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強欲聖女 2

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「ヘザー様、民の聖女をお辞めになるのでしたら――ぜひとも私だけの聖女様になっていただけませんか?」

 ハロルド様の申し出はあまりにも唐突で、私も周囲にいる観衆たちも戸惑って言葉を失った。
 
 私だけの聖女様というのはつまり、ハロルド様専属聖女……ということなのだろうか。
 専属聖女なんて聞いた試しがないから何なのかよくわからないのだけれど――。

(この状況でよく言い出せるよね……)

 神殿長から追放され、王妃殿下に告発された強欲聖女を非難する声が交差する中で私を自分だけの聖女にしたいと言うなんて、絶対に周りから顰蹙を買うようなだものだというのに。

 実際に神殿長と王妃殿下がものすごい形相でハロルド様を睨んでいるし、彼の周りにいる同僚の聖騎士たちにいたっては青ざめている。

 それなのにハロルド様は周囲の顔色なんて少しも気にならないらしく、曇りない瞳で真っすぐ私を見ている。

 まるで私の返事を期待して待っているかのように誤解してしまいそうなほどキラキラとした眼差しで見つめられているものだから、どうも落ち着かない気持ちになって顔を逸らしてしまった。
 
(……それにしても、一年前とは全く雰囲気が変わったなぁ。まるで別人みたい)

 私は横目でチラとハロルド様の顔を盗み見る。
 
 かつては前髪で顔を隠して陰鬱な雰囲気だったし、俯きがちでオドオドしていたというのに――今や聖騎士としての貫禄さえ感じるほど堂々としているから驚きだ。

 髪は綺麗に整えられているし艶やかで、体つきも以前よりしなやかで引き締まっている感じがする。
 
 性格も以前とは変わり、明るくて気さくで爽やかになった。爽やかが服を着て歩いていると言われているところを聞いたことがある。
 
 おまけに後輩や部下にも丁寧に接するし、討伐中に同僚がピンチに陥ると真っ先に助け出す――そんな頼もしくて善良な性格の彼は一気に株が爆上がりした。
 
 生まれ変わった彼の周りには常に仲間や熱狂的なファンがいて、絶えず話しかけられているようになったのだった。

(そんな人気者になったハロルド様が、どうして私を自分の専属聖女にしようとしているの?)
 
 せっかくみんなに慕われるようになったのに私のような強欲聖女を助けたら、みんなから掌を返したかのように疎まれるかもしれないのに――。

(もしかして……あの約束を守ってくれているとか?)

 ――……まあ、もし恩返ししてくれるのなら、私が窮地に立たされた時に助けてね?

 一年前の私は彼にそう望んだけれど……本当に守ってくれるなんて期待していなかった。

 それなのにハロルド様は神殿警備隊の聖騎士たちの手を私から引きはがすと、そのまま私の手を掬うように取る。
 
「ヘザー様、どうぞ私の手につかまってください」
 
 そう言い、空いている方の手も使って私の体を支えながら立たせてくれた。

 ハロルド様の視線が私の足元に落ちると、彼が息を呑んだ気配がした。
 
「……っ、ヘザー様の修道服に血が……!」

 ハロルド様の視線につられて見てみると、膝のあたりに赤いシミが滲んでいる。
 たぶん警備隊の聖騎士に取り押さえられたときにできた傷だろう。後ですぐに染み抜きしないと色が残りそうだ。
 
「あ~、やっぱり血が出ていたかぁ。痛かったから絶対に血が出てるって思ったんだよね」
「……ヘザー様の体を傷つけるなんて万死に値する所業……絶対に許さない」

 ハロルド様が小さく呟く声が聞こえてきたけれど、その内容は聞き取れなかった。
 
 聞き返そうかと思ったけれど、なぜか先ほどまで私を押さえつけていた警備隊の聖騎士がハロルド様の顔を見てブルブルと震えているものだから、そちらに興味が移ってしまう。

(ハロルド様に怯えているように見えるけど……なんで?)
 
 彼らの視線の先――ハロルド様を見遣るものの、いつも通りの爽やかで好青年な笑顔を返してくるだけで、ちっとも震える要素がない。
 
「ヘザー様、もし迷っているのであれば、条件を聞いてから考える?」
「ふ~ん? どんな条件?」
「まずは仕事内容。私の治療だけしてくれたらいいし、戦場には連れて行かないよ。私が帰った時に怪我をなおすくらいだし、私が遠征に言っている間は好きなことをしていていい」

 随分と楽な仕事だ。本当にそれだけでお金が貰えるのなら副業でも始めようかな。
 
「福利厚生は?」
「衣食住を保証するよ。家は私が王都に持っている屋敷の一室で、ヘザー様が快適に過ごせるように必要なものは全て揃える」
「住む場所があるのは助かるから嬉しいけれど……一番気になるのはお給金だね。どれくらい払ってくれるの?」
「今の二倍は出すよ」
「二倍……?!」

 待遇はいいし給料も今より上がるなんて、願ってもみない好待遇で夢かと思ってしまう。
 今の安い給料で質素な生活を強いてくる職場なんて比べものにならない。
 
(とてもそそられる話だけど……あまりにも話がうますぎるんだよねぇ……)
 
 何か裏でもあるんじゃないかと勘繰ってしまう。

 そんな私に、ハロルド様はまるで捨てられた仔犬のような表情を見せた。
 
「二倍で足りないのであれば……五倍出すよ」
「五倍……!」

 その時、私の頭の中にあった不安要素が全部まるっと吹き飛んだ。
 
 裏があっても、まあいいか。

 もしも不穏な予感がしたら今度は捕まる前にさっさとずらかればいいだけだし、ハロルド様一人からなら上手く逃げられるだろう。

 お給金が五倍になるこのチャンスを逃したくない。自分で言うのもなんだけど、お金が大好きな私が今ここで断ったら絶対に一生後悔するはずだ。
 
 私はハロルド様の手を両手で握り返した。
 
「その話、乗った!」
「お、お待ち!」

 先ほどまで固まっていた王妃殿下が慌てて口を挟んできた。
 怒りがハロルド様に飛び火したようで、充血した目で睨みつけている。

「ウェントワース卿! その罪人を雇うとはどういうことなの?!」

 私も気になっていたことを女王陛下が代わりに聞いてくれるとはありがたい。

 さあ、答えたまえという気持ちを込めてハロルド様に振り向くと、彼は澄んだ眼差しのままこてんと首を傾げた。

「優秀な人材なので引き抜きました。私は<女神の翼>に所属しているから優秀な聖女様が必要なんです。なんせ、いつも魔物討伐に駆り出されていますから」
「この強欲聖女が優秀だと?」
「王妃殿下はご存じかわかりませんがヘザー様も私と同じ<女神の翼>の所属です。……この過酷な部隊に配属されても唯一残ってくださった方なんです。それに、数々の過酷な任務をこなしてきた実力者でもあります。あと、ヘザー様が所属するようになってから一度たりとも我が隊で死者が出なかったのはご存じですか? ヘザー様には様々な噂がありますが、私が見てきたヘザー様は魔物が間近に迫っても怖気ずに我々聖騎士に寄り添い、治癒や後方支援をしてくれていたんです。……<女神の翼>の同僚たちもまた、ヘザー様に助けられてきたというのに見捨てるなんて……非常に残念です」
 
 ハロルド様はやや早口で捲し立てるように反論してくれた。その勢いに気圧されたのか、王妃殿下は唖然と口を開けたまま立ち尽くしている。

(私が<女神の翼>でしてきたこと……ハロルド様は気づいてくれていたんだ……)
 
 魔物討伐で死者を出さないこと――それは私が密かに自分に課していたことだった。

 たとえ誰にも気づいてもらえなくてもよかった。
 私はただ、彼らを家族のもとに帰したいという一心だったから。

(だって、せっかく待ってくれる人がいるのに再会できないなんて、あんまりだもん)
 
 孤児で家名もない私とは違い、<女神の翼>にいる騎士たちには家族がいるし帰る家がある。
 だから私は全員が無事に家族のもとに帰れるように、自分の魔力を温存していざというときに備えていた。

 もしも瀕死の怪我を負った時は、一命を取り留めるまでには回復させられるように――。

 絶対に誰も気に留めてくれないだろうと思っていた密かな努力を、ハロルド様が見つけてくれたことが嬉しい。
 
「ヘザー様は神殿の聖女をクビになっただけなのですから、その後何をしようとかまいませんよね?」
 
 ハロルド様の指摘に、王妃殿下は言葉を詰まらせる。
 
「もしもヘザー様が私の聖女になるのを妨げるのであれば、私もここから出ていきます。ちょうど隣国から引き抜きの打診があったので、ヘザー様と一緒に隣国に越しますから」
「そ、それは困る……! ハロルド卿は我が神殿にはなくてはならない存在だ!」

 神殿長が慌ててハロルド様を引き留めると周りの騎士たちもそれに続く。

 私が追放を言い渡されたときとは全く違う。
 これが人望の差というやつなのだろうか……と、何とも言えない気持ちになってしまった。
 
「それでは、ヘザー様を私の専属聖女とさせていただきますからね?」
「うっ……わかった。その代わり、監視をつけさせてもらうからな」
 
 神殿長が渋々と承諾した。
 この頑固な神殿長を翻弄するなんて、ハロルド様は意外と策士なのではと思ってしまう。

(まあ……ハロルド様は正真正銘の「善人」だから神殿長にも信頼されているんだろうな)
 
 一波乱あったけど、結果的には過酷な職場から抜け出して好待遇の職を手に入れられたから儲けものだ。

 おまけにハロルド様が王妃殿下にガツンと言ってくれたおかげで胸がすいた。

「ヘザー様、早く私たちの屋敷に帰って、すぐに足の怪我を治療しよう」
 
 ハロルド様が私の手をやんわりと引いたその時、祈りの間に黒い靄がさあっと立ち込めて辺りを暗くした。

「な、なんだ、これは!」

 神殿長が慌てふためく声が聞こえてくる。
 
 その声をかき消してしまうほどの大きな声で、王妃殿下が悲鳴を上げた。
 
「ど、どうして……この黒い靄……あの時と同じだわ……!」

 ひどく取り乱しているようで、声が切れ切れになっている。
 
「魔王が出てきた時と同じだわ……うそ……死んでいなかったの?」

 そんなまさか、と耳を疑った。

 魔王は王妃殿下が大聖女だった頃に倒したのではなかったのか、と。

 黒い靄は私の目の前にするすると集まり、人の形を作っていく。
 そうして黒い靄が取り払われると――ハロルド様と同じくらい背が高く、屈強な体つきの男性が姿を現した。

 歳は王妃殿下と同じくらいだろうか。
 肩のあたりまである黒い髪に、血のように赤い瞳――そして身震いしてしまうほどの威圧感を持つその男性には人外めいた美しさがあり、目が離せない。
 
 その赤い瞳がゆっくりと動き、私に向けられる。

「ようやく見つけたぞ、俺の娘――」

 目の前の男性はそう言うと、ニイッと不敵に微笑んだ。
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