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日ごとに訪問者は増え、エリザベートの領地はまるで一種の“見合い市場”のような雰囲気すら帯び始めていた。けれど、当の本人──エリザベート・フォン・ローデンベルクは、そんな騒がしさをよそに、冷静に日々を過ごしていた。
もちろん、彼女が「モテ期」に舞い上がっていたわけではない。むしろ、慎重すぎるほどの距離を保ち、どの訪問者に対しても礼儀と節度をもって応対していた。
だからこそ、男たちは余計に惹かれるのだった。
「まったく……エリザベート様は罪な方ですねぇ」
今日もまた、クラリッサが呆れ顔で紅茶を淹れながらつぶやいた。
「何が“罪”なのかしら?」
「この間なんて、第二騎士団の隊長様が“ローデンベルク家に婿入りしても構わない”とまで言ってましたよ?」
「……まったく、男というのはどうしてこうも極端なのかしらね。少し褒められたくらいで人生を預けるなんて」
エリザベートはため息をつくと、窓の外に目を向けた。領地の庭園には、季節のバラが咲き誇っていた。
あれほど重苦しかった婚約破棄の直後が、嘘のように静かで穏やかな日々。
だが、それは嵐の前の静けさだった。
──ジークフリート殿下が再び、訪問の約を申し入れてきたのだ。
そして今回は、ただの挨拶ではない。
「……エリザベート嬢。あなたに、ある提案があります」
邸内の応接間。第一王子ジークフリート・フォン・グランシュタインは、穏やかながら真剣な眼差しでそう切り出した。
「提案、ですか?」
「ええ。実は──」
と、殿下が言いかけたそのとき、ドアが唐突に開いた。
「失礼いたします! 第一王子殿下! ローデンベルク嬢!」
部屋に飛び込んできたのは、まさかの人物だった。
「……アレクシス、殿下?」
エリザベートの声にわずかな困惑がにじむ。
あれから会っていなかった。いや、会う理由もなかった。だが──
「兄上! 兄上は……本気で、彼女に求婚なさるおつもりですか!」
ジークフリート殿下は眉一つ動かさず、弟を見つめ返す。
「アレクシス。君には関係ないことだ」
「兄上こそ、なぜ彼女なんです! 兄上ほどの方が……どうして、かつて“悪役令嬢”と呼ばれた女に心を?」
その言葉に、部屋の空気が凍った。
「……アレクシス殿下」
エリザベートは静かに立ち上がった。だが、その目には、かつて王子の婚約者だったころとは違う光があった。
「わたくしは、貴方に同情されたいわけではございません。そして、貴方の後悔にも、興味はありません」
「そ、そんなつもりでは……」
「では、どういう“つもり”でここに来られたのですか? ミリア嬢と、もう十分に幸せなのではなくて?」
アレクシスは言葉を失った。やがて、何も言えぬまま、部屋を後にした。
その背中は、哀れというより、滑稽ですらあった。
ジークフリート殿下は少しだけ口元を緩め、エリザベートに向き直る。
「では、続きといこう。……私の提案は、あなたに王宮内の女性諮問官として、私のそばに仕えていただきたいということだ」
「王宮、ですか」
「あなたの見識と判断力は、ただの社交界の飾りには過ぎない。もっと国の未来に役立てるべきだと私は考える。もちろん、最終的には……それ以上の関係も、考えている」
「……それは、職務上の話ではなく?」
「私個人としての意思だ」
エリザベートは答えず、窓の外を見た。
王宮。自分を捨てた男が住まう場所。だが、自分を認めようとする者が新たに現れたのも、またその場所だ。
いまや彼女の周囲には、ジークフリート殿下だけでなく、複数の候補が現れていた。
たとえば──
「エリザベート嬢! お手紙ありがとうございます、やっと会えました!」
そう言って駆け寄ってきたのは、魔法省の若き天才研究員、ルディウス・ヴァレンシュタイン。紅茶よりも魔道具に興味がありそうなその青年は、珍しく真剣な目で彼女を見た。
「僕は、あなたの書いた報告書に感銘を受けました。あれほど明快で、かつ貴族の視点を持った文書は初めてです。どうか、魔法省に来ていただけませんか?」
「またもや、お誘いとは……わたくし、引っ張りだこですわね」
「えっ……いや、その、これは求婚ではなくて、研究者として──いえ、求婚のつもりでも……いや違っ……ああっ……!」
彼の顔が真っ赤になるのを見て、エリザベートは思わず笑った。
まるで、春風のような柔らかな笑みだった。
そんなある日のこと。
「エリザベート様、魔法通信です。発信元は……ラウベル辺境伯領より」
「ラウベル……?」
聞き覚えのある地名だった。辺境伯ラウベルは、貴族社会でも一風変わった家柄で知られている。長い間、中央とは距離を取り、独自の文化と騎士団を維持してきた家系。
その次男──カイル・ラウベルとは、アカデミー時代にほんの一度、剣術試合で言葉を交わしただけだった。
それなのに、なぜ今──
《お久しぶりです、ローデンベルク嬢。突然ですが、貴女に頼みたいことがあります》
《今、王都から遠く離れたこの地に、貴女のような“真の気骨を持つ令嬢”が必要です》
《これは、ある意味で求婚です。ですが、それ以上に──運命の戦です》
「……運命、ですって?」
声に出して読み上げた自分の言葉に、エリザベートは思わず笑いそうになった。
求婚、名誉職、宮仕え、そして──運命の戦。
彼女の人生は、もはや“婚約破棄された悪役令嬢”ではない。もはや“悪役”ですらなくなりつつある。
いや、それはまだ早計か。
なぜなら──
「わたくしが“誰のヒロイン”になるかは、まだ決めていないもの」
エリザベートは、また一通の返事をしたためる。
けれど、それは“はい”でも“いいえ”でもない。
次の一手を、彼女自身が選ぶための、猶予。
そして今宵も、扉の向こうから誰かがやってくる。
「ローデンベルク嬢、私と一戦交えていただけますか?」
凛とした声が廊下に響く。
また新たな挑戦者の登場だ。
エリザベートの物語は、まだ──幕が開いたばかり。
もちろん、彼女が「モテ期」に舞い上がっていたわけではない。むしろ、慎重すぎるほどの距離を保ち、どの訪問者に対しても礼儀と節度をもって応対していた。
だからこそ、男たちは余計に惹かれるのだった。
「まったく……エリザベート様は罪な方ですねぇ」
今日もまた、クラリッサが呆れ顔で紅茶を淹れながらつぶやいた。
「何が“罪”なのかしら?」
「この間なんて、第二騎士団の隊長様が“ローデンベルク家に婿入りしても構わない”とまで言ってましたよ?」
「……まったく、男というのはどうしてこうも極端なのかしらね。少し褒められたくらいで人生を預けるなんて」
エリザベートはため息をつくと、窓の外に目を向けた。領地の庭園には、季節のバラが咲き誇っていた。
あれほど重苦しかった婚約破棄の直後が、嘘のように静かで穏やかな日々。
だが、それは嵐の前の静けさだった。
──ジークフリート殿下が再び、訪問の約を申し入れてきたのだ。
そして今回は、ただの挨拶ではない。
「……エリザベート嬢。あなたに、ある提案があります」
邸内の応接間。第一王子ジークフリート・フォン・グランシュタインは、穏やかながら真剣な眼差しでそう切り出した。
「提案、ですか?」
「ええ。実は──」
と、殿下が言いかけたそのとき、ドアが唐突に開いた。
「失礼いたします! 第一王子殿下! ローデンベルク嬢!」
部屋に飛び込んできたのは、まさかの人物だった。
「……アレクシス、殿下?」
エリザベートの声にわずかな困惑がにじむ。
あれから会っていなかった。いや、会う理由もなかった。だが──
「兄上! 兄上は……本気で、彼女に求婚なさるおつもりですか!」
ジークフリート殿下は眉一つ動かさず、弟を見つめ返す。
「アレクシス。君には関係ないことだ」
「兄上こそ、なぜ彼女なんです! 兄上ほどの方が……どうして、かつて“悪役令嬢”と呼ばれた女に心を?」
その言葉に、部屋の空気が凍った。
「……アレクシス殿下」
エリザベートは静かに立ち上がった。だが、その目には、かつて王子の婚約者だったころとは違う光があった。
「わたくしは、貴方に同情されたいわけではございません。そして、貴方の後悔にも、興味はありません」
「そ、そんなつもりでは……」
「では、どういう“つもり”でここに来られたのですか? ミリア嬢と、もう十分に幸せなのではなくて?」
アレクシスは言葉を失った。やがて、何も言えぬまま、部屋を後にした。
その背中は、哀れというより、滑稽ですらあった。
ジークフリート殿下は少しだけ口元を緩め、エリザベートに向き直る。
「では、続きといこう。……私の提案は、あなたに王宮内の女性諮問官として、私のそばに仕えていただきたいということだ」
「王宮、ですか」
「あなたの見識と判断力は、ただの社交界の飾りには過ぎない。もっと国の未来に役立てるべきだと私は考える。もちろん、最終的には……それ以上の関係も、考えている」
「……それは、職務上の話ではなく?」
「私個人としての意思だ」
エリザベートは答えず、窓の外を見た。
王宮。自分を捨てた男が住まう場所。だが、自分を認めようとする者が新たに現れたのも、またその場所だ。
いまや彼女の周囲には、ジークフリート殿下だけでなく、複数の候補が現れていた。
たとえば──
「エリザベート嬢! お手紙ありがとうございます、やっと会えました!」
そう言って駆け寄ってきたのは、魔法省の若き天才研究員、ルディウス・ヴァレンシュタイン。紅茶よりも魔道具に興味がありそうなその青年は、珍しく真剣な目で彼女を見た。
「僕は、あなたの書いた報告書に感銘を受けました。あれほど明快で、かつ貴族の視点を持った文書は初めてです。どうか、魔法省に来ていただけませんか?」
「またもや、お誘いとは……わたくし、引っ張りだこですわね」
「えっ……いや、その、これは求婚ではなくて、研究者として──いえ、求婚のつもりでも……いや違っ……ああっ……!」
彼の顔が真っ赤になるのを見て、エリザベートは思わず笑った。
まるで、春風のような柔らかな笑みだった。
そんなある日のこと。
「エリザベート様、魔法通信です。発信元は……ラウベル辺境伯領より」
「ラウベル……?」
聞き覚えのある地名だった。辺境伯ラウベルは、貴族社会でも一風変わった家柄で知られている。長い間、中央とは距離を取り、独自の文化と騎士団を維持してきた家系。
その次男──カイル・ラウベルとは、アカデミー時代にほんの一度、剣術試合で言葉を交わしただけだった。
それなのに、なぜ今──
《お久しぶりです、ローデンベルク嬢。突然ですが、貴女に頼みたいことがあります》
《今、王都から遠く離れたこの地に、貴女のような“真の気骨を持つ令嬢”が必要です》
《これは、ある意味で求婚です。ですが、それ以上に──運命の戦です》
「……運命、ですって?」
声に出して読み上げた自分の言葉に、エリザベートは思わず笑いそうになった。
求婚、名誉職、宮仕え、そして──運命の戦。
彼女の人生は、もはや“婚約破棄された悪役令嬢”ではない。もはや“悪役”ですらなくなりつつある。
いや、それはまだ早計か。
なぜなら──
「わたくしが“誰のヒロイン”になるかは、まだ決めていないもの」
エリザベートは、また一通の返事をしたためる。
けれど、それは“はい”でも“いいえ”でもない。
次の一手を、彼女自身が選ぶための、猶予。
そして今宵も、扉の向こうから誰かがやってくる。
「ローデンベルク嬢、私と一戦交えていただけますか?」
凛とした声が廊下に響く。
また新たな挑戦者の登場だ。
エリザベートの物語は、まだ──幕が開いたばかり。
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