8 / 42
第8話 盤上のゲームは、盤外のゲームへ
しおりを挟む
渡り廊下に、沈黙が落ちた。
私の唐突な宣戦布告に、レオンハルト様の影がわずかに揺れた気がした。
夕陽の逆光で彼の表情は窺えない。だが、彼の全身から放たれる空気が、ぴんと張り詰めた弦のように緊張を帯びたのを、肌で感じた。
やがて、彼の低い声が、静寂を破った。
「……どういう、意味ですかな。アイナ嬢」
「言葉通りの意味ですわ、サー・ナイト」
私は一歩、彼に近づいた。三メートルの絶対領域を、自ら侵犯する。
「わたくし、監視されるだけの退屈な日々には、もう飽きましたの。これからは、あなたという鉄壁の騎士(ルール)を、このわたくしが、どうやって崩していくか……それを楽しむことにいたしますわ」
挑発。それも、今までの悪役令嬢としての演技ではない。
プレイヤーが、攻略不可能なNPCに対して仕掛ける、イレギュラーな対話。
レオンハルト様は、答えなかった。
ただ、そのアクアマリンの瞳が、夕陽を受けてきらりと光る。その光は、冷たいガラスのようでもあり、静かな炎のようでもあった。
†
翌日から、私の『監視役攻略ゲーム』は始まった。
手始めは、彼の職務の根幹を揺さぶること。
「おはようございます、サー・ナイト。今日も朝早くからご苦労様ですわね」
朝食の席で、私はにこやかに挨拶した。
背後に立つ彼に、淹れたての紅茶のカップを差し出す。
「……職務中です」
彼は、表情一つ変えずにそれを断った。
「まあ、つれない方。これは監視に対する賄賂ではなくて? ただの感謝の印ですわ。わたくし、あなた様のおかげで、夜も安心して眠れますもの」
にっこりと、花が咲くような笑みを浮かべてみせる。
完璧な淑女の振る舞い。だが、その裏にあるのは「あなたを仲間として懐柔しようとしている」という明確なメッセージだ。
彼の眉が、わずかに、本当にわずかに動いた。
「……お気持ちだけ、頂戴いたします」
彼は、決してカップを受け取らなかった。鉄壁。さすがは私の推し。
ならば、次はこれだ。
歴史学の講義中。私は、わざとらしくクシャミをした。
「……くしゅんっ」
背後の彼が、ぴくりと反応する。
私は、寒そうに自分の肩を抱いた。
「少し、冷えますわね……」
さあ、どうする、サー・ナイト。
あなたはただの監視役。被監視対象の体調など、あなたの職務の範囲外のはず。
ここで私に上着をかけるようなことがあれば、それは「監視」ではなく「護衛」――つまり、個人的な感情の介入だ。
教室の誰もが、この奇妙な駆け引きに気づいていない。
私と彼だけの、静かな戦場。
数秒の沈黙の後、彼は動いた。
音もなく私の席に近づき、屈んで何かを拾い上げる。それは、私がわざと床に落としておいた、刺繍入りのハンカチだった。
彼は、それを無言で私の机に置くと、またすっと元の位置に戻っていった。
上着をかけるでもなく、声をかけるでもない。
ただ、事実として、私の「落とし物」を「拾った」だけ。
(……やるじゃない)
私は内心で舌を巻いた。
騎士としての礼節を保ちつつ、監視役としての職務を逸脱しない、完璧な回答。
私の仕掛けた小さな罠を、彼はことごとく、柳のように受け流していく。
ならば――と、私はさらに踏み込むことにした。
†
放課後、私はアルバート王子とエリスを、学園のローズガーデンに呼び出した。
もちろん、私の隣には、影のようにレオンハルト様が控えている。
「おお、アイナ! 君からお茶会に誘われるなんて、まるで夢のようだ!」
アルバート王子が、今日も絶好調にポエミーだ。
「アイナ様、お招きいただき、ありがとうございます……!」
エリスは、少し緊張した面持ちで微笑んだ。
「ええ、ようこそ。今日は、少し皆様にご相談したいことがありましてよ」
私は優雅にお茶を注ぎながら、切り出した。
「実はわたくし、最近、少し悩んでいるのです。このまま、ルーメル家の人間として、決められた道を歩むだけで良いのか、と」
芝居がかった溜息をついてみせる。
「なんと! それは由々しき悩みだ! 君ほどの才能があれば、国を動かすことすら可能だろう!」と王子。
私は、エリスに視線を移した。
「エリスさんのように、自分の力で道を切り拓いていく生き方も、素敵ですわよね。わたくし、あなた様を、少し羨ましく思う時がありますの」
「そ、そんな……! わたくしなど、アイナ様に比べれば……!」
謙遜するエリス。
だが、私の本当の狙いは、彼女たちではない。
私は、ゆっくりと、背後に立つ騎士に問いかけた。
「――ねえ、サー・ナイト」
彼の肩が、わずかに揺れた。
「あなた様は、どう思われますか? 人は、定められた役割(ルール)の中だけで、生きるべきなのでしょうか。それとも、自らの意志で、運命に抗うことも許されるのでしょうか」
それは、ただの哲学的な問いではない。
『監視役』という役割を与えられた彼自身に、そして『悪役令嬢』という運命を背負った私自身に向けた、刃のような質問だ。
アルバート王子とエリスが、息を呑んで彼を見る。
ローズガーデンの甘い香りの中で、時間だけが止まった。
レオンハルト様は、まっすぐに前を見据えたまま、静かに、しかし、はっきりと答えた。
「……役割(ルール)とは、秩序を守るためのもの。ですが」
彼は、一度だけ、言葉を切った。
そして、そのアクアマリンの瞳を、初めて、まっすぐに私に向けた。
「その役割の中で、何を見、何を感じ、何を選ぶかは――個人の魂の、自由です」
それは、監視役としてでも、騎士としてでもない。
一人の人間、「レオンハルト・アークライト」としての、彼の答えだった。
私の心が、大きく、揺さぶられた。
このゲームは、私が思っているよりも、ずっと――ずっと、奥が深いのかもしれない。
私の唐突な宣戦布告に、レオンハルト様の影がわずかに揺れた気がした。
夕陽の逆光で彼の表情は窺えない。だが、彼の全身から放たれる空気が、ぴんと張り詰めた弦のように緊張を帯びたのを、肌で感じた。
やがて、彼の低い声が、静寂を破った。
「……どういう、意味ですかな。アイナ嬢」
「言葉通りの意味ですわ、サー・ナイト」
私は一歩、彼に近づいた。三メートルの絶対領域を、自ら侵犯する。
「わたくし、監視されるだけの退屈な日々には、もう飽きましたの。これからは、あなたという鉄壁の騎士(ルール)を、このわたくしが、どうやって崩していくか……それを楽しむことにいたしますわ」
挑発。それも、今までの悪役令嬢としての演技ではない。
プレイヤーが、攻略不可能なNPCに対して仕掛ける、イレギュラーな対話。
レオンハルト様は、答えなかった。
ただ、そのアクアマリンの瞳が、夕陽を受けてきらりと光る。その光は、冷たいガラスのようでもあり、静かな炎のようでもあった。
†
翌日から、私の『監視役攻略ゲーム』は始まった。
手始めは、彼の職務の根幹を揺さぶること。
「おはようございます、サー・ナイト。今日も朝早くからご苦労様ですわね」
朝食の席で、私はにこやかに挨拶した。
背後に立つ彼に、淹れたての紅茶のカップを差し出す。
「……職務中です」
彼は、表情一つ変えずにそれを断った。
「まあ、つれない方。これは監視に対する賄賂ではなくて? ただの感謝の印ですわ。わたくし、あなた様のおかげで、夜も安心して眠れますもの」
にっこりと、花が咲くような笑みを浮かべてみせる。
完璧な淑女の振る舞い。だが、その裏にあるのは「あなたを仲間として懐柔しようとしている」という明確なメッセージだ。
彼の眉が、わずかに、本当にわずかに動いた。
「……お気持ちだけ、頂戴いたします」
彼は、決してカップを受け取らなかった。鉄壁。さすがは私の推し。
ならば、次はこれだ。
歴史学の講義中。私は、わざとらしくクシャミをした。
「……くしゅんっ」
背後の彼が、ぴくりと反応する。
私は、寒そうに自分の肩を抱いた。
「少し、冷えますわね……」
さあ、どうする、サー・ナイト。
あなたはただの監視役。被監視対象の体調など、あなたの職務の範囲外のはず。
ここで私に上着をかけるようなことがあれば、それは「監視」ではなく「護衛」――つまり、個人的な感情の介入だ。
教室の誰もが、この奇妙な駆け引きに気づいていない。
私と彼だけの、静かな戦場。
数秒の沈黙の後、彼は動いた。
音もなく私の席に近づき、屈んで何かを拾い上げる。それは、私がわざと床に落としておいた、刺繍入りのハンカチだった。
彼は、それを無言で私の机に置くと、またすっと元の位置に戻っていった。
上着をかけるでもなく、声をかけるでもない。
ただ、事実として、私の「落とし物」を「拾った」だけ。
(……やるじゃない)
私は内心で舌を巻いた。
騎士としての礼節を保ちつつ、監視役としての職務を逸脱しない、完璧な回答。
私の仕掛けた小さな罠を、彼はことごとく、柳のように受け流していく。
ならば――と、私はさらに踏み込むことにした。
†
放課後、私はアルバート王子とエリスを、学園のローズガーデンに呼び出した。
もちろん、私の隣には、影のようにレオンハルト様が控えている。
「おお、アイナ! 君からお茶会に誘われるなんて、まるで夢のようだ!」
アルバート王子が、今日も絶好調にポエミーだ。
「アイナ様、お招きいただき、ありがとうございます……!」
エリスは、少し緊張した面持ちで微笑んだ。
「ええ、ようこそ。今日は、少し皆様にご相談したいことがありましてよ」
私は優雅にお茶を注ぎながら、切り出した。
「実はわたくし、最近、少し悩んでいるのです。このまま、ルーメル家の人間として、決められた道を歩むだけで良いのか、と」
芝居がかった溜息をついてみせる。
「なんと! それは由々しき悩みだ! 君ほどの才能があれば、国を動かすことすら可能だろう!」と王子。
私は、エリスに視線を移した。
「エリスさんのように、自分の力で道を切り拓いていく生き方も、素敵ですわよね。わたくし、あなた様を、少し羨ましく思う時がありますの」
「そ、そんな……! わたくしなど、アイナ様に比べれば……!」
謙遜するエリス。
だが、私の本当の狙いは、彼女たちではない。
私は、ゆっくりと、背後に立つ騎士に問いかけた。
「――ねえ、サー・ナイト」
彼の肩が、わずかに揺れた。
「あなた様は、どう思われますか? 人は、定められた役割(ルール)の中だけで、生きるべきなのでしょうか。それとも、自らの意志で、運命に抗うことも許されるのでしょうか」
それは、ただの哲学的な問いではない。
『監視役』という役割を与えられた彼自身に、そして『悪役令嬢』という運命を背負った私自身に向けた、刃のような質問だ。
アルバート王子とエリスが、息を呑んで彼を見る。
ローズガーデンの甘い香りの中で、時間だけが止まった。
レオンハルト様は、まっすぐに前を見据えたまま、静かに、しかし、はっきりと答えた。
「……役割(ルール)とは、秩序を守るためのもの。ですが」
彼は、一度だけ、言葉を切った。
そして、そのアクアマリンの瞳を、初めて、まっすぐに私に向けた。
「その役割の中で、何を見、何を感じ、何を選ぶかは――個人の魂の、自由です」
それは、監視役としてでも、騎士としてでもない。
一人の人間、「レオンハルト・アークライト」としての、彼の答えだった。
私の心が、大きく、揺さぶられた。
このゲームは、私が思っているよりも、ずっと――ずっと、奥が深いのかもしれない。
0
あなたにおすすめの小説
【完結】政略婚約された令嬢ですが、記録と魔法で頑張って、現世と違って人生好転させます
なみゆき
ファンタジー
典子、アラフィフ独身女性。 結婚も恋愛も経験せず、気づけば父の介護と職場の理不尽に追われる日々。 兄姉からは、都合よく扱われ、父からは暴言を浴びせられ、職場では責任を押しつけられる。 人生のほとんどを“搾取される側”として生きてきた。
過労で倒れた彼女が目を覚ますと、そこは異世界。 7歳の伯爵令嬢セレナとして転生していた。 前世の記憶を持つ彼女は、今度こそ“誰かの犠牲”ではなく、“誰かの支え”として生きることを決意する。
魔法と貴族社会が息づくこの世界で、セレナは前世の知識を活かし、友人達と交流を深める。
そこに割り込む怪しい聖女ー語彙力もなく、ワンパターンの行動なのに攻略対象ぽい人たちは次々と籠絡されていく。
これはシナリオなのかバグなのか?
その原因を突き止めるため、全ての証拠を記録し始めた。
【☆応援やブクマありがとうございます☆大変励みになりますm(_ _)m】
前世ブラックOLの私が転生したら悪役令嬢でした
タマ マコト
ファンタジー
過労で倒れたブラック企業勤めのOLは、目を覚ますと公爵令嬢アーデルハイトとして転生していた。しかも立場は“断罪予定の悪役令嬢”。だが彼女は恋愛や王子の愛を選ばず、社交界を「市場」と見抜く。王家の財政が危ういことを察知し、家の莫大な資産と金融知識を武器に“期限付き融資”という刃を突きつける。理想主義の王太子と衝突しながらも、彼女は決意する――破滅を回避するためではない。国家の金脈を握り、国そのものを立て直すために。悪役令嬢の経済戦争が、静かに幕を開ける。
悪役令嬢に転生したけど、破滅エンドは王子たちに押し付けました
タマ マコト
ファンタジー
27歳の社畜OL・藤咲真帆は、仕事でも恋でも“都合のいい人”として生きてきた。
ある夜、交通事故に遭った瞬間、心の底から叫んだーー「もう我慢なんてしたくない!」
目を覚ますと、乙女ゲームの“悪役令嬢レティシア”に転生していた。
破滅が約束された物語の中で、彼女は決意する。
今度こそ、泣くのは私じゃない。
破滅は“彼ら”に押し付けて、私の人生を取り戻してみせる。
はじめまして、私の知らない婚約者様
有木珠乃@『ヒロ弟』コミカライズ配信中
ファンタジー
ミルドレッド・カーマイン公爵令嬢は突然、学園の食堂で話しかけられる。
見覚えのない男性。傍らには豊満な体型の女性がいる。
けれどその女性から発せられた男性の名前には、聞き覚えがあった。
ミルドレッドの婚約者であるブルーノ王子であることを。
けれどミルドレッドの反応は薄い。なぜなら彼女は……。
この世界を乙女ゲームだと知った人々による、悪役令嬢とヒロイン、魔女の入れ替え話です。
悪役令嬢を救いたかったはずなのに、どうしてこんなことに?
※他サイトにも掲載しています。
冷遇されている令嬢に転生したけど図太く生きていたら聖女に成り上がりました
富士山のぼり
恋愛
何処にでもいる普通のOLである私は事故にあって異世界に転生した。
転生先は入り婿の駄目な父親と後妻である母とその娘にいびられている令嬢だった。
でも現代日本育ちの図太い神経で平然と生きていたらいつの間にか聖女と呼ばれるようになっていた。
別にそんな事望んでなかったんだけど……。
「そんな口の利き方を私にしていいと思っている訳? 後悔するわよ。」
「下らない事はいい加減にしなさい。後悔する事になるのはあなたよ。」
強気で物事にあまり動じない系女子の異世界転生話。
※小説家になろうの方にも掲載しています。あちらが修正版です。
政治家の娘が悪役令嬢転生 ~前パパの教えで異世界政治をぶっ壊させていただきますわ~
巫叶月良成
ファンタジー
政治家の娘として生まれ、父から様々なことを学んだ少女が異世界の悪徳政治をぶった切る!?
////////////////////////////////////////////////////
悪役令嬢に転生させられた琴音は政治家の娘。
しかしテンプレも何もわからないまま放り出された悪役令嬢の世界で、しかもすでに婚約破棄から令嬢が暗殺された後のお話。
琴音は前世の父親の教えをもとに、口先と策謀で相手を騙し、男を篭絡しながら自分を陥れた相手に復讐し、歪んだ王国の政治ゲームを支配しようという一大謀略劇!
※魔法とかゲーム的要素はありません。恋愛要素、バトル要素も薄め……?
※注意:作者が悪役令嬢知識ほぼゼロで書いてます。こんなの悪役令嬢ものじゃねぇという内容かもしれませんが、ご留意ください。
※あくまでこの物語はフィクションです。政治家が全部そういう思考回路とかいうわけではないのでこちらもご留意を。
隔日くらいに更新出来たらいいな、の更新です。のんびりお楽しみください。
悪役令嬢は廃墟農園で異世界婚活中!~離婚したら最強農業スキルで貴族たちが求婚してきますが、元夫が邪魔で困ってます~
黒崎隼人
ファンタジー
「君との婚約を破棄し、離婚を宣言する!」
皇太子である夫から突きつけられた突然の別れ。
悪役令嬢の濡れ衣を着せられ追放された先は、誰も寄りつかない最果ての荒れ地だった。
――最高の農業パラダイスじゃない!
前世の知識を活かし、リネットの農業革命が今、始まる!
美味しい作物で村を潤し、国を救い、気づけば各国の貴族から求婚の嵐!?
なのに、なぜか私を捨てたはずの元夫が、いつも邪魔ばかりしてくるんですけど!
「離婚から始まる、最高に輝く人生!」
農業スキル全開で国を救い、不器用な元夫を振り回す、痛快!逆転ラブコメディ!
逃げたい悪役令嬢と、逃がさない王子
ねむたん
恋愛
セレスティーナ・エヴァンジェリンは今日も王宮の廊下を静かに歩きながら、ちらりと視線を横に流した。白いドレスを揺らし、愛らしく微笑むアリシア・ローゼンベルクの姿を目にするたび、彼女の胸はわずかに弾む。
(その調子よ、アリシア。もっと頑張って! あなたがしっかり王子を誘惑してくれれば、私は自由になれるのだから!)
期待に満ちた瞳で、影からこっそり彼女の奮闘を見守る。今日こそレオナルトがアリシアの魅力に落ちるかもしれない——いや、落ちてほしい。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる