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第109話「戦いの後始末①」

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 佇む美少年。
 倒れる美少女。
 焼けたゴムの匂い。
 焦げた肉の味。
 今日も今日とていつも通り。
 焼いて焦がして千切って削いで擦ってイク。
 いつも通りの光景、いつも通りの風景。
 このまま世界は何も変わらず、このまま世界は何も終わらず。
 明日も明後日も明々後日も、俺は異端のままで、異形のままだと。
 そう思ってた。

「君、面白いね。」

 唐突に現れたのは少年だった。
 ともすれば、まだ中学生にすら至っていないのではないかと思えるほどの、瑞々しさ溢れる、年端もいかない黒と白の美少年。
 なんだこいつは。
 子供が俺のオナニーの邪魔をするなと、俺の世界からつまみ出してやろうと思ったその時。
「っ⁉」
 さながら悪夢のようなソレ・・に摑まれた。
 この世のありとあらゆる全てに対しての憎悪を孕んだかのような黒々としたソレ・・
 身じろぎ一つ許さないプレッシャーが、俺の体内から水分を押し出す。
「大丈夫。わかっているよ。」
 ふと、少年の手が俺の頭に触れる。
「許せないんだよね。許さないんだよね。」
 後に知ることになる、破壊の権化のようなこの小さな手のひらが、今はただ温かく優しかった。
「本来は被害者のはずなのに。君は糾弾され、君をこうした連中が擁護される世の中。被害者に人権などなく、加害者を護りきるこの世の法。愚者が片手間に行った所業に支配される世の中が許せない。」
 なぜ、そうもはっきりと言えるんだ。
 人の心中を見透かしたようなそのまなこは、まるで万有引力のように引き寄せて離さない。
 さながら、神の御言葉を告げる天使のような少年は、ゆっくりと俺を抱き寄せて。
「苦しまないで。悲しまないで。大丈夫。君は間違っていないし、君は一人じゃない。」
 彼の紡ぐ言の葉の一つ一つが、優しく心を貫いて。
「この世の理のほうが狂っているのだと、君を間違いだとする世の中こそが間違いなのだと、共に証明してくれる仲間がいる。味方がいる。だからもう、一人で悩まなくてもいいんだよ。」
 徐に天使は離れて、美しく天界へと羽ばたくように、手を差し伸べてきた。
「おいでよ、僕たちのところへ。みんな、君を待っている。」
 待っている。
 俺を。
 いつの間にやら汗は引き、溢れ出るのは涙ばかり。
 ああまったく。
 魅せられ魅入られ手遅れだ。
 救われたなど錯覚だった。
 滑稽なことに、この少年の方が俺なんかよりよっぽど異端で異形だったというのに。
 それでもなお、その少年に付いていったのは。
 この社会を壊す、なんて嘯きを信じたかったのは。


「起きろ! 鰯腹拓実!」

 眩い程に光を反射させる白い部屋。
 屈強な男たちに囲まれ、目が覚めた。
 ああまったく。
 こんな光景を見るためじゃなかったんだけどなぁ。

  五月二十九日(日)二十時二分 都内・警察病院

「起きろ! 鰯腹拓実!」
 張り上げられ、浴びせかけられた一声で目が覚めた。
 ただただ無機質なだけの白い空間に白い調度。
 眼光鋭い頑強な男たちが数名、ベッドで寝ている俺を取り囲むように立っている。
 せっかく良い夢を見ていたのに。
 夢から覚めれば悪夢が広がるだけなのに。
「目、覚めたか? 『パンドラの箱』。」
 顎に薄く髭を蓄えた男が一人、俺を覗き込む。
 こいつら、警察か。
 ああ、そうだ。
 俺は負けたんだった。
 ってことは、ここは警察管轄の病院か。
 じゃあ、他の二人も負けたんだな。捕まったんだな。
「……鰯腹。お前が何に怒っているのか、俺は知っている。」
 髭の刑事がより一層、顔を下ろして見下ろしてくる。
 手元を探ってみる。
 固定されているから、あまり動かせなかったが、それでもわかった。
 武器は無かった。
 一切を取り上げられ、最早抗う術はない。
「お前の境遇には、痛い程同情するよ。だがな…それでもお前の極刑は決まった。……いや、極刑の方がマシかもな。死よりも辛い、極刑の向こう側・・・・・・・へとお前は連れていかれる。」
 嘘だ。
 感情さえも凍え切った、虚ろな瞳が物語っている。
 罵詈雑言を浴びせてやりたいが、口を塞がれ、それすらもままならない屈辱。
「さっきも言ったが、お前の境遇には同情の余地がある。それでも、罪は罪だし罰は罰だ。お前はそれだけのことをしでかしてきたし、それは今後も変わらない。俺たちにも変えられない。恨むならせめて、俺たちじゃなく、社会じゃなく、弱かった自分を恨めよ。」
 強者の戯言たわごとだ。
 自惚れるな。
 全員から向けられた、侮蔑の目線。
 こいつら全員今すぐぶち殺してやりたい。
 弱さの否定は俺の否定。
 なのに、ちくしょう……。
「多分、お前がお前の意思で何かできるのはこれで最後だ。……言い残す事は?」
 髭の刑事が、俺に噛ませていた猿轡を外す。
 白い、布だった。
 噛まされていたのは。
「………ぁ」
 ずっと喋っていなかった。
 喉は渇き、枯れ果てていた。
 ようやく声を絞り出す。
「……俺を…殺しても…きっと……あの人がお前ら全員を殺してくれる……」
弱い事は、確かに弱い事だ。
 力なき正義など、愚者の所業。
 事実、俺はこいつらを殺せない。
 何も為せていない。
 でも。
 それでも。
 あの人は、タクト君は、弱さを受け入れ、強さを否定した上で、正義を通してくれる。
 俺は信じてる。
 神からの罰を。
 ざまーみろ。
 てめーら全員死んじまえ。
「……そうか。」
 髭の刑事は、特に感情も込めずにそれだけ言い。
 俺は白から黒へと、暗い暗い暗部へと連れていかれた。
 扉の閉まる音だけが、不気味に響いた。


  五月二十九日(日)二十時一分 警視庁・埼京線痴漢冤罪多発事件捜査本部

「今回の件について、なにか弁明はあるか? 真希老獪殿。」
 『パンドラの箱』事件の捜査責任者たる、刑事局局長・花田はなだまことが、眼光鋭く真希老獪を睨みつけた。
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