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第2章 独身男の会社員(32歳)が過労で倒れるに至る長い経緯
第4話「情けは人の為ならず」―――夏海side
しおりを挟む若手の女性社員は3日ぶりにようやく会社から出て外の空気を目一杯吸った。
彼女の名前は夏海菜月。姓にも名にも”なつ”が入っているため自己紹介では「なっつなつ」と自分でよく言っている。齢は22歳で学生時代からショートカットを好んでおり、未だかつて耳が隠れるまで髪を伸ばしたことはない。
そして小柄でありながらも活発な性格をしており、その行動力とモチベーションの高さは何をさせても男にだって負けないポテンシャルへと繋がっている。
その反面、多少中性的ではあるものの顔立ちはしなやかで洋服や小物などお洒落に気を使っていて、流行に乗り遅れることがないよう情報収集には余念を欠かさない。
敬語以外は基本関西弁で話す夏海菜月とはそんな女性社員。
「行きしに総合スーパーにでもよって、恭子ちゃんになんか買うてってやろ」
自宅に帰るのも億劫であった夏海だが、恭子の料理はもちろんのこと恭子自体に会えることにテンションが上がっていた。
それにデスマーチが終えるまでの数カ月は残業代で給料が増えるにも関わらずお金を使う暇がないので、こういった買い物でさえ息抜きになる。
大型ディスカウントショップである総合スーパーに到着した夏海は小洒落たお菓子やジュース、それに自分が飲むカクテルなどをカゴに入れ、今度はCDやDVDを置いているコーナーへと足を運ぶ。
「あ!このアニメ映画、DVDが出たんや買うてこ」
数々の記録を塗り替えた話題絶賛中のDVDを買ったのち、次は雑貨コーナーで何に使うのかわからないようなどうでもいい小物を買ったりとまったく散財もいいところだ。
このような寄り道の後、渡辺純一とともに住む恭子のマンションへ到着した。
「久しぶりやな恭子ちゃん!今日はよろしゅう頼むなー」
「あ、なっちゃんさん、こんばんわです。おじさんから聞いてたよりちょっと遅かったですね?もうお風呂もご飯も準備出来ていますから。」
夏海は会うたびに「なっちゃんさん」と呼ぶ恭子に「なっちゃんでええ」と言っていたのだが、今ではもう諦めておりこの呼び名でで定着している。
「ん?あー、ちょっと寄り道しててな。ホラなんか色々買うて来たったでー」
「え?うわぁ、凄いこんなに……凄く凄く嬉しいですけど、本当に申し訳ないです」
恭子は自分のお小遣いでさえ”おじさんから預かっているお金”という認識が抜けず、節制により普段欲しくても我慢しているようなものがたくさん入っている袋に目を輝かせている。
しかし、それに対して本当に遠慮なく受け取って良いのだろうか?という自制の気持ちも同様に存在した。
「ホンマ恭子ちゃんは遠慮しぃやなあ。あげる方はな、とびきりの笑顔で『おおきに』て言うてくれるんがいっちゃん嬉しいんやで」
夏海はそう言って、恭子の額を指でツンとした。
「はい!ありがとうございます!」
恭子は不思議と夏海には素直になれる。理屈で説明できるようなものではないが、夏海の人間性にはそうさせる何かがあった。
「お風呂ごちそうさん!ひっさびさのええ湯船やったわー」
3日間会社のシャワーで過ごした夏海は食事より先に入浴を済ましていた。
「ずっと会社のシャワーだったっておじさんがいってました。なっちゃんさん本当に大変みたいですね」
夏海に出す晩御飯を皿に盛り付けをしながら恭子は返答する。
そして「……おじさんもかなり苦労されているのでしょうか」と呟く恭子の後姿が夏海にはとても寂しそうに見えた。
「恭子ちゃん、なんか悩み事あるんやろ?言うてみ」
夏海のその優しい声に恭子の手が止まる。
「……あの、なっちゃんさんは笑顔でありがとうって言えば良いって仰ってくれましたけど、……私、その、おじさんは自分を犠牲にしてまで私に色々してくださって、そんなおじさんに私は甘えてばかりでなにも返せなくて……もう、どうしたらいいかわからなくなってしまって……」
「せやなぁ……渡辺サン、天然のええ格好しぃやからなぁ」
他の人なら否定から入りそうなものだが、夏海は相手の気持ちを考えてまずはそれに同調する。
「ウチなぁ、まだ今の会社でバイトやった時にとんでもないミスを侵してもうたんよ。そりゃもうクビどころじゃ済まんようなミスや」
「取引先もカンカンで一時はチームを解散させなあかんくらいコトが大きゅうなってん。……でもな、渡辺サンはそのミスを誰にも言わんかってくれた上に、不眠不休で動き回って飛び回ってアレやコレやしてくれてな、気が付けばウチのミスが反対にええ結果に変わっとったんや」
夏海が自分で買ってきたカクテルをチビチビ飲みながら続ける話を、恭子は瞬きもせず真剣な顔つきで聞いていた。
「もう、そら逆転満塁ホームランやで。ウチが正社員に昇格できたんも殆どその功績みたいなもんや。ウチもなホンマどないして渡辺サンに恩を返してええかわからんくなってしもうて、パニックになってもうて、ウチはまだ処女やったからちょっとは価値もあるやろ思て、急に渡辺サンの前で服を脱ぎたしたんよ。ウチもテンパってたんやなぁ、笑えるやろ?」
「え!?なっちゃんさん……それって」
恭子は夏海のぶっ飛んだ話の流れに顔を紅潮させる。
「いやいや、結局変なコトにはならんやったよ。なっとったら恭子ちゃんにこんな話せえへんわ。渡辺サンが今の恭子ちゃんみたいに顔真っ赤にして『馬鹿か!』って言うてな、それで終わりや」
「そん時な、渡辺サンが言うてくれたんがこの言葉なんやけど……恭子ちゃんは『情けは人の為ならず』っていう言葉の意味を知ってんか?」
夏海の問いに恭子は頭を傾げた。
「ええと……人を助けたりするのは結局その人の為にはならないってことでしょうか?」
「ウチも最初はそう思っててん。半分くらいの人はそういう意味やと思ってるみたいやな。でも本当の意味は、人に親切にしたらその相手のためになるだけやなくて、やがては巡り巡ってよい報いになって自分トコに戻ってくるっていう意味なんやて。やから人に情けはドンドン掛けってことらしいんやな」
「その言葉の意味を教えてくれた後に、渡辺サンはウチにこう言うたんよ『俺だってある人から返せない程の恩をもらっているけど、その分は別の所で人助けをしているんだ。だからお前も無理に俺へ恩返しなんて考えなくていい。いつか他の困ってる奴がいたらそのときに頑張れ。そうすればそれが繋がって繋がってそのうち俺のところに、そしてあの人のところに戻っていくからな』ってな」
「そんで、トドメの殺し文句がこうや!『それじゃなくても、夏海みたいな頑張り屋をみすみすクビになんてさせねえよ。お前が抜けたら俺が困る』あー、ホンマあの人格好しぃやろ?ウチ泣いたで、ガン泣きやったで」
「せやから、ウチは直樹サンの時はめっちゃ体を張ったったわ。―――その時のコトはウチがする話やないな。……まあ!アレや!恭子ちゃんも渡辺さんに恩返しせんでもそのうち恭子ちゃんの助けを必要とする人が必ず現れるってことや!ああ!柄にもないこと言うてしもてお腹すいたわ。恭子ちゃん、ご飯ご飯」
夏海は最後は照れ隠しのように言葉を捲し立てた。
「はいっ。すぐにっ、出します、ねっ」
恭子の瞳と声は潤んでいる。
彼女は肌で感じていた。
どうして目の前の女性に対してこれほどまでに素直になれるのか。
それは夏海があまりにも純粋でまっすぐでいて、それが恭子にとって憧れであったから。
まるで純一の師匠に対するそれのように。
翌日の正午前。
夏海は目が覚めてリビングに行くと、恭子は既に学校へ行っており居なかったのだが、代わりにテーブルの上には食事と書置きと大きな大きな何重もの弁当箱があった。
『会社の皆さんが仕事で大変そうなので、大したことは出来ないですけれど、お弁当をつくりました。よろしければ皆さんで食べてください』
夏海がそれを見ると、自分が昨日偉そうに恭子へ言ったことも思い出して、なんとも言えないくすぐったいような気持ちになった。
「あー、なんや恭子ちゃん。なんや……サンキュな」
ちなみに夏海が出社した時にも、直樹はまだ仮眠室で転がっていた。
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