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ルディウス・アルステル──その名が、ローデンベルク家の玄関に告げられた瞬間、エリザベートはすでに一つの予測を立てていた。
(あの男が“自ら”来る……これは、仕掛ける前触れ)
いくら高位の魔導研究官とはいえ、王都を離れ、この地方領主の屋敷まで足を運ぶなど極めて異例だ。ましてや、ジークフリート殿下から“観察対象”とされた相手である。
エリザベートは落ち着いた足取りで応接間へと向かった。いつも通りの優雅な動作だが、瞳の奥には研ぎ澄まされた剣のような光が宿っている。
応接間の扉を開くと、そこには黒の外套をまとい、紅茶を手にして座る男がいた。
「ご無沙汰しております、ローデンベルク嬢」
ルディウス・アルステル。やや細身の体躯に銀縁の眼鏡、切れ長の目は鋭く、冷静な雰囲気を纏っている。だがその物腰には、どこか演技じみた柔らかさがある。
「ようこそお越しくださいました。まさか、貴方が直々にお見えになるとは」
「貴女の動きが興味深すぎて……つい、足が向きました」
エリザベートは椅子に腰を下ろすと、すぐに紅茶に手を伸ばした。何も口にしない相手と同じく無言でいるのは、貴族として失礼にあたる。
「用件を伺いましょうか。まさか、雑談をしに来たとは思いませんけれど」
ルディウスは少しだけ口角を上げた。
「鋭い。……そうですね、貴女に隠しておくには惜しい情報が、ひとつあるのです」
「情報?」
「第一王子派──つまり王宮の保守派閥が、“王位継承計画”の裏で、ある『研究データ』を非合法に利用していることが発覚しました」
「……研究データ?」
「正確には、私の所属する魔法省でも存在を否定している“旧帝国式の魔導強化計画”──いわば、人為的な魔力量増幅技術の断片。禁忌とされるはずのものです」
「それを……保守派が?」
「はい。しかも、それを実験する“器”として選ばれているのが──」
ルディウスは一瞬、言葉を切った。
「リリアーナ・エストレイア嬢。元は貴女の学友だったと伺っています」
「……!?」
エリザベートは、表情を動かさなかったが、背筋に冷たいものが走るのを感じた。
リリアーナが、保守派と繋がっているという情報は、すでにクラリッサが探っていた。しかし、まさかそんな危険な技術に関わっているとは。
「何を証拠に、そのようなことを?」
「私自身が、かつてその研究に一部関わっていたからです」
ルディウスは穏やかな口調で言ったが、その内容は衝撃的だった。
「それは……魔法省の中でも、最大級の罪では?」
「だからこそ、私自身が“切り札”として生かされているのです。魔法省も、軍も、そして王族も──私を“知る者”として便利に使う。ただそれだけです」
彼は、あくまで事実として述べた。
「ですが、ローデンベルク嬢。私が今日、ここへ来た理由はもう一つあります」
「なんですの?」
「貴女のことを、私は“信頼”できる人物だと判断した。だから──“第三の計画”の真の意図を、私から伝えたくて来ました」
「……真の意図?」
ルディウスは立ち上がり、部屋の窓へと歩いた。カーテンの隙間から、青灰色の空が覗く。
「“第三の計画”は、ジークフリート殿下が立案したものですが、その根幹には“国内における魔導独立機構の設立”という構想があります」
「……魔導独立機構?」
「つまり、王権や貴族制度に縛られない、“技術と知識”による統治を目指す組織です。表向きは軍事改革、外交政策の一環ですが……真実は、貴族制そのものへの揺さぶりです」
それは、まさに“革命”に近い発想だった。
「では、ジークフリート殿下は──貴族制度を否定しようとしているの?」
「否定ではなく、“刷新”です。だからこそ、彼は貴女のように『制度を受けながらも、その枠を超えてきた者』を必要としているのです」
エリザベートは紅茶のカップを置いた。すでに温度はぬるく、甘味も薄れていた。
「……わたくしは、単なる“棋子”にはなりません。利用されるつもりもない」
「そのつもりで来ました。だからこそ、貴女に一つ、選択肢を提示します」
ルディウスは懐から一枚の小さな封書を取り出した。そこには、赤い羽根で封蝋が押されていた。
「これは、王都北方にある“アルゼンド旧遺跡”への入域許可証です。そこには、魔導独立機構に必要な最初の“鍵”が眠っています」
「……鍵?」
「詳細は現地でしか語れません。ですが、その場所に行けるのは、貴女だけです。貴女の血筋、そして──かつてこの国で忘れ去られた“魔導の継承者”であるという、隠された資質によって」
エリザベートは、手元の封書を見つめた。
赤い羽根。それは古き時代、“魔導王家”と呼ばれた別系譜の象徴だったという。
「……わたくしの、血筋が?」
「ええ。貴女の母方の祖先には、“シェリルの灰の一族”の名が記録されています。……この国では、その名はほとんど抹消されていますが」
「……父も、母も……何も語りませんでしたわ」
「その方が安全だったのでしょう。だが、時は満ちました。貴女の立場も、知性も、精神も、今や十分です」
沈黙が流れる。
重たく、深く、揺るぎない決断を迫る沈黙。
だがエリザベートは、迷わなかった。
「……アルゼンド旧遺跡。行くには、何日かかります?」
「馬車で三日、そこから徒歩で半日です。……ですが、貴女が動けば王宮内に“波紋”が広がります」
「構いませんわ」
エリザベートは静かに立ち上がり、赤い羽根の封書を手に取った。
「貴族制度を刷新するなら、まず私自身が“旧き枠”を壊さねばなりません。好都合ですわ」
彼女の瞳は、確かに燃えていた。
ただの復讐でもなく、婚約破棄からの再起でもない──
国家を揺るがす者として、舞台に立つ覚悟の光だった。
「……貴方も、ついてくるのかしら?」
「ええ。案内人として、そして“証人”として。……貴女が何者であるかを、私自身が見届けたい」
「その眼、欺きませんわよ?」
「期待しています、エリザベート=ローデンベルク嬢」
──その夜、ローデンベルク領から出た馬車には、二人の人物が乗っていた。
一人はかつて“悪役令嬢”と呼ばれた女。もう一人は、真実を知りすぎた魔導師。
運命の歯車は、静かに、しかし確実に回り始めていた。
アルゼンド遺跡の扉の先にあるもの、それは希望か、それとも──
破滅か。
そして、王宮の奥深く。
誰にも知られぬ闇の中で、一通の新たな密書が、第一王子・レオンハルトの机に届けられていた。
ローデンベルク嬢、動き出しました。
彼女は“鍵”を手に入れに行きます。
間に合うのは、今だけです──。
(あの男が“自ら”来る……これは、仕掛ける前触れ)
いくら高位の魔導研究官とはいえ、王都を離れ、この地方領主の屋敷まで足を運ぶなど極めて異例だ。ましてや、ジークフリート殿下から“観察対象”とされた相手である。
エリザベートは落ち着いた足取りで応接間へと向かった。いつも通りの優雅な動作だが、瞳の奥には研ぎ澄まされた剣のような光が宿っている。
応接間の扉を開くと、そこには黒の外套をまとい、紅茶を手にして座る男がいた。
「ご無沙汰しております、ローデンベルク嬢」
ルディウス・アルステル。やや細身の体躯に銀縁の眼鏡、切れ長の目は鋭く、冷静な雰囲気を纏っている。だがその物腰には、どこか演技じみた柔らかさがある。
「ようこそお越しくださいました。まさか、貴方が直々にお見えになるとは」
「貴女の動きが興味深すぎて……つい、足が向きました」
エリザベートは椅子に腰を下ろすと、すぐに紅茶に手を伸ばした。何も口にしない相手と同じく無言でいるのは、貴族として失礼にあたる。
「用件を伺いましょうか。まさか、雑談をしに来たとは思いませんけれど」
ルディウスは少しだけ口角を上げた。
「鋭い。……そうですね、貴女に隠しておくには惜しい情報が、ひとつあるのです」
「情報?」
「第一王子派──つまり王宮の保守派閥が、“王位継承計画”の裏で、ある『研究データ』を非合法に利用していることが発覚しました」
「……研究データ?」
「正確には、私の所属する魔法省でも存在を否定している“旧帝国式の魔導強化計画”──いわば、人為的な魔力量増幅技術の断片。禁忌とされるはずのものです」
「それを……保守派が?」
「はい。しかも、それを実験する“器”として選ばれているのが──」
ルディウスは一瞬、言葉を切った。
「リリアーナ・エストレイア嬢。元は貴女の学友だったと伺っています」
「……!?」
エリザベートは、表情を動かさなかったが、背筋に冷たいものが走るのを感じた。
リリアーナが、保守派と繋がっているという情報は、すでにクラリッサが探っていた。しかし、まさかそんな危険な技術に関わっているとは。
「何を証拠に、そのようなことを?」
「私自身が、かつてその研究に一部関わっていたからです」
ルディウスは穏やかな口調で言ったが、その内容は衝撃的だった。
「それは……魔法省の中でも、最大級の罪では?」
「だからこそ、私自身が“切り札”として生かされているのです。魔法省も、軍も、そして王族も──私を“知る者”として便利に使う。ただそれだけです」
彼は、あくまで事実として述べた。
「ですが、ローデンベルク嬢。私が今日、ここへ来た理由はもう一つあります」
「なんですの?」
「貴女のことを、私は“信頼”できる人物だと判断した。だから──“第三の計画”の真の意図を、私から伝えたくて来ました」
「……真の意図?」
ルディウスは立ち上がり、部屋の窓へと歩いた。カーテンの隙間から、青灰色の空が覗く。
「“第三の計画”は、ジークフリート殿下が立案したものですが、その根幹には“国内における魔導独立機構の設立”という構想があります」
「……魔導独立機構?」
「つまり、王権や貴族制度に縛られない、“技術と知識”による統治を目指す組織です。表向きは軍事改革、外交政策の一環ですが……真実は、貴族制そのものへの揺さぶりです」
それは、まさに“革命”に近い発想だった。
「では、ジークフリート殿下は──貴族制度を否定しようとしているの?」
「否定ではなく、“刷新”です。だからこそ、彼は貴女のように『制度を受けながらも、その枠を超えてきた者』を必要としているのです」
エリザベートは紅茶のカップを置いた。すでに温度はぬるく、甘味も薄れていた。
「……わたくしは、単なる“棋子”にはなりません。利用されるつもりもない」
「そのつもりで来ました。だからこそ、貴女に一つ、選択肢を提示します」
ルディウスは懐から一枚の小さな封書を取り出した。そこには、赤い羽根で封蝋が押されていた。
「これは、王都北方にある“アルゼンド旧遺跡”への入域許可証です。そこには、魔導独立機構に必要な最初の“鍵”が眠っています」
「……鍵?」
「詳細は現地でしか語れません。ですが、その場所に行けるのは、貴女だけです。貴女の血筋、そして──かつてこの国で忘れ去られた“魔導の継承者”であるという、隠された資質によって」
エリザベートは、手元の封書を見つめた。
赤い羽根。それは古き時代、“魔導王家”と呼ばれた別系譜の象徴だったという。
「……わたくしの、血筋が?」
「ええ。貴女の母方の祖先には、“シェリルの灰の一族”の名が記録されています。……この国では、その名はほとんど抹消されていますが」
「……父も、母も……何も語りませんでしたわ」
「その方が安全だったのでしょう。だが、時は満ちました。貴女の立場も、知性も、精神も、今や十分です」
沈黙が流れる。
重たく、深く、揺るぎない決断を迫る沈黙。
だがエリザベートは、迷わなかった。
「……アルゼンド旧遺跡。行くには、何日かかります?」
「馬車で三日、そこから徒歩で半日です。……ですが、貴女が動けば王宮内に“波紋”が広がります」
「構いませんわ」
エリザベートは静かに立ち上がり、赤い羽根の封書を手に取った。
「貴族制度を刷新するなら、まず私自身が“旧き枠”を壊さねばなりません。好都合ですわ」
彼女の瞳は、確かに燃えていた。
ただの復讐でもなく、婚約破棄からの再起でもない──
国家を揺るがす者として、舞台に立つ覚悟の光だった。
「……貴方も、ついてくるのかしら?」
「ええ。案内人として、そして“証人”として。……貴女が何者であるかを、私自身が見届けたい」
「その眼、欺きませんわよ?」
「期待しています、エリザベート=ローデンベルク嬢」
──その夜、ローデンベルク領から出た馬車には、二人の人物が乗っていた。
一人はかつて“悪役令嬢”と呼ばれた女。もう一人は、真実を知りすぎた魔導師。
運命の歯車は、静かに、しかし確実に回り始めていた。
アルゼンド遺跡の扉の先にあるもの、それは希望か、それとも──
破滅か。
そして、王宮の奥深く。
誰にも知られぬ闇の中で、一通の新たな密書が、第一王子・レオンハルトの机に届けられていた。
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