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一章
十八話
しおりを挟むようやく船まで辿り着いたものの。
ジヴリールが大司教に拘束されている──という最悪な状況は変わらず、ミカールは険しさに表情を歪めていた。
「無駄な抵抗はやめろ。どのみちお前の退路は完全に“封鎖“した。この結界内から逃げられないお前に勝ち目は無い」
ミカールの声に呼応するように、四方に張り巡らされた結界が青白い光を放つ。
「お、おのれ……たった二人の小童どもにしてやられるとは…っ、」
「このままジヴリールを諦めるか、不法入国者として捕縛されるか。どちらがいいか選ぶといい、大司教」
毅然としたミカールの態度に、大司教は年甲斐も無く歯噛みし、眉間の皺を深くさせた。
退路も救援の望みも絶たれた彼らに残された道は、要求を呑むか、或いは、犯罪者として捕縛されるか。
逃げ場を失い、指揮官である大司教はオメガを人質にしたまま、まともに動けない状況に、システィーヌ兵達は騒ついた。
自分達の置かれた状況に気づいたらしく、勢いづいていた士気は沈着し、既にミカール達に剣を向ける者は殆ど無かった。
「ぬけぬけと……選ぶ権利は此方にあるのを忘れたのか?」
「っ……!」
刃の冷たい感触が首筋を撫で、ジヴリールは息を詰まらせた。
切先が触れた箇所僅かに血が滲み出す。痛みよりも恐怖が先立ち、表情が硬くなる。
「カランバーノ王の子よ、武器を捨てるのだ。そこの男もだ。さもなくば…」
卑劣な“賊“の脅迫に、己の無力さに、剣を握る彼の手が戦慄いていた。
本当ならば──直接大司教の首を取るのが一番簡単で手っ取り早い。
だが。
システィーヌの大司教クラスの人間を、教会側に与している男爵家の前で、それも王国領土内で殺すのは国際問題に発展しかねない。
交渉もしくは捕縛するより他、まだ王権を持たないミカールには助ける方法が無かった。
「……従おう、」
船外から弓で狙い定めているルーヴェンに武器を捨てるよう合図を送り、自らも構えていた剣を目の前に放り出した。
「……賊風情が」
合図を確認したルーヴェンも悪態を吐きながら同様に武器を捨て、盛大に舌打ちを零した。
「理想の為にオメガを人質に取るのか……教会も堕ちたな」
静かな怒りと憎悪に満ちた声が船内に響く。
若い王子を嘲笑うように、竜信徒の手本ともなるべき男は、老獪なその顔に狡猾さを隠しもせずに口元を歪ませる。
「崇高なる理想の為、多少の卑劣はやむを得まい。我らシスティーヌの理想郷を築く為の礎に、聖なる……このオメガの血が必要なのだからな」
「そうまでしてジヴリールに固執する理由はなんだ?いくら希少な男型オメガとはいえ、ジヴリールはそこらの女型オメガと変わらない。ごく普通の子供だ。教皇が今更欲しがるほどの逸材でも無いだろう」
呆れたように、嫌味を多分に含めて失笑する王子だが、意に反して目の前の男の口元は愉悦に歪んだ。
「何がおかしい?」
訝しげに眉を顰める王子に、大司教はなおも笑い声を響かせる。
「このオメガがどれほどの奇跡の力を有しているのか。知らぬとはのう……」
深く刻まれた皺の奥にある眼が鋭く光る。
怪しく嗤うその口から、憐れむように呪詛の如く言葉が紡がれる。
「哀れよ、お前達アルファは何も知らず、自らの血に一切の疑問も持たずに、ただ獣と成り果てる」
「……どういう意味だ」
「言葉通りの意味だ。これ以上“賊“に語る言葉もあるまい」
そう言って勝ち誇ったように笑う大司教に、ジヴリールは眉を寄せる。
ミカールさまの邪魔になりたくない…っ、何とかしなきゃ。
喉元に突きつけられた刃が皮膚を僅かに滑る度に身体が恐怖で慄く。
だが──
身動き取れずにいる王子を前にして、ただ守られているわけにはいかなかった。
こんなの、怖くない。
全然、へーき……
痛くない、怖くない…!
ジヴリールは震える身体で、がむしゃらに手足をバタつかせる。
逃すまいと、大司教の腕が拘束を強めるが、ジヴリールはますます抵抗を激しくさせた。
「小癪な……!猊下の番となる我が身の使命が分からぬか…!?」
「知らない…!教皇さまなんか、嫌い…っ!」
首筋に当てられたナイフが皮膚を薄く裂いて、ワンピースの袖を引き裂く。
腕からは血が滲み出し、白い肌に鮮血が伝う。
「やめろ、ジヴリール!下手に動いたら危険だ…!」
「おおお…っ、ジヴリール様…!危のうございます!どうか落ち着いて…」
踠きながら身体にいくつか傷を作るジヴリールに、ミカールや司教は声を荒げる。
さすがの卑劣な男も、教皇に差し出す贄とも云える聖なるオメガを手に掛けるつもりは無いようだ。
暴れる少年を抑え込み、どうにかナイフを掴み直す。
「ええい、こうなれば多少の傷は目を瞑るしかあるまい…!」
ジタバタと手足を動かすジヴリールをどうにか捕らえたまま、大司教は魔法を詠唱する。
「紅蓮よ、我に問え。我こそは地獄の亡者たる────」
詠唱とともに魔力が結界内に渦巻く。
瞬間────
詠唱の余地を許さない速さで。
水の精霊達が氷柱のような形を作り、神速の矢の如く男の肩を貫く。
「ぐア“ァァァァぁぁっぁぁーーーーッ!」
苦痛に呻く醜悪な声が響き渡る。
男が呻き悶絶するその隙に拘束を逃れ、縺れそうな足で懸命に駆ける。
ミカールもジヴリールへと駆け寄り、両手を伸ばした。
「ミカールさま……っ!」
言葉よりも先に。
ジヴリールはミカールの腕の中へと飛び込み、逞しいその胸に頬を擦り寄せた。
ミカールさまの匂いだ……本当にミカールさまなんだ。
仄かに香る茉莉花の香りに鼻をスンと鳴らし、腕の中で身体を丸めるジヴリール。
ミカールは再会の余韻に浸るよりも先に、細い腕を掴んだ。
「傷は……!?」
薄く血が滲む肌にミカールは眉間に皺を寄せた。
「ちょっと切った、だけ…だから、大丈夫…」
「……痕には残らない、とは思うが…」
心配そうに見つめるミカールにジヴリールは思わず微笑みを零す。
そして、自分よりもよほど血や土埃で汚れている頬をそっと手で拭う。
「すぐに治癒魔法を……ルーヴェン、」
「俺に言うな。こんなかすり傷、唾でもつけておけば治る」
状況が変わるや否やすぐに船内へと駆けつけたらしいルーヴェンは、腕の傷を見て溜息を零す。
その言葉通り、既に血は止まっていた。
「お前や俺じゃあるまいし、ジヴリールにそんな事出来るか」
「それでしたら私が──」
そう言ってゆっくりと歩み寄る司教に、ミカールは怪訝そうな視線を向ける。
もはやシスティーヌに関わる者は一切信用出来ない。そう語るような冷たい眼。
それは返り血に塗れた青年よりも長く生きた老成な司教にも伝わり、彼は王子と聖なるオメガの前に膝を折った。
「殿下。何卒、ジヴリール様のお怪我を治癒する事をお赦し下さい」
ミカールは何も言わず、眉を僅かに顰める。
しかし。ジヴリールは、司教の純粋な申し出を疑う事無く信じ、自分から側へ寄る。
「……ダメだ。そいつもシスティーヌの人間だ、信用ならない」
「司教さまは、悪い人…じゃない」
そう言って腕を差し出すと、司教は遠慮がちに手を伸ばし、治癒魔法を掛けた。
たとえ自分の付き人として常に側にいて、見守っていたこの老人に、教皇から与えられた任と思惑があったとしても。
日頃から自分に『聖なる男型オメガ』である事を強く意識させる存在だとしても。
敬虔な竜信徒である彼が、己の拠り所である教会に楯突く事になっても、司教の立場を危うくさせてでも、自分を助けた。
それだけで、ジヴリールは十分だった──
「司教さま……助けて、くれて……ありがとうございます」
無垢な微笑みを浮かべると、司教の瞳が悔恨と情動とで僅かに潤んだ。
そしてジヴリールの手を掴み、懺悔するように、慈悲に縋るように、彼は深く頭を垂れた。
「そんな男に礼など必要ない。そいつはお前をただ……」
王子が何かを言いかけるが、すぐに言葉をしまい込んだ。
教皇の命令で監視していたのだ。
希少な男型オメガを教会が奪う為に。
──そう教えてやるだけの冷酷さは、まだこの年若き青年には無かった。
「……最後に、取り返しのつかない過ちを犯す所でした」
「御託はいい。懺悔するくらいなら、行動で示せ」
突き放すように背を向けるが、冷徹な声にはいくらか情も残っているように感じられる。
司教は、また深く頭を垂れた。
「馬鹿な……我が魔法が…」
「この結界内では、術者以外の術行使は許されない」
その言葉を証明するかの如く、実際に術を行使しようとした大司教の周囲を漂う『気』は明らかに重く、澱んでいて、精霊達の静かなる怒りはジヴリールにも伝わった。
「四方結界がこれほど強力な呪縛となるとは……やはり、アルファの力は侮れぬな…」
「“あの親子“のように大人しくしているんだな。どのみちお前達はもう何処へも逃げられないのだからな」
ジヴリールは顔を上げ、船外を一瞥した。
ミカールの言う通り、不気味なほどに彼らは微動だしなかった。
仮にも王国のアカデミーで首席を取るだけあって、ニールはこの結界が、ただ【退路を断つだけの閉鎖空間】ではないと気づいたようだ。
その視線の意図を察したらしく、大きな手が「心配するな」と安心させるように髪を撫でるのに、ジヴリールは小さく頷いた。
「さあ、大司教殿。大人しく王都までご同行願おうか」
王子が指示するよりも先に、ルーヴェンが大司教の首元に剣先を突きつける。
先程と立場がすっかり逆転している。
肩口を押さえながらゆっくり立ち上がるが、苦悶に満ちた息の荒さとは裏腹に、男の顔に張り付いているのは不気味な薄ら笑いだった。
「ぁ……っ、」
男と目が合った瞬間、ジヴリールは息を呑んだ。
狂気──
皺が深く刻まれた眼の奥で爛々と輝くそれは、見る者の心を掻き乱し、静かに飲み込まんとする深淵の如く空虚そのものだった。
大司教は降り注ぐ雨を一身に浴びながら歓喜の声を上げて乾いた笑いを撒き散らしていく。
狡猾な男の突然の豹変に王子は訝しげに眉間の皺を深くさせる。
その視線すら悦楽に感じ入る男は、首元に忍ばせていたらしい、小指ほどの大きさの小瓶を取り出す。
「まさかこんなに早くコレを使う日が来ようとは……」
クツクツと肩を震わせる男の手の中で、緋色の液体が妖しくゆらめく。
「これは、猊下より賜った聖水だ」
「どうせ中身は何かの毒か薬物だろう」
ルーヴェンの皮肉めいた言葉に、男はより一層口元を醜く歪ませる。
「エルドリック公よ、無粋な事を言うものではない。猊下が私の目の前で、血をお与え下さったのだ。
あの方の体内を流れていた、神聖な血肉……全てはこの時の為だったのだ!」
男の眼が異様な鋭さを帯びる。
ルーヴェンがすぐに掴み掛かり瓶を振り落とそうとするが、男の抵抗は存外強く、全てが手遅れだった。
「オルレイア様……!どうか、私に力を!」
辺りに響く空虚な笑いを全て呑み込むように、男は一切の躊躇いも無く、緋色の聖水を喉奥へと流し込んだ。
真っ赤な液体を飲み込んだ。
その瞬間──
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