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23夜目のためのお話:大切なあなたへの贈り物

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「ただいま、エーファ」

 エーファはランベルトの腕からすり抜けると、メヒティルデに抱きついた。
 メヒティルデはシリウスから降りると、エーファを抱きしめ返す。

「お嬢様ぁ~っ! お身体は大丈夫ですかっ?! 辛い思いはされていませんかっ?! もう絶対にお嬢様から離れまひぇんからねっ!」
「もうっ……、ちゃんと話せていないわよ。氷晶の賢者が形無しだわ」

 諫める口調のメヒティルデだが、おいおいと泣くエーファの頭を優しく撫でる。その目には、じんわりと涙が浮かび上がっている。
 
「今まで、どこにいたんですか? 何をして、どんなことがあったんですか?」
「そうねぇ……簡単に言うと、追放された後にサーディク――カーセム=シン王国の国王陛下に拾ってもらったのよ。それからしばらくはカーセム=シン王国でお世話になっていたわ」
「まさか、歩いて砂漠まで行かれたのですか?!」
「――いや、俺がリーツェル王国の国境付近で待っていたんだ。一目ぼれした麗しの令嬢が無実の罪で追放されると聞いて、急いで迎えに行ったんだよ」

 メヒティルデの代わりに、尊大な態度の青年――サーディクが答える。
 サーディクはシリウスから降りると、労うように彼の頬を撫でてやっている。シリウスはすっかり彼を気に入っているようで、気持ちよさそうに目を閉じた。

「ひ、一目惚れ……いつお嬢様と出会ったんですか?!」
「魔法学院だ。俺は二年生の頃に、一年間だけ留学していたんだが――初日からメヒティルデに一目惚れしてしまったんだよ。だけど、その時すでにメヒティルデはあのアホ王太子の婚約者だった。なかなかメヒティルデへの想いを捨てきれなかった俺は、陰ながら見守っていたんだ」
「それはもしや、つきまと――」
「見守っていたんだ。メヒティルデにもしものことがあれば助けられるようにな」

 圧の込められたサーディクの笑みに、エーファは言いかけた言葉をごくりと飲み込んだ。

「自国に帰ってからも密偵をつかってメヒティルデの周辺を見張らせていたら、メヒティルデが冤罪で捕まったと聞いたんだ。だからすぐに国境に駆けつけてメヒティルデを連れて帰ったのさ」
「魔法学院……お嬢様と一緒に青春を謳歌していたなんて、羨ましい……」
 
 叶うことなら自分もついて行きたかったものだ。そうしてメヒティルデの学園生活の一場面を心に焼きつけたかった。
 
 魔法学院にいた頃のメヒティルデを想像するエーファの頬を、メヒティルデが気恥ずかしさに顔を赤らめつつ、ムニッと抓るのだった。
 そして、居場所を失った手を宙に上げたまま固まっているランベルトに、手を合わせて見せた。カーセム=シン王国流の礼だ。
 いつの間にかメヒティルデはすっかり異国の作法をものにしている。
 
「ロシュフォール卿、エーファを守ってくれてありがとうございます。カーセム=シン王族の密偵からエーファの近くにロシュフォール卿がいると報告を聞いて、安心していました」
「私は……ただエーファさんを見張っていただけで……」
「でも、エーファの身を案じたり、二度もエーファの危機に駆けつけてくれましたでしょう?」
 
 ランベルトは気まずそうに目を逸らした。

「……始めは、あなたへの罪滅ぼしでもありました。事件の起きた日、私がケーラー伯爵令嬢の護衛役を引き受けていれば、未来が変わっていたのではないかと後悔していたんです」
 
 ランベルトはユリアの護衛を任されていたが断っていた。以前より令嬢の護衛に指名されることが多く、その度に相手の令嬢から言い寄られてうんざりしていたのだ。
 
 その後ランベルトはメヒティルデが誘拐犯として拘束されたと聞き、本当に彼女がそのようなことをしたのだろうかと疑問を抱いた。
 メヒティルデは王太子の婚約者になってからというもの、己の役目を誠実にこなしてきた令嬢だ。そんな彼女が嫉妬に狂って他者を害するなんて想像がつかなかった。
 
 しかし、アンゼルムはこのところ、メヒティルデを放ってユリアばかり連れていたことを考えると納得もできた。
 人は憎しみで変わるものだ。婚約者のそのような態度に、さすがのメヒティルデも耐えられなかったのだろう。
 少し魔が差して、両親の提案に乗ってしまったのかもしれない。
 
 そう自分に言い聞かせる一方で、もしも自分が従兄としてアンゼルムを諫めたり、護衛役を引き受けていたら未来が変わったのではないだろうかと思うようにもなった。

「全て過ぎたことです。冤罪をかけられた時は腹立たしかったですが――おかげで私を大切にしてくれる人と結ばれたから、それでいいんです」
 
 メヒティルデとサーディクは、互いに目を合わせて微笑み合った。

 すると、メヒティルデの前にアンゼルムが立ちはだかる。
 追放したはずの元婚約者の登場に驚きのあまり硬直していた彼だが、ようやく動けるようになったらしい。
 
「どうしてお前がここにいる? 追放された身で戻って来るとは、処刑されに来たのか?」
「いいえ、ここにはカーセム=シン王国の次期王妃として挨拶に来ました。私はもう、無実の罪を着せられて追放されたメヒティルデ・フォン・アーレンベルクではないのです」

 メヒティルデは背筋を伸ばしたまま毅然と返す。追放される前の彼女より、一段と凄みが増しているように見えた。

 そうしてメヒティルデを守るように、サーディクが二人の間に割って入る。
 
「挨拶のついでに、メヒティルデの家臣を助けに来たんだ。それにしても、リーツェル王国は惜しい人材を手放したな。メヒティルデは我が国に到着したその日から妃教育で得た知識を存分に発揮して国のために尽くしてくれている。今では全国民がメヒティルデを慕っているぞ」
「くっ……」

 猛獣を彷彿とさせるサーディクの金色の目が、意地悪く弧を描く。
 アンゼルムはすっかりその威圧に気圧されてしまい、後退った。

「ついでに、メヒティルデの大切な家臣を助けに来たわけだ。そろそろお前がまた彼女に危害を加えるかもしれないと、メヒティルデが不安がっていたからな」
「私は、何も――」

 頑なに罪を認めようとしないアンゼルムだが、確実に追い込まれている。
 
 しかし騎士たちの足音が聞こえてくると、援軍のお出ましだといわんばかりに表情が明るくなった。

「ここに侵入者がいる! 残さず捕らえてくれ!」

 アンゼルムが声を張って命令するが、騎士たちは小屋の目の前で立ち止まってしまった。まるで魔法で時を止められたかのように、少しも動かない。
 
「――いいえ、捕らえらえるのは兄上です」

 騎士たちの背後から、フリートヘルムとヒルデが姿を現した。

 フリートヘルムは凍てつくような冷ややかな目でアンゼルムを睨む。
 
「守るべき民に危害を加え、国のために尽くしてくれていた元婚約者に濡れ衣を着せた罪、償っていただきます」
「な、何を言っているんだ……」
「ケーラー伯爵令嬢が自白しましたし、兄上の手の者は俺の部下たちが捕らえて拘束しています。メヒティルデ様の一件については証人も揃えていますので――もう、逃がしませんよ」
「ご、誤解だ。ユリアは嘘をついているんだ。みんな私を王太子の座から引き下ろすために罪を擦りつけるつもりだろう?」
「先ほどのあなたの暴言の数々を聞いた国民たちが、果たして納得してくれるでしょうかね?」
「――っ!」
「ヘルマンがこの小屋に来てからのやり取りは全て王都内に設置された氷の結晶を通して見聞きできる状態だったんです。諦めてください」
 
 アンゼルムは何も言わず、膝から崩れ落ちた。
 すっかり生気のなくなった彼を、騎士たちが二人がかりで連行した。

     *☆*:;;;:*☆**☆*:;;;:*☆**☆*:;;;:*☆*   

 それからエーファたちは、ランベルトの副官のリーヌスが連れて来た救護班の治療を受けた。
 といっても、実際に治療が必要だったのはヒルデのみだ。

 ヒルデの話によると、アンゼルムとその手下は魔法でヒルデを眠らせようとしたが、例の魔法無効化が発動して眠らせられなかったようだ。
 その結果、彼らは逃げ回るヒルデを拘束したらしい。

 ヒルデの腕には強い力で掴まれていた痕がついており、それを見たフリートヘルムが怒りのあまり室内の温度を下げてその場にいる全員を凍らせかけてしまうのだった。

「そういえば、店で別れた後、みなさんはそれぞれ何をしていたんですか?」

 落ち着いてようやく、当時の状況を知りたくなった。なんせエーファとフリートヘルムとマクダレーナは個人的に動いており、そこに作戦などなかったのだ。
 
「俺は魔法兵団の中でも信頼できるものを集めて、城門を封鎖させた。正確に言えば、王宮から誰も出られないよう結界を張ったんだ」
「その騒ぎはフリートヘルム殿下のせいでしたか……」
「犯人がヒルデ殿を連れて逃げる可能性を考慮したら、それくらいの準備は必要だろ。……まあ、誰かさんが転移魔法でヒルデ殿を逃がしてくれたおかげで無事に保護できたから、無用となってしまったが」

 ヒルデはフリートヘルムのもとに送られてすぐ、エーファがアンゼルムに囚われてしまうと言い、助けを求めた。おかげで城門周辺の異変に気づいて出て来た騎士たちがその話を聞いており、彼らを説得する手間を省けたのだ。

 そうして、無辜の民に危害を加えた王子を捕らえる為に、あの小屋まで来たらしい。
 
「わたくしは店を出てすぐに、カーセム=シン国王陛下とメヒティルデ様に会いましたの。今からエーファお姉様に音と映像を記録できるイヤリングを渡すから、王都各地に氷の結晶を作るよう命を賜ったから成し遂げてきましたの」

 マクダレーナはふうと溜息をつくと、魔力回復薬エリクサーが入った瓶を傾けて飲み干した。

「研究職の私にとっては重労働でしたわ。でも、エーファお姉様の雄姿を見られて少し元気になってよ」
「そ……そうなんですね……」
 
 エーファはマクダレーナの熱い視線に居心地の悪さを感じ、応接室からバルコニーへと逃げ出した。

「ふぅ……、これで全て終わったんだよね?」

 バルコニーの欄干に寄りかかり、目の前に広がる雪景色を見つめる。

 憎き王太子に復讐を遂げたし、お嬢様と再会できた。
 エーファが助け出す前に異国の国王が助けていたのが誤算だったが、大切なお嬢様が野宿をしなくて良かったと安堵した。

「カーセム=シン王国かぁ……私もついて行って、今度こそまたお嬢様の専属侍女にしてもらおうかな?」
「――それは、ダメよ」
「お嬢様?!」

 振り返ると、毛皮の襟付きの濃紺のコートを着たメヒティルデがいた。メヒティルデはエーファの横に並ぶと、同じように欄干に寄りかかる。
  
「私がまたここに来たのはね、アンゼルム殿下からあなたを助け出し、そしてあなたをあなたに返すためなのよ」
「私を……返す?」
「ええ、もう私の侍従になろうとなんて、しなくていいの」
「わ、私を捨てるのですか?! エーファは返品不可ですよ!」
「エーファ……お願いだからよく聞いて?」

 メヒティルデはエーファの頬を両手で包むと、彼女の目尻を指先でそっと拭う。
 雪の妖精のように美しい、この世で一番大切な侍従。彼女の水晶のように美しい薄青色の目から零れる涙もまた、とてつもなく純粋で美しいと思った。

 初めて出会ったその日も、エーファの目の美しさに魅せられた。
 絶望の淵に立っていながらも真っ直ぐなその眼差しに、惹かれたのだ。

「あなたは長い間、よく尽くしてくれたわ。私にとってあなたは特別な存在なの……だから、これ以上は私の為にあなたを傷らないでほしいの。私の為に、あなたが手にしたものを捨てないで」
 
 メヒティルデは危惧していた。いつかエーファがメヒティルデのために自分を捨ててしまうのではないかと、予期していたのだ。
 その予想は少し当たり、エーファがメヒティルデの追放後に魔法兵団を辞めて賢者の職も辞したと聞いた時は眩暈がした。
 
 メヒティルデにとってエーファは、この世で一番純粋な愛情を教えてくれた尊い存在だ。
 幼いころから両親に政治の駒として育てられてきたメヒティルデにとって、エーファが自分に向けてくれる感情は眩しくて温かく――守りたいものでもあった。
 
 その想いは、今も変わらない。
 だからエーファが自分のために身を削り、もしくは自分のために破滅の道を平気で歩もうとしている状態に、危機感を募らせていた。
 これからは新しい関係性を築いていかなければならないと、結論付けたのだ。

 世界でたった一人の、大切な存在を守るために。
 
「でも……お嬢様のものではなくなったら、私にはケーキや飲み物を作ることと、魔法しかなくなってしまいます」
「十分たくさんあるじゃない。これ以上、何を望むの?」
「お嬢様がいないと、意味がないんです」
「……それは、あなたがそう思うように私が呪いをかけてしまったからよ。初めて会ったあの日、大切な家族と居場所を失いかけて弱っているあなたに、私がその道しか生き残る術がないと思いこませてしまったからだわ」

 メヒティルデはエーファの両手を包み込む。
 かつて侍女や魔法使いをしていた頃に比べると、あかぎれが増えてガサガサとした手になっている。カフェの仕事では水を使うことが多いから、どうしても荒れてしまうのだろう。
 しかしそのあかぎれだらけの手を、メヒティルデは愛おしく思うのだった。

「あなたは変わったわ。今までは私以外の誰も心の内側に入れようとしなかったけど、今は今年の聖女様と仲良くしているじゃない。あなたが聖女選考会で喜ぶ姿を見て、本当に嬉しかったわ」
「あの時の女性は、やっぱりお嬢様だったんですね!」
「ええ、変装して様子を見に来ていたの。ハンスから、エーファが現れると聞いていたから……」
「むむっ、ハンスさんめ……抜け駆けしてお嬢様に会っていたんですね?!」
「仕方がなかったのよ。あなたは王太子殿下に目をつけられていたから、顔を合わせるわけにはいかなかったの」

 これまでエーファの質問に嘘をついていたのだ。それだけではなく、抜け駆けしてお嬢様に会うなんて言語道断。許せるわけがない。
 
 今度会った時は文句の一言くらい言わせてもらおう。
 お嬢様のこととなると執念深くなるエーファは、心の中でそう誓ったのだった。
 
「あなたの周りにいるのは彼女だけではないわシリウスはあなたのために王都中を駆け回って私たちを運んでくれたの。エーファを助けるために手を貸してと言ったら、すぐに助けてくれたのよ。シリウスのあなたへの想いは、単なる魔法使いと使い魔の関係ではないことくらい、あなたならわかっているでしょう?」
「それは……そうですけど……」
「マクダレーナさんだって、とてもあなたを慕っているわね。実は魔法学院にいた頃、何度もあなたのことを聞かれたのよ。彼女にとってエーファは、憧れの魔法使いなの」
「なんとなく……それはわかります」

 少し恐ろしく感じることもあるけど、と自分のことを棚に上げて震えるのだった。
 
「ロシュフォール卿も、命を賭けてまであなたを助けてくれるなんて、よほどあなたを好いているのだと思わない?」
「――っ、それは……ロシュフォール団長は生真面目な人だから、騎士らしく国民を守ろうとしているのであって――」
「あら、エーファに惚れているのかどうかの答えは、改めてあなたに言うとか何とか言っていたわよね?」
「うっ……」

 雪のように白いエーファの頬が、じんわりと赤く染まる。
 その様子を、メヒティルデは微笑みを浮かべて眺めた。

「あなたはもう、身寄りのない無力な子どもではないの。シナモンを使った美味しいお菓子や、みんなを温めてくれる葡萄酒を作れる素敵なカフェの店主だし、望めば白銀の魔杖を持ってまた氷晶の賢者に戻れるわ。その可能性を全て、自分のために使いなさい」
「もしお嬢様の侍従を辞めたら――これから私たちは、どうなるんですか……?」
「そんなの、決まっているわ。友だちになるのよ。これからはエーファに手紙を書くわ。だってあなたは私の一番の友だちだもの」
「わ、私も手紙を書きます! 毎日!」
「それは多すぎるわ。せめて週に一回にして」
「へへっ」

 エーファがふにゃりと笑うと、メヒティルデは彼女を抱きしめた。
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