「お前との婚約は間違いだった」と言われたけど、隣国の王に選ばれました

ゆっこ

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 リュゼリア王宮の朝は、王都とは比べものにならないほど静かで、どこか優雅だった。
 鳥のさえずり、柔らかな風、そして窓から差し込む陽光。
 そんな中、私はまだ慣れない王妃候補としての生活を始めていた。

「リリアーナ様、今日の王妃教育の予定は、午前に外交儀礼、午後は舞踏指導、夜には陛下との晩餐会がございます」

 侍女長のマリアが淡々と予定を告げる。
 ……ふぅ。思っていたよりもずっと大変。
 でも、これしきで音を上げるつもりはなかった。

 なにせ、今の私は――“王に選ばれた女”なのだから。



「外交儀礼、か。君ならすぐに覚えるだろう」

 講義の合間、レオネル陛下がふらりと部屋を訪れた。
 昼間だというのに、黒衣の軍装姿で、相変わらず威厳に満ちている。
 けれど、その金の瞳は私を見た途端、ふっと柔らかくなるのだから、反則だ。

「陛下……授業の途中ですのに」
「君が真剣な顔をしていると、つい見に来たくなるんだ」

 その一言で、心臓が跳ねる。
 周囲の侍女たちが顔を赤らめてそっと退出していくのが分かる。

「……困りますわ、そんなことを仰っては」
「困らせるのが趣味なんだ」

 彼がからかうように微笑む。
 そういう時の陛下は、王というよりも、ただ一人の“男性”だ。

「ところで、昨日言っていた話……覚えているか?」

 昨日――そう、あの夜。
 「私が君を選んだ本当の理由を話す」と言っていた。

 私はゆっくりと頷く。
「……はい。お聞きしたいです」

 レオネル陛下の瞳が、ほんの少しだけ陰った。

「では、場所を変えよう」



 案内されたのは、王宮の最奥にある“銀の間”と呼ばれる場所だった。
 磨き抜かれた白銀の壁面、静謐な空気、そして――中央に飾られた、一枚の古い絵画。

 そこには、私に瓜二つの女性が描かれていた。

「……この方は?」
「五百年前、リュゼリアを救った聖女エルシア・リュゼリア。初代王の妃でもあった女性だ」

 聖女――?
 でも、どうしてその絵を私に見せるのだろう。

「驚かないでくれ。君は……彼女の血を引いている」

「……え?」

 思わず声を失った。
 だが、レオネル陛下は静かに続ける。

「かつて、聖女の血筋は王家によって保護されていた。だが、数百年の時を経て、記録は途絶えた。……しかし、君の魔力反応を見た時、確信したんだ。君の中に“聖女の力”が眠っていると」

 聖女の力……?
 私が、そんな……?

「信じられないかもしれないが、君があの王都で“選ばれなかった”理由は、それでも説明がつく。君の中の力を見抜けず、ただ表面だけを見た愚か者たちが、君を手放した」

 陛下の声が、低く熱を帯びていく。

「だから私は、君を選んだ。運命の再来として、そして――一人の女性として」

 その言葉に、胸が高鳴る。
 私の中に、そんな力があるなんて信じられない。
 けれど、レオネル陛下の真剣な瞳を見ると、疑うことなどできなかった。

「……陛下。もし本当にそのような力があるのなら、私は、それを貴国のために使いたいと思います」
「リリアーナ……君は、いつもそうやって自分より他人を優先するのだな」

 彼の手が、そっと私の頬に触れた。
 その優しさが、痛いほどに温かい。



 だが、王妃候補の道は、決して平坦ではなかった。

「王妃候補? あんな異国の令嬢が?」
「聖女の血筋だと? 冗談も大概にしろ」

 貴族たちの中には、私の存在を快く思わぬ者も多かった。
 特に、王の従兄である宰相ジルベルト侯爵は、露骨に私を敵視していた。

「リリアーナ殿。王妃になるおつもりなら、まず“出自”を明確にされてはいかがかな?」
「私の家系はエルヴェン公爵家に連なります。記録はすべて揃っておりますわ」
「ふん、だが公爵家とはいえ、今は没落寸前だと聞く。血よりも力の時代ですよ」

 その言葉に、周囲の貴族たちが笑い声を上げた。
 けれど、私は一歩も引かなかった。

「ええ、確かに力は大切ですわ。ですが――本当に強い者は、他人を見下すことで己を誇るような真似はなさらないでしょう」

 一瞬で場が静まり返った。
 ジルベルト侯爵の顔が、見る見る赤く染まる。

 ――痛快だった。

 その後、陛下が現れ、まるで庇うように私の隣に立った。

「私の妃に対して無礼は許さぬ。彼女の言葉こそが真理だ」

 ざまあみろ、という言葉を飲み込むのに苦労したほどだ。



 日が経つにつれ、レオネル陛下との距離は少しずつ縮まっていった。
 公務の合間に交わす何気ない会話、夜の庭園での散歩――そのどれもが、私の心を確実に侵食していった。

「リリアーナ。君は、王妃になったら何がしたい?」
「そうですね……誰もが、出自や血筋ではなく、“努力”で評価される国を作りたいです」
「……君らしいな」

 陛下がふっと笑い、私の手を取る。

「私も、その理想を共に実現したいと思う。だから――どうか、私の傍にいてくれ」
「……はい」

 気づけば、夜風が頬を撫でていた。
 近づいた距離、触れた指先。
 何も言えなくなるほど、心が熱くなる。



 ――だが、その静寂を破る報せが届いたのは、翌日のことだった。

「報告です! 隣国アルシオンより使者が……!」

 その名を聞いた瞬間、全身が凍りついた。
 アルシオン――私がかつて婚約していた王子、ルーク殿下の国だ。

 まさか……。

「陛下、どうなさいますか?」
「通せ」

 重い扉が開き、入ってきたのは見覚えのある従者たち。
 その中心に立つのは、紛れもなく――ルーク殿下本人だった。

「久しいな、リリアーナ」

 その声を聞くだけで、心の奥にあの日の屈辱が蘇る。
 だが、私はもうあの頃の私ではない。

「これはこれは。ルーク殿下。まさか、わざわざご挨拶に来てくださるとは」
「……私は、君に謝罪するために来た」

 その場がざわめいた。
 けれど私は、冷ややかに微笑んだ。

「謝罪、ですか? 今さら?」
「私は……間違っていた。君を失ってから気づいたんだ。君の知恵も、優しさも、すべてが必要だったと」

 滑稽だった。
 彼は今さら後悔の言葉を並べ、私に許しを乞う。
 けれど、その背後には焦りと打算が見えていた。

 ――おそらく、私が“隣国の王妃候補”となったことを知っての行動だろう。

 しかし、私が何か言うより先に、レオネル陛下がゆっくりと立ち上がった。

「王太子ルーク殿下。貴殿の言葉は理解した。だが、我が妃に不快な思いをさせたことは、決して軽くはない」

 その声には冷たい威厳が宿っていた。
 ルーク殿下は顔を引きつらせ、必死に頭を下げる。

「も、もちろん、そのつもりは……!」
「二度と彼女に近づかぬこと。それが謝罪の証だ」

 ルーク殿下の顔が青ざめる。
 私はただ、静かに一礼した。

「陛下、ありがとうございます」
「当然のことだ。君を侮辱する者は、誰であろうと許さない」

 レオネル陛下が私を見るその瞳に、ただひとつの強い感情が宿っていた。

 ――独占。

 それは冷徹さよりも、むしろ甘やかな支配のように感じられた。



 その夜。
 王宮のバルコニーで、私はひとり風に当たっていた。

 ルーク殿下の言葉が頭をよぎる。
 そして、陛下の瞳も――。

「……私、どうしてこんなに……」

 胸の鼓動が早い。
 ただ陛下のそばにいるだけで、呼吸が乱れる。

 そんな私の背に、ふいに温もりが触れた。

「こんな時間まで起きているとは、君らしくないな」

「レオネル……陛下……」

「ルークのことを考えていたか?」
「……少しだけ。でも、もう何も感じません」

 私の言葉に、陛下は満足げに微笑む。
 そして、そっと囁いた。

「ならいい。君の心は、すべて私のものだ」

 唇が触れる寸前――風がふわりと吹き抜けた。

 夜空には、満天の星。
 けれど、私の胸に灯る光は、それよりも強く輝いていた。



 ――そして翌朝。

 王妃候補の私に、ある知らせが届いた。

「リリアーナ様。王都アルシオンから新たな書簡が届きました」

 開封すると、そこには見慣れた筆跡。
 だが、書かれていたのは――

『リリアーナ・エルヴェン。お前は我が国の“禁忌の血”に関わる存在だ。
聖女の血筋を隠していた罪により、拘束を求める。』

 ……まさか。

 今度は、王妃になる前に“罪人”にされようとしている?

 私の指先が震えた。
 レオネル陛下の瞳が鋭く光る。

「……どうやら、向こうは本気で仕掛けてきたようだな」

 そして、静かに言った。

「リリアーナ。――戦う覚悟はあるか?」

 私は息を呑み、ゆっくりと頷いた。

「はい。もう、逃げません。あの国にも、過去にも」

 陛下の手が、強く私の手を握る。

 その瞬間、運命の歯車が静かに回り始めた。
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