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オーナーの正体
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「……は? 」
それが、社長の、アリアに向けた第一声。
対峙するアリアも硬直した。
目の前にいる、社長と呼ばれた人物は、ケイムだった。
アリアの父と同じように、彼も数々の事業に出資している投資家だとは聞き及んではいたが、まさか自ら会社を経営していたとは。
いつもアークライト邸で赤ら顔で飲んだくれている、あのケイムおじさんが。
仕事中のためか、シャツを腕まくりし、タイを抜き、首元のボタンを二つばかし開けている。覗いた喉仏。逞しい上腕二頭筋。
いつもは斜めに流した前髪が、今は眉毛にかかり、やや乱れていた。
先に我に返ったのは、ケイムだ。
「……彼女に確認を取りたいことが幾つかある。悪いが席を外してくれないか? 」
抑揚のない口調で秘書に命じると、部下は黙って一礼して退く。どことなく異様な空気を感じ取ってはいるだろうが、懸命な判断で一言も発しなかった。
「まあ、掛けてくれ」
未だにぼんやりしているアリアに、ケイムは座るよう促す。
アリアは惚けたまま、のろのろと腰掛けた。
「……で、これは一体どういうことだ? 」
向かい側に腰を下ろすなり、ケイムは怖い顔で詰問する。
「官能小説家なんて、聞いてないぞ」
続くのはきっとお叱りだ。
アリアも前のめりになり、答える。
「わ、私が作家の卵だって知ってるでしょ」
「ああ。童話作家だとな。それも、かなり退屈な」
「失礼ね! 」
「アークライトは、どうせ、そのうち飽きるだろうから、適当に満足させてから嫁に行ってくれたらそれで良いと言っていたはずだが」
「まあ! お父様はそんなふうにお考えだったのね! 」
「ミス・レイチェルのところを紹介した時点で、そう思うだろ」
「どういうこと? 」
「官能小説専門だ。恥ずかしがって、すぐに逃げ出すだろうと」
「最低! 」
父がウェストクリス社を勧めた理由が判明し、アリアは怒りで震える。
「で、何がどうしてこうなった? 」
全くの予想外の展開だったことに、ケイムは経緯を淡々と尋ねる。
「わ、私はうんと素敵な恋愛小説を執筆したいの! 」
「恋愛小説だと? 官能小説の間違いだろ? 」
「恋愛小説よ! 」
幾ら官能的なシーンがあろうと、あくまで主軸は恋愛だ。
「原稿を貸せ」
半ば強引に、ケイムはアリアから原稿を奪う。
それは、広告誌に載せる連載小説の原稿だ。
羅列を目で追っていたケイムは、二枚目を捲った瞬間、カッと目を開いて声を張り上げる。
「な、何だこれは! 」
これでもかと開ききった目が、空気に触れて赤くなった。
だが、そんなことお構いなしに、怒りで肩を戦慄かせる。
「俺とのことが、そのまんま、何の脚色もなく書いてあるじゃないか! 」
そこに書かれてあったのは、先日のラードナーホテルで展開された一部始終だ。
「こ、ここまで書くか! 」
確かめるために、二枚、三枚とどんどん捲って、ケイムは顔面を赤くしたり、青くしたりと忙しい。
「お前、さてはこれを書くために、俺と! 」
ついには怒り過ぎて声まで震えている。
「そんなわけないでしょ! 見くびらないで! 」
アリアは憤怒した。
「あ、ああ。そうだよな……しかし」
アリアの怒鳴り声に、ようやく見失いかけた自分を取り戻すケイム。咳払いして、息を整える。
「まさか、裸足で逃げ出すどころか、しっかり染まるとは」
「ケイム……おじさまが、提案したのね? お父様に」
編み込みのアップスタイルで、濃紺の落ち着きあるドレス姿のアリアは、ムスッと不貞腐れた。大人っぽい恰好と、その愛らしさが何だかちぐはぐだ。
「……悪かったよ」
ケイムは素直に認めた。
「そんな事情があったなんて知らなかったわ」
安易に利用されて、ミス・レイチェルの自尊心を傷つけないわけがない。彼女の、何が何でもアリアを一人前の作家にするという執念が、わかった気がする。
そして、賭けはミス・レイチェルの勝ちだ。
「くそっ! 今から新しい作家探しなんて間に合わねえ」
ミス・レイチェルが選んだ作家を蹴って、名乗りを上げる挑戦者がいるとは思えない。
「あの女狐が。また俺を嵌めやがって」
妙に大人しく依頼を引き受けてくれたから、何やら裏があるとは思ったが。そんなことをぶつぶつな呟き、ケイムは舌打ちする。
「私の小説、載せてくれるんでしょ」
アリアは無邪気に追い討ちをかけてきた。
「あのミス・レイチェルお墨付きなんだ。今更、変更なんかしたら。会社はどうなるか」
「どうなるの? 」
「多方面に影響が出て、大暴落だ」
「そんなに? 」
「ああ。そんなにだ。ミス・レイチェルの影響は大きいんだよ、アリア」
がっくりと肩を落として、原稿の残りのページを確認するケイム。最初の勢いは、すっかり失われてしまった。
「俺、こんな臭い台詞言ったか? 」
「言いました」
きっぱりとアリアが肯定する。
一言一句、脚色はしていない。
「二度と俺とのあれこれは書くなよ」
「二度目もあるの? 」
「ない! 」
ケイムの怒声を浴びて、アリアはムッと唇を引き結んだ。
それが、社長の、アリアに向けた第一声。
対峙するアリアも硬直した。
目の前にいる、社長と呼ばれた人物は、ケイムだった。
アリアの父と同じように、彼も数々の事業に出資している投資家だとは聞き及んではいたが、まさか自ら会社を経営していたとは。
いつもアークライト邸で赤ら顔で飲んだくれている、あのケイムおじさんが。
仕事中のためか、シャツを腕まくりし、タイを抜き、首元のボタンを二つばかし開けている。覗いた喉仏。逞しい上腕二頭筋。
いつもは斜めに流した前髪が、今は眉毛にかかり、やや乱れていた。
先に我に返ったのは、ケイムだ。
「……彼女に確認を取りたいことが幾つかある。悪いが席を外してくれないか? 」
抑揚のない口調で秘書に命じると、部下は黙って一礼して退く。どことなく異様な空気を感じ取ってはいるだろうが、懸命な判断で一言も発しなかった。
「まあ、掛けてくれ」
未だにぼんやりしているアリアに、ケイムは座るよう促す。
アリアは惚けたまま、のろのろと腰掛けた。
「……で、これは一体どういうことだ? 」
向かい側に腰を下ろすなり、ケイムは怖い顔で詰問する。
「官能小説家なんて、聞いてないぞ」
続くのはきっとお叱りだ。
アリアも前のめりになり、答える。
「わ、私が作家の卵だって知ってるでしょ」
「ああ。童話作家だとな。それも、かなり退屈な」
「失礼ね! 」
「アークライトは、どうせ、そのうち飽きるだろうから、適当に満足させてから嫁に行ってくれたらそれで良いと言っていたはずだが」
「まあ! お父様はそんなふうにお考えだったのね! 」
「ミス・レイチェルのところを紹介した時点で、そう思うだろ」
「どういうこと? 」
「官能小説専門だ。恥ずかしがって、すぐに逃げ出すだろうと」
「最低! 」
父がウェストクリス社を勧めた理由が判明し、アリアは怒りで震える。
「で、何がどうしてこうなった? 」
全くの予想外の展開だったことに、ケイムは経緯を淡々と尋ねる。
「わ、私はうんと素敵な恋愛小説を執筆したいの! 」
「恋愛小説だと? 官能小説の間違いだろ? 」
「恋愛小説よ! 」
幾ら官能的なシーンがあろうと、あくまで主軸は恋愛だ。
「原稿を貸せ」
半ば強引に、ケイムはアリアから原稿を奪う。
それは、広告誌に載せる連載小説の原稿だ。
羅列を目で追っていたケイムは、二枚目を捲った瞬間、カッと目を開いて声を張り上げる。
「な、何だこれは! 」
これでもかと開ききった目が、空気に触れて赤くなった。
だが、そんなことお構いなしに、怒りで肩を戦慄かせる。
「俺とのことが、そのまんま、何の脚色もなく書いてあるじゃないか! 」
そこに書かれてあったのは、先日のラードナーホテルで展開された一部始終だ。
「こ、ここまで書くか! 」
確かめるために、二枚、三枚とどんどん捲って、ケイムは顔面を赤くしたり、青くしたりと忙しい。
「お前、さてはこれを書くために、俺と! 」
ついには怒り過ぎて声まで震えている。
「そんなわけないでしょ! 見くびらないで! 」
アリアは憤怒した。
「あ、ああ。そうだよな……しかし」
アリアの怒鳴り声に、ようやく見失いかけた自分を取り戻すケイム。咳払いして、息を整える。
「まさか、裸足で逃げ出すどころか、しっかり染まるとは」
「ケイム……おじさまが、提案したのね? お父様に」
編み込みのアップスタイルで、濃紺の落ち着きあるドレス姿のアリアは、ムスッと不貞腐れた。大人っぽい恰好と、その愛らしさが何だかちぐはぐだ。
「……悪かったよ」
ケイムは素直に認めた。
「そんな事情があったなんて知らなかったわ」
安易に利用されて、ミス・レイチェルの自尊心を傷つけないわけがない。彼女の、何が何でもアリアを一人前の作家にするという執念が、わかった気がする。
そして、賭けはミス・レイチェルの勝ちだ。
「くそっ! 今から新しい作家探しなんて間に合わねえ」
ミス・レイチェルが選んだ作家を蹴って、名乗りを上げる挑戦者がいるとは思えない。
「あの女狐が。また俺を嵌めやがって」
妙に大人しく依頼を引き受けてくれたから、何やら裏があるとは思ったが。そんなことをぶつぶつな呟き、ケイムは舌打ちする。
「私の小説、載せてくれるんでしょ」
アリアは無邪気に追い討ちをかけてきた。
「あのミス・レイチェルお墨付きなんだ。今更、変更なんかしたら。会社はどうなるか」
「どうなるの? 」
「多方面に影響が出て、大暴落だ」
「そんなに? 」
「ああ。そんなにだ。ミス・レイチェルの影響は大きいんだよ、アリア」
がっくりと肩を落として、原稿の残りのページを確認するケイム。最初の勢いは、すっかり失われてしまった。
「俺、こんな臭い台詞言ったか? 」
「言いました」
きっぱりとアリアが肯定する。
一言一句、脚色はしていない。
「二度と俺とのあれこれは書くなよ」
「二度目もあるの? 」
「ない! 」
ケイムの怒声を浴びて、アリアはムッと唇を引き結んだ。
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