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第3章 独身男の会社員(32歳)が長期出張を受諾するに至る長い経緯
第12話「吉沢瞳の暗躍」―――恭子side
しおりを挟む今年も残すところ数日になり、恭子の保護者も今日で仕事納め。
そして被保護者の彼女は既に冬休みに入っており、今は夕食の買い物を済ませ自宅のマンションへ帰るところだった。
外は雪が降っているので、自転車ではなく傘をさして徒歩での帰宅。
そして雪が雨へと変わっていくなかで恭子がふと前を見ると、道路沿いの塀から出ている木陰で見知った顔が雨宿りをしていた。
「吉沢……さん?」
「ん?おー、神海じゃん」
恭子がヒトミを見つけると、真っ先に目に留まったは包帯にまかれた彼女の右手。
「ああ、これ?流石にこれが雨に濡れるとあんまりよろしくないからねー。雨宿り」
「怪我をしたんですか?……それよりも、もう包帯が少し濡れているじゃないですか」
「まあ、そんなところかな。雪が小降りだったし傘は要らないやと思ったのが裏目にでたねー」
恭子はヒトミが少しでも濡れないようにと左手で覆っていた右手の上へ傘を持っていく。
「マンションがすぐそこですから、入って行ってください。消毒して包帯も替えますから」
「悪いね、神海。助かるよ」
なるべくヒトミが濡れないようにと、恭子は傘を寄せて自分の住む我が家へ歩いて行った。
マンションについた恭子はヒトミをリビングへ招くと、救急箱を持ってきてから両手でそっと彼女の包帯を解いていく。
「利き手の怪我だから、左手じゃ包帯も替えずらかったんだ。本当にいいところで神海に会ったよ」
包帯が解かれ、ガーゼをのけると未だ生々しい傷の痕がそこにあった。
「……まるで犬にでも噛まれたみたいです」
恭子はまるでその傷が自分のものであるかのような感覚に陥り、薄目になって顔をしかめた。
「犬っていうか……やんちゃな猫かなぁ」
「猫、ですか?……あっ、ちょっと染みるかも知れません」
消毒液をつけた綿をピンセットで摘まんで傷口へ持っていこうとしている恭子は、引っ掻くならまだしも、猫が噛むのだろうか?と少し疑問に思う。
「―――――ッ!!」
「すみません、やっぱり染みますよね。もう少しですから頑張ってください」
そして全ての傷口に万遍なく消毒液をつけ終えると新しいガーゼを被せて、包帯を巻いていった。
「なかなか上手いね♪うちにもわんぱく盛りな弟たちがいるからよく手当すんだけど、ここまでキレイはできないなー」
「そう言って貰えますと、私も嬉しいです。まだ、雨も降っているみたいですし、もう少しここで休んで行ってくださいね。今お茶を入れますので……吉沢さんはコーヒーと紅茶どちらがお好みですか?」
救急箱を片付けながら恭子はヒトミにもてなしの言葉をかける。
「んー、コーヒーも好きだけど、紅茶も好きかな。でも実はココアはもっと好きなんだよねぇ」
「そうですか……でも、ちゃんと置いてあるんですよね。ココアも」
恭子はお茶の準備をしながらヒトミのちょっと意地悪な笑顔に同じく悪戯な顔をして微笑み返す。
「おおっ、神海もそんな顔をするようになったんだねー。転校したばっかのときは怯えた子犬のような女の子だったのになー」
もし都華子あたりが傍で聞いているとすぐさま回し蹴りが飛んできそうな物言いをするヒトミだったが、恭子は特に気にしていないようだ。
「色々ありましたけど、おじさんが居てくれましたから」
少し遠い目をして優しく笑う恭子をみて、心なしかわずかに顔を曇らせるヒトミ。
「神海、今自分がどんな顔しているかわかる?」
ひょっとして自分は可笑しな顔をしているのだろうか?と、恭子はヒトミの指摘を受けて両手を顔に当てた。
「えっ?えっ?私、どんな顔していますか!?」
「んー、しいて言うなら……満ち足りた雌の顔かなぁ?」
「……例えが難し過ぎますよっ」
聞き覚えのない比喩に恭子はいまいち実感がわかなかった。
「でもそれが一番しっくりくるんだよねぇ……神海がオジサンの話をするときいつもそんな顔だけど、今日のはそれらよりも段違いだったよ」
「段違いと言われましても、余計にわからないですよ」
お湯を注いだマグカップの片方を差し出しながらヒトミにそう抗議する。
「ありがとねー。……でもさっきみたいな顔をするのは高校生らしくふさわしい相手にじゃないと感心しないなぁ」
ヒトミは『そうだ!』と閃いて、更に言葉をつづけた。
「ねえ神海、それこそ青春を謳歌する高校生らしく、年明けにでも合コンとかしない?マッコやサオリ……それに相葉も誘ってさ、大人数でパーッとやろうよ。西高にアテもあって、そこそこいい感じの男連中だしさ?」
恭子は思いもよらなかった合コンの誘いに多少の戸惑いがあったが、一向に乗り気な様子を見せないのはそれが原因でもなさそうだった。
「確かに凄く楽しそうですね……でも、私はおじさんのお世話もさせていただいてますので、男性の方と交際をする……時間?とかもありませんから。そんな私が合コンなんかに参加したら失礼になっちゃいますね」
恭子の一応は興味を示したかのように思わせておいて、それでもなおキッパリとした返答にヒトミは軽くジト目をする。
「ふうん。そっか、それは残念だ。なるほど……依存というよりもここまで来ると、もはや中毒だねぇ」
その不可解な言葉に首を傾げる恭子。
「いや、気にしないでこっちのことだから。それなら……私が神海のオジサンにお願いしてあげよう。……神海はオジサンお世話で合コンする暇もないらしいから、ちょっとはあの子を解放してあげてってさ」
ヒトミの捻た言い方に自分の断り方が中途半端だったと感じた恭子は姿勢を正し改めて返答する。
「吉沢さん、私にとって”高校生らしいこと”をするよりも優先したいことがあるのは駄目なことでしょうか?私は今の自分がとても充実した日々を送っていると思っています」
「優先したいことねー。恋愛御法度のアイドルを目指しているから~とかいう理由だったらいくらでも応援してあげるんだけどさぁ。まあいいや、今日のところは出直すよ。……雨も止んできたみたいだから帰るね」
リビングから窓の外を眺めていたヒトミはそう言って立ち上がる。
恭子は結局ヒトミが言わんとしていることを完全には理解し得ないまま、『あっ、一応傘を持って行ってください』とそう答えるしかできなかった。
玄関で遠慮なく傘を受け取ったヒトミは右手のお礼と別れの言葉を告げたあと、立ち止まって思い出したかのように恭子へ言葉を放つ。
「ああ、そうだそうだ。神海がオジサンのお世話をしなくてもいいようになったとき、もう一度遊びに誘うから。その時は断らないでねー」
「……どういう意味ですか?」
聞かれたから答えると言わんばかりに、『それじゃあ、教えてあげるよ』とヒトミは恭子へ耳打ちをした。
「なっ……なんで……なんで、そんなこと……吉沢さんが……」
恭子の目が大きく開かれる。
「まだ、多分オジサンも知らないと思うから言っちゃダメだよー。うちはたまたまそこで人事部長をしている人が言ってたのを聞いただけだからさ。どこにでもいる苗字と名前だからまさかとも思ったけどビンゴだったみたい」
そう言うとヒトミは『じゃあ、ね』と振り向き様に手を振ってマンションから出ていった。
ばたん、と閉められたドアの衝撃とともにその場にへたり込む恭子。
その後、彼女は夜遅くに帰宅した自身の保護者となるべく顔を合わさないようにして、自室でひとり悩む日々がしばらく続いた。
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