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「──ローデンベルク嬢、私と一戦交えていただけますか?」
そう言ってエリザベートの屋敷を訪れた男は、漆黒の髪と灰色の瞳を持つ青年だった。衣服は質素だが上質、装飾はないが隙もない。何よりも、その目が研ぎ澄まされている。
「……貴方は?」
「カイル・ラウベルと申します。ラウベル辺境伯の次男にございます」
「あら、わざわざ辺境から。手紙だけでは飽き足らず、次は直接のご訪問?」
「はい。言葉では足りぬと思いまして」
エリザベートは眉をわずかに上げた。アカデミーの頃に一度顔を合わせただけの相手が、何を思って今さら──などと簡単に疑うほど、彼女も子供ではない。むしろ、それだけの“意思”を持って行動する男のほうが、よほど興味深い。
「……一戦交えると言いましたね。それは比喩ではなく?」
「ええ、剣で、です。正確には模擬剣ですが」
「なるほど。“悪役令嬢”に決闘を申し込むとは、貴方もなかなか変わり者ですわね」
エリザベートはくすりと笑った。
「では、お受けします。その代わり、勝ったら貴方の“提案”をじっくり聞かせてもらいますわよ?」
「承知しました」
こうして、急遽庭園での剣術試合が始まることになった。
観戦に集まったのは、クラリッサや屋敷の使用人たち、そして──偶然(というにはあまりに不自然な)タイミングで訪れていたルディウス・ヴァレンシュタインと、ジークフリート殿下。
「まさか、剣で婚活とはね……」
ジークフリート殿下が半ば呆れたように呟くと、隣のルディウスが真顔で頷いた。
「勝ったら求婚って、昔の英雄譚みたいですね……僕、魔道具しか使えないんですけど。やっぱり剣も練習した方が……?」
「それより、彼女の足さばきを見ておくんだな。無駄がない。礼儀の枠に収まる女ではないぞ」
「……それは、褒めてます?」
ジークフリート殿下は答えず、ただ剣を構えるエリザベートの姿を静かに見つめていた。
──試合は、五分と五分だった。
カイルは剣の達人ではないが、鋭さと冷静さを持ち合わせていた。一方のエリザベートも、元王子の婚約者という立場から日々鍛錬を欠かさず、技術も胆力も相応にある。
刃が交わるたび、火花のように緊張が走った。
そして──
「……ふぅ。貴方、なかなかやりますわね」
エリザベートが額の汗を袖で拭いながら、模擬剣を納めた。
「嬢こそ、想像以上の強さだ。まるで獅子のようだった」
「悪役令嬢から、今度は“獅子”ですか。称号がどんどん増えていくわね」
エリザベートは苦笑しながら、カイルの申し出を聞くことにした。
「貴方の申し出、詳しく聞かせてくださる?」
「承知しました」
カイルはその場に跪き、まっすぐに彼女の目を見た。
「私の家──ラウベル辺境伯家は、長らく王都との繋がりを絶ってきました。ですが今、帝国との国境地帯が不穏です。我々のような貴族が、もはや独自に抗うには限界がある」
「つまり、中央との橋渡し役が欲しい……と?」
「その通りです。ただし、王宮と通じていても、信用できる人物でなければ意味がありません。あなたはその条件に、最もふさわしい」
「わたくしを“使う”つもりなのね?」
「“共に立つ”つもりです」
その真っ直ぐな言葉に、エリザベートは思わず目を細めた。
彼の提案は、これまでの求婚者たちとは違っていた。甘い言葉も、美辞麗句もない。ただ、国家の行方を懸けた真剣な願い。
──面白い。
それはエリザベートが、久しく感じていなかった感覚だった。
「考えておきますわ、カイル・ラウベル様」
「光栄にございます」
こうして、また一人、新たな“男”が彼女の周囲に加わった。
そしてその夜──
クラリッサがそっと部屋をノックした。
「エリザベート様、よろしければ……お茶をお持ちしましょうか?」
「いいえ、ありがとう。今日は少し考え事がしたい気分なの」
「……では、おやすみなさいませ」
静かになった部屋。エリザベートはソファに腰を下ろし、目を閉じた。
王子に捨てられた令嬢。
悪役と呼ばれた過去。
それが、こんなにも人を引き寄せる理由になるとは。
(……皮肉なものね)
王宮から、辺境から、学術機関から──さまざまな思惑と感情が、彼女に注がれている。
だが、どれも“本物”かどうかは、まだ分からない。
一人の女として、政治家として、貴族として──どんな未来を選ぶのかは、すべて彼女次第だった。
そしてその翌日──また一つ、予想外の知らせが届いた。
「エリザベート様。王妃陛下より、正式な晩餐会へのご招待状が届いております」
「……王妃陛下が?」
「はい。文面には“ぜひお顔を拝したい”とありました」
エリザベートは静かに手紙を開いた。
そこには、優雅でありながらも鋭い、王妃直筆の筆跡でこう記されていた。
『ローデンベルク嬢。貴女の名は、いま王宮中に轟いております。
それが“悪役”としてか、“時代の変革者”としてかは──貴女次第です。
一度、お話ししたいと思っておりました。』
「……王妃陛下が、わたくしに?」
社交辞令ではない。これは明らかに、“試されている”。
この晩餐会が、ただの会話で終わるはずがない。
ジークフリート殿下との関係。アレクシス殿下の未練。カイルの辺境からの招き。魔法省の求賢。さらには──
(……そういえば、ルディウス様はまだ何か隠しているわ)
彼の話す内容は一貫しており、礼儀正しい。だが、彼の視線は時折、妙に“観察者”めいている。
まるで、何かの命を受けているような──そんな眼。
「……ふふ。王宮のゲームはまだ続くのね」
エリザベート・フォン・ローデンベルク。
かつて“悪役令嬢”と呼ばれた女の、真の人生は──
まだ、始まったばかりだった。
そう言ってエリザベートの屋敷を訪れた男は、漆黒の髪と灰色の瞳を持つ青年だった。衣服は質素だが上質、装飾はないが隙もない。何よりも、その目が研ぎ澄まされている。
「……貴方は?」
「カイル・ラウベルと申します。ラウベル辺境伯の次男にございます」
「あら、わざわざ辺境から。手紙だけでは飽き足らず、次は直接のご訪問?」
「はい。言葉では足りぬと思いまして」
エリザベートは眉をわずかに上げた。アカデミーの頃に一度顔を合わせただけの相手が、何を思って今さら──などと簡単に疑うほど、彼女も子供ではない。むしろ、それだけの“意思”を持って行動する男のほうが、よほど興味深い。
「……一戦交えると言いましたね。それは比喩ではなく?」
「ええ、剣で、です。正確には模擬剣ですが」
「なるほど。“悪役令嬢”に決闘を申し込むとは、貴方もなかなか変わり者ですわね」
エリザベートはくすりと笑った。
「では、お受けします。その代わり、勝ったら貴方の“提案”をじっくり聞かせてもらいますわよ?」
「承知しました」
こうして、急遽庭園での剣術試合が始まることになった。
観戦に集まったのは、クラリッサや屋敷の使用人たち、そして──偶然(というにはあまりに不自然な)タイミングで訪れていたルディウス・ヴァレンシュタインと、ジークフリート殿下。
「まさか、剣で婚活とはね……」
ジークフリート殿下が半ば呆れたように呟くと、隣のルディウスが真顔で頷いた。
「勝ったら求婚って、昔の英雄譚みたいですね……僕、魔道具しか使えないんですけど。やっぱり剣も練習した方が……?」
「それより、彼女の足さばきを見ておくんだな。無駄がない。礼儀の枠に収まる女ではないぞ」
「……それは、褒めてます?」
ジークフリート殿下は答えず、ただ剣を構えるエリザベートの姿を静かに見つめていた。
──試合は、五分と五分だった。
カイルは剣の達人ではないが、鋭さと冷静さを持ち合わせていた。一方のエリザベートも、元王子の婚約者という立場から日々鍛錬を欠かさず、技術も胆力も相応にある。
刃が交わるたび、火花のように緊張が走った。
そして──
「……ふぅ。貴方、なかなかやりますわね」
エリザベートが額の汗を袖で拭いながら、模擬剣を納めた。
「嬢こそ、想像以上の強さだ。まるで獅子のようだった」
「悪役令嬢から、今度は“獅子”ですか。称号がどんどん増えていくわね」
エリザベートは苦笑しながら、カイルの申し出を聞くことにした。
「貴方の申し出、詳しく聞かせてくださる?」
「承知しました」
カイルはその場に跪き、まっすぐに彼女の目を見た。
「私の家──ラウベル辺境伯家は、長らく王都との繋がりを絶ってきました。ですが今、帝国との国境地帯が不穏です。我々のような貴族が、もはや独自に抗うには限界がある」
「つまり、中央との橋渡し役が欲しい……と?」
「その通りです。ただし、王宮と通じていても、信用できる人物でなければ意味がありません。あなたはその条件に、最もふさわしい」
「わたくしを“使う”つもりなのね?」
「“共に立つ”つもりです」
その真っ直ぐな言葉に、エリザベートは思わず目を細めた。
彼の提案は、これまでの求婚者たちとは違っていた。甘い言葉も、美辞麗句もない。ただ、国家の行方を懸けた真剣な願い。
──面白い。
それはエリザベートが、久しく感じていなかった感覚だった。
「考えておきますわ、カイル・ラウベル様」
「光栄にございます」
こうして、また一人、新たな“男”が彼女の周囲に加わった。
そしてその夜──
クラリッサがそっと部屋をノックした。
「エリザベート様、よろしければ……お茶をお持ちしましょうか?」
「いいえ、ありがとう。今日は少し考え事がしたい気分なの」
「……では、おやすみなさいませ」
静かになった部屋。エリザベートはソファに腰を下ろし、目を閉じた。
王子に捨てられた令嬢。
悪役と呼ばれた過去。
それが、こんなにも人を引き寄せる理由になるとは。
(……皮肉なものね)
王宮から、辺境から、学術機関から──さまざまな思惑と感情が、彼女に注がれている。
だが、どれも“本物”かどうかは、まだ分からない。
一人の女として、政治家として、貴族として──どんな未来を選ぶのかは、すべて彼女次第だった。
そしてその翌日──また一つ、予想外の知らせが届いた。
「エリザベート様。王妃陛下より、正式な晩餐会へのご招待状が届いております」
「……王妃陛下が?」
「はい。文面には“ぜひお顔を拝したい”とありました」
エリザベートは静かに手紙を開いた。
そこには、優雅でありながらも鋭い、王妃直筆の筆跡でこう記されていた。
『ローデンベルク嬢。貴女の名は、いま王宮中に轟いております。
それが“悪役”としてか、“時代の変革者”としてかは──貴女次第です。
一度、お話ししたいと思っておりました。』
「……王妃陛下が、わたくしに?」
社交辞令ではない。これは明らかに、“試されている”。
この晩餐会が、ただの会話で終わるはずがない。
ジークフリート殿下との関係。アレクシス殿下の未練。カイルの辺境からの招き。魔法省の求賢。さらには──
(……そういえば、ルディウス様はまだ何か隠しているわ)
彼の話す内容は一貫しており、礼儀正しい。だが、彼の視線は時折、妙に“観察者”めいている。
まるで、何かの命を受けているような──そんな眼。
「……ふふ。王宮のゲームはまだ続くのね」
エリザベート・フォン・ローデンベルク。
かつて“悪役令嬢”と呼ばれた女の、真の人生は──
まだ、始まったばかりだった。
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