で大きく復唱した。
橋本は近くの電柱に凭れると、腕組みして一点を見据えた。
むかつくくらい、絵になるよな、この人。
現場は炭化した木材の匂いが鼻をつき、昨夜の惨状が生々しいことを実感させる。黒焦げの梁が剥き出しの住宅前には、ポンプ車に代わって現在はパトカーと、七福市消防局本庁のワゴン車が停まっている。青い作業着の消防官が一様に白い手袋を嵌め、ピンセットやカメラその他もろもろの機材を駆使して調査にあたっていた。出火原因が明らかでない場合に原因を究明するのが、火災調査官、本部直属の独立部署だ。
橋本からの借り物である予備用のヘルメットの紐を外すと、無下にも出来ず、それを両手で持て余しながら、しょうがないから並んでぼんやりとカメラのシャッターを切る音に耳を澄ます。
「変に思わへんだか?」
前触れもなく尋ねてきた。
言わんとすることはわかっている。
水が掛かったことで燃え広がるといった現象のことを指しているのだ。
橋本も表情には出さなかったものの、不審に感じているからこそ、わざわざ舞い戻ってきたのだ。
「生石灰かもな」
発火の原因が何であるのか、橋本は憶測を口にする。俺も同じ仮定を思い浮かべていたので、頷いた。
生石灰、別名を酸化カルシウム。製鋼用や、陶磁器や硝子の副原料、土壌改良剤等に利用されている。かつては消防法の危険物第三類に指定されていたが、一九八九年の消防法改正によって除外された。水分に触れると化学反応を起こし発火する。
何故、それが蕎麦屋の天井裏に置かれていたのか。
何の変哲もない、いや、むしろ閑散とした商業地の傾きかけた店。何故、そのような場所から生石灰が出てくるのか。仮に資材置き場や倉庫なら納得出来る。蕎麦屋九庵とは一体何のキーワードなのか。膨らむのは疑問ばかりで、ちっとも答えには結びつかない。
ああ、わからん。
がしがしと頭皮を掻き毟って混乱していく俺を尻目に、橋本は体の向きを変えた。
「ちょ、ちょっと。橋本さん」
置いていくなよ。慌ててバイクまで駆け戻った。
すでに橋本はヘルメットを身につけ跨り、鍵を捻る。だから、置いていくな。
濃い焦臭を放つかつての住宅の手前で警察が張り付けたKEEP OUTの黄色と黒の縞模様のテープには、もう興味を示していないらしい。
俺が飛び乗った途端、アクセルをふかした。
一体全体、どこへ連れ出すつもりなのか。本来なら今頃は蒲団の中で惰眠を貪っている時間帯だ。ついていない。俺は欠伸を噛み殺した。
また、機関員は消防車を走らせるだけが仕事ではない。
現場に行き着くだけではいけない。
火を消すための水利を取ってホースを的確に伸ばすことも重要な任務である。
そのために目指すのは消火栓の場所。多くは歩道や車道の下にあり、マンホールで蓋をしてある他、学校のプールや川や池からも水を使う場合もある。そんな一番的確な場所を狙って消防車は一斉に走る。
もし同じ管轄内で起きた火災に拘らず、自分達より遠い場所から来るポンプ車に先を越されるのは、一生の不覚。自分の管轄さえ把握出来ない脳なしと言われたも同然だ。プライドをかけて、機関員はハンドルを握っている。
そのために、四月と十月の年二回の移動の時期に、地図を携えながら機関員は消火栓の場所を足を使って地道に把握するのだ。
消火栓の位置の確認て、この間してなかったか?
ところが、橋本は消火栓の場所を素通りした。
「あの?」
橋本はバイク通勤をしている。学生の頃からの年季ものらしい、剥き出しのエンジンやハンドルなどの自然なスタイルを持つタイプで、メンテナンスが施されてあって、長年使用している割には掠り傷一つ見当たらない。
「どこ行くんですか、橋本さん。そっちは火事のあった現場ですよ」
ハンドル操作を橋本に任せ、後ろでおとなしくひっついていた俺でも、さすがに声を掛けずにはいられない。
「橋本さんってば」
無視かよ。
初めこそ無視を決め込んでいた橋本だったが、あまりにもしつこく腰に回した手で揺さぶられ、消火栓がどうのとヘルメット越しに叫ばれたら、とうとう反応せざるを得なくなったらしい。
「あー!ちょっと黙っとけ。お前は」
「無視するからでしょ」
昨夜の火事の現場から僅か五百メートル手前の道路脇にバイクを停めると、ヘルメットを脱ぐ。
やや長めの前髪が瞼の上で落ち、鬱陶しそうに首を振ってそれを払う。
まるで映画のワンシーンのような仕草に、どきっと胸が鳴った。口さえ開かなければ、七福市消防局で日浦か橋本かと女子の中で称えられているのも頷ける。
「ごちゃごちゃ、ごちゃごちゃと。いちいち声がでかいわ、お前は」
口を開かなければ、の部分を俺は心の中で大きく復唱した。
橋本は近くの電柱に凭れると、腕組みして一点を見据えた。
むかつくくらい、絵になるよな、この人。
現場は炭化した木材の匂いが鼻をつき、昨夜の惨状が生々しいことを実感させる。黒焦げの梁が剥き出しの住宅前には、ポンプ車に代わって現在はパトカーと、七福市消防局本庁のワゴン車が停まっている。青い作業着の消防官が一様に白い手袋を嵌め、ピンセットやカメラその他もろもろの機材を駆使して調査にあたっていた。出火原因が明らかでない場合に原因を究明するのが、火災調査官、本部直属の独立部署だ。
橋本からの借り物である予備用のヘルメットの紐を外すと、無下にも出来ず、それを両手で持て余しながら、しょうがないから並んでぼんやりとカメラのシャッターを切る音に耳を澄ます。
「変に思わへんだか?」
前触れもなく尋ねてきた。
言わんとすることはわかっている。
水が掛かったことで燃え広がるといった現象のことを指しているのだ。
橋本も表情には出さなかったものの、不審に感じているからこそ、わざわざ舞い戻ってきたのだ。
「生石灰かもな」
発火の原因が何であるのか、橋本は憶測を口にする。俺も同じ仮定を思い浮かべていたので、頷いた。
生石灰、別名を酸化カルシウム。製鋼用や、陶磁器や硝子の副原料、土壌改良剤等に利用されている。かつては消防法の危険物第三類に指定されていたが、一九八九年の消防法改正によって除外された。水分に触れると化学反応を起こし発火する。
何故、それが蕎麦屋の天井裏に置かれていたのか。
何の変哲もない、いや、むしろ閑散とした商業地の傾きかけた店。何故、そのような場所から生石灰が出てくるのか。仮に資材置き場や倉庫なら納得出来る。蕎麦屋九庵とは一体何のキーワードなのか。膨らむのは疑問ばかりで、ちっとも答えには結びつかない。
ああ、わからん。
がしがしと頭皮を掻き毟って混乱していく俺を尻目に、橋本は体の向きを変えた。
「ちょ、ちょっと。橋本さん」
置いていくなよ。慌ててバイクまで駆け戻った。
すでに橋本はヘルメットを身につけ跨り、鍵を捻る。だから、置いていくな。
濃い焦臭を放つかつての住宅の手前で警察が張り付けたKEEP OUTの黄色と黒の縞模様のテープには、もう興味を示していないらしい。
俺が飛び乗った途端、アクセルをふかした。
一体全体、どこへ連れ出すつもりなのか。本来なら今頃は蒲団の中で惰眠を貪っている時間帯だ。ついていない。俺は欠伸を噛み殺した。
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