「価値がない」と言われた私、隣国では国宝扱いです

ゆっこ

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 ――轟音が、世界を震わせた。

 夜明けの空を裂くように、竜たちの咆哮が響く。
 風が狂い、雲が裂ける。
 その風の中心に、私は立っていた。

「リディア、下がれ!」
 レオンが叫び、私の腕を掴む。彼の鎧は血に染まり、目には鋭い光が宿っている。

「ヴァルガード軍、すでに北の丘を制圧! しかし敵の本隊は……王太子自ら率いています!」
 伝令の声が響く。

 ――王太子、エドモンド。
 かつて私を「価値がない」と言い捨てた男が、いま、私を奪い返すために剣を振るっている。

「殿下自ら……?」
 私は息を呑んだ。

「やはり、リディアを奪うために来たのだろう」
 レオンの声には怒りと憎しみが混ざっていた。
 しかしその奥に、微かな焦りも感じた。

「リディア、絶対に外へ出るな。いいな?」
「でも、私も加護を使えます。少しでも役に――」
「駄目だ」
 その言葉は、鋼のように固かった。
 レオンは私の両手を取り、指先でそっと包む。

「お前がこの国の“風”そのものなんだ。
 お前がいなければ、竜も兵も、心を失う。……だから、守る。俺が」

 真剣な瞳。
 その視線に、私は何も言い返せなかった。

 外では風竜たちが一斉に羽ばたく音が響く。
 その翼の風が、まるで私の心を揺さぶるように吹き抜けていった。



 一方その頃。

 アルストリア軍の陣営。
 王太子エドモンドは血に濡れたマントを翻し、竜を睨み上げていた。

「ちっ……なんて数だ。これでは攻め込むどころか、近づくことすらできん!」

 背後でクラウディアが不安げに声を上げる。
「殿下……これ以上は危険です。ヴァルガードの竜は人間の兵など歯牙にもかけません」

「黙れ! リディアを連れ戻すまで退く気はない!」

 怒鳴る声が、夜明けの冷気を震わせた。
 クラウディアの目が揺らぐ。恐怖と嫉妬と、少しの焦り。

「どうして……どうしてそこまで、あの女に――」

「俺は……間違えたんだ」
 エドモンドの瞳に、苦い影が走る。
「リディアを“価値がない”などと……愚かだった。
 あいつの献身がなければ、辺境は守れなかったのに。
 俺が捨てた途端、国は揺らいでいる。……だから取り戻す」

「殿下、それは……“愛”なのですか?」

 クラウディアの問いに、彼は答えられなかった。
 ただ、唇を噛みしめて言う。

「俺のものを、他人に奪われたままにしておけるか」

 ――その言葉が、何よりも浅ましいことに、彼自身気づいていなかった。


 ヴァルガード王城の最上階、祈祷の間。
 私は風竜の紋を描いた円の中心に立っていた。
 周囲には魔力が渦巻き、空気が震える。

「リディア様、竜たちが暴走し始めています!」
「分かっています……でも、この風の暴れ方は、ただの戦の気ではない」

 胸の奥に、強い痛みが走った。
 まるで、何かが呼んでいる。
 ――北の空から。

『リディア……』

 聞き覚えのある声。
 懐かしい、けれどもう戻れない声。

 エドモンド。

「……あなた、なの?」

 風が答えるように吹き荒れる。
 その瞬間、祈祷陣が光を放ち、私の髪が宙に舞い上がった。
 身体の奥底から、何かが溢れ出す。

「リディア様! 危険です!」
 誰かが叫んだ。

 でも私はわかっていた。これは“暴走”ではない。
 ――“覚醒”。

 竜たちの力が、私を通して世界に流れ始めている。
 風が、私の心と繋がり、世界の息吹を感じさせる。

 空の彼方に、黒い炎が見えた。
 それは敵国の旗が燃える光。

「やめて……誰も、死なないで……!」

 叫んだ瞬間、竜の咆哮が応えた。
 突風が戦場を包み、炎を消し去っていく。
 風は優しく、しかし強く、命を守るように吹き渡った。

 けれど、その力の余波で私は意識を失い――倒れ込んだ。



「……っ、リディア!」

 目を覚ますと、そこは柔らかな寝台の上だった。
 カーテン越しに差し込む夕陽が揺れ、隣にはレオンが座っていた。
 鎧は外し、頬には泥の跡。眠れぬ夜を過ごしたのだろう。

「目を覚ましたか。……よかった」

「私、あのあと……?」

「竜の力を暴走させかけた。だが、結果的に戦場の火をすべて鎮めた。
 お前がいなければ、千の命が失われていた」

 その言葉に、胸が詰まる。
 無意識のうちに、そんなことを……?

「……怖い。私の力が、誰かを傷つけるかもしれない」

 震える声を聞き、レオンはゆっくりと手を伸ばした。
 頬を包み、指先で涙を拭う。

「お前の力は、誰も傷つけない。
 それを導くのが俺の役目だ」

 そう言って、彼は私の額に唇を落とした。
 熱い、けれど優しい口づけ。
 その瞬間、胸の奥の不安が少しだけ和らぐ。

「……レオン」
「何も心配するな。お前が“風”なら、俺は“剣”になる」

 彼の声が、静かに響いた。

「この命にかけて、お前を守る」

 ――その誓いは、風よりも重く、確かなものだった。



 翌夜。
 戦は一時的に膠着していた。
 レオンは軍議に出ており、私は王宮の一室で休んでいた。

 静かな風が流れる。
 けれど、何かがおかしい。空気が、重い。

「……誰か、いるの?」

 返事はない。
 けれど、影が一つ、カーテンの奥で動いた。

 私は咄嗟に護符を掴み、魔力を展開する。
 風が爆ぜ、カーテンを吹き飛ばす。

 そこに立っていたのは――見間違えるはずのない顔。

「……エドモンド……殿下?」

 傷だらけの姿で、彼はそこにいた。
 鎧は砕け、肩から血が流れている。
 けれど、その瞳だけは、かつての冷たい光を失っていた。

「リディア……ようやく、会えた」

「どうして……ここに。あなたは敵国の……!」

「敵などじゃない。お前を迎えに来た」

 その言葉に、胸が凍る。

「何を言っているの。あなたが私を――」

「間違っていた! あの日のお前を、見捨てたのは俺の愚かさだ。
 どうか、帰ってきてくれ」

 その声には、涙が滲んでいた。
 かつて一度も見たことのない表情。
 けれど――遅すぎる。

「……私は、もう戻れません」
 私の声は静かだった。

「ヴァルガードは私を受け入れてくれた。
 この国の人々は、私を“価値ある者”として見てくれる。
 あなたに否定された心を、ようやく癒してくれたのは――この国と、レオン様なのです」

「……レオン……」
 エドモンドの瞳に、嫉妬と絶望が混じった光が宿る。

「まさか、お前……あいつに、心を……!」

 怒鳴り声が響いた瞬間、扉が弾け飛んだ。
 風が荒れ、レオンが剣を抜いて飛び込んでくる。

「リディアから離れろ!!」

 金属がぶつかる音。
 エドモンドの剣と、レオンの剣が激しく火花を散らした。

「貴様が……レオン・アルステッドか」
「そして貴様が、リディアを捨てた愚か者か」

 二人の瞳が交錯する。
 憎しみと、奪えぬ愛の狭間で。

「彼女は俺が守る。貴様の所有物ではない」
「俺の“婚約者”だった女を奪われて、黙っていられるか!」

「婚約者? ならなぜ彼女を傷つけた!」

 激しい剣戟が響く。
 私は、ただその場で震えるしかなかった。

 ――もう、戻れない。
 誰かを選ぶことが、戦争の引き金になる。

 でも、私の心はもう決まっている。
 あの日の「価値がない」という言葉を、風がすべて吹き消したから。

「……レオン様、お願い、殺さないで」

 その声に、レオンの動きが止まる。
 刹那、エドモンドが隙を突いて後退した。

「覚えておけ……リディア。
 お前が誰のものにもならないなら――その命ごと奪ってやる」

 吐き捨てるように言い残し、彼は闇へと姿を消した。
 レオンがすぐに追おうとしたが、私は腕を掴んで止める。

「追わないで。もう……彼は、過去の人です」

 レオンは私を見つめ、やがて静かに頷いた。
 そして、私の額に再び唇を落とした。

「……あいつがどう叫ぼうと、俺が信じている。
 お前は、“俺たちの国の宝”だ」

 その言葉に、涙が頬を伝った。
 風が吹き抜け、遠くで竜が吠える。

 ――そして、運命の嵐が再び近づいていた。
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