31 / 33
第三章 命は巡り、愛は受け継がれることで永遠となる
第31話 聞えない悲鳴
しおりを挟む
その日を境に、俺たちの理想郷「フロンティア」は、音を立てて死んでいった。
子供たちの笑い声が消え、広場を駆け回る無邪気な足音も絶えた。代わりに響くのは、レオン直属の防衛隊が、規則正しく通りを巡回する、冷たいブーツの音だけ。仲間たちが交わす視線には、かつての信頼ではなく、互いの思想を探り合うような、痛々しい疑念が宿っていた。
俺は、医務室という名の、美しい鳥籠に囚われていた。
窓から見える景色は、まるで色を失った写真のようだった。レオンは、俺の命を守るという大義名分のもと、彼自身の手で、俺が愛した日常のすべてを殺していた。
皮肉なものだ。俺はドームという物理的な監獄から逃れ、今度は愛という名の、精神的な監獄に囚われている。
レオンは、以前よりも頻繁に俺の部屋を訪れた。
その瞳は、ひどく疲弊し、眠れない夜を物語っていた。彼は、自分が正しいと信じようと必死だった。俺の髪を梳き、食事の世話をし、完璧な看病をすることで、自らの罪悪感から目を逸らしている。
「レオンさん」と、俺はある日、尋ねた。
「あなたは今、幸せですか?」
彼は、俺のスープをかき混ぜる手を、ぴたりと止めた。そして、長い沈黙の後、一度も俺と目を合わせることなく、こう答えた。
「……お前が生きている。それ以上の幸福など、俺にはない」
その声は、あまりにも誠実で、そしてあまりにも独善的だった。
彼は、俺の心を殺すことで、俺の命を繋ぎ止めようとしている。
変化が訪れたのは、嵐の前の静けさのような数日が過ぎた、ある夜のことだった。
眠りに落ちた俺の意識に、遠くから、か細い声が響いてきた。それは、音ではない。感情の奔流。純粋な、子供たちの恐怖と、悲しみ。
(こわい)
(パパとママはどこ?)
(どうして、僕たちだけこんな場所に?)
隔離された「保護施設」から、彼らの魂の叫びが、俺のオメガとしての特異体質に共鳴し、直接流れ込んでくるのだ。それは、もはや比喩ではなかった。何十人もの子供たちの絶望が、俺の精神を容赦なく削り取っていく。
俺は、ベッドの上で身をよじった。頭が割れるように痛い。
(やめてくれ……!)
心の中で叫ぶが、悲鳴の合唱は止まらない。
その苦痛の果てで、俺は、一つの真実にたどり着いた。
俺は、ゆっくりとベッドから降りると、冷たい窓ガラスに額をつけた。遠くに見える、煌々と照明が灯された、あの無機質な施設。
俺は、ガラスに映る自分の青ざめた顔に向かって、静かに呟いた。
「……愛が、誰かをこんなに傷つけるのなら、それは、もう愛なんかじゃない……」
俺の涙が、頬を伝う。
だが、それはもう、絶望の涙ではなかった。
静かな、怒りの涙だった。
翌日、サラとジンが、レン先生の助手という名目で、俺の部屋を訪れた。レオンが許可した、唯一の訪問者だった。
俺は、二人の顔を見るなり、結論から告げた。
「ここから、出してください」
「……正気かい、アキ」と、サラが息を呑む。「外はレオンの部下でいっぱいだ。それに、あんたの身体は……」
「分かっています。でも、もう限界なんだ」
俺は、二人に昨夜の出来事を話した。子供たちの悲鳴が、今も耳から離れない、と。
ジンは、顔を覆った。
「そんな……。俺たちのせいで、あの子たちも、アキも、こんなに苦しんで……」
「だから、行かなきゃいけない」
俺の瞳に宿る光を見て、サラとジンは顔を見合わせた。そこにはもう、迷いの色はなかった。
「……分かった」と、サラが覚悟を決めたように言った。「あんたがそこまで言うなら、あたしたちは、あんたの剣にも盾にもなる。レオンが敵だとしても、ね」
「俺に任せてくれ!」と、ジンが続けた。「今夜、東地区の送電システムに過負荷をかけて、大規模な停電を起こす。その混乱に乗じて、サラさんがあんたを……」
計画は、すぐに決まった。
それは、かつての仲間であり、最強の守護者であったレオンを、敵に回すという、あまりにも悲しい作戦だった。
夜が来た。
俺は、バッグに何も詰めなかった。ただ、レオンが昔、荒野で俺にくれた、古びたコンパスだけを、強く、強く握りしめた。
窓の外で、遠くの空が一度だけ、強く明滅した。ジンの合図だ。
ほぼ同時に、部屋のドアのロックが、静かに解除される。外には、戦闘準備を整えたサラが立っていた。
「行くぞ、アキ」
俺は、深く頷いた。
涙を流す時間は、もう終わった。
愛する人の過ちを正すため。そして、俺自身の運命を、この手で選び取るために。
俺は、静かに、そして確かな一歩を、闇の中へと踏み出した。
子供たちの笑い声が消え、広場を駆け回る無邪気な足音も絶えた。代わりに響くのは、レオン直属の防衛隊が、規則正しく通りを巡回する、冷たいブーツの音だけ。仲間たちが交わす視線には、かつての信頼ではなく、互いの思想を探り合うような、痛々しい疑念が宿っていた。
俺は、医務室という名の、美しい鳥籠に囚われていた。
窓から見える景色は、まるで色を失った写真のようだった。レオンは、俺の命を守るという大義名分のもと、彼自身の手で、俺が愛した日常のすべてを殺していた。
皮肉なものだ。俺はドームという物理的な監獄から逃れ、今度は愛という名の、精神的な監獄に囚われている。
レオンは、以前よりも頻繁に俺の部屋を訪れた。
その瞳は、ひどく疲弊し、眠れない夜を物語っていた。彼は、自分が正しいと信じようと必死だった。俺の髪を梳き、食事の世話をし、完璧な看病をすることで、自らの罪悪感から目を逸らしている。
「レオンさん」と、俺はある日、尋ねた。
「あなたは今、幸せですか?」
彼は、俺のスープをかき混ぜる手を、ぴたりと止めた。そして、長い沈黙の後、一度も俺と目を合わせることなく、こう答えた。
「……お前が生きている。それ以上の幸福など、俺にはない」
その声は、あまりにも誠実で、そしてあまりにも独善的だった。
彼は、俺の心を殺すことで、俺の命を繋ぎ止めようとしている。
変化が訪れたのは、嵐の前の静けさのような数日が過ぎた、ある夜のことだった。
眠りに落ちた俺の意識に、遠くから、か細い声が響いてきた。それは、音ではない。感情の奔流。純粋な、子供たちの恐怖と、悲しみ。
(こわい)
(パパとママはどこ?)
(どうして、僕たちだけこんな場所に?)
隔離された「保護施設」から、彼らの魂の叫びが、俺のオメガとしての特異体質に共鳴し、直接流れ込んでくるのだ。それは、もはや比喩ではなかった。何十人もの子供たちの絶望が、俺の精神を容赦なく削り取っていく。
俺は、ベッドの上で身をよじった。頭が割れるように痛い。
(やめてくれ……!)
心の中で叫ぶが、悲鳴の合唱は止まらない。
その苦痛の果てで、俺は、一つの真実にたどり着いた。
俺は、ゆっくりとベッドから降りると、冷たい窓ガラスに額をつけた。遠くに見える、煌々と照明が灯された、あの無機質な施設。
俺は、ガラスに映る自分の青ざめた顔に向かって、静かに呟いた。
「……愛が、誰かをこんなに傷つけるのなら、それは、もう愛なんかじゃない……」
俺の涙が、頬を伝う。
だが、それはもう、絶望の涙ではなかった。
静かな、怒りの涙だった。
翌日、サラとジンが、レン先生の助手という名目で、俺の部屋を訪れた。レオンが許可した、唯一の訪問者だった。
俺は、二人の顔を見るなり、結論から告げた。
「ここから、出してください」
「……正気かい、アキ」と、サラが息を呑む。「外はレオンの部下でいっぱいだ。それに、あんたの身体は……」
「分かっています。でも、もう限界なんだ」
俺は、二人に昨夜の出来事を話した。子供たちの悲鳴が、今も耳から離れない、と。
ジンは、顔を覆った。
「そんな……。俺たちのせいで、あの子たちも、アキも、こんなに苦しんで……」
「だから、行かなきゃいけない」
俺の瞳に宿る光を見て、サラとジンは顔を見合わせた。そこにはもう、迷いの色はなかった。
「……分かった」と、サラが覚悟を決めたように言った。「あんたがそこまで言うなら、あたしたちは、あんたの剣にも盾にもなる。レオンが敵だとしても、ね」
「俺に任せてくれ!」と、ジンが続けた。「今夜、東地区の送電システムに過負荷をかけて、大規模な停電を起こす。その混乱に乗じて、サラさんがあんたを……」
計画は、すぐに決まった。
それは、かつての仲間であり、最強の守護者であったレオンを、敵に回すという、あまりにも悲しい作戦だった。
夜が来た。
俺は、バッグに何も詰めなかった。ただ、レオンが昔、荒野で俺にくれた、古びたコンパスだけを、強く、強く握りしめた。
窓の外で、遠くの空が一度だけ、強く明滅した。ジンの合図だ。
ほぼ同時に、部屋のドアのロックが、静かに解除される。外には、戦闘準備を整えたサラが立っていた。
「行くぞ、アキ」
俺は、深く頷いた。
涙を流す時間は、もう終わった。
愛する人の過ちを正すため。そして、俺自身の運命を、この手で選び取るために。
俺は、静かに、そして確かな一歩を、闇の中へと踏み出した。
14
あなたにおすすめの小説
Endless Summer Night ~終わらない夏~
樹木緑
BL
ボーイズラブ・オメガバース "愛し合ったあの日々は、終わりのない夏の夜の様だった”
長谷川陽向は “お見合い大学” と呼ばれる大学費用を稼ぐために、
ひと夏の契約でリゾートにやってきた。
最初は反りが合わず、すれ違いが多かったはずなのに、
気が付けば同じように東京から来ていた同じ年の矢野光に恋をしていた。
そして彼は自分の事を “ポンコツのα” と呼んだ。
***前作品とは完全に切り離したお話ですが、
世界が被っていますので、所々に前作品の登場人物の名前が出てきます。***
沈黙のΩ、冷血宰相に拾われて溺愛されました
ホワイトヴァイス
BL
声を奪われ、競売にかけられたΩ《オメガ》――ノア。
落札したのは、冷血と呼ばれる宰相アルマン・ヴァルナティス。
“番契約”を偽装した取引から始まったふたりの関係は、
やがて国を揺るがす“真実”へとつながっていく。
喋れぬΩと、血を信じない宰相。
ただの契約だったはずの絆が、
互いの傷と孤独を少しずつ融かしていく。
だが、王都の夜に潜む副宰相ルシアンの影が、
彼らの「嘘」を暴こうとしていた――。
沈黙が祈りに変わるとき、
血の支配が終わりを告げ、
“番”の意味が書き換えられる。
冷血宰相×沈黙のΩ、
偽りの契約から始まる救済と革命の物語。
αで上級魔法士の側近は隣国の王子の婚約者候補に転生する
結川
BL
アデル王子の幼馴染かつ側近のルイス・シュトラール(α・上級魔法士)が転生した先は、隣国の王子の婚約者候補であるルカ・エドウィン(Ω・魔法未修得者)だった。
※12/6追記:2章プロット作成のため更新を留めます(2章からはBL/オメガバースらしい話にします)シナリオ調整のため、公開済みの話に変更を加える可能性があります。
【BL】『Ωである俺』に居場所をくれたのは、貴男が初めてのひとでした
圭琴子
BL
この世界は、αとβとΩで出来てる。
生まれながらにエリートのαや、人口の大多数を占める『普通』のβにはさして意識するほどの事でもないだろうけど、俺たちΩにとっては、この世界はけして優しくはなかった。
今日も寝坊した。二学期の初め、転校初日だったけど、ワクワクもドキドキも、期待に胸を膨らませる事もない。何故なら、高校三年生にして、もう七度目の転校だったから。
βの両親から生まれてしまったΩの一人息子の行く末を心配して、若かった父さんと母さんは、一つの罪を犯した。
小学校に入る時に義務付けられている血液検査日に、俺の血液と父さんの血液をすり替えるという罪を。
従って俺は戸籍上、β籍になっている。
あとは、一度吐(つ)いてしまった嘘がバレないよう、嘘を上塗りするばかりだった。
俺がΩとバレそうになる度に転校を繰り返し、流れ流れていつの間にか、東京の一大エスカレーター式私立校、小鳥遊(たかなし)学園に通う事になっていた。
今まで、俺に『好き』と言った連中は、みんなΩの発情期に当てられた奴らばかりだった。
だから『好き』と言われて、ピンときたことはない。
だけど。優しいキスに、心が動いて、いつの間にかそのひとを『好き』になっていた。
学園の事実上のトップで、生まれた時から許嫁が居て、俺のことを遊びだと言い切るあいつを。
どんなに酷いことをされても、一度愛したあのひとを、忘れることは出来なかった。
『Ωである俺』に居場所をくれたのは、貴男が初めてのひとだったから。
【完結】オーロラ魔法士と第3王子
N2O
BL
全16話
※2022.2.18 完結しました。ありがとうございました。
※2023.11.18 文章を整えました。
辺境伯爵家次男のリーシュ・ギデオン(16)が、突然第3王子のラファド・ミファエル(18)の専属魔法士に任命された。
「なんで、僕?」
一人狼第3王子×黒髪美人魔法士
設定はふんわりです。
小説を書くのは初めてなので、何卒ご容赦ください。
嫌な人が出てこない、ふわふわハッピーエンドを書きたくて始めました。
感想聞かせていただけると大変嬉しいです。
表紙絵
⇨ キラクニ 様 X(@kirakunibl)
籠中の鳥と陽色の君〜訳アリ王子の婚約お試し期間〜
むらくも
BL
婚約話から逃げ続けていた氷の国のα王子グラキエは、成年を機に年貢の納め時を迎えていた。
令嬢から逃げたい一心で失言の常習犯が選んだのは、太陽の国のΩ王子ラズリウ。
同性ならば互いに別行動が可能だろうと見込んでの事だったけれど、どうにもそうはいかなくて……?
本当はもっと、近くに居たい。
自由で居たいα王子×従順に振る舞うΩ王子の両片想いBL。
泡にはならない/泡にはさせない
玲
BL
――やっと見つけた、オレの『運命』……のはずなのに秒でフラれました。――
明るくてお調子者、だけど憎めない。そんなアルファの大学生・加原 夏樹(かはらなつき)が、ふとした瞬間に嗅いだ香り。今までに経験したことのない、心の奥底をかき乱す“それ”に導かれるまま、出会ったのは——まるで人魚のようなスイマーだった。白磁の肌、滴る水、鋭く澄んだ瞳、そしてフェロモンが、理性を吹き飛ばす。出会った瞬間、確信した。
「『運命だ』!オレと『番』になってくれ!」
衝動のままに告げた愛の言葉。けれど……。
「運命論者は、間に合ってますんで。」
返ってきたのは、冷たい拒絶……。
これは、『運命』に憧れる一途なアルファと、『運命』なんて信じない冷静なオメガの、正反対なふたりが織りなす、もどかしくて、熱くて、ちょっと切ない恋のはじまり。
オメガバースという世界の中で、「個」として「愛」を選び取るための物語。
彼が彼を選ぶまで。彼が彼を認めるまで。
——『運命』が、ただの言葉ではなくなるその日まで。
この噛み痕は、無効。
ことわ子
BL
執着強めのαで高校一年生の茜トキ×αアレルギーのβで高校三年生の品野千秋
α、β、Ωの三つの性が存在する現代で、品野千秋(しなのちあき)は一番人口が多いとされる平凡なβで、これまた平凡な高校三年生として暮らしていた。
いや、正しくは"平凡に暮らしたい"高校生として、自らを『αアレルギー』と自称するほど日々αを憎みながら生活していた。
千秋がαアレルギーになったのは幼少期のトラウマが原因だった。その時から千秋はαに対し強い拒否反応を示すようになり、わざわざαのいない高校へ進学するなど、徹底してαを避け続けた。
そんなある日、千秋は体育の授業中に熱中症で倒れてしまう。保健室で目を覚ますと、そこには親友の向田翔(むこうだかける)ともう一人、初めて見る下級生の男がいた。
その男と、トラウマの原因となった人物の顔が重なり千秋は混乱するが、男は千秋の混乱をよそに急に距離を詰めてくる。
「やっと見つけた」
男は誰もが見惚れる顔でそう言った。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる