20 / 33
第二章 愛は支配でも犠牲でもなく、未来を芽吹かせる“希望の種”となる。
第20話 愛という名の鳥籠
しおりを挟む
エリアスが残した毒は、即効性ではなかった。
それは、ゆっくりと、しかし確実に俺たちの共同体を内側から蝕んでいく、遅効性の呪いだった。
司令室は解散となったものの、誰もがその場を去りがたいような、重苦しい空気に満ちていた。エリアスの言葉が、見えない壁となって俺と仲間たち、そして何より、俺とレオンの間に横たわっている。
その夜、俺たちの寝室で、レオンは一言も、エリアスのことを口にしなかった。それがかえって、彼の怒りの深さを物語っているようで、俺は息苦しささえ感じていた。
亀裂が、はっきりと形になったのは、その翌日のことだった。
俺がいつものように畑へ向かおうとすると、戸口でレオンが静かに道を塞いだ。
「どこへ行く」
「どこって……畑に。子供たちと、種を植える約束を……」
「その必要はない」
彼の声は、温度というものが一切感じられなかった。
「今日から、お前は司令室の奥にある書斎から外へ出ることを禁ずる。共同体の指示は、そこから出せばいい」
「……え?」
俺は、自分の耳を疑った。
「何を言ってるんですか、レオンさん。俺は囚人じゃありません」
「そうだ。お前は囚人じゃない。だが、狙われている。お前の安全を確保するのは、俺の最優先事項だ」
彼の言っていることは、正論だ。だが、その灰色の瞳の奥に、俺は別の色を見ていた。それは、エリアスに向けられた敵意だけではない。俺が他の誰かと笑い合うこと、俺が誰かのために心を砕くこと、そのすべてに向けられた、かすかな嫉妬と独占欲の色だった。
「嫌です」と、俺ははっきり言った。「俺の居場所は、みんなのいるあそこです」
「……分かっていないようだな、アキ」
レオンの声が、一度低くなった。
「これは命令だ。共同体の、防衛隊長としてのな」
それは、議論の余地を一切与えない、絶対的な響きを持っていた。俺は、何も言い返せなかった。
共同体の不協和音は、それだけではなかった。
ジンの作業場からは、この数日、若い技術者たちの興奮した声が漏れ聞こえてくるようになっていた。
「すげえ……この通信技術、ドームの全盛期でも見たことないぞ……!」
「ああ、エリアスって奴は、いったい何者なんだ……」
彼らは、エリアスが使っていた超広域通信の痕跡を解析し、その圧倒的な技術レベルに心酔しかけていた。その様子を、サラが苦々しい表情で見つめている。
「あんた、正気かい、ジン」
サラが、ジンの胸ぐらを掴まんばかりの勢いで詰め寄った。
「敵の技術にうつつを抜かして! 弟の仇の技術に!」
「技術に敵も味方もないだろ、サラさん!」
ジンも、一歩も引かなかった。
「俺は! フロンティアの未来のために、必要なものを吸収したいだけだ! あんたみたいに過去の憎しみに囚われて、泥水をすするだけの生活はもうごめんなんだよ!」
「……なんだと……!」
信念と信念の、痛々しいほどの衝突。
俺は、その間に入ることさえできず、ただ立ち尽くすだけだった。リーダーとして、俺は完全に無力だった。
その夜、俺は書斎に一人でいた。レオンの命令通り、外に出ることは許されなかった。
窓の外からは、仲間たちの声が遠くに聞こえる。俺は、たった数枚の壁を隔てただけで、世界から切り離されてしまったようだった。
(どうしたら、いいんだ……)
誰にも相談できない。レオンは俺を鳥籠に閉じ込めようとし、サラは憎しみに燃え、ジンは新しい技術に夢中だ。誰も、今の俺の本当の痛みを見てはくれない。
その時、不意に、エリアスの言葉が脳裏に蘇った。
(私こそが、彼の唯一の理解者なのですから)
「……っ、違う……!」
俺は頭を振って、その声を打ち消した。
ドアが開き、レオンが入ってくる。彼は、俺の思い詰めた表情を見て、わずかに眉を寄せた。
俺は、最後の希望を託すように、彼に問いかけた。
「レオンさん……俺は、どうしたらいいんでしょうか。みんなが、バラバラになってしまう……」
読者は、レオンがここで俺を優しく慰めることを期待するだろう。俺自身も、そうだった。
だが、彼の口から紡がれた言葉は、俺の最後の期待を、粉々に打ち砕いた。
「……お前は、何も考えなくていい」
その声は、驚くほど静かだった。
「え……?」
「敵のことは俺が排除する。共同体の不満分子も、俺が黙らせる。お前はただ、この安全な場所で、俺に守られていさえすればいい」
彼は、俺の震える手を、そっと握った。
「それ以外は、何も望まん」
それは、究極の愛情の言葉であると同時に、俺の意志と、尊厳と、存在そのものを完全に否定する、残酷な宣告だった。彼は、俺が必死に育ててきた「リーダー」としての芽を、その愛という名の足で、躊躇なく踏み潰したのだ。
俺は、何も言えなかった。
ただ、彼の瞳の中に、エリアスに向けられた憎悪と同じくらい強い、「俺を誰にも渡さない」という狂気的な光が揺らめいているのを見ていた。
彼が部屋から去った後、俺は一人、声を殺して泣いた。
あなたは、隣にいるのに。
その心は、今までで一番、遠くに感じられた。
エリアスが穿った亀裂は、もはや「愛」という言葉だけでは、到底埋められないほど深く、そして致命的だった。
それは、ゆっくりと、しかし確実に俺たちの共同体を内側から蝕んでいく、遅効性の呪いだった。
司令室は解散となったものの、誰もがその場を去りがたいような、重苦しい空気に満ちていた。エリアスの言葉が、見えない壁となって俺と仲間たち、そして何より、俺とレオンの間に横たわっている。
その夜、俺たちの寝室で、レオンは一言も、エリアスのことを口にしなかった。それがかえって、彼の怒りの深さを物語っているようで、俺は息苦しささえ感じていた。
亀裂が、はっきりと形になったのは、その翌日のことだった。
俺がいつものように畑へ向かおうとすると、戸口でレオンが静かに道を塞いだ。
「どこへ行く」
「どこって……畑に。子供たちと、種を植える約束を……」
「その必要はない」
彼の声は、温度というものが一切感じられなかった。
「今日から、お前は司令室の奥にある書斎から外へ出ることを禁ずる。共同体の指示は、そこから出せばいい」
「……え?」
俺は、自分の耳を疑った。
「何を言ってるんですか、レオンさん。俺は囚人じゃありません」
「そうだ。お前は囚人じゃない。だが、狙われている。お前の安全を確保するのは、俺の最優先事項だ」
彼の言っていることは、正論だ。だが、その灰色の瞳の奥に、俺は別の色を見ていた。それは、エリアスに向けられた敵意だけではない。俺が他の誰かと笑い合うこと、俺が誰かのために心を砕くこと、そのすべてに向けられた、かすかな嫉妬と独占欲の色だった。
「嫌です」と、俺ははっきり言った。「俺の居場所は、みんなのいるあそこです」
「……分かっていないようだな、アキ」
レオンの声が、一度低くなった。
「これは命令だ。共同体の、防衛隊長としてのな」
それは、議論の余地を一切与えない、絶対的な響きを持っていた。俺は、何も言い返せなかった。
共同体の不協和音は、それだけではなかった。
ジンの作業場からは、この数日、若い技術者たちの興奮した声が漏れ聞こえてくるようになっていた。
「すげえ……この通信技術、ドームの全盛期でも見たことないぞ……!」
「ああ、エリアスって奴は、いったい何者なんだ……」
彼らは、エリアスが使っていた超広域通信の痕跡を解析し、その圧倒的な技術レベルに心酔しかけていた。その様子を、サラが苦々しい表情で見つめている。
「あんた、正気かい、ジン」
サラが、ジンの胸ぐらを掴まんばかりの勢いで詰め寄った。
「敵の技術にうつつを抜かして! 弟の仇の技術に!」
「技術に敵も味方もないだろ、サラさん!」
ジンも、一歩も引かなかった。
「俺は! フロンティアの未来のために、必要なものを吸収したいだけだ! あんたみたいに過去の憎しみに囚われて、泥水をすするだけの生活はもうごめんなんだよ!」
「……なんだと……!」
信念と信念の、痛々しいほどの衝突。
俺は、その間に入ることさえできず、ただ立ち尽くすだけだった。リーダーとして、俺は完全に無力だった。
その夜、俺は書斎に一人でいた。レオンの命令通り、外に出ることは許されなかった。
窓の外からは、仲間たちの声が遠くに聞こえる。俺は、たった数枚の壁を隔てただけで、世界から切り離されてしまったようだった。
(どうしたら、いいんだ……)
誰にも相談できない。レオンは俺を鳥籠に閉じ込めようとし、サラは憎しみに燃え、ジンは新しい技術に夢中だ。誰も、今の俺の本当の痛みを見てはくれない。
その時、不意に、エリアスの言葉が脳裏に蘇った。
(私こそが、彼の唯一の理解者なのですから)
「……っ、違う……!」
俺は頭を振って、その声を打ち消した。
ドアが開き、レオンが入ってくる。彼は、俺の思い詰めた表情を見て、わずかに眉を寄せた。
俺は、最後の希望を託すように、彼に問いかけた。
「レオンさん……俺は、どうしたらいいんでしょうか。みんなが、バラバラになってしまう……」
読者は、レオンがここで俺を優しく慰めることを期待するだろう。俺自身も、そうだった。
だが、彼の口から紡がれた言葉は、俺の最後の期待を、粉々に打ち砕いた。
「……お前は、何も考えなくていい」
その声は、驚くほど静かだった。
「え……?」
「敵のことは俺が排除する。共同体の不満分子も、俺が黙らせる。お前はただ、この安全な場所で、俺に守られていさえすればいい」
彼は、俺の震える手を、そっと握った。
「それ以外は、何も望まん」
それは、究極の愛情の言葉であると同時に、俺の意志と、尊厳と、存在そのものを完全に否定する、残酷な宣告だった。彼は、俺が必死に育ててきた「リーダー」としての芽を、その愛という名の足で、躊躇なく踏み潰したのだ。
俺は、何も言えなかった。
ただ、彼の瞳の中に、エリアスに向けられた憎悪と同じくらい強い、「俺を誰にも渡さない」という狂気的な光が揺らめいているのを見ていた。
彼が部屋から去った後、俺は一人、声を殺して泣いた。
あなたは、隣にいるのに。
その心は、今までで一番、遠くに感じられた。
エリアスが穿った亀裂は、もはや「愛」という言葉だけでは、到底埋められないほど深く、そして致命的だった。
2
あなたにおすすめの小説
Endless Summer Night ~終わらない夏~
樹木緑
BL
ボーイズラブ・オメガバース "愛し合ったあの日々は、終わりのない夏の夜の様だった”
長谷川陽向は “お見合い大学” と呼ばれる大学費用を稼ぐために、
ひと夏の契約でリゾートにやってきた。
最初は反りが合わず、すれ違いが多かったはずなのに、
気が付けば同じように東京から来ていた同じ年の矢野光に恋をしていた。
そして彼は自分の事を “ポンコツのα” と呼んだ。
***前作品とは完全に切り離したお話ですが、
世界が被っていますので、所々に前作品の登場人物の名前が出てきます。***
沈黙のΩ、冷血宰相に拾われて溺愛されました
ホワイトヴァイス
BL
声を奪われ、競売にかけられたΩ《オメガ》――ノア。
落札したのは、冷血と呼ばれる宰相アルマン・ヴァルナティス。
“番契約”を偽装した取引から始まったふたりの関係は、
やがて国を揺るがす“真実”へとつながっていく。
喋れぬΩと、血を信じない宰相。
ただの契約だったはずの絆が、
互いの傷と孤独を少しずつ融かしていく。
だが、王都の夜に潜む副宰相ルシアンの影が、
彼らの「嘘」を暴こうとしていた――。
沈黙が祈りに変わるとき、
血の支配が終わりを告げ、
“番”の意味が書き換えられる。
冷血宰相×沈黙のΩ、
偽りの契約から始まる救済と革命の物語。
αで上級魔法士の側近は隣国の王子の婚約者候補に転生する
結川
BL
アデル王子の幼馴染かつ側近のルイス・シュトラール(α・上級魔法士)が転生した先は、隣国の王子の婚約者候補であるルカ・エドウィン(Ω・魔法未修得者)だった。
※12/6追記:2章プロット作成のため更新を留めます(2章からはBL/オメガバースらしい話にします)シナリオ調整のため、公開済みの話に変更を加える可能性があります。
【BL】『Ωである俺』に居場所をくれたのは、貴男が初めてのひとでした
圭琴子
BL
この世界は、αとβとΩで出来てる。
生まれながらにエリートのαや、人口の大多数を占める『普通』のβにはさして意識するほどの事でもないだろうけど、俺たちΩにとっては、この世界はけして優しくはなかった。
今日も寝坊した。二学期の初め、転校初日だったけど、ワクワクもドキドキも、期待に胸を膨らませる事もない。何故なら、高校三年生にして、もう七度目の転校だったから。
βの両親から生まれてしまったΩの一人息子の行く末を心配して、若かった父さんと母さんは、一つの罪を犯した。
小学校に入る時に義務付けられている血液検査日に、俺の血液と父さんの血液をすり替えるという罪を。
従って俺は戸籍上、β籍になっている。
あとは、一度吐(つ)いてしまった嘘がバレないよう、嘘を上塗りするばかりだった。
俺がΩとバレそうになる度に転校を繰り返し、流れ流れていつの間にか、東京の一大エスカレーター式私立校、小鳥遊(たかなし)学園に通う事になっていた。
今まで、俺に『好き』と言った連中は、みんなΩの発情期に当てられた奴らばかりだった。
だから『好き』と言われて、ピンときたことはない。
だけど。優しいキスに、心が動いて、いつの間にかそのひとを『好き』になっていた。
学園の事実上のトップで、生まれた時から許嫁が居て、俺のことを遊びだと言い切るあいつを。
どんなに酷いことをされても、一度愛したあのひとを、忘れることは出来なかった。
『Ωである俺』に居場所をくれたのは、貴男が初めてのひとだったから。
【完結】オーロラ魔法士と第3王子
N2O
BL
全16話
※2022.2.18 完結しました。ありがとうございました。
※2023.11.18 文章を整えました。
辺境伯爵家次男のリーシュ・ギデオン(16)が、突然第3王子のラファド・ミファエル(18)の専属魔法士に任命された。
「なんで、僕?」
一人狼第3王子×黒髪美人魔法士
設定はふんわりです。
小説を書くのは初めてなので、何卒ご容赦ください。
嫌な人が出てこない、ふわふわハッピーエンドを書きたくて始めました。
感想聞かせていただけると大変嬉しいです。
表紙絵
⇨ キラクニ 様 X(@kirakunibl)
籠中の鳥と陽色の君〜訳アリ王子の婚約お試し期間〜
むらくも
BL
婚約話から逃げ続けていた氷の国のα王子グラキエは、成年を機に年貢の納め時を迎えていた。
令嬢から逃げたい一心で失言の常習犯が選んだのは、太陽の国のΩ王子ラズリウ。
同性ならば互いに別行動が可能だろうと見込んでの事だったけれど、どうにもそうはいかなくて……?
本当はもっと、近くに居たい。
自由で居たいα王子×従順に振る舞うΩ王子の両片想いBL。
泡にはならない/泡にはさせない
玲
BL
――やっと見つけた、オレの『運命』……のはずなのに秒でフラれました。――
明るくてお調子者、だけど憎めない。そんなアルファの大学生・加原 夏樹(かはらなつき)が、ふとした瞬間に嗅いだ香り。今までに経験したことのない、心の奥底をかき乱す“それ”に導かれるまま、出会ったのは——まるで人魚のようなスイマーだった。白磁の肌、滴る水、鋭く澄んだ瞳、そしてフェロモンが、理性を吹き飛ばす。出会った瞬間、確信した。
「『運命だ』!オレと『番』になってくれ!」
衝動のままに告げた愛の言葉。けれど……。
「運命論者は、間に合ってますんで。」
返ってきたのは、冷たい拒絶……。
これは、『運命』に憧れる一途なアルファと、『運命』なんて信じない冷静なオメガの、正反対なふたりが織りなす、もどかしくて、熱くて、ちょっと切ない恋のはじまり。
オメガバースという世界の中で、「個」として「愛」を選び取るための物語。
彼が彼を選ぶまで。彼が彼を認めるまで。
——『運命』が、ただの言葉ではなくなるその日まで。
この噛み痕は、無効。
ことわ子
BL
執着強めのαで高校一年生の茜トキ×αアレルギーのβで高校三年生の品野千秋
α、β、Ωの三つの性が存在する現代で、品野千秋(しなのちあき)は一番人口が多いとされる平凡なβで、これまた平凡な高校三年生として暮らしていた。
いや、正しくは"平凡に暮らしたい"高校生として、自らを『αアレルギー』と自称するほど日々αを憎みながら生活していた。
千秋がαアレルギーになったのは幼少期のトラウマが原因だった。その時から千秋はαに対し強い拒否反応を示すようになり、わざわざαのいない高校へ進学するなど、徹底してαを避け続けた。
そんなある日、千秋は体育の授業中に熱中症で倒れてしまう。保健室で目を覚ますと、そこには親友の向田翔(むこうだかける)ともう一人、初めて見る下級生の男がいた。
その男と、トラウマの原因となった人物の顔が重なり千秋は混乱するが、男は千秋の混乱をよそに急に距離を詰めてくる。
「やっと見つけた」
男は誰もが見惚れる顔でそう言った。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる