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第6話:洗濯場は情報の宝庫(とカレルの影)
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オババ様に案内された先は、湯気と石鹸の匂いがもうもうと立ち込める、だだっ広い空間だった。艶楼の洗濯場。壁際には巨大な洗い桶がいくつも並び、天井からは洗い終わったシーツやら何やらが、まるで万国旗のように吊るされている。そして、目の前には…洗濯物のエベレスト!?
「さあ、新入り! ぼさっとしてないで手を動かすんだよ! 今日中にあれ全部片付けるんだからね!」
オババ様の檄が飛ぶ。隣では、リナが「が、頑張りましょう、花季さん…!」と若干引きつった笑顔で私を励ましてくれた。
こうして、元公爵令嬢リアナ・ヴィルヘルム改め、洗濯係"花季"の記念すべき初日が始まった。…始まったのだが。
「きゃっ! 冷たい!」
洗い桶の水に手を入れた瞬間、思わず悲鳴を上げてしまった。冬でもないのに、水がやけに冷たい!
「花季さん、大丈夫? 最初は冷たいけど、すぐ慣れますよ」
リナが心配そうに声をかけてくれる。慣れる…? こんな氷水に?
気を取り直して、高級そうなシルクのシミを落とそうとゴシゴシ擦る。…あ、やばい、なんか生地が毛羽立ってきた!
「わわっ! 花季さん、その生地は優しく揉み洗いしないと!」
リナに慌てて止められる。次は、重い洗濯桶を運ぼうとしてよろめき、危うく中身をぶちまけそうになる始末。
(だ、ダメだわ…洗濯、想像以上に重労働かつ繊細な作業…! 前世の諜
報訓練よりキツいかもしれない…!)
額に汗を浮かべ、内心で弱音を吐く。周囲の先輩下働きたちからは、「あの子、大丈夫かねぇ」「お嬢様育ちじゃ無理だろうよ」とヒソヒソ声が聞こえてくる。…ええ、その通りよ! でも、ここでへこたれるわけにはいかないの!
しかし、人間(たとえ元令嬢でも)追い詰められれば適応するものらしい。数時間もすれば、水の冷たさにも慣れ、洗濯板の使い方もマスター(?)。そして、前世の知識が意外なところで役に立ち始めた。
「あら、このシミ…ワインね。しかも、かなり上質な赤。昨日のお客様かしら?」
「こっちのシミは…油? いえ、これは特定の薬草の成分…錬金術で使うもの?」
令嬢時代に培った知識(何の役に立つのかと思っていた)と、前世の化学知識を組み合わせることで、汚れの種類や付着状況から、持ち主や状況をある程度推測できることに気づいたのだ。
「ねぇ、リナ。この洗濯物、誰のか分かる?」
「え? ああ、それは確か、昨日お泊まりになったジャルジェ侯爵様の…」
ジャルジェ侯爵! 私を陥れた張本人! 思わず手に力がこもる。
(ふふ…侯爵様。あなたの汚れた下着を洗う日が来るなんて、思いもしなかったでしょうね…!)
怒りを込めてゴシゴシ洗っていると、オババ様に「手が早いじゃないか、感心感心」と褒められた(?)。複雑な気分だわ。
休憩時間になると、下働きたちは井戸端会議に花を咲かせる。これも貴重な情報源だ。
「聞いた? 三番部屋の遊女さん、また騎士団の人と逢い引きしてたって」
「へぇ~。でも、あの騎士様、奥様がいるんじゃなかった?」
「あらやだ、不倫ねぇ。怖い怖い」
「それより、例の薬、また入荷したらしいわよ。結構な値段で売れるとか…」
下世話な噂から、きな臭い話まで、情報は多岐にわたる。私は相槌を打ちながら、全ての情報を記憶し、頭の中で整理していく。まさに情報分析官の本領発揮ね!
仕事の合間には、リナとの会話も増えた。洗濯のコツを教わったり、艶楼の内部事情を教えてもらったり。彼女の故郷の妹さんの病状が思わしくなく、近々、さらに高価な薬が必要になるかもしれないと聞いた時は、胸が痛んだ。
(私が情報を掴んでお金を稼げば、リナを助けられるかもしれない…。でも、それは彼女を利用することに…)
感傷に浸る暇はない。今は非情にならなければ。そう自分に言い聞かせた。
そんなある日の午後、洗濯場にふらりと、あの男が現れた。情報屋カレル。
彼は相変わらず人を食ったような笑みを浮かべ、下働きたちには目もくれず、一直線にオババ様の元へ向かった。
「よう、バアさん。例のブツ、手に入ったぜ」
カレルは小さな革袋をオババ様に手渡した。中身は…金貨?
「ふん、ご苦労だったね。口止め料は弾んだろうね?」
「当然だ。こっちも足がついたら面倒なんでな。で、頼まれてた情報は?」
「ああ、こっちだよ…」
オババ様はカレルを洗濯場の隅に連れて行き、何かを耳打ちしている。距離があって内容は聞き取れない。でも、オババ様がカレルに情報を売っている…? 一体、何を?
私が聞き耳を立てようと、洗濯物の影に隠れた瞬間、カレルがこちらをチラリと見た! まずい、気づかれた!?
しかし、彼は特に何も言わず、すぐにオババ様との話に戻った。やがて、満足したように頷くと、再び私に一瞥をくれ、鼻歌混じりに去っていった。
(…見られたわね。警戒されている? それとも、ただの気まぐれ?)
カレルの底知れない雰囲気に、背筋が少し寒くなる。
その日の夕方。膨大な洗濯物を仕分けしていると、見覚えのある紋章のついた上着が目に留まった。確か、父の政敵派閥に属する、とある子爵のものだ。何気なくポケットを探ってみると…あった! 紙片の切れ端だ!
急いで周囲を確認し、こっそりとそれを懐にしまう。後で確認しなければ。
さらに、その上着には、微かに薬品の匂いが染み付いていた。これは…ミラベルが扱っていた希少な錬金触媒の匂い? なぜ貴族の上着からこんな匂いが? そして、袖口には、乾いた血痕のような小さなシミも…。
(間違いないわ。何かある…!)
陰謀の匂い。それは、私をこの奈落に突き落とした、あの忌まわしい事件と同じ種類の匂いだ。
私は回収した紙片を強く握りしめた。これをミラベルに見せれば、何か分かるかもしれない。
(まずはミラベルと連絡を取らないと。それから、カレルとオババ様の関係も探る必要があるわね…!)
やるべきことが山積みだ。決意を新たに顔を上げると、目の前に影が差した。
「よう、新人。ちょっとツラ貸せや」
低い、どこか揶揄するような声。見上げると、そこには、壁に寄りかかってニヤリと笑う、情報屋カレルの姿があった。
(…来たわね!)
まさか、こんなに早く直接接触してくるなんて!
私は内心の動揺を押し隠し、冷静さを装って彼と対峙した。
「…私に何か御用でしょうか?」
洗濯場の喧騒の中、私とカレルの間に、ピリッとした緊張感が走った。
(第6話 了)
「さあ、新入り! ぼさっとしてないで手を動かすんだよ! 今日中にあれ全部片付けるんだからね!」
オババ様の檄が飛ぶ。隣では、リナが「が、頑張りましょう、花季さん…!」と若干引きつった笑顔で私を励ましてくれた。
こうして、元公爵令嬢リアナ・ヴィルヘルム改め、洗濯係"花季"の記念すべき初日が始まった。…始まったのだが。
「きゃっ! 冷たい!」
洗い桶の水に手を入れた瞬間、思わず悲鳴を上げてしまった。冬でもないのに、水がやけに冷たい!
「花季さん、大丈夫? 最初は冷たいけど、すぐ慣れますよ」
リナが心配そうに声をかけてくれる。慣れる…? こんな氷水に?
気を取り直して、高級そうなシルクのシミを落とそうとゴシゴシ擦る。…あ、やばい、なんか生地が毛羽立ってきた!
「わわっ! 花季さん、その生地は優しく揉み洗いしないと!」
リナに慌てて止められる。次は、重い洗濯桶を運ぼうとしてよろめき、危うく中身をぶちまけそうになる始末。
(だ、ダメだわ…洗濯、想像以上に重労働かつ繊細な作業…! 前世の諜
報訓練よりキツいかもしれない…!)
額に汗を浮かべ、内心で弱音を吐く。周囲の先輩下働きたちからは、「あの子、大丈夫かねぇ」「お嬢様育ちじゃ無理だろうよ」とヒソヒソ声が聞こえてくる。…ええ、その通りよ! でも、ここでへこたれるわけにはいかないの!
しかし、人間(たとえ元令嬢でも)追い詰められれば適応するものらしい。数時間もすれば、水の冷たさにも慣れ、洗濯板の使い方もマスター(?)。そして、前世の知識が意外なところで役に立ち始めた。
「あら、このシミ…ワインね。しかも、かなり上質な赤。昨日のお客様かしら?」
「こっちのシミは…油? いえ、これは特定の薬草の成分…錬金術で使うもの?」
令嬢時代に培った知識(何の役に立つのかと思っていた)と、前世の化学知識を組み合わせることで、汚れの種類や付着状況から、持ち主や状況をある程度推測できることに気づいたのだ。
「ねぇ、リナ。この洗濯物、誰のか分かる?」
「え? ああ、それは確か、昨日お泊まりになったジャルジェ侯爵様の…」
ジャルジェ侯爵! 私を陥れた張本人! 思わず手に力がこもる。
(ふふ…侯爵様。あなたの汚れた下着を洗う日が来るなんて、思いもしなかったでしょうね…!)
怒りを込めてゴシゴシ洗っていると、オババ様に「手が早いじゃないか、感心感心」と褒められた(?)。複雑な気分だわ。
休憩時間になると、下働きたちは井戸端会議に花を咲かせる。これも貴重な情報源だ。
「聞いた? 三番部屋の遊女さん、また騎士団の人と逢い引きしてたって」
「へぇ~。でも、あの騎士様、奥様がいるんじゃなかった?」
「あらやだ、不倫ねぇ。怖い怖い」
「それより、例の薬、また入荷したらしいわよ。結構な値段で売れるとか…」
下世話な噂から、きな臭い話まで、情報は多岐にわたる。私は相槌を打ちながら、全ての情報を記憶し、頭の中で整理していく。まさに情報分析官の本領発揮ね!
仕事の合間には、リナとの会話も増えた。洗濯のコツを教わったり、艶楼の内部事情を教えてもらったり。彼女の故郷の妹さんの病状が思わしくなく、近々、さらに高価な薬が必要になるかもしれないと聞いた時は、胸が痛んだ。
(私が情報を掴んでお金を稼げば、リナを助けられるかもしれない…。でも、それは彼女を利用することに…)
感傷に浸る暇はない。今は非情にならなければ。そう自分に言い聞かせた。
そんなある日の午後、洗濯場にふらりと、あの男が現れた。情報屋カレル。
彼は相変わらず人を食ったような笑みを浮かべ、下働きたちには目もくれず、一直線にオババ様の元へ向かった。
「よう、バアさん。例のブツ、手に入ったぜ」
カレルは小さな革袋をオババ様に手渡した。中身は…金貨?
「ふん、ご苦労だったね。口止め料は弾んだろうね?」
「当然だ。こっちも足がついたら面倒なんでな。で、頼まれてた情報は?」
「ああ、こっちだよ…」
オババ様はカレルを洗濯場の隅に連れて行き、何かを耳打ちしている。距離があって内容は聞き取れない。でも、オババ様がカレルに情報を売っている…? 一体、何を?
私が聞き耳を立てようと、洗濯物の影に隠れた瞬間、カレルがこちらをチラリと見た! まずい、気づかれた!?
しかし、彼は特に何も言わず、すぐにオババ様との話に戻った。やがて、満足したように頷くと、再び私に一瞥をくれ、鼻歌混じりに去っていった。
(…見られたわね。警戒されている? それとも、ただの気まぐれ?)
カレルの底知れない雰囲気に、背筋が少し寒くなる。
その日の夕方。膨大な洗濯物を仕分けしていると、見覚えのある紋章のついた上着が目に留まった。確か、父の政敵派閥に属する、とある子爵のものだ。何気なくポケットを探ってみると…あった! 紙片の切れ端だ!
急いで周囲を確認し、こっそりとそれを懐にしまう。後で確認しなければ。
さらに、その上着には、微かに薬品の匂いが染み付いていた。これは…ミラベルが扱っていた希少な錬金触媒の匂い? なぜ貴族の上着からこんな匂いが? そして、袖口には、乾いた血痕のような小さなシミも…。
(間違いないわ。何かある…!)
陰謀の匂い。それは、私をこの奈落に突き落とした、あの忌まわしい事件と同じ種類の匂いだ。
私は回収した紙片を強く握りしめた。これをミラベルに見せれば、何か分かるかもしれない。
(まずはミラベルと連絡を取らないと。それから、カレルとオババ様の関係も探る必要があるわね…!)
やるべきことが山積みだ。決意を新たに顔を上げると、目の前に影が差した。
「よう、新人。ちょっとツラ貸せや」
低い、どこか揶揄するような声。見上げると、そこには、壁に寄りかかってニヤリと笑う、情報屋カレルの姿があった。
(…来たわね!)
まさか、こんなに早く直接接触してくるなんて!
私は内心の動揺を押し隠し、冷静さを装って彼と対峙した。
「…私に何か御用でしょうか?」
洗濯場の喧騒の中、私とカレルの間に、ピリッとした緊張感が走った。
(第6話 了)
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