【完結】失恋した消防士はそのうち陥落する

氷 豹人

文字の大きさ
22 / 56

22

しおりを挟む
 甘い雰囲気のまま、帰宅させてくれないのが、橋本だ。
「ううう……尻が痛い。体が痛い。もう帰って寝たい」
「時間ぎりぎりまで寝とったやろうが」
「二時間じゃ足りない」
「これ終わったら、速攻、帰るから」
「約束ですよ」
 強引に連行された先は総合病院だった。
 七福市の再開発要件の一つとして建て替えられたばかりの鉄筋コンクリート造りの八階建で、北棟、南棟、中央棟の三棟が渡り廊下で繋がっている。北棟と中央棟の間に拵えられた中庭には、一面に敷き詰められた芝生と噴水の湧き立つ池があり、真新しい木製のベンチがところどころに配置されている。等間隔で植樹されている木々の中で現在花をつけているのは辛夷で、六枚の花弁は白く、風が吹くたびに枝を揺らした。
 樹木の並びを通り過ぎると、一足先を歩いていた橋本が自動扉の真ん中で立ち竦んでいた。正面玄関の自動扉の向こうは外来の受付カウンターで、診療手続きをする患者や職務に勤しむ医療関係者が忙しなく往来している。
「どうしました?」
 ひょいっと橋本の脇の下から中を覗いた俺は、ぎょっと目を丸くした。
 図体のでかい熊が窮屈そうに待ち合いの椅子に腰掛けていたからだ。丸太のように太い脚を持て余し気味に組んで、呆然と立ち尽くす明らかに患者とは思えない男ら二人を、ジロリと睨みつけた。
「ぐ、偶然ですね。隊長」
 喉がからからで、気の利いた言葉一つ出てこない。じっとりと浮かんだ背中の汗が気持ち悪い。隊長が無言で立ち上がったもんだから、咄嗟に身構える。
「お前らが来ると思って張ってたんだよ」
 答えたのは、むっつりと口をへの字に曲げる隊長の後ろから現れた日浦さんだ。日浦さんは、やれやれと肩を竦めてみせた。
「何をこそこそ嗅ぎ回ってるんだ?」
 隊長の声はいつになく重く沈んでおり、凄みがある。
「な、何のことですか?」
 勝手に探偵紛いのことをやるのは、レスキューの範疇を越えた行為だ。当然、第ニ方面の特別救助を統率する隊長の逆鱗に触れているはず。精一杯恍けてみせたものの、見る間に蒼白になる顔色は隠しようがない。
「俺らの目は節穴じゃないぞ」
 日浦さんは椅子に腰掛けたまま、缶コーヒーのプルタブを開ける。その場にぷんとミルクたっぷりの芳ばしくて甘い匂いが広がる。旨そうに一気に飲み干す日浦さんの喉仏の動きをじっと見ていた橋本は、缶が空になったタイミングでようやく口を開いた。
「俺のせいで誰かが亡くなるんは、もう見たくないんや。だから」
「だから、お前が犯人捜しってか?」
 恵比寿顔の好々爺な隊長だが、今日はいつになく迫力がある。グローブ並の拳をぶるぶると小刻みに揺らせる。もしや殴られるんじゃなかろうか。思わず身を固くしてぎゅっと奥歯を噛み締める。万が一のダメージに備えた。吹っ飛んで壁に体を打ち付けてむち打ちの一つは覚悟をしなければならない。
 しかし、隊長の矛先は橋本に向いた。
「笠置を巻き込むのはよせ」
 荒々しさは存在せず、ニュアンスには労りがあり、噛んで含めるような言い回しだ。
「お前の暴走を止めるために、笠置を宛てがったんだ。わかるだろ?」
「余計なお世話です」
「欲求を抑え込むのに必死だろうと踏んでいたのに。とんだ見当違いだ」
 俺にはちんぷんかんぷんな会話内容だ。 
 が、どうやら橋本のストッパーの意味で、傍にひっつかなければいけないらしい。迷惑千万極まりない、由々しき事態だ。つまり自分は、大黒谷の特別救助活動が滞りなく行われるようにと、橋本に人身御供されたも同然の身なのだ。
 あさっての方向を睨む橋本。幾ら隊長から苦言を呈されようと信念を捻じ曲げる気はないのが明らか。
 日浦さんはやれやれと、肩の関節をごきごき鳴らし、隊長に何やら目配せする。観念したように、隊長は大きく溜め息をつくと、椅子にどかっと座り直した。
「これから話すのは警察から貰った情報だ。まだ外には出回っていない」
 がしがしと白髪混じりの頭を掻き毟り、言いにくそうに口を開ける。
「小沢亜里沙ちゃんの話だと、どこからかアラーム音みたいなのが聞こえてきた。そうすると物凄い音がして、気がつけば店の中が燃えていた」
 はっと俺と橋本が同時に隊長の顔の方を向いた。
「彼女、どうして店の外じゃなく天井に逃げたのか。決して口を割らなかった」
 それきり、もう話すつもりはないと、腕を組んで顔を背ける。表情は見えなくとも隊長の不機嫌の度合いは、いらいらと踏み鳴らす足が全てを語っていた。
「捜査本部が立ち上がってるだろ」
 隊長の言いたいことを、日浦さんが引き継いだ。
「火災の原因は放火。しかも仕掛け。ご丁寧に助燃剤まで仕込んであった」
 まるでミーティングの際の事務連絡のように淡々とした口調で、日浦さんは情報を明かしていく。しかし、彼も全てを露見させるつもりはない。
「いいか。ここからは警察の仕事だ。俺達はあくまで人命救助優先。捜査じゃない」
 柔和な日浦さんの目が鋭く吊り上がり、有無を言わせぬ力があった。空になったスチール缶がぐしゃっと二つ折りに潰される。普段、へらへらしている分、凄む迫力は桁違い。たちまち首を竦めて縮こまった俺に対し、ふっと口元を綻ばせた
「もう帰れ。お前らの領域じゃない」
 はい、としか返事を許さない日浦さんを前にしては、火事場の生存者である小沢亜里沙ちゃんの面会を諦める以外の選択肢はなかった。
「……それよりさあ、橋本」
 不意にニタニタと日浦さんの相好が一変する。
「また、余計な虫がつきそうだなあ」
 ニヤニヤ笑いの日浦さんに比例して、橋本は垂れ目をこの上なく吊って、嫌そうに顔をしかめる。
「ここに来るまで、どこに寄り道してたのかなあ。いつになく、誰かさんの顔が色っぽいなあ」
「……余計なこと喋んなよ」
「ポンプ隊の瀬戸に、もっと殺虫剤まいといた方がよくないか?女連中、攻略するにはとか何とか、作戦練ってたぞ」
 日浦さんが言い終わらないうちに、橋本はチッと舌打ちを挟む。
 瀬戸さんに殺虫剤まく?何か虫に気に入られてるのか?攻略って、女子の間で何のゲーム流行ってんだろ。
「お前は知らんでええ話や」
 首を捻る俺に、橋本は忌々しそうに一言。
「ったく。女相手には、察し悪っ」
 ぶつぶつ口中で何やら呟く橋本に対して、日浦さんは意味深に俺に横目した後、手を叩いて大笑いしていた。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

【完結】少年王が望むは…

綾雅(りょうが)要らない悪役令嬢
BL
 シュミレ国―――北の山脈に背を守られ、南の海が恵みを運ぶ国。  15歳の少年王エリヤは即位したばかりだった。両親を暗殺された彼を支えるは、執政ウィリアム一人。他の誰も信頼しない少年王は、彼に心を寄せていく。  恋ほど薄情ではなく、愛と呼ぶには尊敬や崇拝の感情が強すぎる―――小さな我侭すら戸惑うエリヤを、ウィリアムは幸せに出来るのか? 【注意事項】BL、R15、キスシーンあり、性的描写なし 【重複投稿】エブリスタ、アルファポリス、小説家になろう、カクヨム

竜人息子の溺愛!

神谷レイン
BL
コールソン書店の店主レイ(三十七歳)は、十八歳になったばかりの育て子である超美形の竜人騎士であるルークに結婚を迫られていた。 勿論レイは必死に断るがルークは全然諦めてくれず……。 だが、そんな中で竜国から使者がやってくる。 そしてルークはある事実を知らされ、レイはそれに巻き込まれてしまうのだが……。 超美形竜人息子×自称おじさん

うちの前に落ちてたかわいい男の子を拾ってみました。 【完結】

まつも☆きらら
BL
ある日、弟の海斗とマンションの前にダンボールに入れられ放置されていた傷だらけの美少年『瑞希』を拾った優斗。『1ヵ月だけ置いて』と言われ一緒に暮らし始めるが、どこか危うい雰囲気を漂わせた瑞希に翻弄される海斗と優斗。自分のことは何も聞かないでと言われるが、瑞希のことが気になって仕方ない2人は休みの日に瑞希の後を尾けることに。そこで見たのは、中年の男から金を受け取る瑞希の姿だった・・・・。

悪の策士のうまくいかなかった計画

迷路を跳ぶ狐
BL
いつか必ず返り咲く。それだけを目標に、俺はこの学園に戻ってきた。過去に、破壊と使役の魔法を研究したとして、退学になったこの学園に。 今こそ、復活の時だ。俺を切り捨てた者たちに目に物見せ、研究所を再興する。 そのために、王子と伯爵の息子を利用することを考えた俺は、長く温めた策を決行し、学園に潜り込んだ。 これから俺を陥れた連中を、騙して嵌めて蹂躙するっ! ……はず、だった……のに?? 王子は跪き、俺に向かって言った。 「あなたの破壊の魔法をどうか教えてください。教えるまでこの部屋から出しません」と。 そして、伯爵の息子は俺の手をとって言った。 「ずっと好きだった」と。 …………どうなってるんだ?

雪解けを待つ森で ―スヴェル森の鎮魂歌(レクイエム)―

なの
BL
百年に一度、森の魔物へ生贄を捧げる村。 その年の供物に選ばれたのは、誰にも必要とされなかった孤児のアシェルだった。 死を覚悟して踏み入れた森の奥で、彼は古の守護者である獣人・ヴァルと出会う。 かつて人に裏切られ、心を閉ざしたヴァル。 そして、孤独だったアシェル。 凍てつく森での暮らしは、二人の運命を少しずつ溶かしていく。 だが、古い呪いは再び動き出し、燃え盛る炎が森と二人を飲み込もうとしていた。 生贄の少年と孤独な獣が紡ぐ、絶望の果てにある再生と愛のファンタジー

【8話完結】いじめられっ子だった俺が、覚醒したら騎士団長に求愛されました

キノア9g
BL
いじめられ続けた僕は、ある日突然、異世界に転移した。 けれど、勇者として歓迎されたのは、僕を苦しめてきた“あいつ”の方。僕は無能と決めつけられ、誰からも相手にされなかった。 そんな僕に手を差し伸べてくれたのは、冷酷と恐れられる騎士団長・ジグルドだった。 なのに、あいつの命令で、僕は彼に嘘の告白をしてしまう――「ジグルドさんのことが、好きなんです」 それが、すべての始まりだった。 あの日から彼は、僕だけをまっすぐ見つめてくる。 僕を守る手は、やさしく、強くて、どこまでも真剣だった。 だけど僕には、まだ知られていない“力”がある。 過去の傷も、偽りの言葉も超えて、彼の隣にいてもいいのだろうか。 これは、いじめられっ子の僕が“愛されること”を知っていく、嘘と覚醒の物語。 全8話。

僕の恋人は、超イケメン!!

八乙女 忍
BL
僕は、普通の高校2年生。そんな僕にある日恋人ができた!それは超イケメンのモテモテ男子、あまりにもモテるため女の子に嫌気をさして、偽者の恋人同士になってほしいとお願いされる。最初は、嘘から始まった恋人ごっこがだんだん本気になっていく。お互いに本気になっていくが・・・二人とも、どうすれば良いのかわからない。この後、僕たちはどうなって行くのかな?

【完結】男の後輩に告白されたオレと、様子のおかしくなった幼なじみの話

須宮りんこ
BL
【あらすじ】 高校三年生の椿叶太には女子からモテまくりの幼なじみ・五十嵐青がいる。 二人は顔を合わせば絡む仲ではあるものの、叶太にとって青は生意気な幼なじみでしかない。 そんなある日、叶太は北村という一つ下の後輩・北村から告白される。 青いわく友達目線で見ても北村はいい奴らしい。しかも青とは違い、素直で礼儀正しい北村に叶太は好感を持つ。北村の希望もあって、まずは普通の先輩後輩として付き合いをはじめることに。 けれど叶太が北村に告白されたことを知った青の様子が、その日からおかしくなって――? ※本編完結済み。後日談連載中。

処理中です...